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夜更けに聞こえる鳥?の声。ぴょぴょぴょぴょぴょっ、ぴょぴょぴょぴょぴょっ・・・・
ずっと気になっていて、ついに鳥の鳴き声サイトをしらべて、行き当たった。
ホトトギスだった。
知らなかった。ホトトギスの鳴き声も、夜啼くことも。
ホトトギスが、不如帰なのも子規なのも、知識としては知っていたが・・・
いや、知っているとは言えないな。
「夏は来ぬ」の歌で、初夏の鳥だということくらいしか。
枕草子では初音(忍び音)を聞こうと夜を徹して待つとか・・・。
知らないことって、まだまだたくさんあるんだな。
初めて知る、不如帰の声。
人生、まだまだ。
あきる野の自然に感謝。
今日はさらに感謝するべき「初めてのこと」があったのだが、それはまた今度。
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「たぬき」は、私のもっとも好きなライブラリーのひとつだ。ことばや交流で相手の気持ちを思いやり、
苦難にも自分の全てをかけて立ち向かうラボっ子そっくり。なんでこんなにおもしろいの?
たぬきも他の登場人物も!音声も最高! 他のものになるってこと自体、テーマ活動だよね。
昔、ラボっ子の頃、気がふさいだり、壁にぶつかって進めないでいるときなど、
「そうだ、たぬき、聞こう」と思うことがよくあった。そういうときは必ず一話から聞く。
主人公が登場するまでに、和尚さんやまわりの動物たちが長々と・・・・
(ほら、英文学って、玄関に行き着くまでに通りの樹木や花を詳細に描いたりするでしょう)
これから始まる暴走を作者自身も必死で押しとどめているみたいだ。
さあ、私も急がずにつきあおう。
たぬきについても学術的説明という入り方。ニコルさんが生物学が大好きだってことを思い出させる。
さあ、よいかな、準備は。
「和尚さんよう、柿を食べていいかい?」
ニコルさんもう我慢しきれず! 私もにまにま笑いを抑えられなくなり、声を出して笑い始める。
たぬきって、青虫をすりつぶした物を食べた経験あるの?
だいたい、ニコル作品だけだよね。ライブラリーで「出す物」の話するの。
そのものずばり言わなくても、におわせること、におわせること。想像してみて。
ばんざーい!わーい!ばんざーい!やっほー! お待ち。(びちょっ)
あんな腹痛の状況だったら、辺り一面どんなことになっていたか・・・。
(ああ昔、ラボキャンプで牧場に行って、一行いつのまにかカウパイのただ中に入り込み、
進退窮まった状況を思い出す)タヌキのため糞っていうしさ。
ニコルさんの描写も、きっと、谷川さんが苦虫をかみつぶしたような顔で、
笑いをこらえながらだめ出しをしたんじゃないかな
(と勝手な想像をする。たぬきがニコルさん、和尚さんが谷川さんに思えてきたりして)
日本に来てニコルさんがどんな経験をしたか、読んだ。
タヌキはもちろん、ムササビ、鹿などが、東京からそれほど遠くまで行かなくても生息する。
それにまつわるいろいろな話。
「たぬき」が「しょうじょうじ」や「分福茶釜」など、ベースにしている日本の昔話や伝説は
「日本の子どもなら誰でも知っているだろう」
さあて2話だ。
「英語の先生のパーカーさん」は、ニコルさんのかつての姿を重ねている。
そしてイギリス人の決まりってものをもごもご説明するあたりから、
彼のユーモアたっぷりの皮肉が入ってくる。
彼の若い頃の思い出は、『冒険家の食卓』『青春期』などを読むと抱腹絶倒。
衛兵たちを小馬鹿にするところなんか、
団体競技が嫌いで、イギリスの学校に合わなかったニコルさんのリベンジと思える。
(でも女王陛下は尊敬する)
でもさ、わらじなんて、このたぬき、一体いつの時代と勘違いしたの?
3話ではもう絶好調。ニコルさんがカナダ政府から環境保護管として
エチオピアに派遣されていた頃の思い出がベースになっている。
密猟者をばしばしつかまえたり、食べたり飲んだりね。
背広でやってきたロシア人たちとのエピソードとか。
私の気分はサンザシの木の回りをうろついたり、お茶を飲み過ぎてトイレに行きたくなったり、
便座で毛むくじゃらなものにお尻が触ったり、ベッドでほほえんでいるオランウータンになったり。
ふふふ、うぎゃぎゃぎゃぎゃ!
