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昨日は、陸上のじゅにおり(ジュニアオリンピック)だった。オリンピックと言っても、国内大会。
中学生の国体みたいなもので、各都道府県から1名あるいはその種目の基準に達した選手が出られる。
走り高跳びで出場した三男は、「いつもの調子なら入賞だったのに」と悔しげだが、
まあ、出られただけでもすごいと思うよ。東京でひとりなんだから。(その種目は)
大会結果を見ると、関東大会、全国大会でも上位だった子たちがやっぱり強かったね。
じゅにおりの翌日は、「おどりトラ」合同練習で、中高生が小学生相手に頑張っている。
母の会同時開催で、私は部屋の隅に座って、お母さんたちと話す。
中国のお茶を飲みながら、国際情勢と子どもの交流がいかに貴重かを話し始める。
かつて、アメリカのひどいジャパンバッシングの時に、当時の(パパ)ブッシュ大統領が、
「日本のラボと4-Hの交流があるように、日米関係は何の心配もない」と
外務省にそっと告げたのだそうだ。
私の家にホームステイした上海のハオくんは、将来、中国外交部で働くそうだから、うれしい。
ただ、言葉を獲得するというのではなく、世界の平和に貢献し繋がっていく子を育てたいと
そういう気持ちでいます。
(練習中の? 小学生の奇声・・・・)
元気で、いいですよね~。
お母さんたちと「ことばの宇宙」を見ていたら、三男の感想が載っているのを発見した。
「キャンプに行くたびに成長している自分を発見する」
おお~。
キャンプも国際交流も、子どもたちをぎゅうううっと成長させている。
Kenちゃんも、キャンプに行く度に成長したよね。
今年国際交流に行ったTakeのお母さんからも、頼もしい近況報告。
「なんか、ちょっと勘違いしているようなんですが、自信をもっちゃってるんです」
そうなんですよね。ちょっと勘違いともいえる、国際交流に行けた事から来る自信。
今までの子たちが、みな帰国後そういう時期を持っています。
その勘違い?が、実際の力に変わってくるときが来る。
ともかく、そういう自己肯定ができることが、すごいと思う。
それにともない、大人の見る目も違ってくるのを感じ、大人との関係もうまく築いていくようだ。
三男が、自分が変わったことで、Kenちゃんに対しても違った見方ができるようになり、
Kenちゃんのいいことろを発見し、それにともない、Kenちゃんのお母さんを尊敬するようになった。
そうやって、他の大人とも他の人達とも、いい関係を築いていけることを自覚したようなのだ。
元気いっぱいの合同練習は、うまくいったのかしら。発表会は来週。
遊園地でのバイト帰りにそのままラボだった次男は、帰宅後即、寝た。
さて、部活も一段落の三男よ。進路希望調査票、書いてださなくちゃね。明日締め切り。
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私もやっています、書き写し。ハングルを書くのは、むずかしいね。
書いている箇所がわからなくなったり、繋がっちゃったり・・・小学生が英語を書くのと同じ。
英語も昔は、こんなに苦労したんだなあ。
(一年生のKoは、日本語を書くのも、たどたどしい。初々しいね。)
私も、韓国語は何度も聞いて、音になれて、それから書き写し(CDどおりに日韓で)をして
書いたハングル(もどき)の下に、聞いた音をふりがなのように書き込んでいく。
だんだん、読めるようになって来る。(そういう気がしてくる)
読める字や単語の下に、自分でふりがなをふり、CDをかけて確かめる。よし!
