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北風吹けば、雪がちらちら。寒かろ、コマドリ、寒かろに。納屋に入って寒さしのげよ・・・
今年のナーサリーライムリサイタル、パーティ共通はこれ。
だって、寒いもん。
いい感じの曲なのに、いままでなかなか手が出なかったので、今年はこれを「共通」に選んだ。
クラス共通NRも、それぞれあがってきた。
各自のソロも決まりつつある(ほとんどじゃんけん大会)
発表は2月11日。
先週、地区高学年活動の合宿が高尾であり、都会から来た子たちが、寒がっていた。
夕方5時半、今の外気温は1度だ。もうすぐマイナスになる。ティムのお水が凍り始める。
夜の散歩の後、水が凍って飲めないことも何度かあった。
毎朝、ティムのお水は、ステンレスの鍋ごと分厚く凍っていて、ちっとやそっとじゃ溶けないので、
鍋ごと火にかける。
ステンレス鍋だから凍りやすいのかとも考えたが、翌朝の「火にかける」ことを考えると、
鍋がいちばん。
この鍋は、ステンレス5層構造のいい鍋だったのに、
テキサスにいる頃、日本のようなガスでなく電気コンロで、
ゆで卵を茹でているのをすっかり忘れて、(だって、音もなく、炎も見えない)
なんでか台所が暖かいなと、気がついたときには、
卵はすっかり黒卵になり、鍋の5層構造の底はがたがたになっていた。
それでも、まだ茹でるくらいには使えるので、持っていたが、ティムが来てから下げ渡し。
日本だと、ガスの火で、見えるし、音もする。
使っている間中換気扇を回すことにしているので、火をつけたまま忘れるなどということはない。
テキサスの家の換気扇は、30分すると自動的に止まった。(30分以上、料理しないということ?)
換気しなくちゃ、という考えが日本ほど無いんだな。
モーガンヒル(カリフォルニア)の家の換気扇は、コンロの上にあったが、ダクトがなかった。
それで、油や煙がでる料理をすると家が汚れるので、家主が嫌う。
もっとも、日本人は魚を生で食べると思われているので、魚を焼くということには気がつかないらしい。
日本人の間では、どうやって焼き魚を作るかが話題になったりした。
今でも、魚を焼くには、オーブンで焼いたり、油をしかないフライパンに蓋をして弱火で焼く。
どちらもオーブンペーパーを敷いて焼くので、ほとんど汚れないし、便利。
結果も網で焼いたのと変わらないし。
炭火で焼くのがいちばんおいしい。だから外でBBQがいちばん。
今は、寒くて、できないけどね。
アメリカ人も、肉を焼いたりするのは外のグリルで焼いている。
BBQをしているとき、ティムは、尻尾を振り回してそこらの物をなぎ倒してしまうので、
離れたところに繋がれる。
そうすると、黙ーって静かーに、座っている。
毎日、夕方6時半になると、ティムが静かにサッシをのぞき込んでくる。
ご飯の時間。
「ご飯やった? どうりでティムが見てくると思った」
沈黙の要求。
今はティムも、頭までうずめて丸くなっている。寒かろに・・・。
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ドイツ平和村は、紛争地域などで傷ついた子どもたちを治療して本国に帰すNGO。
ウルルン滞在記で東ちづるがリポートして話題になったところ。
隣接する福生市に、「ドイツ平和村をサポートする会」があり、
今年も、ラボ加藤パーティとして、本当にわずかながら、寄付させてもらった。
「11・12月頃から他の団体からお預かりしている寄付と一緒にあわせて、
近日中にドイツの方に送ります。ご了承ください。」
サポートする会の代表、秋山典子さんから入金の確認をしたと連絡があった。
ラボの子どもたちは、国際交流をして育つ。そもそも国際交流とはなんなのか。
自分の見識、経験をひろめるためだけではない、世界の平和を願い、作る人になって欲しい。
その年に国際交流に行ったラボっ子が責任者になって、
毎年、世界の子どもたちのためのバザーと寄付をしてきた。
慈善団体、ユニセフ、NHK海外助け合い・・・・そしてここ2年続けて「ドイツ平和村」
