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今日は三男の高校入学式だった。いよいよ、私も最後の子が高校生になる。
ステキなスーツがほしかったが、お金がないのでガマンだね~。
それに、おしゃれする元気がでない・・・歩ける靴でないと出かけられないようになった。
ウォーキングシューズやスニーカーばかり。
ま、いいや、白いジーンズとジャケットでごまかそう。それから花柄のスプリングコート着て。
しかし・・・高校の体育館がすごく寒くて、がちがち震えていた。
うー、カイロ持ってくればよかった。手袋もひざかけも・・・。寒い!!
寒くて、結局コートも脱げず、これじゃ何着ていっても同じだな。
それに、花粉症の薬を飲んだら、鼻が詰まって苦しい。
運動部がさかんなH高校(ヤマト)は、なんだか楽しそう。
長男(都立の帰国子女枠)、次男(私立の帰国子女受入校)の時とまた違った雰囲気がある。
まず、距離が一番遠い。
自転車保険に入るようにと言われたのも初めてだが、生徒たちの行動範囲も広いらしく、納得できる。
(私の大叔父は高校生の自転車にぶつかられて、亡くなったから。その高校生も気の毒だった。)
保護者会でさっそく役員決めがあり、おとなしくしていると、広報委員長の男性が、
「体育祭なんか、すごく近くまでいって写真撮れて、いいですよ。
男子走り高跳びなんか、1メートル90飛んできますからね。」
え? 一瞬耳がダンボになる。それって・・・・体育祭で出る記録じゃないよなあ・・・。
生徒と保護者とは、終了時間が違い、三男は先に下校していった。
中学の時の先生がご不幸で・・・・たまたま会場が高校の近くだった。
卒業生もたくさん集まったそうだ。
「お花も受け付けない、お悔やみはみな義捐金にまわすんだって」 そうなんだ。
生徒がたくさん来てくれたのが、なによりだったね。
夜遅く、また大きな地震があった。
ここあきる野でもけっこう長く揺れたので、現地はさぞ、と思う。
あきる野市と姉妹提携している宮城県栗原市の住宅が倒壊したというし、本当に大変だ。
けが人も出ているし、火事も。この寒空に、また避難・・・。
これほどでなくても余震がとても多い。
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今日から通常クラス。いつもの幼稚園でなく自宅で行う。学校もまだ午前授業なので、
3時半からのクラスを1時半から3時までと、計画停電の時間を避けたクラス時間設定をしたが、
停電が中止になったので、お迎えはいつでもいいです、ごゆっくり。
Gちゃんがお母さんから離れられない。お母さんも一緒にと言い出せないでいるらしい。
言葉に出すのを待っていると、やっとぼそっと「お母さんも一緒に」という。
え? お母さんも一緒に? どうする?お母さん、入れてあげる? と逆にGちゃんに聞く。
「入れてあげようか」とGちゃんがいう。いれてあげようか、と私が言う。
うなずくGちゃん。
じゃ、Gちゃんはみんなと手をつなげる?
「うん」 安心して、お母さんから離れてみんなと手を繋いだ。
小学生の妹弟と一緒に中学2年になったTakeが来てくれた。始業式がまだなんだって。
SB、NRをして、久しぶりに出てきたThis little pig の本を読み聞かせする。
これはAyちゃんのお気に入りだったね。
それから、国生みを半分までやる。
Gちゃん、お母さんに動き、教えてあげてね。
「ぼくは、回るの?」そうそう。
「こじま~ひめしま~おおしま~は?」まだまだ。
Gちゃん、あわじしま、じょうずだね。
Ayちゃんは、ナレーション、かみてなのね。じゃあ、淡路島のときはそっち側にいた方がいいね。
四国、隠岐、九州・・・・・
Gちゃん、大島は、雲の後ろから出るよ。
水は流れるからステキ、で、水が流れてきたらついていくんだね。
日本の神話第1巻「くにのはじまり」を読み聞かせする。
テーマ活動の国生みが始まる前には見せてなかった。聞く印象をまず持ってほしかったので。
赤羽末吉の絵をみながら、ときどき「あ、こおろこおろだ」などと相づちを打っている。
CDを聞いたり、みんなで動きながら考えた印象を絵本にカバーアップしている。
雷を追い散らす桃の絵をみて、かき氷みたいだとMっちが言う。
Ay「桃を食べればよかったんだよ。」 雷が?(醜女みたいに、かな?)