そういう頃、ハングル表をみると、ああ、合ってる!とか、あれ?そうは聞こえないけどなあ、と思う。
まだまだだなあ。
数日後に続きをやろうとすると、前のことをすっかり忘れているし。
夏前にやったはらぺこは、もう忘却の彼方。
昔やった韓国語ワフは、けっこう覚えているのにね。
やっぱり、子どもの頃にやらないとね。
ラボっ子たちは、「次のラボは、音楽CDでやるからね」と言ったら、何人かが本当に覚えてきた。
ノートを見ると、書いてあるよ、カタカナとひらがなの交じった聞き書きが。
おうちでやってきたんだね。
今度は、ハングルの字に合わせて書くようにしてみようね。
英語の聞き書きも、韓国語の聞き書きも、ラボっ子にとっては同じ作業。
合ってるかどうか聞かれたおとうさん、なんて答えたのかなあ。
中高大生は、いちばん進行が遅い!
今日、そろって聞き書きをさせる。小学生時代に戻っての作業だ。
「うわあ、むず! 韓国語。ついていけない!」
ちゃんとハングルに合わせて書きなさいよ。小学生はハングルも自分で書いてるよ。
小学生たちは、家でやってきてるんだからね。
「○とか棒とか、何これ、字?!記号みたい。」
「『ぬ』って、カタカナでどう書くんだっけ?」・・・おいおい・・・
高2のKenちゃんが、ハングルを書き写ししているのをふと見ると、
す、すごい、日本語や英語を書くのと同じスピードで書き写している。あのハングルを。
「韓国語って、見るのも書くのも初めて」と言いながら。
しかも、単語の切れ目もちゃんとして、印刷したみたいなきれいな字で。
なんでそんなことができるの?Kenちゃん・・・
Kenちゃんの目には、私たちとは違う見え方をするらしい。
私ももう少しで、「おどりトラ」全部の書き写しと聞き書き(ふりがな)が終わるぞよ。
ひととおりは、書いてみようと思っているのじゃ。
その後だね、検証して、どの言葉がどんな意味なのか、どう音が繋がっていくのか、
どう変化するのか・・・それから使える言葉をためていこう。
私がする場合、書き写しの日本語は、テーマ活動の友そのままではなく、漢字にすることにした。
最近、漢字も忘れがちなのじゃ!!
しかし、漢字は表意文字なので、便利だと改めて思う。
そして、表音文字のカタカナやひらがなと一緒に組み合わせて書くと、とってもすてき。
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日韓おどりトラ、合同練習。飯田に引っ越したN一家(YzとIk)が上京して顔を出してくれた。
ちょうど、ぐちゃぐちゃのおどりトラがなんとか一回済んだところで、Yzたちが現れた。
おやつを食べ、高学年はYzたちも含め、次の練習の打ち合わせをしている間、
小学生たちに「きてれつ」の読み聞かせをする。入会して間もない子は、お話をしらない。
あの絵本にびっくりしながら、お話に集中していた。
「この物語は、Yoちゃんがすがたりに挑戦すると言っているんだよ。」
Yoちゃんは、サッカーの試合のため、おどりトラの発表に出られないので、
すがたりに挑戦することになった。小5だしね。
おどりトラ、二回目。
集中させるためには、もっと強引にリードした方がいいよ。遊び出す隙を与えない方がいい。
1回目に止めながらやったので、2回目はなるべく止めないでやるという。そうだね。
人が足りないところをIkがとびいりで入ってくれる。トラばしごが崩れるところ、ごろごろ~!
2回目が終わって、並んだままで(ばらけないで)Yzの感想を聞く。
このまま3回目をやろう。
「じゃ、時間計るからね」 おー、Kenちゃんナイスサジェスチョン!
