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ジェファソンのマグ 11月21日 (月)
FCCのあと、バージニアのトマス・ジェファソンの家、モンティチェロに連れて行ってもらった。
建国の父たちのなかでも人気の高いトマス・ジェファソン。
ポトマック河畔にあるジェファソンメモリアルという建物は、ジェファソンが建てたわけではないが、
建築家ジェファソンの意趣を生かした作りになっているそうだ。
モンティチェロ(小さな山の意)は、ジェファソン建築による彼のすみかだ。

以前、メアリ・アリスが我が家にホームステイしたとき、おみやげに持ってきてくれたのが
ジェファソン・メモリアルのマグ。(写真左側)
ただの土産物マグかと思いきや、熱い飲み物を入れると色が変わり、ポトマック河畔に桜が咲く。
とても気に入って、スープなどを飲むのに使っている。
他では見たことがないので、今回、もしかしてお目にかかるか?!とほのかな期待を抱いていたら、
モンティチェロのスーベニアショップで、見つけた、モンティチェロのマグ。

ジェファソンのマグ1

ジェファソンのマグ2

いかが? 楽しいでしょ。
留学生との集い 11月19日 ()
今年も留学生との集いの季節がやってきた。あいにくの雨。実行委員の小学生が「靴脱いでいい?」
と聞いている。ずくずくに濡れているんだって。
今年は、ラボ日本語学校、桜美林大学、外語大から留学生たちがやってきた。
私の「中国の息子」ハオくんも。
我が家が、人を泊められる状態でないので、同じ地区のSテューターにお世話になる。
そこへうちの次男もお世話になることに。Sテューターの四男とうちの次男が同年なんだよね。
(幼児の頃は、地区研のかたすみでいつも一緒に遊んでいた)


大人数が予想されたが、部屋の手配の関係で、はじめは中小の部屋しか借りられなかった。
それで今年はラボっ子たちがゲームなどで交流しているうち、
短時間だったが大人は別室で中国・韓国講座という試みをした。
チョウさんが中国の春節のこと、ユンさんが韓国語の講座をしてくれたが、話題も盛り上がり、
とてもおもしろかった。

そのあとまた合流して、今度は大きな部屋で、ホストファミリーとの対面式、紹介、ゲームなど。
日本文化紹介では、剣道にちなんだゲームとデモンストレーションなどがあった。
ジェスチャーゲームは、ラクダというお題が「おじいさん」や「おじぎ」「杖」になってしまって
大笑い。

持ち寄り夕食会では、たくさんの美味しい食べ物がならんだ。
私が持っていったのはちらし寿司と麻婆豆腐。
麻婆豆腐は、いつもの「素」をきらしていたので、違うのを使ったら、甘かったようで、
たくさん豆板醤をいれたにもかかわらずフツーの味になってしまった。
うんと辛くしたかったんだけどね。
うちのパーティのTさんが韓国の方を受け入れてくださるのだが、
夕食もチャプチェを持ってきて下さっており、それがまたおいしかった。
韓国の本物の春雨で、日本のものよりずっと歯ごたえがある。
おいしいからまたパーティの持ち寄りにもってきてね、といったら、
なんと近所のおばさんに作ってもらったんだって。
ふと見ると、留学生たちはそれぞれホストファミリーと一緒に食べていた。よしよし。

ハオくんとはまた明日会う。
帰国しています 11月17日 (木)
ワシントンDCでのFCC(フォール・コーディネイター・コンファレンス)が終わったあと、
VAのジュディ・アン・フレイさんのお宅に二晩お世話になった。