今年度のバザーと寄付の責任者は、オハイオに行った中1のTakeだった。
先輩のSh(中3)が付き添って銀行のATMから振り込む。
2008年度のShの時は、高1のRyuと一緒に郵便局へ行ったのを覚えているという。
「Takeったらさあ、自分の名前で振り込んじゃったんだよ。」
まあ、そうだろうね。秋山さんには別途、こういうわけで振り込みしましたと連絡した。
ドイツ平和村が助けている子どもたちは、世界中の傷ついた子どもたちのほんのわずか。
そこに寄付する私たちのお金もほんとうにわずか。
だけど、少しがいっぱい集まれば、いいじゃないか。
世界中の不幸は救えないけど、世界のために何かしようという子どもたちを育てているつもり。
タイガーマスク寄付が流行っている今日この頃。
善意は、つまり自己満足なのかも知れないが、どこかで誰かが助かっていればいいと思う。
長い間、加藤Pを支えてくれたRyuのお母さんが亡くなってからもう一週間。
葬儀に「母の会」としてお花をだしたのだが、
そのお花がお棺に入れるのに使われたので、ありがたかった。
一緒に子育てした仲間だった。
みんな、若かったね。なりふり構わず、一生懸命だったよね。
電話すると、しっかりした明るい声が受けてくれたことを、今でも思い出される。
あの頃、お母さんたちに、頼み事したり、相談したりすると、大抵のことは解決してくれた。
「テューター、今度は何をしましょうか!?」と待ちかまえてくれていた。
今は、忙しいお母さんたちや、後輩テューターたちに気兼ねしいしい、
それでも私がしてもらったことを少しでもお返ししたいと思っている。
これも自己満足と善意の押し売りなのかしらと、少し思うけどね。
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ラボの新年会は、百人一首とお茶会。2グループに分かれ、一方が坊主めくりをしている間に、
もう一方がお茶会をする。
ついさっきまで「柔道場」と勘違いしていた子たちも、たたみの縁を踏まずに歩き、
正座してお茶をいただく。ポケットに入れて持ち帰った懐紙、おうちに帰って出したかなあ?
全員揃っての百人一首は、2種類(2百枚)の取り札を並べ、一斉にとる。
去年よりたくさん取れたかな? 初めての子も、ちゃんと取れたね。
さて小5以上は、我が家に移動し、国生みを少しやってからもう一度百人一首。
(とても寒くて、こたつを出さずにいられない)
こんどは、各自枚数をそろえて、自分の札を取ればよし、また他人の札を取ったら一枚やる、
という具合に、自分の取り札がなくなった人から勝ち。
私も加わるがさっさと上がり、カレーを温めに行く。
どこかへくりだそうかとも思ったが、うちでカレーが安上がり。初ラボカレー。
だれ?3~4杯も食べてる人・・・・
蚕の佃煮をだしたら、中学生以下が挑戦。高校生以上はだめだった。
小学生の時に出会えば、食べられたかもね。
意外だったのは、動物も虫もだめなTakeが食べたこと。
本当に寒い。
ティムのお水が、すぐ凍る。
外の水道も凍ってしまった。
魂も凍る寒さだ。現世を離れた友人の魂よ、お湯召せ。
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明けましておめでとうございます。40台最後の年になってしまいました。
中年の危機をのりこえて、頑張っていかねば・・・と思います。
下條村のN平さんから、こんなものをいただいた。
フツーに、近所のスーパーで売っているという「絹の味」
なんと、蚕の佃煮。
味のほうは、お正月のおせち料理にあるエビの佃煮のようなかんじ。
けっこう美味しい。
イナゴやエビの佃煮は、ヒゲや足がのどに残ることがあるが、蚕はそういう突起物がないため
食べやすいように思う。
家族に食べさせようとしたら、「ぜったい無理」と断られた。
自分で選ばないところで思わぬ発見があるんだけどなあ。
(私もこの歳になるまで、知らなかったね)
ところで、箱根駅伝の対向車って、どういう?
今日は交通を全部止めないのかしら。
急発進ということも、絶対無いとは言い切れないでしょう?