「ちがう。イザナキが。そうすれば力が大きくなるのに」 ええ?イザナキが?
根の国を逃げていくイザナキ、弱そうで情けない印象があるんだね! なるほど。
今日は、もう一つ、絵本を読みたい。
「ボクこれがいい」Gちゃんは、ハロウィーンの本を読んでほしいらしい。
それは、秋の本だからね、今日は春の本を読みたいな。
「秋の本なの? 秋って決まってるの?」
今日は、これ。(とぷうを取り出すとつり込まれるようにしてくる)
小学生たちも、「あ、ひさしぶり~」という。
読み終わると、みんなとぷうのように外に出て行きたくなった。
「すがたり、とぷうにしようかな」小6のKiが言う。
おやつを食べ、とぷうスーツ(生協のビニール袋)を着て、外に出る。
小学生は「こんなの」と言うかと思ったら、懐かしがって着ている。
Takeは、「オレは着たことないな」と言っている。そうだっけ?
それで、山へ行った。
まず、「樫の木ホテル」をみてこなくちゃ。葉っぱもついていないね。
花や、木の葉、笹の茎などをいろいろ集め出す。
そのうち
「せんせ~、トゲが刺さった~」「せんせ~、草にかぶれた~」やれやれ・・・
ぽかぽか陽気のいい日だった。この山に入れるのも春のうち。もうすぐタケノコが出るといいね。
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We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome someday
Oh, deep in my heart, I do believe
That we shall overcome someday
We walk hand in hand
We walk hand in hand
We walk hand in hand someday
Oh, deep in my heart, I do believe
We shall overcome someday
We shall live in peace
We shall live in peace
We shall live in peace someday
Oh, deep in my heart, I do believe
We shall overcome someday
We are not afraid
We are not afraid
We are not afraid today
Oh, deep in my heart, I do believe
We shall overcome someday
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久しぶりにラボがやれた。震災以来初めて会う顔もある。こうしてみんなの顔を見ると安心するね。
しきりなおしだね。
毎年この頃の合同練習では、いきいきセンターの桜が咲き始めてきれいだ。今年はちょっと遅い。
国生みの合同練習と臨時母の会をする。今後の予定を話し合い、募金をお願いした。
東北ラボへの救援金をお願いする「Donation、どないしょ」募金。
いろいろなところでやっている義捐金と違うのは、送り先が限定されていること。
わたしたちとおなじようなラボ家庭、ラボっ子のための募金。
ほんとうに身につまされる思いだ。
発表会は、相談の末、5月7日にK田パーティと一緒に交流発表会で行うことになり、
そのための練習の日程も組み直す。
日常ラボは通常通りとし、もし計画停電になった場合はその都度調整するが、合同練習もあるしね。
来年は、そろって地区発表会がやれるような世相であってほしい。
そのためには、節電して、東北ラボを応援すること、忘れないこと。
今日はまた、東京支部のテーマ活動大会のためのオーディションだった。
こんな時でもレベルの高い活動を保ち続けているパーティはすごいと思う。
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先日、ラボセンターのTさんと話していたら・・・Tさんたちは東北ラボに救援に行って、
帰ってきたところだった。仙台の事務局を手伝い、テューターをたどってさらに北上していくと、
テューターどうしの情報で、どこそこの方がもっと困ってる、ということがつかめる。