(アフリカのまじない師として名を馳せたっていうでしょ?『古き良き時代』に繋がってしまう。
『Up and Down』もニコルさんの思い出、入ってるよね~。
『日時計』で主人公の出身地グロスターシャーは、ニコルさんが住んでいた場所)
“GET ON WITH THE STORY!”「話の本筋にもどれ」
4話になると(ホントは最初にしたかったんじゃないかな)やっとカナダ。
ニコルさんは17歳の時に家出してカナダの極北地方に行っている。
尊敬する生物学の先生の助手となって。
以来、カナダ、極北地方、アフリカ、日本・・・という彼の人生の幕開けとなった地だ。
犬そりも、地域によってつなぎ方・隊列が異なるそうだ。
その犬たちを相手に柔道・空手・合気道・生け花で対抗するたぬき。あの擬音が最高。
いろいろな土地で、そこの荒れくれどもと知恵と腕力で対抗したニコルさんそのままだ。
うちのラボっ子たちも大興奮。
そうそう、ラボっ子たちに導入するとき、raccoon dog というと、
「え?たぬきって犬なの?」「イヌ科なんじゃない?」という話になる。
ニコルさんに敬意を表して、そういう生物学的な話ははずせない。
ジョニー・スノーボールは、イヌイットなんだろうな。
ニコルさん自身がイヌイットとも協力しながら調査やらをしていたことを踏まえている。
そして捕鯨が盛んだった頃の話題も入れて、ニコルさんの捕鯨へのオマージュも。
ここでも「出す物」の話題。ピュウ~・・・・っていうのは、アメリカだとピーユーっていう。
「くっさ~!」ってこと。
しかし、おならで平和を保ったなんて。ユーモアの中に皮肉と願望入り交じったものを感じるね。
(ま、そういうこと、普段もあるか。うちでも険悪な状況の中、誰かが・・・Peewhoo・・・・ “What was the sound?” “Just a mermaid, sir” ・・・・)
おわかりでしょうが、聞く前の気ふさぎなんてどこへやら。
「私は私!」とすっかり元気を取り戻している。お安い神経ですな。さあ、がんばるぞ。やっほー!
高校時代、ユタ州のホストファミリーは柿をしらなかった。
それで、柿は日本の田舎の家なら一本は生えているような、
子ども時代の思い出や故郷の自然や家族のことを思い出させるものだと言った。
英米なら「りんご」だろうという。
なるほど。ホームステイのすがたりにもぴったりだ。
かつて次男は一話、別のラボっ子は三話をすがたりに選んだ。
パーティでも小学生や中高生がときどきクラス発表に選ぶ。
たぬきが5話6話・・・・と続くんだったら、どんな冒険をするんだろう。
どこへ行くんだろうな。あるいは、どの時代?
中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド?
・・・たぬきの活躍はラボっ子の活躍・・・・さて、知りたいものじゃわい。
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口蹄疫の影響で、新潟県小千谷の牛の角突きが中止になったとニュースで言っていた。
観光客が全国から集まるため、牛や近隣の家畜への感染を恐れたためだ。
かかっても軽くすむ去年のインフルエンザとはわけが違う。感染したら大打撃だ。
先日来、思い出していることがある。
アメリカに住んでいた頃、家族でモンタナ・ワイオミングに行った。2001年のことだ。
ある街でロデオに行ったら、入り口でパスポートを求められた。
狂牛病、口蹄疫、クロイツフェルトが問題になっていた頃で、私たちが外国人なので疑われたわけだ。
アメリカに入国してから2週間は、家畜への接近を拒まれる。
もちろん私たちは数年前に入国しているし、旅行には身分証明書であるパスポートは携帯している。
でも、悔しいのでカリフォルニアの車の免許証を見せた。
「私たちはカリフォルニア在住の日本人で、パスポートを見せろとは心外だ。
だが、感染を心配すること自体は共感できる。私たちへの誤解は解けたか。」
「失礼した。」
そういって、あとで「カリフォルニアからもお客さんが来ている」と放送された。
でも観客はほとんど白人。ロデオに白熱するその姿をみながら、
これが全部(誤解であれなんであれ)敵に回ったら、と思うと恐ろしいな~。
(フランス革命における群衆・・・というのを昔、ゼミでやったしね・・)
高校生の時ホームステイしたユタ州でも、集会の時、愛国的な老人がいて、ちょっとこわかった。
よくわからないから、なおさらだ。それでホストファミリーにくっついていた。
なにかのメモリアルで、その老人は、だれかの死を悼んでいるのだろう。
でも、突然、その愛国心が外国人に向かってきたら?