だれか教えて。
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ラボライブラリー「ロミオとジュリエット」の発刊以来、取り組み続けて、ある年からは全幕・・・
その中部の藤井パーティの記念すべきR&J35周年。(パーティの歴史は42年)
OBOGにもお呼びがかかり、親子パーティとして名古屋の近藤Pと、東京の我がパーティも参加してきた。
当日の10時からのリハーサルに出ることが条件の、みんなでやるロミジュリ大会。
その広い受け入れ態勢に甘えて、我がパーティから6人、行ってきたよ。
25日、中3の三男がリーダーになって行く電車組は、青春18切符各駅停車の旅。
拝島8時53分で最終目的の刈谷駅着が4時半頃だったから、スムーズだったね。
私は、拝島駅に見送ってから、中央道で飯田に向かい、YzとIkを乗せていく。
・・・スタッドレスにしててよかった~・・・
伊奈から松川まで吹雪きで、道は真っ白! 駒ヶ岳SAでは、トイレに行くにも雪の中。
高速は当然、冬タイヤ規制で、もしスタッドレス履いてなかったら、立ち往生するところじゃ。
(この程度ですんでよかった。本物の雪国の人には笑われちゃうね)
刈谷の実家に私とラボっ子6人で合宿。
ブレーカーは落ちるわ、給湯器は止まるわ、エアコンは、ひょっとして壊れたかな・・・・
例年よりずっと寒かったね。
初日の夕食は一緒に作り、掃除なども手伝わせることはさせる。
小5以上の、自分のことは自分でできるはずの参加。一人分の役に立つことも重要。
あれあれ、家でまったく手伝ってなさそうな奴もいるな。
普段、慣れた場所でできることが、そうでない場所では勝手が違うよね。
でも、やったことのないことは、できないんだよ。才覚を働かせたことのない子は困るよ。
26日は、中学生以上の4人が、10時からのリハーサルに参加。
IkとKiは、小5なので、うちで「クリスマスの12日」を練習したり、おにぎりを作ったり。
3時半からの歌の練習に、小学生も行く。
我がパーティでは「クリスマスの12日」は歌う専門で、振り付けはしていなかったので、
さっそく勝手が違うと、Kiがだんまり。Ikは、見よう見まねでやっている。
適応能力がこんな所にもでる。
ロミオとジュリエットの発表は、そりゃあ、すばらしかったよ。
一緒にやらせてもらえて、練習からまぜてもらえて、本当によかったね。
翌日まだ学校があるYzとIkは、お母さんが迎えに来てくれて一緒に発表を見た。
「去年のYzとShの三幕を思い出しました」
同じ物語でつながっているって、いいよね。
終了後、藤井T宅へ「打ち上げ」に行く。いい経験させてもらえてよかった。
27日、また4人が各駅停車で帰って行った。
その後、私ひとりで実家に残り、庭の剪定やら、草取りやら、掃除やら・・・・
シングルライフを満喫。
28日は、お友達のテューターたちを招いて、「年末自主研修」をした。
この研修のテーマは、国際交流。話も尽きない。
はじめてジョン万(2)をやってみた。
やっぱり、テーマ活動って楽しいな、と思う。
藤井T宅でのティータイムに癒され・・・・・、みなさん、藤井先生、ありがとう。
そして、今日、朔日、年末年始の気象情報が気がかりだったが、
中央道に雪がないとのことで、帰京。
ティムが「お帰り!!」と飛び跳ねている。
ただいま~。
レトルトカレーと食パンを食べていた三男が「くいもんがなさすぎ」と言っていた。
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なかなか行けなかったケーキ屋さんに、久しぶりに行ってみた。
母の会のときなど、N平さんがよくここの洋菓子を差し入れしてくれたものだ。
霜月祭りの日、
N平さんに、久しぶりにおなじみの美味しい洋菓子を届けようと思って、
せっかく行ったのに定休日で買えなかった。
N平さんが今住んでいる下條村には、美味しい食べ物がいっぱい。
でも洋生菓子はうれしいだろうと思ったのに、定休日とはね。
明日、またN平さんに会うので、今日こそと思って行ってみると・・・・
なんだ? 車がいっぱい。