まず、ちょっと説明。
ワシントンDCは、狭い四角形のエリアで、まあ、広義にはそのまわりの地を含む。
が、DCそのものはどの州にも属してはいない。
DCを取り囲むようにメリーランド州、バージニア州がある。
ホワイトハウスはDCにあるが、ペンタゴンは川向こうのバージニア州アーリントンにある。
コンファレンスを行ったホテルもアーリントン。
ナショナル4-Hユースセンターはメリーランド州シェヴィーチェイス。
だから、ちょっとぐるっとしただけで、DC、メリーランド州、バージニア州をまたぐ。
ワシントン・ダレス・インターナショナル空港はバージニア州。
ハーパーズ・フェリーはバージニア、ウェストバージニア、メリーランドの三角地点なので
行きはバージニアを通って、川を渡ってウェストバージニアに入り、帰りはメリーランドを通って帰った。
財団のM氏に
「到着翌日にバージニアとウェストバージニア、メリーランドに行ってきた。」と言ったら、
「You are so active!」と言うので、周りのアメリカ人みんなが大笑い。
そう話している彼も、気づかないうちにDC、メリーランド、バージニアを行き来しているのだから。
そして、本当に美しい。
DCだってその周りの地域だって、都会なのに木が多く、森もあって、紅葉が素晴らしいし、
ちょっと郊外へいけばなおのこと、うねうねした山の稜線、清涼な河、南北戦争の記念地・・・
なだらなにたちはだかるアパラチア山脈、シェナンドー河・・・おもわず、歌っちゃうよ。

「シェナンドー河」に出てくる「ワイド・ミズーリ」って、何のことだと思う?
ジュディ・アンに聞いてみる。
「そりゃあ、河でしょ。ミズーリ河。」
私もそう思っていたんだけど、もしかしてミズーリテリトリーじゃないかと思って。
「ミズーリテリトリー? あっ!そうかも! そうとも言えるわね!!」
だれか詳しい人いないかな?


ジュディ・アンの家は、DCから車でバージニアの西部に向かって2時間ほど行ったところ。
ジュディ・アンは祝祭のテーブルを飾る花(大量)やランタンをレンタカーで持ち込んでいるので、
帰りにまず花屋へ行ってランタンを返し、家で私の荷物と花を降ろし、レンタカーを返しに行った。
レンタカーは、シャーロッツビル空港のレンタカーだった。
こぢんまりしたかわいらしい空港だ。アメリカってどこにでも空港があるんだな。
トマス・ジェファソンの故郷なので、彼のことばが空港の丸天井の周りに施されている。
"I am as happy no where else and in no other society, and all my wishes end,
where I hope my days will end, at Monticello.

昼食、買い物、洗濯、お土産を渡し、夕方から地元の4-Hクラブのアチーブメントナイト、
教会の役員改選ミーティングディナー。
まんまるな大きな月が地平線から昇ってきて、まるで日の出のよう。

翌、日曜日は教会に行き、聖体拝領もして(ルーテル教会ではクリスチャンでなくてもやるんだって)
その後、シャーロッツビルへ観光に。
ミッキータバーンでメアリ・アリスと合流してフライドチキンなどこの辺りの伝統食を楽しんだ。
高校生の時ホームステイしたユタの家では、ほとんど毎日、夕食は
インゲンの煮たのと、茹でたトウモロコシ、ビーツの煮物、ハンバーグだったが、
このミッキータバーンでもおなじようなインゲンとビーツがあり、懐かしい!!!!と思って
当時のエピソードを話した。
それからトマス・ジェファソンの家「モンティチェロ」を見学。
モンティチェロは、二層構造になっていて、階下が台所やワインセラー、使用人通路になっており、
階上は工夫されたお部屋がずらり。
すべてにおいてトマス・ジェファソンの意をこらした建築であり、発明であり、インテリアである。
あらゆることに精逸した知識人、技能人であり、また多言語に優れた人だったようだ。
多くの名言を残した人でもあり、
"I cannot live without books."という鉛筆をラボっ子たちに購入。
メアリ・アリスは2003年と05年に我が家にホームステイしたバージニアのシャペロンで、
小学校の先生。
(ジュディ・アンのお孫さんがその学校にいるという)
「家族とラボっ子のためにお土産を用意したからスーツケース、空けておいてね」
とのことだったが、
「机の上にだしておいて、すっかり忘れた!!」という・・・・。いかにもメアリ・アリスらしい。
まあ、私たち、そういうことしょっちゅうよね。

夕食は、約束の天麩羅。えび、ズッキーニ、さつまいも、たまねぎ、アスパラ、ピーマン・・・
それが・・・大失敗・・・どういうわけかなかなか油の温度が保てず、衣がはがれちゃって。
白米は、California Sushi Rice というのをスーパーで見つけて、
ジュディ・アンが電子レンジで炊いてくれた。
だんなさんのジャックが、「これ、うまいな。オレは米が好きなんだ。」と言って、
作り方を覚える気になっていたのがかわいい。
ジャックは、エビが苦手だということだったが、エビの天麩羅はずいぶんお代わりしてくれてたよ。

