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ラボ・ライブラリー「平知盛」が発刊されたのは、’86年、ラボ・パーティ20周年、私のパーティの15周年だった。幼児からパーティ全員が手にしたこの物語をいかに楽しもうかと考えた。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と始まる平家物語の全文を、現代文付、解説付きでそろえてみても、なんとも仕方がない。テューターとしては、京都の六波羅を訪ねたり、下関の赤間神宮を訪ねたりして、物語周辺の話をできるだけしても、子どもたち自身の活力は出てこない。もっと身近に感じられることをと、地元の高校の先生で、平家物語を研究している先生を高大生を連れて訪ねた。そうして、岐阜にも源平ゆかりの墓や史跡があることを知り、そこをたずねることにする。墨俣の円興寺に源平墨俣川の合戦の舞台、横蔵寺に熊谷直実の墓、護国之寺にその供養塔など。こんな行動が彼らにひとりでに歴史を読む興味をもたせた。
力強い語りをいかに自分の声にするか。説明的な動作はかえって物語を軽くしてしまう、と、動きを最小限にして、言葉と言葉の流れを大切に語る。ちょうどその頃パーティで作ったはっぴを着て、テーマ活動発表を楽しんだ。
―――華々しい生活から、地獄に落ちたかのような苦しい生活を送らざるを得なくなった知盛、戦いを通して武将として歴史に名を残した人は、みな、冷たく残酷だと思っていたけど、知盛は、人情味があって、自分に厳しく、他人に優しい。
多くの味方が裏切り、相手に加勢しているのに、それを責めることなく、「見るべき程の事は見つ。今は自害せん。」といって死んでいった。今死ぬというとき、こんな力強く、気品ある言葉を残したなんて、本当にすごい人なんだと思った。―――T君(高1)
―――たくさんのテーマ活動のうち、最も印象に残っているものの一つは、この「平知盛」である。これは今までのテーマ活動とは、一味もふた味も違うものだった。
まず、「平家物語」について知ること、源氏と平家について知ること、そして少しでも親しみがますようにと、郷土の源平ゆかりの地などを訪ねた。大垣の青墓町に源朝長の墓、墨俣町に源義円の墓などあることを知り、昔、雪の深い関が原のあたりを行き来したんだと、思いをめぐらし、歴史を身近に感じるのだった。
物語はせりふが少なく、語りが中心なので、群読というのをやった。胸を張って大声で堂々と語る、このことが、一番大切なことだと、そのとき思い知らされた。
”Tomomori of the Heike”という最初の一声だけで、会場の小さい子までが、いっせいに注目したのを覚えている。
全盛を誇っていた平家にも、やがて衰える日がやってくる。物語の中には、清盛とか、木曽義仲とか、よく知っている名前も出てくるし、義経との一の谷の合戦、壇ノ浦の合戦など歴史で習ったような史実が、興味深く語られ、その言葉を、おなかの底から声を出して大声で語ることは、自分が自分でないような快感を覚えた。
自害するという昔の武士の道はあまりよくは理解できないし、感覚的には離れたものを感じる。難しい言葉もずいぶん覚えた。平家物語が親しみやすくなった。―――T君(大2)
平家物語にしても、シェイクスピアにしても、小さい子には難しい。しかし、ラボのような活動だからこそ、小さいときにそれらに触れることが出来る。そのことが、いかにすばらしいことかといつも私は思う。彼らが大きくなって、本当にそれらに取り組むとき、初めてでなく、何かが蓄積されているのだから。
この後、ほるぷ出版から、「絵巻平家物語」(木下順二・文=瀬川康男・絵)で出された。忠盛、祇王、俊寛、文覚、清盛、義仲、義経、忠度、知盛、と興味ある人物を中心にした平家物語として出された。最後の知盛が出版されるのを心待ちに待って楽しんで読んだ。今も眺めて、読んで、楽しむ本である。 |
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