「攘夷!」・・・・
毎年のメモリアルデーや日米開戦日、2001年の9,11のときも、静かにしていた。
わけのわからない人はどこにでもいる、とばっちりを食ったらたまらない。
でも、日頃は、コミュニケーションで、無知や無理解を埋める努力をしていたんだよ。
熱くなりそうな人がいるような機会には用心していただけだ。
後日帰国したら、日本のステーキ屋や焼き肉屋は、狂牛病の影響で閑古鳥が啼いていた。
日本ではそういう反応の仕方をするんだな。
去年のインフルエンザ禍でも、理不尽なことがたくさんあり、
基本的に人間は、知らないこと、わからないことに対して恐怖を感じ、排除しようとするのだと思う。
日本の大きさはモンタナ州くらい。
東京から宮崎のことは静観しているが、アメリカの距離感からすると
狭いところで口蹄疫が大発生しているように思えるかもしれない。
とかく報道されることは、(他が見えないので)大きくとらえがち、ではある。
中国についてもどれほど、百聞は一見にしかずと思うことか。
北朝鮮問題でも、報道をそのまま聞いて「どういう国?」と息巻く三男に、
日本がこの国を含め、アジアの国々にしたことを説く。
「え?」という次男。集団は残酷になりうる。
コミュニケーションの大切さ、ひとことでもふたことでも、相手に伝えたいと思う努力が大切、とおもう。
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玄関脇のばらアイスバーグが、もうすぐ咲きそうだ。このあいだ肥料をやったら、急に元気づいて
たくさんのつぼみが付いて重くなり、枝が垂れ下がっている。
翌日は雨だというので、惜しいなあ、もうすぐ咲きそうなのに・・・それに傘でやられてしまう。
そう思って、庇にひっかける。
咲いたのは雨の日。こんなに開いてしまった。
白いばらがすきで、狭い玄関前には白いばらアイスバーグと紫のツルニチニチソウが咲いている。
今年、アーチの根元にブラン・ピエール・ド・ロンサールを植えた。咲くのはまだずっと先だけど。
花つきのいいピエール・ド・ロンサールは本来ピンクで、その白花種。
アーチを占領していた野バラには、今年でお引き取り願った。
この野バラはホワイト・マスターピースの台木だったものが、主役の座を奪ったのだ。
家の周りも茨がいっぱい。
きれいだからとほっておいたら、白もっこうばらと混在して屋根まではい上がっている。
花の時期が終わったら、切ろう。
門柱の上と外には、赤と濃いピンクのペチュニアをおいた。
アイビーやおかめヅタの輝くような緑に負けない派手な色が目にまぶしい。
ところが、雨に弱い。安いけど。
東側の植木鉢ガーデンは、今年は野菜畑。なす、ししとう、チャイブ、しそ、ゴーヤも。
収穫して食べるほどになるかしらん?
あれっ! ティム、チャイブかじったな。まねするんだよね。
気候がよくなり、ティムもうれしそうだ。
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先に北京で行われた中国月壇中学とラボとの交流25周年記念式典に参加し、長年の交流を振り返った。
この秋には月壇の先生方が来日され、日本での記念行事が行われる。
今までの周年記念行事も盛大に行われ、今回の日本での行事、中国側もきっと期待されていることだろう。
本日、財団とラボテューターの第一回目の実行委員会が行われた。
一番貢献度の高い九州に対するリスペクト、今後の交流の促進などの点から行事内容を話し合った。
お昼を取りながら、さらに自由に話し合う。
ペットや韓国時代劇の話も。
韓国の時代劇を見ると、やはり地続きというのはこういうことか、どの時代の時代劇を見ても、
常に他国に対して交流および緊張・抗争状態にある。
日本の時代劇でそれを描いているのは遣唐使時代と幕末だけ。
歴史的に文化交流は、長い間先進文化摂取の目的があったため、
日本では、近代以降は欧米化が重要視された。
富国強兵、殖産興業の目的は欧米化とアジアの征服であった結果の遺恨、
また戦後はさらに欧米を向き、アジアは後進的とされ、学ぶ対象でなくなってしまった。
それがアジア交流の壁になっているのではないかという。
しかし、歴史上、大陸文化が先進文化であり、日本文化の源流になっていることは明白。
中国に行くと、懐かしい気持ちがするのはそのせいだ。
漢字、ことば、ものの考え方、学問、生活・・・
日本の国を形作ったほぼすべてが大陸と半島の文化なのだ。
ラボの中国交流が西高東低となっているのは、日本文化遺産とも言えるべきものが関西以西に集中しており、
文化の源流について考える機会も関東以東では少ないのではないか、そう感じる。
日本が国際的だったと言えるのは、やはり遣唐使のころまでじゃないか?