まだ日韓CDをかけながらやっているから(音楽CDではないので)時間計る意味はないのだけど、
Kenちゃんの「時間計る!」にやる気になっているらしい小学生にも感動。
1回目より2回目、2回目より3回目と、とてもよくなり、終わって並んだとたん、
「かかった時間を発表します!」というKenちゃんをじっと見る小学生たち。
16分余りというKenちゃんの声明に、うおーっという歓声。
なんでだか、Kenちゃんのちょっとずれたサジェスチョンが思い切りはまっている。
Yzのグアムのおみやげのチョコレートをもらうために並ぶ。(なぜか、一個無くなっている)
来週のラボは、音楽CDでやるからね。え~~!?っと言いながら、そうイヤそうでもない。
「3回目終わって、じゃ、もう一回って冗談で言ったら、
それほどブーイングが出なかったのにびっくりした」と、Soaがもらす。
「私はもう限界なのにさあ。」
あの、ぐちゃぐちゃ無政府状態には罵声も飛ぶけど、あの元気さがなくちゃ、小学生じゃないよね。
練習後、Yzたち、中高大生立ちを乗せて、バーミヤンに行く。お母さんたちも合流。
夏の発表会以来の顔合わせに、みんなうれしい。受験生もやってきた。
次は冬だね。また会いたいね。
明日は、三男は都大会、次男と私はラボっ子二人を連れて高学年活動と実行委員会。
三男、来週はジュニアオリンピックだ。その間に中間テストだよ。一応、受験生なんだからね。
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やっぱり、やーーーーっっぱり、雨。でも、体育大会は中止にはならず。さすが中学生ですな。
ふつうなら、中止になるところかなあ、でも朝、中止の連絡は回ってこなかったし、
行ってみると、やってるやってる、「大会新記録です」
え~?なになに?
走り高跳びは、どうなったんだろう。
プログラムはあってないようなもので、途中から午前の競技を全部中止して
午後の演技(女子のソーラン、男子の組み体操)をやってしまうことに。
特に男子の組み体操は、見応えがあるので評判。
三年生が最前列で演技をすると意気込みもすごい。
雨と泥にまみれて、力の入った立派な組み体操が繰り広げられた。
雨でホイッスルが聞こえず、ピラミッドが崩れるタイミングがずれてしまったそうだが、
それも演出かと思ったほど。
来賓テントから、教育長先生たちが出てこられた。
「いやあ、よかったなあ。
走り高跳びは、楽しみにしていたのに、途中でちゅうしになってしまった。
今度平日にやるんだってな。」
なるほど、これが正確な情報だろう。
結局、これで午後は中止、残りの競技は後日記録会ということになった。
そうだよ、いい記録がでないと心残りだよね。
帰宅した三男に聞いてみると、高跳びはみんなが1メートルを飛んだところで中止になったそうだ。
え?1メートル?なにそれ。またぐ、って感じじゃん。
「そう。パスないんだよ。」(陸上競技では、自分が飛べて当たり前の高さはパスできるらしい)
記録会は金曜日だそうだ。今度は晴れるといいね。
こんな雨の中で、ふつう、やらないよね。
あの学年だから、延期してもムダ、って、先生たちが思っているのかも。
なんでかね。ぜったい、雨。しかも必ず大雨。
夕方から、合同パーティ。おどりトラ。
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明日は、三男の中学の体育大会である。当然、雨。こうして、彼らの行事あわせて必ず雨が降る、
「もう、才能だよ」と夫が言う。
そうだよね。あの子たちの最後の体育大会だもの。雨じゃなきゃ。雨の中でやってこそ、だよね。
一年の時は、午前中豪雨。なのに中止にならず、午後からは「2,3年生の力で」晴れた。
2年生の時は、晴れ。(三男はインフル?で高熱をだしていた)
体育大会のプログラムの裏面に大会記録が記載されている。
学級対抗リレー1年の記録を、三男たちが何十年かぶりに塗り替えたのは、平成20年。
翌年も期待されたが、出場せず。高熱だしてたからね。
あれだけ流行っていたので、先生も「しょうがない」という感じだった。
だから、今年は、ぜったい、ね。
それから、走り高跳び3年の記録は、平成14年の1m74である。これは絶対、塗り替える。
まさか、うちの息子が、地元中学の体育大会の記録保持者になろうとは、夢にも思わなかった。
そりゃ、全国大会にでるくらいだから学校の記録くらい・・・と思うかもしれないが、
やっぱり、うれしい。
長男、次男は、帰国子女で、学校でけっこう苦労した時期もあったからね。
三男の活躍が、あっぱれだ。
小学校の頃、それほど運動が得意というわけではなかった。
運動会の花でもなかった。
何のスポーツクラブにも入っていなかった。
中学に入って、陸上部に入ったのも驚いたけど、特に練習が好きでもなく、
短距離も長距離も「ウゼエ」と言っていた。
なのに、どうして、そうなったの?