東京の自治体での救援物資受付も中止となり、宮城県でも受け付けない、
多くの避難所でもう、物資余りが起こっていても、その先には行ってないことがある。
Tさんたちがいざなわれて行ったのは、女川だった。いろんな物資も石巻でとまってしまうという。
そこで、ラボランドのシュラフが、大昔のシュラフだが、役に立つことになったそうだ。
皆さんは知らないと思うが、昔キャンプが始まった頃、ラボランドの寝具はシュラフだった。
第1回目の黒姫キャンプは、1971年。森の中に点在する瀟洒なロッジに泊まったとき、
私の人生で初めて寝袋というものを見た。
以来、私にとって寝袋、というと、芋虫状のものでなく、ラボランドの封筒型のもの。
当時は、各自シーツを2枚縫い合わせて袋状にしたものを持参し、寝袋の中に入れて使った。
しかし、小学生が寝袋の中にちゃんと収まって寝ていられるはずもなく、寝るときは暑いからね、
それで夜更けに寒くなったときに、今度は簡単に入れない。
収納も簡単かと思うと、巻くのがヘタだったり、だらだら~っとなだれて来ちゃったりして、
それで割とすぐ、寝袋より普通の布団の方が使いやすいということになり、敷き布団が導入され、
そのうち普通の掛布とんに取って代わられた。
しばらくは、集雲堂で、登頂隊が泊まるときに使われたり、テント村(!)で使ったり、
本部で寝具が足りないときには使っていたのかな。
キャンプで、ロッジで寝袋で寝た、という人は、事務局でもいるかなあ?シーラカンスなみ。
あのシュラフが、まだあったんだ。
Tさん曰く、「ちゃんとクリーニングしてしまってあるものですから」
余談ですけど、
ラボシャツだって、アイロンプリントのラボマークが配られて、各自プリントしてきなさいだった。
当時白いTシャツといえば体操服しかなかったから、
みんな体操服にアイロンプリントしたラボシャツで来たんだよ。
まんなかにまっすぐにプリントするのが、むずかしかったんだよね~・・・。
ラボランドのシュラフに郷愁感じてしまう我が家では、「え?うちも一つほしいな・・・」
とつい思ってしまったけど、役に立って嬉しいよね。
昨日、近所に越してきた三男の友人が、新居でトイレに入ったら紙がない!
トイレットペーパーはまだ段ボールの中、どの段ボールかわからない!という緊急事態で
我が家に飛び込んできた。トイレットペーパーを一巻き進呈したのはいうまでもない。
夜、夫が「トイレットペーパー、ストックの1カートンがないぞ」と言っていた。
ああ、救援物資で出しちゃった。
「ええっ? うちにないのに・・・」
停電、運休、自宅待機で、けっこういつもより使ったんだな。
これから学校や会社にちゃんと行ってくれれば、なんとか再来週の配達まで保つんじゃない?
4月に入って、市の施設も開館。停電も少なくなり、ラボもなんとかやれそうだ。
17日の発表会は延期してしまったけれど、新規まき直しでやらなくちゃね。
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先日のNHKクローズアップ現代で、キャスターが「パワークライシス」という言葉を使った。
あれ・・・この言葉、なんだかなじみがあるぞ。 英語でなじみがあるってことは・・?
そういやあ・・・・だんだんに思い出した。
カリフォルニアに住んでいた頃、Power crisis で、停電があった。
2000年から2001年の頃だ。(二千年問題とは別)
電力自由化したものの、熟成していない状況で、経営上の目先の欲得に走り、
外部資本の市場操作に振り回された。
金目当てに、どうしてそんなことができるのか、よく理解できなかったが、
これもやはり末端の消費者が割を食う羽目になった。
エナジー危機の状況によって、自主的節電・ポイント節電の段階を経て、
ついにRolling Blackouts (輪番停電)の策が取られた。
あらかじめ電力会社から各家庭に通知が来て、その日、その時間帯は停電した。
今の関東でやっているのと同じように、一般住民や小売業、企業が影響を受けたのは言うまでもない。
病院、学校、警察や消防などとその近くははずれていたので、そういう家に集まったりした。
しかし、信号はみな、消えた。
アメリカでは、信号のない交差点では、4 Stop といって、4方向とも必ず一旦停止、