日本が国と言える状態になった頃、中心は近畿、
その東の端は、せいぜい美濃、尾張あたりで、そこもすでに東国。
それより東は、まつろわぬ民として征服する対象だった。
反対に、江戸は鎖国、東京が中心になった明治以降は前述のように富国強兵・脱亜入欧である。
また各地方から個々に出てきているため、地域的なルーツもまとまらない。
関東地方の意識の低さは、こういうことも関係しているのかも知れない。
しかし、だ。
いまの韓流・華流ドラマの盛況をみよ。(私もおかげさまで朝鮮の歴史通になったよ)
そこから自国を振り返り、相手の国を考えるいい機会になっていくことだろう。
ことばと交流で橋を架けていくラボのプログラムは、短時日のお楽しみではないから25年も続いたのだし。
戦争の痛みを乗り越えるには時間をかけて、理解し、交流し合っていくことが必要だと思う。
夏には、月壇からの生徒たちがやってくる。
今では日本に修学旅行でも行けるようになったそうだが、
生徒たちは、ホームステイあり、キャンプありのラボの交流を望むという。
冬は上海からやってくる。ラボランドの大雪をみて喜んでいるよ。中国交流ロッジも好評だ。
訪中だけでない、受入やキャンプでの関わりもとっても楽しい。
そして秋の記念行事には、ぜひ、多くのテューター、これからというラボっ子の参加を意識してほしい。
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ゴールデンウィーク中に、すっかり季節が変わったようだ。朔日夜から、実家に片付けに行っていた。
実家の庭木の剪定、草むしり、使わない布団をジッパー袋に入れてしまったり。
いいお天気で助かった。
息子もティムも連れず、ひとりで行ったので、大変だったが、気は楽だった。
実家の、使っていなかった車は、やはりバッテリーがあがっている。
他にやることもたくさんあるので、JAFのお世話になることに。
庭仕事をしながら待っていると、比較的早く来てくれた。
「一刻を争う事態というわけではないから、後回しでもいいです」って言ったんだけどね。
おや、JAFらしからぬ人がいる・・・・なぬ?テレビ局の取材いいですかって?
GW中のJAFの活躍を同行取材しているのだそうだ。
うわあ・・・この庭仕事中汗だくの・・・・う、ラボシャツ着てればよかった!!!!
実にくだらない、つまらないこと(使わない車が車庫でバッテリー上がり)で、すみません。
放映しないかも? うん、そうだよね。いいです。
でも、これから、遠出するときは、ラボシャツっていいかもね。
サービスエリアとかでラボシャツ見たら、うれしいじゃん? 懐かしく思ってくれる人もいるかも。
アメリカに住んでいる頃、イエローストーン国立公園などの観光地で、4-Hシャツの子を見た。
こちらも、三人の息子のだれかがいつも着ている。
「Hey, Santa Clara County?」なんて会話がうれしかったよ。
思いがけなかったのは、ある時、話しかけて来た相手が、ワシントン州の4-H事務所の人で、
なんと共通の知り合いがいた!
さすが全国組織、と思ったものだ。後年、次男がワシントン州にホームステイしたしね!