翌、月曜日、IAD(ワシントン・ダレス・インターナショナル空港)に送ってもらった。
用心して早朝に出発したが、もう少しというところで渋滞。
「ダレスにはどう行ったらいいの?」ジュディ・アンが車に話しかけている。
「そのままの道でいいですよ。」「でも渋滞しているの、なんとか他の道はないの?」
「そのまま行った方がいいですよ。目的地はダレス空港でセットしていいですか?」
ジュディ・アンの車は、On StarというGPS内臓のナビゲーションシステムが搭載されており、
口頭で行き先を言うと、オペレーターが車の位置を確認して行き先を教えてくれ、
ナビをセットしてくれる。
結局、11時の飛行機だから、おそくとも9時半までにと思っていたのに8時に着いてしまい、
航空会社のカウンターも空いていなかった。
しばらく待ってチェックインし、帰国の途につく。

直行便は便利だけど、全日空だったのでいきなり日本語の世界に引き戻され、なんだかとまどう。
行きは空いててよかったけど、帰りは混み混みの窓際席で、
離陸前にトイレに行かせてもらった後は缶詰状態で、我と我が身を封印する。
成田からリムジンバスで立川へ、これも拍子抜けするほどスムーズに着いてしまい、
会社帰りの夫と合流して荷物を運んでもらい、自宅近くの駅から私と荷物だけタクシーで帰る。
帰宅すると次男が出てきて、タクシーから荷物を降ろすのを手伝ってくれたが、
よいっしょ~!と降ろしたら、そのまま荷物がて~っ!と走って転がって行ってしまい、
タクシーの運転手さんが大あわてで追いかけてくれた・・・
なんだか・・・帰ってきたという感じだよ。

さっそく、ご飯を作る。
自転車で帰ってきた夫が、途中、ハーゲンダッツを買ってきてくれたけど、
飛行機の中で食べたし、ここは寒いし、外食のほうがありがたかったんだけど、ね。
ま、いいか。

地下室の床が完成していた。
FCCコンファレンスが終わり・・・(更新おわり) 11月12日 ()
FCC(4-Hコーディネイターコンファレンス)が終わり、深い感銘を受けている。
今回、久しぶりに参加したコンファレンスだったが、MIUSA(障害者の国際交流)や4-Hケニア、
ノルウェイなどのワークショップや、留学生のスピーチもあり、ラボも相互交流から
もっと広く地球的な視野を持つ必要と、可能性があると感じた。
コーディネイターたちの熱心さには、本当に心を動かされる。
大変だからやめてしまおうと、日本人なら思うだろうという事例にも、献身的に支え続けてくださっている。

私たちの「ももたろう」WSでは、ラボが日常やっていることを経験してもらったが、
なんでアライバルオリエンテーションでテーマ活動の発表をやるのか、
チームビルディングにいいことはわかるが、それをなんでホストファミリーに見せねばならんのか、
しかも英語がつたなくてわけがわからない。
いま何かの役をやっていた子が(やっとその役がわかったとたん)次には木だか家だかになっている。
などと、疑問をぶつけられた。
しかし、テーマ活動を体験してもらい、人間育成の側面に基づいて話し合いをしてもらい、
世界の文化を知ることやいろいろな人物の性質を物語のなかで体験する意味を話し合い、
テーマ活動の意義を理解してもらった。
そのうえで、小道具は必要だと思うか?・・・・NO
どうすれば見ている人にわかりやすく共感を得られる発表にできると思うか?・・・
それには、まずスクリプトをあらかじめもらいたい。見所を教えてほしい。
どういうところがこのグループの工夫したところなのか、どの子がどう努力しているのか、
・・・などの助言を得られた。
そうねえ、でも下を向いてセリフのチェックをするより、発表する子たちを見てほしい。
それにはあらかじめホストファミリーにあらすじを伝えてほしい。
シャペロンの皆さんも、心して、伝える努力をしてほしいな。