そのあと縦・横が一台ずつ順番に交差点に進入する。
2車線以上ある道路では1台めの横一列ずつが一斉に進む。
日本のように、優先道路ということがなく、どんな広い道路と小さい道路との交差点でも
平等に4Stop。
市街地の路地だと、この4Stopはリーズナブルだが、
幹線道路はいちいち止まらされて、とんでもなく渋滞する。
それで幹線道路を避けて、みんなが信号のないフリーウェイに来るから、こっちも渋滞し、
フリーウェイを出た所の交差点に信号がないから、ここでも詰まって、フリーウェイ上に行列ができる。
もともとカリフォルニアは長期的なエコ電力の開発に力を入れていたのだが、
このパワークライシスの結果、長期的な開発どころか、電力会社は経営破綻し、
消費者に価格転嫁させないため電力を買い上げた州の財政も破綻、
企業、小売業、一般消費者の経済的状況が悪化して、レイオフも多量に出た。
電力需要のため、安価で環境度外視の火力発電の林立容認に繋がるところだったが、
当の市場操作をしかけたテキサスの石油企業エンロンも資産回収できなくなり、破綻。
電力自由化を掲げた民主党は敗退し州知事もリコール。
共和党の知事が立って、ブッシュ政権を後押しすることとなる。
その頃、石油企業エンロンとチェイニーなどブッシュ陣営とのつながりもわかってきた。
ITバブルで電力需要が高くて起きたパワークライシスだったのに、
その後、全国規模のアメリカの経済低迷が続く。
そういや、テキサスに住んでいたときも、突然の停電がよくあった。
冷房の使いすぎと言われるが、猛暑の年だったので、行政の広報車が回って、暑さ対策を呼びかけていた。
長時間かかる料理はするな、濃い色の服を着るな、教会などで配られる食事をもらいに行けとか、
日本から来たばかりの私たちにはどっひゃ~の情報。
テキサスの学校は、竜巻被害と酷暑をさけるために窓のない設計になっており、
コミュニティカレッジで勉強している頃、この停電に遭うと、もう真っ暗。手探りで外へ出た。
コンピューターを使っているときは宿題のエッセイもなにもかもアウト。
こまめにフロッピー(!)にとり、提出期限には余裕をもって対応しないといけなかった。
テキサスは保守的、カリフォルニアはリベラルな気風で、どちらもアメリカの両極端、
そこに住んでいたというと、良識派を自認する他の州の人達から憐れみのこもった目で見られる。
それも偏見なんだけどね。
今回の電力不足も、政治的経済的思惑があるのではないかとまで言われているらしい。
公共性が高い電力事業、原発という世界規模で危険となりうる事業を一企業がやっており、
いざ今回のような事態でも、企業努力に頼むのみ・・・。
当事者の日本の一般社会は、たまったもんじゃない。
西日本の工業製品や京都のお茶まで輸出できないんじゃ、一体どうやって復興するの。
Rolling Blackouts、このところお休み中。
また起こるのは必至。本当に賢い政策、開発が必要。
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今日は生協の配達の日だった。お米は来たが、今週も欠品が目立つ。特に冷凍流通品が全て欠品。
欠品の原因は、はじめは震災そのものと物流が原因だった。今もその影響は大きい。
それと、やっぱり、長時間の停電で温度管理ができないことらしい。
納豆、ヨーグルト、パンなどは、多くのメーカーが被災しているのと停電の影響。
冷凍流通品が欠品なのは、冷凍庫の所在地での長時間停電で、
作業が大幅に遅れたことが原因と説明されている。
私は今週、実家に行っている予定だったため、控えめな計画購入だった。
留守番の息子たちが簡単に食べられる冷凍品を注文していたが、来ず。
パンは、3種類注文したうち、届いたのはチキンバーガーのバンズのみ。
中に挟むクリスピーチキンフィレは来ず。
実家に帰らず、ここにいるため、食べるものが必要。買い物に行かないとな。
おまけに入学式もまだの高校の部活で、弁当がいるだと?
でも、お米は来た!ありがたや。お隣に恵んでもらった分を、やっと返せる。
不便不都合はあっても、フツーの生活を取り戻しつつある。
閉館だった市の施設も、4月から開館するそうだ。
「申し込んである4月3日、やれますよ。でも停電になったら、どうする~?