住んでいるところでも、4-Hのステッカーを車に貼っていたら、
大家さんが「4-Hに入ってるのか? いい選択だ」と、信頼度アップ。
実家の仕事に疲れると、充電してもらった車を動かして、ドライブした。
両親や祖父母の墓参りとか、買い物とかだけどね。
ある日、ちょっと遠出するかという気になり、父方の祖父母の故郷、知多半島の常滑に行ってみた。
祖父母の話によく登場する地だったが、私自身は当時用もなく、ほとんどいったことがない。
明治生まれの祖父母の故郷っていったって、もう変わっているに決まってる。
もし、祖父母ゆかりのお寺でもあれば、と思いながら、ぐるっと走る。
祖父は浄土宗、もちろん今、墓は刈谷のお寺にある。
祖母も、常滑の曹洞宗のお寺から墓を刈谷に移して持ってきていた。
どちらも常滑の寺にはすでに関わりもなく何十年もたつ。
祖父母の若い頃の話はおもしろかったが、
祖父自身、高齢まで生きたので、晩年は、友人知人が亡くなるたびに葬儀で常滑にでかけ、
ひどく消沈していたのを思い出す。
それで、私にとって「常滑」は晩年の祖父の悲しそうな、疲れた表情と相まってしまう。
「しょうじゅいん」という名前を記憶していたので、考えながら走っていると、正住院というのがあった。
古くてどっしりした由緒ある寺のようだった。
これが何宗なのか、なんと読むのか、わからぬままに境内へ踏み入れた。
お寺の人らしき人が出てきたので、由緒を聞いてみると、浄土宗だという。
らしき・・・というのは、ふつうの格好をして、短いが髪もあったから。
エネルギッシュな話し方の方で、見えないが、82歳だという。
ご自分の家族のことや、寺のことをいろいろ、愚痴まくりながら、私の問いにも答えてくれる。
話があっちこっちするのは、かなりの博識で、それでもちゃんと話題を戻すあたり、
歳はとっているがすごいな、と思う。
刈谷から来た、というと「三河のことはあまり知らん」とのこと。
刈谷と常滑はそう遠くはないのに、やはり境川を隔てて、尾張と三河のくにに分かれているんだなあ。
もう帰ろうと思って挨拶したところ、刈谷のなんて言う名字だ?という。
「井田です」というと、
「井田与三治さんなら、知っとる。親父の同級生だ。」という。驚愕していると
「ここから墓を刈谷に持っていった。俺が精ぬきして、トラックに乗せてやったんだ」
という。
30年近くも前に82で亡くなった祖父を知っている人がいるとは・・・。
じゃあ、祖父の晩年、同級生の葬儀で出かけた中には、この方のお父様もいらしたのだな。
「井田与三治さんの孫なら、ちょっと来い」ということで、
由緒がわかるようにお寺の広報誌と住職が監修されたという絵本をいただくことになった。
絵本の方は、ちゃんとお代をおはらいさせてもらった。
そんなタダでもらってくるなんて、おじいちゃんが許さんしね。
祖父母はもちろん、両親も亡くなり、
もう縁もゆかりもないかと思う地で、祖父のことを知っている人に出会えたのは、
おそらく、最後の機会だったのだと思う。
もうじき、その祖父母の命日、墓にも参ったばかりだったし、会わせてくれたんだね。
ああ、そういえば、思い出した。
祖父が亡くなって、総本山のひとつ京都の光明寺に参ったとき、
光明寺さんは刈谷の寺はご存じなかったが、しょうじゅいんは、ご存じだった。
祖母や両親が、「さすがにしょうじゅいんさんのことは知っとらっせる」と話していたのが、
正住院だったんだ。
人が住んでいたことは、しょうもないことじゃないんだな・・・。ちゃんとその人の生が残っている。
GW中、働いて、また帰京する。
途中中央道のある区間が火事で通行止めになっていた。
その間、飯田で降りて、引っ越したばかりのラボファミリーに会っているうち、
通行止めも解除になり、あとは比較的スムーズに帰ることができた。
だれかが、私を助けてくれている。
ありがとう。
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発表会が終わって初めての中高大生クラス。今日からタケが(中1になったので)加わる。
「飯は?今日はみんなに出すんじゃないの?」と次男。「発表会後だから、出すかと思った。」
言ってくれるじゃないの。じゃあっていうんで、冷凍庫のとっておきの中華を。
豚シュウマイ、ほうれん草シュウマイ、ちまきを蒸籠で蒸し、ギョーザはオーブンで一度に、
ビーフンと春雨は電子レンジで。
何のことはない、冷凍食品のオンパレード。でも30分で大量の中華を用意するんだからね。
飲み物はプーアール茶。
食べてきたはずの子たちも、テーブルいっぱいの中国料理に「やった!」と目を輝かせてぱくつく。
足りないな。おにぎり、カステラ・・・
発表会の反省、感想、実行委員会の意見、今後のパーティ運営などについて、話し合う。
言いたい放題でノリノリの話し合いだ。うちの子たちもこんな話し合いができるようになったか。
今までは沈痛ムードだったのに。いい発表をしたと思えるんだろう。
「去年はさあ、大変だったよね。Shが反抗期で。」「すいませ~ん」
「これからはちゃんと意見を言い合うこと」「相手の意見に重ねていくんだよ」
「おれ、一度も主役ってやったことがない。」「え~!うそ。どうして」
「いつも誰かの引き立て役」
「おれなんか、小2で厨子王だった」「私は小4で目の見えないお母さんだし」
「ロミオも一度もやってない」 長男、次男はまとめ役が多かったね。
「今度やらして。15周年とか」
「15周年は、小学生をたてるからダメ」「クラス発表でやりなよ」
「じゃ、国生み?イザナキかあ」「すると私がまた女神?」
「夏はいとしろ行きてえ」 「黒姫は何班にする?」
迎えに来たKenちゃんのお母さんに、Kenちゃんがとても成長したことを話す。
発表会にむけても自分で練習していたし、当日パニックになるかと心配した場面も自分で切り抜けた。
「高2になってからすごく積極的で、学級委員に立候補したんです」 えらい~!