ああ、今日はクリスマスイブなんだった。
注文しておいたクリスマスケーキを取りに来る人、洋菓子を買いに来る人で、ごった返している。
なのに、わたしは、いつものプリンなんか買う。賞味期限3日間だから明日のお土産にできる。
イチゴのショートケーキに目を奪われ、私ひとりのために買う。
クリスマス発表会、終わったもん。自分にごほうび。
うのままのアメリカみやげのラズベリーティーでお茶しながら、ひとりでケーキタイム。
昨日の、発表会、出来としてはいまいちだったけど、各自よくがんばり、成長がわかる発表だった。
小2のAyちゃんが、初めて「やりたい」と意思表示したヘンゼルとグレーテル。
どこまで行けるかなあと思ったが、おばあさんのセリフをがんばってきた。
あの速いナレーションも聞き取ってカタカナにしたそうで、おはなし日記を見せてくれた。
そんなことAyちゃんがしたのは初めてで、驚いた。
そういう気になったこと、あの速さにめげず、やったこと。えらいねえ。
年少のGちゃんは、気が向くとやるし、そうでなければやらないのだが、
今回、発表中、ずっと前にいたね。
「先生がお便り帳に「ドア」とか「子猫」とか「朝日」とか書いてくださっていたので、
家で話題にしてみたら、こうやるんだよってやって見せてくれました」とお母さん。
そうかあ! よかった。ヘンゼルのセリフも、一緒に言ったり、自分一人で言えたりしていたね。
Gちゃんにやってもらうために、Kiちゃんたちがゴキゲンをとったり、いろいろやっていたね。
Mっちもお兄さんしようとするのだけど、いまいち、Gちゃんには圧迫感あったらしい。
金曜クラスのソングバード独唱発表は、
ソングバード1のディスク1と4から一曲ずつ選び、その2曲をそれぞれソロで歌う。
KaのHappy Birthdayから始まる。
天皇誕生日だからと、Happy birthday, dear Emperor! に変えて歌うというのだ。なるほどね。
Kaeちゃんが客席を回って、イーニーミニマニーモー、かわいかった。
ItsのABCの歌は、一回歌った後で、反対のZから歌う。苦しかったけど拍手。
ItsとKaが二人で代わる代わる歌うShe'll be coming、よかったよ。
「できないからやらない」と泣きそうな顔で言っていたItsが、
先週のパーティの終わり頃やっと笑顔になった。
最近しっかりしてきたKaが、「Itsがやっとやる気になってくれた」などというし。
こどもどうしの関わりっておもしろいね。
このあいだまでは、KaがItsに「しっかりしろよ」って言われていたのに。
一人ずつ、ワイヤレスマイクをもち、次はだれだれの何々ですって、紹介したのもよかった。
みんな、ソングバードの歌もタイトルも、きれいに言えている。
夫がずいぶん前に作ってくれたソングバードの副音声CDをカラオケにして、歌ったのだが、
それもよかったね。
Nnちゃんのバルーンとクリスマスカミング、何回も繰り返して歌ってくれた。
KeのEeency Weency Spider とビンゴも正確でびっくり。
YoのOne,One,One Lovely Evening 。このボーイソプラノは、今年が聞き納めかなあ。(小5)
一人が歌っている間、他の子は、後ろで動きやおどりをやる。
大きい子たちの「国生み」は、こんなお話だよという紹介にとどまる発表だったが、
言葉の意味や動きをこんなに考えたことはなかったそうだ。
小5のKiとYoによるすがたり「まよなか」と「きてれつ」
はじめのほうだけだったけど、よくがんばったね。
きてれつを聞いて、もう大学生になったラボっ子(すでにOB)のお母さんが、
我が子がきてれつのテーマ活動をやっていた頃を思い出して、切なくなってしまったそうだ。
「ああ、あの子の居場所はここだったんだ」と感慨深く話してくださった。
年代は違っても、同じ物語の共通の体験があるんだね。
小5の子たちのあとについて、小学生も来年はすがたりに挑戦する。
冬休みは自分のやりたいお話をさがしておいてね。
小4のKaは「オレはもう決めた!」とそらいろのたね、Nっちゃんはフレデリックだっけ?
