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耳なし芳一のついでに「鏡の精」。
―――不思議な物語である。魔性の持つ力の話。いろいろな災難に会う人、それからうまく逃れられる人、いつも不思議に思うことがある。魔性に惑わされて命を落とす人、魔性に助けられて人の力の及ばぬこともでき得る人。神官松村は、魔性に惑わされぬ強い精神力を持っていたのだと思う。そして鏡の精である弥生は、その松村に助けられて神霊として祀られたので、その恩に報いた弥生の予言で松村はまた、助けられることになる。なんとも不思議。ぞっとしながら聞く話である。―――Y子(高1)
―――松村は、鏡の精の弥生を信じてよかった。弥生はかわいそうだった。古いどの主、毒龍に操られて、心ならずも多くの人の命を失わせてきた。でも本当は、よい人(精、魂)で、そこから早くのがれたいと思っていた。松村も弥生を助ける力をもった人だったし、弥生は、松村と松村の家族を救った人でもある。人というけれど、本当は魂の話だと思う。おばあさんが「人は死んだら、魂には階級があるのだ。それは、この世よりも厳しい。だから、志を高く持って、よい行いをせにゃいかん。」と、よくいっている。そういうことかなあ、と思った。静かな重みのある話だと思った。―――Y君(中1)
私の小さい頃、祖母が、わらを燃やして火鉢に入れるわら灰を作った。(いまや、見たこともない死語になった言葉みたいだが)そのとき、もし縄を燃やすことになると、それを10センチくらいに切って燃やした。縄を編んだ人の労力を思って、こちらもそれだけの手を加えて、それに報いる気持ちを持つというのだ。ものには、それを作った人の魂がある。ものを粗末にしてはならぬ。ものをまたいではいけない。特に、鏡、はさみ、本などは下に置くものではない。うっかり踏んだり、またいだりするといけないから、というのである。もし、うっかりものを踏んづけたり、落としたりすると、そのものに謝る、またものをとって、それを押し戴いた。(ものをうやうやしく顔の上にささげる。)
私はこのような精神が、まだ肌で理解できるけれど、このもののあふれた消費社会で、理屈や、説得ではなく、「ものを大切にする」精神を、理解することは出来るのだろうか。
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