キャンプでも成長したと思ったし、パーティでもそうだもの、学校でもそうなんだね。
そのことを三男に話すと、「オレも後期、やろうかなって思ってるんだ。学級委員」
なんで、前期じゃないの?
「前期は放送委員。委員長、やろっかな」 それに都大会だって?
充実しているようだね。
今年は寒暖の差が激しく、先週は雪が降った。それでも地震も噴火もない。
忙しくしている発表会の練習の頃に、青海省の地震のニュースがあった。
中国のニュースはあまり詳しく入ってくるわけではないし、広い中国のことだ、印象がうすいだろうな、
そう思っていたが、息子たちは「自分たちが行った中国」と思うらしい。
普段あまり関心を示さないのに、新聞やテレビでニュースを追っていた。
たいして優秀でもないふつうの子たちが、国際交流をきっかけにして、窓をもつ。
すぐさま、募金だ、活動だと行動できるわけではないけれど、どこかで考えている。
クリスマス発表会の時には、毎年、バザーをして世界の子どもたちのために募金をする。
去年は、ドイツ平和村に募金した。
こどもたちが、世界に目を向けるのは、大人の視線がどこにあるかにもよって機会が変わってくる。
冷凍ギョーザを食べながら、子どもたちの考えは例の事件ではなく、
その後ろにいる何億ものふつうの人々へと向かってほしいものだ。
やっぱり、多言語、続けていきたい。相手のことばをわかりたいという一歩を踏ませたい。
渥美半島で農業を営む伯父が、
いつもなら育ちすぎで売り物にならなくなるキャベツが、今年はまだ保っていて、
しかも他の産地が生育不良のため、思いがけない高値とか。
自然に左右されることの多い農業、大変なことばかりだが、考えても見なかったボーナスだそうだ。
いつもがんばってるんだもの、時にはそういうラッキーなことがあってもいいよね。
私たちも、そうだよね。
世界がどんなに大変でも、子どもたちの小さな成長を喜ぶ一瞬もあっていい。
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東京支部一日広場だった。どの地区も発表の翌日というのに、みんな頑張って出席している。えらい!
午前中、ジョン・万次郎関連の研修。万次郎がどのような経路をたどったのか、
世界地図上に記入していく。
海の道はもちろん、直線距離、というわけではない。
けれど、その繁多な経路を見ると、島々をふくむ太平洋が当時の「銀座通り」だったことがわかる。
ラボっ子といっしょにやってみると楽しいだろうな。
アメリカの捕鯨業の黄金期は、1830年から60年のわずか30年の間だ。
万次郎が鳥島で餓死寸前に捕鯨船に拾われ、東海岸のホイットフィールド家にステイし、教育を受け、
ゴールドラッシュのカリフォルニアで資金を得て、維新直前に帰国したことは、
命と引き替えの賭けでもあるが、千載一遇の運を掴んだわけだ。
皆さんに捕鯨船のSea Shan'tyを聞いてもらう。(Sea chanteyとも。海の男のバラードだ。)
"Blow, Ye Winds"
Traditional - Lyrics from Songs of American Sailormen, by Joanna Colcord
_'Tis advertised in Boston town, New York and Buffalo,
_Five hundred brave Americans, a-whaling for to go, singing
__Blow, ye winds in the morning, And blow, ye winds, high-i!
_Clear away your running gear, And blow, ye winds, high-o!
__They send you to New Bedord, that famous whaling port,
_And give you to some land-sharks to board and fit you out.
