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私は、トルストイといえば「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」など、長編小説の作家で、その他のことは、ほとんど知らなかった。ラボのこのシリーズの中に、昔話だけでなく、トルストイのこの作品が入ったことは、トルストイに近づけただけでなく、このCDに何倍もの価値を与えていると思う。
トルストイが貴族生活を遠ざけ、ルバーシカを着て働き、農奴の子供たちのために学校を作ったりする。「教育は、締め付けたり、管理することではない。もっと自由に、伸びやかに行われなければならない。」といっていると聞くと、ラボ・テューターとしては元気が出てしまう。
一握りの貴族と、大多数の民衆、ロシアという国の近代化は非常に遅れていた。現在に至るまで、自由にものを発表できない苦しい状態が続いている。少しでもこうした背景を知ると、この物語の涙の意味も分かるのだろう。
作男のエメリアンが、アンナの魔法の力を借りて、皇帝の権力に打ち勝つ。現実には難しいことだけれども、それが民衆の夢であり願望であるのだ。長い間の大勢の人間の苦悩と涙が、一人の老婆の涙で代表されているようだ。太鼓は中身は空っぽ。音は大きく響いても、中身がない。権力なんて何だ。みんな同じではないか。「これはうちこわして、河に投げこんでしまわなければならないのです。」・・・・兵士たちは四方八方に散っていってしまった。・・・なんとも気持ちがいい。
―――しごとをやらせるこうていは、ぼくはきらいだ。エメリヤンはすごい。何でもできてしまう。ぼくも、あんなふしぎなちからがほしい。おばあさんはなんでもしっている。こうていよりえらい。こうていはほんとうはえらくない。たいこの中にこうていのような、わるいこころをつめてたたきわったのだ。―――M君(小1)
―――最も不思議なのは、アンナのおばあさんである。おばあさんは、何もかも分かっていたことと、それでアンナを取り戻せるといったこと、おばあさんの涙が乾くであろうといったことが、不思議でたまらなかった。こういうお話の中で、一人すべてを知っている老婆などが出てくるのは、よくあることだが「涙が乾く」というのが不思議でたまらなかった。何回も聞いて、やっと権力のあるものを打ち負かすことが出来れば、弱い小さいものが苦しまないですむようになる、ということだろうかと思うようになった。―――A子(高2)
―――この物語は、多くの疑問が浮かんだ。考えれば考えるほど深みを感じる。作者がトルストイであるから何か訴えたいことがあり、それがアンナや太鼓になって出てきたのだと思って考えた。
エメリヤンがふみそこねたカエル。これがアンナだと思うのだが、どうしてアンナはエメリヤンと結婚したのか。私はアンナが、皇帝に思い知らせるためにエメリヤンを利用したように思えてならない。しかし一方、エメリヤンのやさしさ、一生懸命さが好きになり、純粋に愛するようになったと思える。すべてを魔法の力としてしまっていいのだろうかとも思うが、力のないものが、権力をつぶすには、超自然の力が必要だ。「いよいよときがきたようだ」。おばあさんが渡した糸玉にも意味がありそうだ。糸つむぎは時間がかかる。長い苦悩と努力の時間の象徴なのだろうか。長い長い間の苦労、おおぜいの人々の涙を、おばあさんは知っている。一人の男が打ち鳴らす太鼓。その太鼓の音は、強制されないで人を動かす。人々は権力から逃れ、太鼓の音で救われた。―――Y子(大2) |
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