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「さいゆうき」というと分からなくても、「そんごくう」というとほとんど知らない子はないくらい、孫悟空の名は知られている。それくらいこの物語は愛されているというか、たくさんの本が出されている。ダイジェスト版や、漫画本も入れたら、数え切れないだろう。図書館でこの関係の本を借りようとしたら、軽く30冊くらいになってしまった。それだけに、内容もいろいろで、こどもたちも、どんな形で西遊記に触れるかが問題である。
ラボの西遊記は、ひとつの芸術作品。李庚さんの絵は、勢いのある筆づかい、繊細な筆づかい、それに複雑な色が筆から落ちるように描かれる。私は、テープで2冊、CDで2冊くらいの本があり、その一冊には、李庚さんのサインがあるから日常使う本とは別にして、大切にしている。
ラボもこの大冒険小説を、うまくまとめたひとつのダイジェスト版だが、言葉のリズムがよく、このスケールの大きい世界、奇想天外な話の展開、それぞれのキャラクターのダイナミックな活躍が、こどもたちには、たまらなく楽しい。本当にこの物語は中国語も含めて、何度取り組んだことか。
元気に表現できて、言葉のとおりに暴れられるとくれば、テーマ活動もたのしいにきまっているが、その後に残る深みとそれぞれの心に刻まれる西遊記の真髄を考えて、やはり一生懸命になる。福音館の「西遊記・上・下」(呉承恩作・君島久子訳)を紹介した。3人ほどは読破したが、なかなか読めず、パーティでも出来るだけ拾い読みをしたりした。とにかく語彙も難しく、仏教やら道教やら、伝説上の英雄、菩薩とか釈迦如来まで出てくるのであるから、めんくらってしまう。でも読んだ子は、面白くてやめられなかったという。漢字は多いが、幸いこれは全部ルビがふってあるので、かえって興味がわいたという。
「もくじ」はたとえば、第一回「霊根育まれて源流出で心性修持まりて大道生ず」とか第七回「八卦炉中より大聖逃れ五行山下に心猿を定む」とか難しい。でも、本文は
―――その東勝神州の海のかなたに、名を傲来国という国があった。近くに大海をひかえ、その海中に花果山と呼ばれる名山があった。その山の頂に、一つの仙石があった。高さ三丈六尺五寸、周囲二丈四尺。あたりには陰さす樹木さえなく、左右はびっしり苔むしていた。この岩は、天地が開けてこのかた、つに天、地、日、月の精を受けていたが、長い年月のうちに、ついに霊気を宿した。ある日のこと、岩はぱっと裂けて、まりほどの石の卵が生まれた。卵は風にさらされると、孵って石猿となった。――――
というように確かに面白いと思う。
―――さいゆうきは、元気のあるテープなのですきです。むりやりとりあげたにょいぼうは、すごくおもいのに、ごくうは、かるがるもちあげました。雲にのって、空もとべる。ひこうきよりかんたんに、じてんしゃみたいで、空を飛べるものがあったらいいなあ、と思います。ごくうは、ゆうきもあるし、力もあるけど、ちえもある。金かくや、ぎんかくとのたたかいも、ちえをつかったからかてたと思います。―――Y君(小2)
―――小さいときから、なんとなく孫悟空という存在にあこがれていた。僕は今年中国交流に参加したとき、この物語を中国語で発表した。そのとき、やはり、これは中国語の語りがいいと思った。聴きなれていないはずの言葉なのに、なぜかなつかしく、あたたかく、ひかれてしまった。―――S君(中3)
―――中国語の発表は、すべてテープをたよりに覚えなければならないゼロからのスタートだった。西遊記をやると、どうしても孫悟空に目がいきやすいが、僕は八戒をやって、八戒を知ると、なんとも愉快な脇役だった。八戒はもとは天界の天蓬元帥といい、孫悟空なんかよりずっと身分が高かった。しかも八戒は人間以上に人間らしい素直な天人?(妖怪)だった。人間いじょうに人間らしいというのは、まず色欲旺盛なことである。天人などというと、まるで理性のかたまりのようにお堅いイメージがあるし、下界の人間だって、最近は妙に固い人間が多いし、理性で自分の感情を抑えてしまっているやつがわんさかいる。そう考えてみると、八戒は、ストレートに自分の気持ちを言葉にする。かわいい、よき天人、よき妖怪。この八戒をどこまで僕が演じることが出来たかは疑問で、八戒に悪い気もする。しかし僕は僕なりに一生懸命八戒になったつもりだ。―――T君(中3) |
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