「フロントライン」というワークショップでは、
日米お互いの疑問や交流の消化不良の面をたずねあう、まさに国際交流最前線。
日本の子がお世話になったホストファミリーに手紙を書かないとか、
自分の食べるものを用意しないとか、
もっと英語を練習してきてほしいとか・・・ごもっともなご意見。
(もちろん、お互い様、という場合もあり、その辺はしっかり応酬。)
もう一度、何のためにこの交流をするのか、を確認しあって終了。
それでもまだ話したりなくて、VAのコーディネイターの一人と廊下で話し込む。

私たちも、気を引き締めて、ラボっ子たちを教育し、しっかり送り出さなくては・・・
と心に強く思った。

来年行くKiちゃん、
あなたはラボ活動をとおして、人を思いやり、一緒にいい関係を築けるようになってほしい。
物語を感じ、CDを聞いて、ことばをどんどん自分の物にしてほしい。
すがたりはもちろんのこと、来年のテーマ「ももたろう」も、すがたりできるくらい、
聞いた人がわかるちゃんとした英語に仕上げてほしい。
パーティ活動では長いナレーションや重要な人物に挑戦して、実行委員や司会者などの役割をしてほしい。
こんどの親子オリエンテーションでは、自己紹介を英語ではっきり言い、
国際交流の目的や希望をしっかりと述べてほしい。

そしてそれは、うちのパーティの先輩たちがみんなやってきたことなんだよ。
Harper's Ferryと4-Hコンファレンス 11月08日 (火)
昨日、アメリカに到着し、今日は南北戦争発端の地、ハーパーズフェリーを訪問した。
ジョン・ブラウンズ・ベイビーの歌にあるジョン・ブラウンは、奴隷解放論者でアメリカ初の過激派で、
ハーパーズ・フェリーの急襲という南北戦争を誘発した事件の主人公だ。
普段、なにげなく歌っている「ジョン・ブラウンズ・ベイビー」にも、興味深いいきさつがある。
ハーパーズ・フェリーは、国立公園になっている。

昨日は、東部時間9時40分にワシントンダレス空港に到着し、
スーパーシャトルという乗合自動車でアーリントンのホテルへ到着。
シャトルは同じ方向の人を集めて乗せ、目的地まで送ってくれるシステムで、荷物が多いときなど
とても便利。しかも同じ行き先の場合は二人めから安くなるので、とてもお得。
午後、地下鉄にのってペンタゴン・シティのショッピングモールへいき、
お気に入りのデパートMacy's で買い物をした。
(思っていたより暖かく、もう一枚半袖の物が買いたくなった)
ホテルに戻ると、カリフォルニアからパット・イングリッシュが到着しており、
再会を喜んだ。

今朝、ホテルの近くで朝食をとり、レンタカーを借り、パットの運転でハーパーズ・フェリーへ。
紅葉がすばらしい。アパラチアン山脈が迫り、シェナンドー河、ポトマック河・・・
ハーパーズ・フェリーは、バージニア、ウェストバージニア、メリーランドの三つの州が交わる地点。
かつては交通の要所として、また武器製造の要所でもあり、ジョン・ブラウンの急襲を招く。
また河の交わる地点で、増水の時期にはたびたび洪水にも見舞われている。
それでも古い町並みが保存されていて、とてもすばらしかった。
ときどき聞こえる汽笛は、いまでも炭鉱から石炭をはこぶ貨物列車だった。

もう一カ所の南北戦争ゆかりの地を訪ねるのはやめにして、ゆっくりアーリントンへ戻る。
帰りは、ワシントンDC近郊で大変な渋滞に巻き込まれ、しかも日射しがまっすぐ目に入る。
それでも無事、レンタカーを時間内に返却し、ホテルに戻る途中ミズーリのジョイスに再会、
ホテルに戻ると、バージニアのコーディネイター、ジュディ・アンが到着していた。

ジュディ・アンとパットと一緒に夕食をとり、ホテルに戻ると
今度はオレゴンのコーディネイター、イーディが到着していた。イリノイのアランも声をかけてきた。
明日からのプログラムが楽しみ。
4支部合同研修・・つぎは・・ 4 11月06日 ()
4支部合同研修は、たくさんの方と楽しい有意義な時を過ごし、やはり、ラボは出会いだなと実感。
この出会いがあるので、元気が出るのだ。ありがとう。

