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ラボ・ライブラリーのタイトルが白雪姫だから、小さい女の子は、「しらゆきひめがほしい」といって購入する。「ヘンゼルとグレーテル」は、小さい子には「かわいそう、でも・・・・」と複雑に深く入り込む物語であるらしい。絵に描くと、ほとんどの子が、お菓子の家のところを描いた。この部分は、親から離され、自立を迫られる子どもがほっと、母親の胸のにおいを感じるところなのだろう。
パン一切れしかない貧しさ、ひもじさ、子捨て、など、現代では実感できないが、歴史的には意味があることらしい。中世のヨーロッパでは、子供は7歳になると「小さな大人」として扱われ、経済的な自立も促される。農村では農作業を手伝ったり、町では、他家に見習いに出るとか、領主や主人の家で雑用をするとかした。日本でもやはり昔は、7歳といえば子守をしたり、もっとどの家でも仕事があった。いずれにしろ、自立ということが考えられた。
また、ヨーロッパでは、飢饉のためとか、何らかの理由で、子供を育てられない人が、子を捨てる風習があったといわれる。堕胎や、中絶、子殺しをするのでなく、生んでから捨てるということだったらしい。運のいい子は拾われて、育てられる。
そう考えると、ヘンゼルとグレーテルは、厳しい現実にあって、自立をせまられ、目の前の困難をくぐり抜け、最後には、グレーテルなどもすごく成長している。そして自分たちの手で未来を勝ち取る。
ヘンゼルは泣きじゃくるグレーテルを励まして、小石を拾いに出る。いかにも小さい女の子を護ろうとする男の子らしい利発さを出している。でも私は単純に石が光って道が分かったとは思えない。月夜であること、それほど簡単に断ち切れない親子の思い、家に導く力が働いていたとしか思えない。それに反し、2度目は、ヘンゼル自身、パンくずで、家に帰れるとは思っていなかったと思う。親たちの状況も分かっていて、あきらめもあり、神様の助け、何かの助けへの願いがあったと思う。
森に迷い込んで、もうどうにもならなくなったとき、現れたのが、「お菓子の家」。この魔法の家は、二人を助ける。二人は食べ物にありつけたし、ベッドにも寝た。しばし、幼きときのよき母性の中にいることができた。しかし、男の子は大事に囲われ、女の子は厳しく働かされ、別の母親像が現れる。そんな中で、グレーテルは、立派に母親を乗り越えて成長する。
先日、熊野古道を歩く機会を得た。今、里山に熊が出没するニュースを毎日聞くけれど、熊野の道は、いのししに荒らされていた。昔は山は人間の暮らしにとって、宝の宝庫。と話し、話し歩いていた。
ドイツの森は、それこそ私たちには想像できない深い深い森。樹海だと思う。しかも人間の生命の源、特別の感覚を持って扱われていると思う。特に白雪姫でも、このヘンゼルとグレーテルでも、怖い森であると同時に、畏敬の念を抱かせ、生命、人間のすべてを包み込む宇宙的なものを感じる。
「石」も大切な鍵を握る存在だと思う。家に戻るときの小石、岩みたいに年をとったおばあさん。最後に、二人がポケットに詰め込んだ宝石、これは、今の身につけるジュエリーではなく、磨けば光る原石、山の宝物。すべて、命を救うものとなった。
―――親が子供を捨てる、そこまで考えなくてはならない貧乏とは、どんなものかと思います。帰る道が見つからなくて、お菓子の家にたどり着き、魔女の家で働いているとき、「こんなことになるならば、山の獣に食べられたほうがよかった」などと思ったりして、ヘンゼルとグレーテルは、本当につらい思いをしたと思います。
でも、何かにまもられていて、うちに帰りつくことが出来たのです。暗いお話のようで、ハッピーエンドです。―――Y子(中1)
―――まじょと、おかあさんは、いっしょじゃない?だってさあ、なんかしらん、そうおもうの。いしをおとしていってさあ、いえにかえれて、パンはみんなとりにたべられて、もりのなかでまよってしまったけど、さいごは、かんたんにかえれたんでしょ。だってさあ、これ、おかあさんといっしょだもん。ぼくは、そうおもうの。―――H君(小1) |
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