それとこの間の分の振り替え、どうする~?」
会場のおじさんから電話がかかって来て、
なるべく明るいうちにやるように時間を動かしたり、
振り替えはもう少し待ってもらったり・・・。
無期延期になっていたパーティ再開も、見通しが立ってきた。
計画停電は実施が見送られることが多くなり、おかげで信号もつき、電車も動いている。
停電を見込んでクラスを中止にせず、
とりあえずは予定通り、もし停電になったら中止もありうると、暫定処置にした。
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中国交流が始まった。仙台から出るはずだった12人の思いも、のせていってくれたことだろう。
日本の現状は、確かに危機的、壊滅的と、報道以上に考えなければいけないことがたくさんある。
しかし、このところ、気になってきたのは、海外の日本を見る目。
一進一退のように見える原発の状況、日本的な報道にいらだち、危機意識を高めている。
「大丈夫か、今すぐにでも避難してこい」というようなメールも来る。
「あなたが(停電で)暗い、暖房もないところにいるのかと思うと涙が・・・」というのも。
ありがたいけど・・・・、そんなに日本終わりってわけじゃないよと、返信している。
一昨日、米軍基地でみたデルタの民間機。基地の家族が日本から帰る機だな。
日本から外国人が消えてしまっている状態という。
日本からの輸出品は、止められたり、検査されたり・・・
留学生も来ない。
地域の国際交流の計画も流れた。
ルース大使は福島入りして、被災地の子どもを抱っこしてくれたけど、
飯澤Tのメッセージにも、イラン大使も来てくれたってあるけれど、
経済的な動きを見ると、日本が世界中から信頼されていないように感じる。
今まで日本をろくに知らなかった人が、地震や津波のニュースを見て、
とんでもないところだと思っただろう。
たしかに、犠牲者は多く、余震は続き、放射能汚染もおおいに懸念される。
被災地のすみずみまでに物資が行き届いていないのは事実だ。
そういうところについては、しっかり報道して、足りないところを埋め合わせていくように
働きかけたいと思う。
でも、東京では・・・・
物資も戻り、計画停電も全世帯でやっているわけではない。
火力発電所が復旧し、温かくなれば暖房需要がへり、計画停電もだんだんに減っていく傾向にある。
私の所は、このところずっと中止だ。
不便不自由はまだあるにせよ、今すぐ死ぬ危険にさらされているわけでもない。
そして、西日本は、誰も困っていないはず。危険はないし。
部品の供給が滞って、稼働率が悪くなっているそうだが、工場は壊れていないし、
野菜は育っているし、花も咲いている。
そういう日本の生産物の全てが、汚染されていると思わないでほしい。
ロサンゼルスで地震があっても、サンフランシスコの人は元気、でしょ?
毎年どこかで被害の出るハリケーン、トルネード、ミシシッピー川の洪水、大雪・・・
でも、そうでない地域がアメリカをささえているでしょう。
日本もそう。
西日本は頑張って、自粛とか言ってないで、元気いっぱい、やってほしい。
京都の美しさはそのままだし、大阪は元気に経済を牽引している。
日本が安全で、力があって、大丈夫なんだって、国際社会に認められないと。
だからラボのみんなは、心配してくるメールに、理論的に、平静に、状況を返信してほしい。
日本が大変だ!と思うなら、日本製品を買って。
津波の写真だけでなく、被災地の子どもの笑顔や助け合い、なんともない地方の様子も見てほしい。
そして、日本に関心を持ってくれればとてもうれしい。
国際交流を通じて、全世界に訴えてほしい。
あ、つまらんジョーク考えちゃった。
ドネイション(寄付)どないしょ~。
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私たちが、ラボっ子として考えるように、ラボのおとな達も考えています。ラボランドの公式HPに
「信濃町観光協会の一員として,「信濃町町長」⇒「長野県警」の許可を得て
救援物資を運んできました。
(3/21深夜に黒姫を出発し宮城県をまわり3/23未明に戻ってきました。)」
とある。
そして、一時避難所としての申請をし、被災家族の受入も検討いるという。
(なんだ~!やってたんじゃん! オレも行きたかったな~!と息子たち。)
あのすばらしいラボランドが、役に立つことがあるなら、とても嬉しい。
東北の、故郷にまさる地は、決してないだろうけれど、しばし、ゆったりしてもらえればね。
加藤家、ボランティアに行っちゃうよ。
長野オリンピックの時は、警察の宿舎として使われたと聞いている。
猛者たちが、食事がたっぷりで喜んだとか。
そういうはなし、楽しいでしょ。
水のこともあり、昨夜遅くアメリカから心配したメールが来た。
「無事なのはわかってるけど、心配なのよ。もし、来るんならスペースはあるよ」って。
ありがたいね。今すぐにでも行きたいところだけどね。
まあ、行ったら、チキンとケーキ、頼むわ。
でもね、フクシマで頑張っている人達を信じていたいの。
冷静に賢くありたいね。
とにかく、まず、被災地のこと。
以前、カリフォルニアの地震を怖がっていた人に、プレートテクトニクスの話などをし、
だから日本には地震が多いの、ほとんど火山列島、と言ったら、
「そんなとこに、何で住んでいるんだ?」と言われた。
日本人だもの。日本に住むんだよ。日本人以外の、だれが、日本を復興させるの?