延々と続く。
フォークソング名曲集に入っているBlow the man down などもSea chantey のひとつ。
午後、中国交流25周年の報告をするWテューターのお手伝いをし、
いただいた栄誉賞の賞状と印鑑を披露。
おもしろ中国語のクイズ、中国語「ひとつしかない地球」の最後の一行を歌唱指導。
「和地球一?貴重、和地球一?貴重」
Wテューターがみなさんにお茶をお土産に配布。
夏は月壇、冬は上海がやってくる。ぜひ積極的に受入してください。
秋には、月壇からの訪問団が来日し、日本で25周年行事を行うそうだ。わくわく!
中国は、漢字や詩、生活様式、文明文化の故郷。とても懐かしい感激がある。
(韓国時代劇を見ていると、いかに中国や日本を意識していたかがかいま見える。
逆に、日本の国際意識の無さを思い知らされる。)
午後もライブラリーの話。
広場終了後、ライブラリー研究員のミーティング。
ライブラリーの話は、尽きないんだよね・・・それはわかるけど、ぐったり。
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発表の日を迎えた。みんながんばってはいたけれど、正直なところ、当日、本番、どうなるか?
時間切れ、見切り発車の感は否めない。
後は、子どもたちの自立心を信じて、待つのみ・・・・と、祈るような気持ち。
まず、直前のNRひろばで、Gちゃんがごきげんよくやれるかどうか・・・
さあ、本番だよ。
ところが、大事件。私の音楽CDの書き込みをした「テーマ活動の友」がない・・・・
何分何秒、転換のポイントなどの情報を書き込んである。
忘れた? いや、たしかに入れた。朝、この会場で持っていたような気がする。
会場用備品、ラボっ子実行委員控え室用、テューター控え室用・・・念のためと思うとすごい荷物で、
用途別に別々のバッグにまとめ、用意周到に、念には念を入れ、
マイパーティ用バッグは、2部後半の発表順を控えて、出番を待っていた・・・はず。
バッグの中に、書き込みしていない「テーマ活動の友」はあるのに、肝心なのがない。
音楽CDやマイク台本は朝提出済み、でも、私専用のが・・・ない。
「見なかった?」と聞いて回るが・・・・・ない。
しかたない、暗譜でやるしか。
もともと、トラックナンバーや秒数なんか見ておらず、頭には入っている。
ラボっ子の表現もほぼCDどおり・・・。
でも・・・本番って、何があるか、わからないのよね。
1部の発表の中に同じ「白雪姫」の発表をしたSパーティが、使い終わったのを持ってきてくれて、
急いで書き写す。もう発表、始まっている。
初めて使うCD機器の操作を間違えないようにしないと・・・・
こういう焦った状況の中、心配だった小学生のこびとたち、ナレーター、白雪姫が、
おお、がんばっているじゃないか。
Gちゃんも、言えた言えた。かわいい「きんをほりにな」
ナレーションやセリフは、まちがってしまったものもあったけれど、祈りは届いたようだ。
白雪姫たちが順に成長して、最後のYzに到達したときはほっとした。
小人たちが、ちゃんと神妙に「お弔い」し、ガラスの棺もちゃんと見えた。
こんな複雑で難しい表現?と思っていたところも、息が合っていたよ。
ちょっとどうかな・・・と思っていたところも、できて見るとなかなかじゃないか。
小さい子ならではのかわいらしさも出たと思う。
大きい子たちは、うーん、もうちょっと完璧を見せてほしかったけど。
Kenちゃんは、今回、私がつきっきりで練習する時間が無く、自分でやっていた。
(いつもだと一回はつきっきりで書かせて、聞かせて、言わせて、一緒に練習するのが必要)
「自分勝手な言い方になってしまっている」と本人がいうとおり、かなり怪しかった。
それに対し、「それじゃ、こまるよ。自分で聞いて何とかしてきて」と答えてみた。賭けだ~。
そうしたら、努力したらしいのだ。2日で、ずいぶん変わった。
本番、ちょっとパニックになりそうかな?と心配したナレーションの箇所があった。
パニックになってしまう前に助けに行くべきか・・・どうしよう・・・
後ろでじっと聞いていると、自分で立ち直って、あとはものすごいスピードで日本語を言い、
自力で言い終えた。すごい、Kenちゃん。
「そういうKenちゃんの力、キャンプのおかげだよね。」と次男。
「Kenちゃん、自分で何をどうやればいいのかが、わかってきたんだよね。」とSoaちゃん。
そのSoaちゃんのお后、迫力だったね。
王子のShも、かっこよかったと人気だったよ。
すべて終わって、遅い夕食をとりながら、後輩たちのがんばりや今日の問題点などを話し合う。
明日も学校・・・お疲れ様。
しかし、私の「テーマ活動の友」どこにいったんだろう。案外、家に帰ると出てくるんだよね。
「え?オレ。言ったじゃないか、会場で、持ってくよって。」と、三男・・・・
ま、終わりよければすべてよし。
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「せんせ~?Ikuで~す。」長野に引っ越したN姉妹から電話。春の発表会までは頑張って出る、
というので、電話で練習している。今週末に迫った発表会。前日の合同練習に加わり、翌日出る。
住み慣れた所からの引っ越し、新しい学校、新しい環境・・・・荷物はどこ?