在籍表彰は、3年、5年、7年と、10年以上。
幼児には絵本、小学生には児童文庫、中学生以上は、文庫の古事記いろいろ。
(もっとしっかりせいってね)
いちばん盛り上がるのが、もちより夕食会とその後のバザー。
バザーは、ドイツ平和村をサポートする会に寄付する。今年国際交流に行ったTakeが主催者だ。
N平さんの文房具を三男が、投げ売りしている!! こらこら。わ~、私の糊!
次男は、不器用な手つきで、リンゴジュース屋さん。ジューサーで絞りたてのリンゴジュース。
(種もヘタも絞るんかい。)
冬休み、中学生以上には古事記を読むことと、
「おばあさんの日本の昔話」ラボテープからおこしたプリントを渡し、「英訳してくる」宿題をだした。
小学生たちは、NRのなかから5曲好きなのを選んでね。
新年会は、7日。
さあて、明日からミニ合宿。
親子パーティの藤井Pがロミオとジュリエット35周年なので、私の実家に泊まって参加。
電車組4人は、朝から晩まで何時間もかけて、青春18切符で、東海道線各駅停車乗り継ぎの旅。
私は車で中央道。途中、N平家のラボっ子二人を乗せていく。
「先生、兄妹(中1と小5)は一緒の荷物でもいいですか」
だめだめ、それぞれ自分で荷作りさせて。男女別部屋ですから。
「え? まだまだこどもだとばっかり思っていました。」
一応、高学年以上ですからね。それに、本人にやらせてください。
私も準備せねば・・・・ティムも行くかい?
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N平家のお父さんが文具のパイロットにお勤めのおかげで、年末のバザーは、いい文房具がでる。
開発部のお仕事らしいので、試作品やあまりがでるというのだが、
普通に買ったら、すごく高いんじゃない? いいのかしら、こんなに・・・。
今年は、N平さんが引越したのに、バザーの品物を出してくれることになった。
単身で東京に残っている「お父さんが、駅に着いたら電話します」
ということで行ってみると、お父さんは、すでに行きつけの床屋で、散髪の真っ最中。
紙袋にずっしり入った文房具を手渡された。
ありがとうございます。
帰ってから見てみると、
スティック糊(液体)(固体)、テープ糊類、シャープペンシル類、プラスティックファイル類、
消しゴム、それからパスケース・・・。
中3の三男が、目を輝かしている。大人向けの事務用品がほしい年頃になったのかね。
特に、黒革のパスケース。買ったら1500円くらいする。
「おれ、これもらっていい?」
だめ。お小遣いで買って。義捐金バザーなんだからね。
N平家の仲良しということで、三男に文房具の売り子を頼む。
「いくらにする?」
あんまり安くしないでよ。いいのなんだし。お店で買ったら高いんだからね。
だいたい・・・市価の半分くらいにする? 価格表を作ってくれた。
売れ残ったら、年末に会う予定の他の人に買ってもらって、義捐金にしよう。
バザーのリーダーは、その年国際交流に行ったラボっ子。今年はTakeだ。
収益金は「ドイツ平和村」におくる。
これも、N平さんのお知り合いの方が福生でサポートする会を主催しているのを紹介していただいた。
「ドイツ平和村」は、戦争などで傷ついた子どもの治療をする団体。
年末に私に会ったら、消しゴム買ってね。
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今日、今年初めて、ティムの水に氷がはっていた。ステンレスの古鍋なのだ。
寒くなってきたんだね。これからは、毎朝、氷が張るだろう。ついに冬が来た。
まだ暖かいから・・・と避けてきたことを今日ついに・・・。
スタッドレスタイヤに付け替えに行った。
愛知県の、割と暖かい方に育ったので、どうも冬タイヤなんてなじみがない。
大田区に生まれ育った夫もしかり。
でも、あきる野に住んでいて、スタッドレスにしないのはねえ。
S辺さんもN平さんもあきる野のラボファミリーも、「もちろん」スタッドレス。
そういう土地柄。
ノーマルタイヤで充分、という夫に「自分のお金でやるから」と我を通した。(とほほ~)
年末は、その暖かい実家に帰る。でも、その道中がね、もし雪が降ったら・・・・?