今日は、三男の入学する高校の説明会だった。
停電すると五日市線が動かないので、車で行くことに。
夫は、休日シフトなるものができて、今日明日(木金)休んで、土日出ることになったそうだ。
なのに・・・だよ。今日は停電ないんだって。けっこう寒かったのにね。
夜になって、あきる野市安心メールが、「明日も停電中止」と知らせてきた。
赤坂プリンスが一時避難所にと言ってきたらしい。
もうすぐ閉館するから、解体するまでの期間使えるんだって。
まあ、セレブ~。都心の高層ビルなんて。
私は、それよりラボランドの方がいいなあ。
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甲子園大会が始まった。野球ファンというわけではないけど、開催できてよかった~!
簡素化した開会式で、ずらっと並ぶ高校球児たち。日本全国からがんばってきた子たちの集まり。
よかったよ。開催できて。ばかみたいに涙が出る。「一生一度の選手たちの夢を壊したくない」
高野連の会長の言葉にもあったけど・・・。
この球児たちは、阪神淡路大震災の頃に生まれたんだって。
阪神大震災のあとの選抜大会も、よくぞやれた~と感動をくれたので、
こうやって復興するんだ!という証しみたいなもの。
「生かされている命に感謝し・・」という選手宣誓のことば。
宮城の東北高校の選手たちも開会式に元気な姿を見せている。後輩たちは今も水汲みだ。
ラボのスプリングキャンプができなかったのは、本当に残念だった。ラボっ子の全国大会なんだもの。
以前から、キャンプでの緊急態勢や、
そもそも「キャンプ」という非日常生について甘いと思っていたので、
学ぶチャンスでもあったはず・・・。(昨日ガソリン入れられたので、行きたくなってる)
うちのテレビは山の陰でよく映らず、NHKの教育テレビも、斜めに縞が入り、輪郭が流れ、
字や人の表情まではよく見えない。そういう間にも地震があるし、停電もある。
開会式、見られてよかった。
今日も午後になったら、ずーっと停電。
(更新 3時半)
午後の停電は、中止になった。
するとこんなふうにぽかっと空く。
自分で停電サイクル表を作って、ラボの時間とどう重なるか調べ、頭も混乱、気持ちも暗ーく
ああ、絶望的・・・・と、昨日は思っていた。なのに、どうして今日はこんなに中止できるの?
「やるならちゃんとやってほしい」って、誰かが言ってた。そして早く終わってほしいと。
3時間は、長いし、一日2度は、多い。
その時になってみないと電力需要がわからないからだそうだが、だれか、蓄電方法を開発して。
太陽光や地熱、水力・・・・いろいろな発電力がもっと開発されることを願っている。
そして、公共の施設も、停電じゃない時間帯くらい、開いてほしい!!
お茶のみに集まっていられるところもあったらいいのに。
一人暮らしの老人世帯など、真っ暗で寒いなか、どうしているんだろう。電話も使えなくて。
(更新20時半)
夕方、東京の水道水のことが報道された。(全部ではない、利根川水系の金町水道局)
たくさんお水を買った人は、赤ちゃんのいる家庭に、ゆずってあげてほしい。
被災地の町長さんの、ヒゲが伸び放題だった・・・。不眠不休でやっておられるんだろうな。
甲子園に出ている茨城の水城高校も、校舎が壊れたそうだ。忘れないで、茨城!!
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