三男が考えるところによると、
「やっぱり、小学校の頃、野山、特に川で遊び回ったこと。鬼ごっこをいっぱいやったこと。
それから、中1の時のホームステイ後半、トランポリンを一日中やってたこと。」
だってさ。
明日は、雨だろうなあ。中止かなあ、やるかなあ。
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明日帰国される月旦の先生方の答礼宴。25年前、中国交流の道を拓いた故古賀社長の
お気に入りだったという新宿の中国料理店、桃里にて。
中国の言葉に「水を飲むときには井戸を掘った人のことを考えよ」というのがあるそうだ。
そうして必ず、日本側の功労者としての古賀さん、鈴木さんの名があがる。尊敬をこめて。
そして、連綿と続いてきたのには、月旦の先生方のご理解、ラボの努力、林さんの献身がある。
そして何より、日中両国の、勇気ある、素晴らしい子どもたち。
実行委員の中から、Iテューターと私、「西遊記」発表のWテューターが、財団、事務局の皆さん、
オフィス華林の林さん、長谷川さんともども、ごちそうになりました。
月旦の先生方が、式典のテーマ活動、体験談にびっくりし、素晴らしかったとの感想を言われ、
祝賀会でのビデオ、体験談、スピーチ、どれも感動的だったこと、ひとつひとつ総てのことに感謝するとのこと。
また、財団の細やかな接待で、買い物や食事なども、大いに楽しまれたことも。
テーマ活動の子どもたちはテューターも含め、「家族的」だと理解していただき、
また日本の家族が家族全員で中国の子と関わっていることが嬉しかったそうだ。
「One dream, One world, One family! 同夢、同地球、同家族!」と盛り上がり、
「テーマ活動発表は、最好(zui hao)!」 好(good) の最上級 と、まさに絶好調でした。
張校長先生も、歌が飛び出すほどのごきげんぶりで、本当に来日が実現したことを嬉しく思った。
私たちが中国に行って思う「百聞は一見にしかず」は、
同じように月旦の先生方も日本に来て、交流してみて、
そのような実感をもたれたことだろう。
今までも、困難な時期は数々あり、それを乗り越えながら、一年も欠かすことなく交流を続けてきたのだ。
こういう時期だったからこそ、青少年の交流の大切さをより強く思った。
それにしても、今日のニュースで、菅総理と温家宝首相の会談が実現したこと、
民間交流を妨げないという声明に、やった!と叫びたくなった。
私たちの交流が功を奏したに違いない! 中国大使館も外務省も来ていたもの!
「ホッレおばさん」のマルガレーテがふとんをふると羽がそこらに飛び散り、人間の世界が雪になる。
「あのけものたちの小さな足あとのひとつひとつにだって、わたしが力を貸してあげてるのよ~」
マルガレーテほどの働きはないにしても、
私も、ちいさな羽のひとつになってとびまわった・・・。
「小さな羽」という言い方も中国にあるらしい。
取るに足りない小さな羽のような存在だが、大きな感謝の意を表したい、とか。
そういう青少年交流にこめる小さな羽のひとつひとつが、世界の平和に貢献していることは間違いない!
