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「タケちゃんは、いなかから東京の団地に引っ越してきました。夏休み、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところへ遊びにいくのを楽しみにしています。」こんな子が、いま、たくさんいることだろう。これほど環境の違う田舎というほどでなくても、おじいちゃん、おばあちゃんのところへいくというのは、子供にとっても、家族のみんなとしても、とってもうれしいことだ。我が家でも、もうすぐそのような状態になる。
私の家のある環境は、笠松町という昔は、県庁があったという誇り高き町を隣に控えた新開住宅地。畑がだんだん住宅に変わっていくというところだ。ビルはほとんどなく、団地、マンションも少ない。関西のパーティと姉妹パーティ交流をしたとき、その姉妹パーティのひとつが、千里ニュータウンにあるパーティだった。そのパーティの家族の住宅は100パーセント、集合住宅、マンション、そして、核家族。うちのパーティは、ほとんどが庭付き一戸建て住宅で、ほとんどが広い家だ。しかも古い家や商家が多い。そして、そのとき、60パーセントが、祖父母と同居という環境だった。春秋、お互いに一泊交流をした後、その感想文は、みんなお互いの環境の違いに強い印象を受けていた。高層の住宅を体験した子、広いうち、それに大勢の家族との生活、忙しい商店、みんないい体験をしていた。
私のパーティの子供たちのうちには、かいだんこぞうがいるような階段は、ほとんどなかった。でも、物語の中で、十分にイメージできる。人のいない階段は、静かだ。2階、3階とのぼっていくと、自分の足音がひびく。足音に追っかけられているようで、急いであがる。踊り場は、少し気分が変わる。そんな時、ふっと、かいだんこぞうと話が出来る。昼間でも静かで、淋しく感じるところだ。遊ぶ友達がないときは特に淋しい。夜の淋しさだ。だから、かいだんこぞうは、真っ黒。夜をしょって昼にも顔を出す。でも口だけが大きいからかわいい。かいだんこぞうにあったことのない子は、あってみたいなと思う。毎日会っている子は、かいだんこぞうのいないところで、のびのび遊び、強くなろう。そのうち、かいだんこぞうに会えないくらい友達が出来てしまうだろうから。一人ぼっちの淋しい子の足音は食べられなくなるぞ、かいだんこぞう。
―――ぼくはいま、かいだんこぞうを聞いているところです。かいだんこぞうっているのかなあ。タケちゃんみたいにかいだんこぞうにあってみたいが、近くに、かいだんがたくさんあるところがないしなあ。・・・よく考えてみると、かいだんこぞうなんて、いないんです。ありえない話ですが、ぼくは、ありうる話より、ありえない話のほうが好きです。想像や、空想の中には夢があります。それがラボの世界の中で、ふくらんでいくような気がします。だから、ぼくはラボが大好きです。―――T君(小6) |
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