とても発表会やラボどころではないのに、「頑張って出る。」と、お姉ちゃんが決めた。
しかし、Ikuのほうは、「せんせ~、私のナレーション、どこ?」
ええっ? 13トラックって自分で選んだんじゃない。忘れてたの?
「私、13なの?そうかあ、知らなかった~」
練習もしてたはず・・・三人兄妹の三番目って、天使のようだよね・・・
「全然、CD聞いてないし~」
う、とにかく、がんばってみようよ・・・・と一緒に言ってみる。
うーん・・・こ、こりゃあ・・・大変そうだ・・・・
「白雪姫」のことばは、質が高い。一行が長くて、関係代名詞、接続詞といっぱい出てくる。
小5になり立てのIkuが、一週間で太刀打ちできることではない。
でも・・・・Ikuは、これまでのラボでの経験を楽しんできたのだ。
まだ未知の力だが、育っているはず。末っ子の甘え子だけど、底知れないものを持っているのだ。
金曜日に電話したときは、寝たふりして出てこず、お姉ちゃんのYzがいらいらしていた。
でもね、去年のお母さんアヒルは、素晴らしかった。その後は、ことばよりも交流の方で伸びた。
引っ越して私のもとから離れていくIkuの言葉の成長に、私はもう力をかけられない。
Iku、この一週間で、どこまでやれるか、先生といっしょにがんばってみる?
じゃあ、まず、はじめの2行を、がんばってみようよ。(それが月曜日)
今日、「せんせー」とかわいい声でかかってきた電話。はじめの2行を覚えてしまっている。
す、すごいな・・・・
やはり、ゼロではなかったのだ。測ることのできない力が育っていて、それを発揮する場を待っている。
「でもね~。その後はもうダメ・・・・」
そうか、Ikuちゃん、よくがんばったね。はじめの2行を完璧にすることを約束する。
後は、先輩たちの責任だね。IkuはIkuより小さい子たちのためにがんばってね。
お姉ちゃんのYzにかわる。Yz、あんまりIkuを責めるんじゃないよ。
Yzは、ナレーションと白雪姫と鏡と・・・・いっぱいあるよ。
「2トラはまだいいんですけど、3トラは、長いですよね~!」
金曜日、月曜日の電話練習の時より、かなりよくなった。Yzだってまだ中2。
こんな長い文をいくつも覚えてしまうのは、すごいことだと思う。
Yzは、私の元で国際交流に出したいというお母さんの考えで、一年引越を遅らせてもらい、
去年オハイオに行き、冬はジュリエットをやった。
3幕のジュリエットを分かち合ったSoaちゃんいわく
「あのジュリエットをやったら、もうこわいものはないよ」
みんな、Yzの力を信じている。
本当に去年のYzとは大違いなのだ。
「先生、みんなの様子、どうです?」
けっこう大変なんだよ・・・やっとGちゃんが一緒にやる気になり始めたところ・・・
人間関係は成長したけど、セリフどころじゃないんだよ~・・・
「そうなんですか~。動きが心配なので、はじめから説明してもらえます?」
えっとね・・・・ひととおり説明する。
まだ表現を追求するみたいだし、Yzが来てから話し合って決める、というのもあるみたいだよ。
私を長い間支えてくれたファミリーが去っていくのはさみしい。でもそっちのラボで続けてね。
キャンプでも会えるようにしようよ。みんな交流会しに行くと言ってるよ。
私、Ikuの国際交流の年に合わせて、またシャペロンやろうかな。
同じ州に行けるとは限らないけど、繋がっていられる。
じゃ、あさってね。
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