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いよいよ記念式典の日。昨日のお天気も味方して(運動会も終わって)たくさんの方にご参加いただけた。
昨今の国際情勢のなか、民間交流の25周年を祝う会が無事行えることを、本当に誇りに思う。
月旦の先生方4人、お一人もかけることなく来日され、中国大使館、外務省からもおいでいただき、
お祝辞も素晴らしかった。
財団評議員、理事の皆さんも多数いらして、
25周年の歴史とラボパーティの現在のラボっ子たちのテーマ活動発表を見ていただくことができた。
小さい子たちがのびのびと、言葉を発する喜びを発揮し、大きい子は小さい子を気遣い、
素晴らしい西遊記の発表で、「やってくれたな!!」とうれしくなった。
今年の月旦訪問ではテーマ活動発表はなかったし、発表するときは小5以上の参加者で行うので、
2歳や3歳のラボっ子たちの発表を見るのは、月旦の校長先生も初めてだと思う。
皆さん、時々うなずいたり、手をたたいたり、乗り出したりされながら、よく見てくださっていた。
Uテューターのスピーチは群を抜く内容で、Uパーティから中国交流に参加したラボっ子は
のべ100人という桁外れの人数、交流の内容も、信頼度も他とは比べものにならない。
交流に参加して、大人になった体験者の話も、心温まる内容だった。
式典に花を添えたのは中国人オペラ歌手崔さん、すごい声量、
いつきひろしと競演もされるほどのお琴の渡辺さんの演奏も和楽を代表するすばらしいものだった。
以上1部を終え、2部の祝賀会に移動。
祝賀会では司会の大役を受けることになっており、うまく運ぶよう心を配った。
1部が盛会だったので、2部もとてもいい雰囲気で始まり、月旦の先生、中国文化協会、
連合会会長Mテューター・・・・皆様のスピーチも大変感動的だった。
食事と歓談のあとのスピーチでは、交流体験者たちやご家族の本当に素晴らしいお話も聞けて、
涙ぐんでいた方も少なくなかったようだ。
評議員の諸先生方も、「とてもすばらしい」と同じテーブルの方とさかんにお話しされたり、
わざわざ私ども司会の方までお褒めの言葉を賜ったり、
こういう時期だからこそ、意義ある交流と改めて思った。
司会の、財団のM氏と私は、同じ年の生まれで(私は早生まれ)、
ラボっ子出身の事務局員とテューターである。このような交流を通じて、成長させてもらった。
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記念行事を翌日に控え、ラボセンターで少し準備。九州のUテューターが原稿の手直しをされている。
Uテューターの「中国の息子」経由で「東京出張の同じ飛行機に月旦の先生たちが乗っていた」
と第一報。
成田に出迎えに行った財団職員より先に、月旦卒業生から先生方の消息がUテューターに入る・・・・
すばらしい。
青年館ホテルに移動。
月旦の先生がたが、張校長先生始め4人、にこやかに来日され、ほっとする。
私の方はまだ準備もしたり、一人で食事に行ったり、その後、会食から戻られたご一行を迎えたり、
また買い物に出たり・・・・
夜、なんか青年館の周りがにぎやかだな、と思いながら、エレベーターで9階にあがると、
なんと、エレベーター降りたとたんから廊下じゅう若者たちが缶ビール片手にとぐろを巻いている。
わざと怖そうなおばさん顔して通ると、「すいません!おおい!道、開けろ!」と威勢がいい。
私を先導するように歩く彼らの行き先は、なんと私の隣の部屋で、ビール三箱廊下に積んでいる。
うわあ、ここが会場?どしんばたん・・・・これからもっと盛り上がるの?
今夜、寝られるんだろうか・・・・フロントに電話してみると、様子を見に来た支配人?から、
「お部屋を替えさせていただきます」との申し入れ。ありがたや。
大急ぎで荷物をまとめ、一階下の8階にいってみると、
エレベーターまえの雰囲気も壁紙も部屋の内装もみんな9階とは大違いで、快適なお部屋。
ラッキー。
月旦の先生方も、おやすみなさい。
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アメリカで使ったクレジットカードの請求(レンタカー)がきて・・・・あれ、これはなんだ?
TOLLS・・・もしかして・・・素通りした有料道路の請求?
