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ギリシア神話については、大勢の神々が出てきて、その名前と関係が大変だ。興味のある子は、系図を書いてきてくれたりしたが、本によって、名前の呼び方も違うので戸惑うことがある。
ラボ・ライブラリーのギリシア神話はテーマ活動のことを考えて、会話が多くしてあると感じる。パエトンの話は、小さい子も好きで、元気な楽しいテーマ活動が出来た。より興味を持って、楽しんでくれるようにと、私は、そのとき何を読んだらいいかと、一生懸命考えるのだった。
ラボの絵本は、おぼ・まことさんの絵であるが、これをより一層、色彩豊かに考えさせてくれるような表現があった。
ラボで、「何日もかかって、ようやく光りかがやく太陽の宮殿につくと、ヘリオスは、太陽のむすめたちにかこまれて、玉座でやすんでいるところでした。」という表現にあたるところなど。次のような文を読んだ。
・・・・ 「太陽の神は、ダイヤモンドをちりばめたようにきらきらかがやく玉座に、むらさきの着物を着てすわっておいでになりました。右と左には、「日」と「月」と「年」がならび、きちんと間をおいて「時間」がひかえています。頭に花をかざった「春」と、みのった穀物の茎でできた冠をかぶった「夏」が、はだかでたっているそばには、「秋」がブドウのしるに足をそめてたっていました。つめたい「冬」は、髪が霜で白くこわばっています。おつきの者にとりまかれていても、あらゆるものが見える太陽の神は、この光景のめずらしさとすばらしさに、ぼうっとなっている若者に気がつきました。」・・・・
「パエトンは、全身を火につつまれて、流れ星のようにまっさかさまにエリダノスの川へとおちていきました。」との最後のところ。ある本では、
「大きな川のエリダノスが、パエトンを受け止めて、からだのほのおをひやしてやりました。水の精たちはパエトンのために墓を立て、墓石につぎのことばをきざみました。
太陽の神の戦車をのりまわしたパエトンは、ゼウスのかみなりにうたれて、この石の下にねむる。父親の火の車はかれの手におえなかったが、そのおおいなるこころざしは、ほむべきかな。
―――パエトンは友達に、「太陽の馬車を引いているのが、ぼくの、おとうさんだ。」とじまんした。でも信じてもらえなくて、「太陽の馬車をかりてこい」といわれた。これは、ぼくたちの学校でもあるような感じだ。じまんしたこをいじめたくなる。
おとうさんのヘリオスは「それはいけない」といったけど、無理に一日だけ馬車をかりた。でもそれがいけなかった。いけなかったけれど、パエトンはかっこよく思った。エパポスにじまんしてやった。ぼくもパエトンと同じ気分になって、さそり座やしし座の間を走り回るのは、楽しかった。
馬車はあばれまわって、山や、森に火がついてしまった。ゼウスはいなづまで馬車をこわしてしまった。たった一日、いい気分になったけど、死んでしまった。かわいそうだけど、仕方がない。―――Y君(小4) |
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