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小さい孫がお泊りに来ると、やはり寝つくまでお付き合いすることになる。「おばあちゃん、おはなしして」という。彼女のママは、本を読んだ後、眼をつぶらせて、部屋を暗くして、お話をする。毎晩どんなお話をしているのだろうと思うと、「ぞうさんがね・・・」[きりんさんとしまうまくんが・・・]とやっている。ママの即興の話なのだ。二人のチビたちは喜んで聞いている。おばあちゃんの私は、やはり知っている昔話、特にラボの話がすぐに出てくる。
「ふるやのもり」も人気のある話だ。今の子どもにとっては、はりのうえ・・・とか、たわしのような・・・とか、あまもりすらイメージすることは、容易でないと思う。私は、お話をしていても、本を読み聞かせていても、その子の知らない言葉というのには、余り気にしない。だんだん自分でひとりでに分かっていくもののように思う。またその分かったとき(もし自分が勘違いをしていたりすると、特に)が、印象的で、うれしいものであると思う。
私の家の近くには、笠松競馬場があるから、厩舎がある。人の住まいのすぐ隣に馬の部屋があるという状態で、馬の世話をしながら生活している人たちの一画がある。そこには、一般の人は自由には入れなくて、入り口の守衛に、誰のうちを訪問したいかを連絡して、入らねばならない。その一画にラボっ子がいたので、数人のラボっ子と、そこを訪問したことがある。はりも、わらやまも、子馬の姿も、それこそ、その臭いとともに一目瞭然である。
「おおかみは、死に物狂いで走る。泥棒は、おおかみの両耳をむがむちゅうでにぎりしめた。」・・・こんなところをテーマ活動で本気になると・・・どうなるか・・・ふざけるか、まね事になるか、が多いと思う。私はいつも、それぞれが自分ひとりで本気になりきる、力も入れる、ようにした。そして、それぞれが相手にふれそうで触れない状態で本気になる。これが本人も、周囲の人も本気になって迫力を感じる表現になる。
―――はじめ、「ふるやのもり」と聞いたとき、ふるいよるの森かと思いました。どろぼうも、おおかみも、ふるやのもりをおそれているときが、おもしろかったです。「古い家だからあまもりがするからこわい」といっても、だれもこわがらないけど、「ふるやのもり」といったので、どんなばけものかと思ったのです。おじいさんもおばあさんも、じょうずだなあと思いました。―――Y子(小5)
―――おじいさんとおばあさんが、自分の住んでる古い家に雨もりがするのを、「ふるやのもり」とよんでいました。こんなあばら家はいやだなあ、といえば、不平を言っていることになるけど、こうしておばあさんたちは、ユーモアをもって生きているのだと思いました。
びくびくしていた、どろぼうとおおかみは、たった一粒の雨のしずくをうけたどろぼうのために、命からがら逃げ出して、おおそうどうになりました。森の動物たちもいばっているサルをおだてて化け物たいじに出しました。がんばったサルは、しっぽがきれてしまって、おもしろいはなしだと思いました。
そして、これは、なぜ、おさるのおしりやかおはあかいか。という話だということもできます。なぜ、おそばのくきは赤いか。なぜ、うみの水はしおからいか。という本もあります。―――A子(小6) |
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