マールボロウでの滞在を終えて、ボストンに向かう高速道路で、突如現れた料金所。
しかも無人(ETCみたいな)・・・車のナンバーを読み取って提携銀行から落とすんだろうか。
けっこうなスピードで走っているし、有人の料金所へ車線変更するには何車線も越えなければならない。
ふつう、アメリカで有料道路っていうのは滅多にない。
田舎者ですみませんねえ、でも、絶対無理だよ、これ。
そういうわけで、料金所を素通りしてしまった。
ETCバーもないし、止まれないんだよ、後ろからどんどん来る。
しばらく走っているとまた!でた!料金所!
今度は、バンクカードでも現金でもいいというレーンに並べたが、なんと無人。
そういうわけでまたもや、通過。
どうしよう・・・?一体いくらだったんだろう?
しばらくするとまた料金所だ。今度はがんばってあらかじめ車線変更して有人料金所へ。
あたりまえみたいに手を出している係員に「いくら?」と聞いてひんしゅくを買いながら、
小銭をだす。
なんだ、こんな安いのか、じゃあ、素通りしたところもたいしたことないな。
車を返すときに、ガソリン代など後から請求されるシステムになっていることを再確認したが、
通行料が加算されるとしてもたいした額じゃないだろうと思っていた。
そう思ってきたが、今日来た請求書、うわあ、なんだこれ!
16ドル35セントも請求されている!罰金込みか?
アメリカ人だったら、どうするだろうって思うでしょう?
テキサスにいた頃、有料道路は存在したが、あまり使わなかった。使うという話も聞かなかった。
カリフォルニアにいた頃、サクラメントへ向かう橋(ジョン万がさかのぼった川)が有料だった。
これくらいかな。
日本での高速道路の通行料で慣れている私たちに比べ、一般のアメリカ人は文句たらたら。
道路はただだと思っているので(フリーウエイというのは、ただという意味)、
料金所なんて「ありえない」話。
ま、知らないだけだったんだけどね。(通行料を取る道路は、Toll way という)
ボストンの空港からダウンタウンへ渡るサムナートンネルは有料
(これが今回、アメリカで初めて使った現金)
都会にはあるんだね~。(アイオワのホストファミリーは、知らないかも~)
ボストンの高速で、知らずに走って払いそこね、16ドルも請求されたら、訴えるぞ、きっと。
私は、謙虚な日本人だから、「授業料」と思って、払っとくか。
あきる野から都心くらいの額だし。
この次は、うまくやるからね。
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10月30日に近隣のパーティと交流発表会をする。例年、秋は市民文化祭に出していたが、
「せっかくのテーマ活動、評価しあえる仲間に見てもらいたい」という意見がでて、
念願の他パーティとの交流発表会が実現の運びとなった。
9月は毎年多言語月間とドル建て貯金、10月は市民祭(小学生低学年中心テーマ)・・・・
という流れをちょっと変えて、今年はみんなで韓国語のおどりトラに取り組むことになった。
今日は初めての合同パーティ。
しっかり者の高2、Soちゃんがテストでお休みの中、中高大ボーイズが頑張りました。
協力しないとできないソングバード・・・SB2で盛り上がった後、早速カレーパーティ。
ご飯は一升、カレーは、20皿分もつくったよ。
それから、おどりトラの「常識」「クイズ」「ゲーム」と中高大ボーイズが楽しい会にしてくれ、
最後に「おどりトラ」を一回、動いてみる。
やっぱり、トラばしごのところがいちばんおもしろいよね。
ひとり一場面は、ナレーションに挑戦しようね。
みんなで歌う「ひとつしかない地球」も、毎年やっているけど、続けていこうね。
今日は、Gちゃんの、生まれたばかりの弟くんに会ってきた。
まだ生まれて2週間。かわいいよ~!
みんな、こんなだったんだねー。
ドル建て貯金、いよいよ大詰め。来週からクオーターに両替始めます。がんばってきてね。
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