昨日は、丸木美術館に寄ってから、研修に向かった。
丸木美術館は、ご存じ、原爆の図の画家、丸木位里さん、俊さんご夫妻の美術館だ。
(うみのがくたいはご夫妻の画)
大学時代に行って以来、何十年ぶり・・・
あの時は、俊さんがお元気で、お話を聞かせてくださった。
俊さんのことばを、何十年もほったらかしにしてきた自分を反省する。
せめて、No(原子力)のバッヂをいただいて、胸に付けた。

さて、次はFCC。
まだ、国内交流の報告書と、準備と、捜し物と、かたづけと、荷作りが残っている。
寝れんわ。
高校生表現活動発表 11月03日 (木)
東京支部の高校生表現活動グループによるテーマ活動発表。この活動は高校生の有志により、自主運営されるが、ラボの大人も呼応して、見守る。
つまり、支部の国内交流の事務局及びテューターが対応する、責任ある運営となる。
回数は5回、人数やルールなど、今までのグループの活動をとおして培われてきたものを踏襲し、
同じようにつまづき、逡巡し、乗り越えていきながら、同年代のテーマ活動の深みに出会う会だ。

今年のテーマは、「三人のおろかもの」だった。
ついに発表の時を迎え、所属テューターとラボっ子、友人、先輩たちが見に来てくれた。
なによりありがたいのは、保護者の皆さんが見に来てくれたこと。
ラボだからということで信頼してもらっているんだろうなあ。それに応える発表にしたい。

始まりは硬かった。
ほのぼの感がないよ・・・と指摘もしていた前半だった。
一生懸命な彼らを見守る観客も、祈るような表情で、硬い。
笑いって、むずかしいね。
お客さんに笑ってもらいたいとの目標を掲げていた活動だったが。
それでも笑いの場面を重ねるにつれ、
一生懸命さが滑稽さにつながるというこの物語のおもしろさが出てきたように思う。

(私も、音楽CDを間違わないよう、結構、怖い顔してたかも)
「先生、音楽CDお願いします」と言われたとき、
え?私に頼んでくれるの?信頼してくれたのかなと、うれしくなった。
仲間になれたのかな?
対応は結構、真剣勝負だったからね。
真剣につきあったから、認めてくれたのかな、お互い様か。

三人のおろかもの・・・おもしろいお話だが、世の中の真実を物語っていると思うよ。
若旦那は、それまであちこちを旅して人生修行をしてきたつもりだったろうが、
見る目が違うと、見える物も違うんだろうね。
「・・幸せに暮らさなかったとしても・・・・」と言うナレーションで終わるが、
まあ、結構、幸せに暮らしたんじゃないのかな。けんかしたり、悲しんだり、苦しんだりしても、
ま、おおざっぱにいえば、平凡でも幸せだったと、思うんじゃないかな。
自分だけは違うと思ったとしても、人は人の中にいないと生きられない。
それに気がついて帰っていった若旦那は、賢人なのかもしれない。



生きていると、いやになることはたくさんある。
時に疲れ果て、孤高にあこがれ、空高く飛ぶ鷹のように生きようとしてみても、
平凡なる人間に過ぎないので、
やはり、麓の村に帰って行くことになる。


やったー、がんばったぞーと充実感いっぱいの、
あるいは、反省もしているかもしれない高校生たちよ、
人生のいろいろな場面で、この物語を思い出すだろう。
White Halloween 1 10月31日 (月)
米東部の大雪という、信じられないニュースを聞いた。まだ10月だよ・・・。停電、欠航、
死者・・・非常事態宣言も出ているというから、驚く。
もともと雪には慣れているはずの地域でしょう?時期が早いだけで・・・。
NYは積雪3センチ、どうしてこうなるのか?
そう思っていたら、マサチューセッツのマルボロからも、「31日は学校休み」というメールがきた。
生徒の家があちこちで停電になっているからだという。
そういうのを「Snow day off」という。
こんなふうに悪天候のために休校になることに備えて、あらかじめ春に予備日が設けてあったり、
学年末がずれたりする。
つまり、雪などで冬に休校が多い年は、夏休みがなかなかはじまらない。