暖冬のドカ雪、というし、今年は案外、降るかも。
この辺りの人は、スタッドレスにするかしないか、ではなく、いつするか、が問題なのだ。
タイヤ屋さんが、「今朝は、橋も凍っていたそうですよ」という。ついにそういう季節が来たんだ。
ああ、懐もさむざむ~。お金落ちてないかな。
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南信濃へ引っ越したN平家のおかげで、隣村で行うという、念願の霜月祭りに行くことができた。
14日昼、S辺さん(Kちゃんのお母さん)が、迎えに来てくれて、二人でN平家に向かって出発。
S辺さんは、私と同い年。車中、なつかしい!Bay City Rollersなんて。
流行ったよねえ、ちょうど中3のころ。
受験生だというのに、名古屋のコンサートに行った子たちが大問題になっていた。
そのころの私は、ラボも学校も、ものすごい充実してやっていたので、忙しかったなあ。
ピリピリした学校から「クリスマスパーティ禁止令」がでて、
「ラボのクリスマス発表会はどうするだね!」と思ったが、
ま、成績さえよけリャ、文句ないわけで、学校には黙ってクリスマスパーティやってた。
テューター宅に泊まった他パーティラボっ子を翌朝、駅に送っていったところを学校の先生に見られ、
「朝帰りか!」と言われたけど、それ以上おとがめもなく・・・。
(今、中3のうちの息子・・・私の半分でもべんきょうしてほしーけどね~。)
下伊那郡下條村のN平家に明るいうちに到着し、手作りの五平餅など、晩ご飯をいただいた。
ラボの「スサノオ」に入っている霜月祭りの印象は、養蚕の供養だった。
山間の村で、その年のお蚕さまに感謝するお祭り?
「蝶類のこらず、這う虫のこらず、お湯召せ、お湯召すときは、雲とのぼれ」そう、思っていた。
うちの三男が小学校の時、蚕を育て、繭を作らせて、糸を取る取り組みがあった。
繭を鍋で煮て糸を取った後の蚕は、どうするのかと思っていたら、
「学校で飼っている鶏にやった」というので、なんと現実的かと思ったものだ。
「あら、この辺では、食べますよ。」
え~!? 人間が?
そ、そりゃ、そうかもしれないな・・・昔は。
タンパク源か、と、むりやり自分を納得させようとしているのに追い打ちをかけるように、
N平さんが、
「そこのスーパーに売ってますよ」
い、今も~!? 買ってく・・・?
「蜂の子なら好きだけど」とS辺さんがいう。(は、蜂の子なら、いいのか・・・・)
蜂の子が食べられるなら、蚕も似たようなものじゃないかと、懸命に話題に食い下がるも、
は~・・・まだまだ私の知らないことがいっぱいあるんだなあ。
温泉に行ってから、上村の霜月祭りに出かけた。
熟女3人組!とはしゃいで、N平さんの運転で、おしゃべりしながら山道をいく・・・・
隣村と、安易に思っていたが、とんでもなかった。N平家からは、天竜川を越えた向こう側の山の中。
さびしい~山の中に、そこだけなんとなく活気がある所にたどり着き、「え? ここ?」
駐車場は? そこらへんの道ばた・・・
奉納金を納めると、私たちの名前がはりだされ、仮眠所の使用料を払い、毛布や荷物などを置く。
朝までずーっと続くお祭りなので、適宜仮眠を取ったり、出たり入ったりのようだった。
11時には一度来てくれ、ということで、晩ご飯というものが出された。
おこわの炊き込みごはんのおにぎりと、お酒、おかず、野沢菜など。
その前後も、もう、延々と続く、舞、舞、舞・・・・
ひとつの舞が、40分も。
その間、かまの湯は煮えたぎり、ひとつの演目が終わると、水を足す。
その時にこぼれた水が火にかかり、もう、すすと煙とが充満する。
すでに一酸化炭素充満状態のうえに。
スサノオに出てくる霜月祭りの唱え言葉も出てきた!!
