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ラボ・ライブラリーで私たちが共有している「かえると金のまり」は、グリムの「家庭童話集」では、「かえるの王、別名、鉄のハインリヒ」などと訳されているものの再話である。しかも冒頭に収められた物語である。だからそれだけの意義のある物語であり、意識して最初の物語として収められたのだろうと思う。完訳グリム童話集によると、「むかしむかしのおお昔、まだ人のねがいごとがなんでもかなったころのこと、・・・・・」(金田鬼一訳)と始まっている。この出だしはあとのすべてに付けていい言葉であろう。
「かえると金のまり」の表現はまさにラボの再話者のセンスと意図によるものだが、グリム童話のはじまりをさわやかに飾り、祝福する気持ちが「ばらのかおりはそのにみち・・・」となったのだろうと私は思う。
りすについていって、泉を見つける。そこからもう姫の運命が操られていく。泉の精、かえるは、姫の分身、大切している金のまりを口にくわえて浮いてくる。すでに姫と王子は結ばれることになっている。
まり遊びに興じていたあどけない姫、醜いかえるを嫌って指でつまみあげていた姫、余りのかえるのあつかましさに、力まかせに壁にぶつける。しかしそれが王子の魔法を解くことになり、めでたしめでたしとなる。
そのあと、接木のように、ハインリヒの話がくっついている。これがこの物語の特徴であるとも思う。「いつもかわらぬ心で王子につかえてきたハインリヒが立ったままおともをしていました。」この忠臣ハインリヒの大変な喜びを、その内面的なものを、目に見えるものにした、それが、鉄のたがのはじける音である。それこそ、おめでとう!おめでとう!と歓喜あふれる表現がいいのではないだろうか。
―――わたしは、何度もこのお話を聞いています。だから、かえるは王子様だと分かっていても、「気持ち悪い! なんてあつかましい!」と思ってしまいます。「りす」と「風」と「金のまり」が、お姫さまと、王子さまをみちびいたかぎだと思います。わたしはこのお話が好きです。―――A子(小6)
―――「かえると金のまり」は、僕の好きな話のひとつです。その理由は二つ。
まず一つ目は、そのストーリー・パターンが、普通のものとすこし違うということです。普通なら、約束を簡単に破ってもいいと思うような姫、かえるに優しくしない姫は、un-happyになるのに、この物語は、そこが違う。その部分に何か現実的なものを感じてしまうからです。
二つ目は、最初と最後の四行の詩です。この四行がとても気になってたまりません。何を意味しているのか。そのなんともいえない神秘的なところが大好きです。このテーマ活動では、最後の場面、喜びにあふれた、馬車の場面が印象に残っています。―――S君(中3) |
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