ハロウィーンなのに、雪とはね。
世界中のあちこちで、自然災害が厳しい。 
来週のワシントンDC行きに影響しないことを祈るが・・・・しょっちゅう何か起こるからなあ。
豊富な人生経験、くらいの出来事ですむなら・・・ま、いいか。
補助員 10月29日 ()
三男が、関東大会の補助員だそうで、毎日始発で出かけていく。都大会が不本意だったので、
関東出場ならず、補欠なのか・・・「補助員!」
足もくじいていることだし、うちでゆっくりしてたほうがいいんじゃないの? 
「補助員だから行かなきゃいけないの!」
弁当は・・・「いらねえ」「金曜日は公欠なんだぞ~」
なんで出ない大会に行くんだ? 「だから、補助員なんだってば」


金曜日、別の会場を借りてやっているラボに、関東大会帰りの三男が現れた。
三日間、関東大会なんだってよ。
「え!?すごい~!」「だから、補助員なんだってば。すごいわけじゃない。」

本当にお弁当要らないの?「もらえるから」
飲み物とかは、用意していかないの?「もらえるから」
「補助員ってさあ、すげえと思った。お菓子もいっぱいもらえるし。」

え?なんで弁当や飲み物がでるの?どこから出るの? 「大会から」
・・・・補助員って・・・ようするに大会の準備・片付け要員なんだ。
交通費は出ないのか。

グッズとかもいろいろ売っているらしく、お小遣いをせがみにきた。
自分が出ない大会のグッズなんか、買わんでよろしい。
「うぜえな。そういうんじゃねえよ。普通のスポーツグッズが安いんだよ。」
しょっちゅう、いちいち、なんか買えって言ってきて、よっぽどうぜえよ。
・・・ぐうのねも出ないようだったが、にこっと笑って、やっぱりねだり上手なのだ。

金曜の夜遅く、大阪出張から帰ってきた夫も、やはり「補助員」がわかってなかった。
要するに、テニスのボールボーイみたいなもんかねえということで納得。



自宅でラボができないため、あちこち会場を借りてやっている。
水曜日はラボセンターでFCCの準備会をした後、大急ぎで帰り、
小学生だけのハロウイーンと(そのあと)母の会をした。
ハロウィーンもいつものアップルボビングをやめて(ハロウィングッズが取り出せない)
リンゴを部屋中に並べ、順番に目隠しをして探し回る。まわりのみんなは英語で指示。
熱血興奮状態。英語なんか忘れちゃってる。
リンゴじゃなくて、にんじんやタマネギに当たった子も。大笑い。
母の会の間は、みんな食べていたり、ハロウィーンカードを作っていたり。
次男がマクドナルドへハンバーガーなどを買いに走ってくれた。遠いのに、ありがと。


来週は駅近くの会場をおさえた。再来週は、ワシントンDCに行っている。
帰国するまでに、なんとか、作業、終えてね・・・。
FCC(Fall Coordinator Conference) 2 10月22日 ()
11月にワシントンDCで行われる4-Hのコーディネイター会議は、研修と交流と表彰式。
毎年、開催州が変わるので、参加する方も楽しみな会だ。
コーディネイターたちの労をねぎらい、プログラムの質を維持していく重要な会。
ラボからも財団とテューターの代表1名が参加している。
今年は国際交流40周年を記念して、主催地がワシントンDC、
プログラムも記念式典などが盛り込まれ、日本からの参加もテューターが18人と盛大に行われる。
私もその一員として赴くことになり、とても楽しみにしている。


98年から01年までの在米中、4-Hコーディネイターの端に連ならせてもらっていたので、
当時のコンファレンス(アルバカーキ、アトランタ、セーラム)に参加した。
コンファレンスでは、新しいコーディネイターに対するベーシックな教育、
州内でのホストファミリーリクルートやオリエンテーションのやり方、
ラボっ子たちの滞在中のプログラムや対応、
また4-Hersの送り出しについて、多くのアイデアが交換され、研修が行われる。
そして、その年の交流において、たくさんのホストファミリーを獲得して貢献した州、
期日内に規定数を達成した州、長く貢献した人物などが表彰される。

