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グリム童話。ラボ・ライブラリーの中のグリムは、白雪姫、ヘンゼルとグレーテル、かえると金のまり、ひとうちななつ、おおかみと七ひきのこやぎ、ホッレおばさん、きてれつ六勇士、そしてブレーメンの音楽隊がある。
グリムの物語をやるならば、やはりグリム童話について詳しくなりたいと、高大生は、グリム関係の本をよく読んだ。パーティでも、折にふれ、「(完訳)グリム童話」(小沢俊夫訳)を、よく読んだ。
グリム童話を知るには、1819年の第二版の序文がいい。小沢さんの訳で載っている。とにかくグリムについての本は、たくさん出ている。そのころ読んだ「メルヘンの世界」(相沢博)や、「メルヘンの深層」(森義信)などは、なつかしく、私の鉛筆のあとを見る。
白雪姫の絵本は、とても多い。図書館で、白雪姫絵本として借りたら、30冊以上あったことを覚えている。これくらいの本を、パーティに持ってきておくと、いやでも「白雪姫だ!」という気分で、テーマ活動も乗り気になる。また、白雪姫にかぎらず、絵本の読み比べは、とても面白い。いろいろ読んでいると、ひとりでに、いい本が分かってくるようにも思う。
白雪姫は、死んだと信じた后は、「森の中で七人の小人と暮らしている白雪姫はあなたより千倍も美しい]といわれれば、なんとしても!と思う気持ちになった。最初は飾り紐、次に、毒のくし、三度目に毒りんご。この三回の繰り返しが、ライブラリーでは、毒のくしが省略されているのが、私は困ったな、と思った。
毒りんごで白雪姫は死んでしまう。メルヘンの中の死は、いばら姫でも、百年もそのまま眠り続けるし、白雪姫も、生きた姿のままの死である。その美しさがより強調される。そして王子が現れて、生き返らせることになるけれど、その直接的な原因は、単なる偶然である。
最後の結末はやはり、勧善懲悪的に善人は幸福に、悪人は不幸にと、悪い王妃は、悲惨な死に方をする。あらゆるところに、対照的に、ヒロインの美しさや幸せを強調している。
このテーマ活動は、とても力の入った、忘れられない大きいステップとなったものだった。昔話の特徴を、丁寧に表現したし、言葉の意味を大切にしたこと、発想の転換によって、いきいきとした表現をうみだしたのだった。
―――グリム童話の話は、まったく日本の風景を漂わせてはいないのだが、小さい頃から、なぜかその辺にある話のように身近に感じていた。その中で、私は白雪姫が特に好きで、自分が白雪姫のような経験をしてみたいなあ、と思ったりもした。
私が小学校の3,4年の頃、このテーマ活動の発表をした。これまで何十とやったテーマ活動の中で、この白雪姫が一番好きだ。気取り、気位高いお后、愛らしい白雪姫、不気味な森、昔からお后が愛用した魔法の鏡、さらには、三滴の赤い血とか、白い雪、黒檀の窓枠、七つの山など、昔話の特徴にある原色の色や数まで、表現できたのだった。一番心に残っている表現は、白雪姫が森をさまようところで、私はこのとき森をやっていた。不気味さを出すように手を伸ばしたり、白雪姫をさそうように、木がささやきかけるようにしたりした。今もこのテーマ活動を自慢する。―――H子(高2)
―――白雪姫については、昔話の研究をしました。グリムについても調べました。ドイツだから、ドイツの森などについても調べました。そういうことがすごく楽しかったと思います。
森、お后、鏡、それから最初と最後の場面に力を入れました。白い雪、黒い窓枠を表現する発想がよかったと思います。だから三滴の血も表現できたのです。そんなものが表現できるかと思っていたのが、不思議と本当に赤く見えてくるのです。
この物語には、父親が出てきません。唯一の男性は猟師ですが、僕は猟師には父親の感情があると思いました。そして、鏡はお后にとっての男性だと思いました。この鏡を表現したときは、それこそ自分の指先までが、鏡になっている感じでした。―――K君(高2)
―――りんごをたべたために、しんでしまったしらゆきひめ。でも、すてきなおうじさまにめぐりあえて、よかったね。やっぱり、こころがうつくしく、やさしかったからかな。―――S子(6さい)
ディズニーランドではその雰囲気をみんなが楽しんでいるのだから、それはそれでいいのだけれど、ディズニーの「しらゆき姫と7人の小人」といえば、それはグリムとは違うといったほうがいいだろう。「子どもと本」の中で、山本まつよさんが「三種のメディアが変える白雪姫」(ケイ・ストーン)を訳している。素語り、印刷された文章、フィルムと、伝達の手段が変わることによって、物語がどのように変化するかをレポートしている。 |
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