演目や装束、道具のことで、訪ねてみると、答えるおじさんのろれつがまわってない。
事務方の方で、「計算が合わなくなった」と、揉めている。
この夜中に、赤ちゃんもいる。
なんというか、山の村のおまつりなんだなあ。
秘境の祭りということで、全国からよそ者がカメラひっさげて集まってくる違和感も
みんな飲み込まれている。
お湯かけ神事では、余りの熱狂ぶりに、何もわからないほど。
なんだか、ラボキャンプの3日目の夜みたいだ。
煙で目がいぶされ、とても全部はつきあいきれなくて、ときどき、仮眠室で休憩。
やってる方も、ときどき、自宅へ帰ったりしているようだ。人数が増えたり減ったりする。
「川へはいる」という演目はみのがさじと、見ていると、
この寒空に、本当に、濁流に飛び込んだ! 素っ裸で。
「今年はあったかいな」だそうだ。
ついに朝4時頃、終盤の奉納、神面がでる演目までこぎつけたが、ここからもまだまだ・・・
人面、神面、天狗面とひと演目につき3~40分を、まだまだひっぱる。
「村の楽しみですから」という言葉通り。
婆が爺をおいかけ、榊ではたく演目では、周りの人もはたかれる。
天狗が回る編目では、かけ声と共に周りの人の所へなだれ込む、これを何回も繰り返して
演じる側、見ている側が一体化し、ますます盛り上がっていく。
このお方が出たのが、もう明け方。しずかに火の周りを回った後、弓取りをしながらまわり、
これが終わったら、もう、集中力は限界だったので、仮眠所へ。もう明るくなっていた。
撤収されるまえに、少し寝ておかないと、帰れない・・・・
帰りもまた山道を1時間もかけて、N平家へ帰り、朝ご飯をいただいて、S辺さんの運転で帰京。
3時半からラボがある・・・・
感想・・・
霜月祭りを、甘く見ていました・・・
この次は、次の日は絶対に仕事を入れないようにしよう。
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11月にマサチューセッツ州マールボロウ市からの生徒たちを受入した家庭の報告会。
各家庭ごとに受入の、準備、心境、様子、感想などと話していただいた。
お父さんたちも積極的に、悩んだり、困ったり、楽しんだりしてくださった様子をお話して下さり、
以前からずっと、報告会(ご苦労様会)をやりたかった私であるので、やっと開催になったとうれしい。
市の行事で、ホストファミリークラブはボランティア。そのホストファミリークラブの中でも、
いろいろに考えや都合がある中で、「いい」と思ってもすぐに実現の運びとはならない。
その状況に慣れはじめてきてしまっていたが、ここで実現となった。
ホストファミリークラブ(HFC)は、受入や派遣に関わった家庭が、
翌年以後の交流事業をサポートするというボランティア。
受入の先輩として、特に受入の場合の、説明会や歓迎会、引率の先生方への対応などを行う。
さて、どのご家庭も、結構大変だったんだなあ~と思った。
特に食べ物のこと。やっぱり、受入の大関心事は、「食べてもらうこと」なのだね。
報告会が終わってからのホストファミリークラブの「忘年会」でもその感想が出た。
アメリカ人は食べ物にあまり気を遣わない、というのが、この交流での感想のようだ。
そうだね。やっぱり、日本人は、ごはんに命懸けてくる。
それを双方が感じる、というのも異文化交流なんじゃないかね。
「いやな思い出も、時間が経つといい笑い話になる」とメンバーが言っていた。
「すっごいまずかった食べ物」のこと、とかね。
今回、給食で、ししゃものフライとか、イカの料理がでて、超予想外だったそうだ。
そうかあ、「さかな」っていうだけで、宗教的な禁欲のイメージがあるし、罰って感じだ。
でも、ごはんとみそ汁が大好きだったという子もいたんだって。
夜、ベッドの中で携帯のライトを頼りにお菓子を隠れて食べていた、という子も。
いろいろだねえ。
おばあちゃんの家も含め、家族と離れて外泊したことがなかった子もいたそうだ。
ラボの交流では、もっとステイ期間が長いので、マルボロ交流の「大変さ」は、序曲に過ぎない。
キャンプなどの経験を重用視していることも、必要なことだとわかるだろう。
どれほど、適応能力を育ててきたか、が重要なのだ。
どの家庭も、ある時点で「劇的に変わった」と思うところがあったらしい。
交流が長くても短くても、そのことはとても大切なポイントだ。
うちの息子たちには、そういうポイントがあったのだろうか。
気になってきた。
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