今年は、特別な様相だ。
全米4-H委員会のあるワシントンDCの4ーHセンターにおいて、「交流40周年記念式典」
その他の会議・研修などは、ポトマック側対岸のアーリントンにあるホテルで行われる。
おおまかなプログラムを紹介しよう。(かっこ内の英字は服装規定)
8日以前 コミティー及び日米代表者会議
8(火) 新しいコーディネイターの教育研修 / ラボの一団DC到着
9(水) 交流40周年記念式典 全米4-Hセンター (Business Attire)
10(木)(Business Casual)
  ・4-Hと日本の交流団体によるプレゼンテーション 
  ・MIUSA(国際交流を通して障害者の人権と成長をめざす団体)によるプレゼンテーション
  ・ワシントンDC観光(ホワイトハウス、議事堂、リンカーン記念館、日本大使館訪問など)
     (Comfortable walking shoes and clothes)
  ・カルチャーフェア(団体別文化紹介)(Cultural costume)
    ラボは、風呂敷デモンストレーション、家紋の切り絵、団扇作成など
11(金)
  ・一日中ワークショップセッション(Business Casual) 
    ラボは、「茶道」と「ラボ活動紹介」のワークショップを担当
  ・サイレントオークション 
  ・表彰式とお別れディナー(Red Carpet Dress-up)

12(土)解散

参加される方は、以下の通り。 ご存じの方、ラボっ子がお世話になった州を探してみよう。
(As of September 30, 2011)

S4-H Board
アリゾナ Kirk Astroth  カンザス Deryl Waldren   ケンタッキー Mark Mains   
ミズーリ Rachel Richardson  オレゴン Lillian Larwood  ワシントン Pat BoyEs   ウェストバージニア  Debbie McDonald

4-H Coordinators & Volunteers
アラスカ     Marianne Kerr  Jill Holmgren
アリゾナ     Erin Gries
カリフォルニア  Pat English
コロラド     Courtney Loflin   Jamie Brown
アイダホ     Claudine Zender
イリノイ     Alan Winder   Debbie Winder  Norm Bauer
        Miriam Rosenbohm   Mary Herra
カンザス     Mary Kay Munson     Rose Scott   David Burch
ミシガン     Renee Applegate    Brian Wibby
ミズーリ     Joyce Taylor
モンタナ     Stephanie Davison  Beth Foster  Janet Loomis   Linda Stewart
ノースカロライナ  Laura Byrd   Carolyn Langley   Cynthia Robbins
ニューメキシコ Linda Schultz
オハイオ     Barb Wyndham    Annis Strine   Bobie Williams
オレゴン     Maggie Livesay   Edie Necochea  Sue Williams   Linda Yuhas
サウスダコタ  Cindy Ensz     Alan Lambert
バージニア   Carol Byrd     Judy Ann Fray   Faye Giles   Jane Henderson
        Deb Johnson     Becky Moyer    Carol Nansel  Dottie Nelson
        Lenah Nguyen    Janice Seibert
ウィスコンシン Madison Hartup   Kay Hobler   Roger Hobler  Nolan Lendved

ラボから
Yasuko Hayashi   Masakazu Hirano   Nobuko Igarashi   Yoshisada Irie
Kazumi Kano    Noriko Kato      Yuka Kawakami   Yoko Kawamata
Yayoi Kawamura   Emi Kimura      Yusuke Majima   Mami Mitsui
Mitsue Morioka   Akiko Murakami    Tazuko Niunoya   Fuyuko Oguchi
Hideko Okino    Sumie Ono      Eriko Sakimoto    Koji Sasaki
Coral Smith     Ariel Smoke      Akiyo Sugiyama   Ayumi Take
Kumi Tasaki

LEX Institute
Fujiko Furusawa   Yufu Hiraoka   Yasuko Maeda   Javier Mares
Melody Nguon   Kiyoko Takayama   Tomomi Tanimura   Elizabeth Victor

Special Guests
Gwen El Sawi, former National 4-H Council
Virginia Gobeli, former USDA liaison
Lisa Lauxman, Director, Division Youth and 4-H, USDA NIFA
Millicent Obare, 4-H Kenya
Megan Smith, MIUSA
Shanti Shoji, former Outbound delegate & Labo Intern
Alan Sills, former Outbound delegate & Labo Intern
Cathy Sutphin, Associate Director, 4-H Youth Development VA Cooperative Extension Representative from Department of State, TBA

States’ 4-H International
Yoko Kawaguchi    Michelle Fenske    Jackie Dale    Aram Chun


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