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いよいよ明日から黒姫1班。だいたい、準備できたけど・・・。黒姫ボックスがあるからね。
でも・・・グリムのいいアイデアがまだ浮かばない。
これぞ、というのが、ねえ。
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すごい猛暑だったのに、今度はこの寒さ。BBQをやろうとして・・・ティムの息が白い!
パーティ発表会と壮行会だった。
キディのGちゃんの歌、小学生のくるりんぼうず。ぐるぐる走り回った。
「ABC」の発表。
キディのGちゃんがABCのSBを見せてくれ、
小学生たちはA for apple, A for arctic fox, B for banana...と各自のアルファベットを発表。
国際交流に出発するKiちゃんの送り出し会。
中高生が「こんなとき、どうする?」スタンツを披露。ユーモラスな表現にみんなげらげら。
Kiちゃんのすがたり、アルバム披露、決意表明など。
お土産贈呈式。
パーティのメンバーの激励メッセージいりラボフラッグ(大)
・・上半分が空けてあるので、カナダでお友達になった人に書いてもらってね。
中高生クラスの一行メッセージを書き込んだ国際交流ノート
・・日記部分の欄外にほぼ毎日メッセージを記入
「主体的に行動しよう」ラボフラッグ(小)・・キャリーオンにつけてね。
・・連れて行ってもらうのではなく、自主的に団体行動の中心になって引率者を支えよう。
それから・・・
母の会から、古い着物のきれで作った巻きバラのコサージュ、シュシュ、箸ぶくろなど。
(たくさん、ありがとうございました)
中高大生クラスの、ゴロヒゲ。ちょっとだらしなかったな。
頑張った子に申し訳ないよね・・・。
それでも小学生にとってはおもしろかったらしく、みんなじっと見て楽しんでいたね。
日本語でさえ、もう、外国語みたいなんだなあ・・・。
浴衣や剣道着を着て、竹刀と模擬刀を持って発表した。みんな浴衣の着付けも習い始め。
こういう機会も作らないと、なかなか・・・。
昨夜から熱、というプレイルームのKoちゃんが、
Kiちゃんに「行ってらっしゃい」が言いたいと、ちょっとだけ来てくれた。
Kiちゃんもいよいよ出発だ。
指示待ちをせず、自分からどんどん思い切って行動してほしい。
「え?それ、やるって思わなかった」「準備はしてた。(でもやらなかった)」
そういうのは、なしだよ。
ラボのTAも、発表してこそ、ということがあるでしょう。
今日のGちゃんのSB発表は、Twinkle, Twinkle とOpen, Shut them (それとABC)
我がパーティでは、年長さんの頃に代々「Twinkle, Twinkle リーダー」になる。
Open, shut them は、Gちゃん考案(?)の傘を開いたり閉じたりのパフォーマンス。
目立つように、ビニール傘に緑、オレンジ、黄色のビニールテープを貼って飾り付けした。
Gちゃんは、幼稚園のお泊まり保育を終えて、来てくれた。
来年はキャンプ行けるかなあ?
今日は、アイオワの「Is it Heaven? No, it's IOWA」Tシャツを着ていたのに、
だあれも気がつかない。
夜、トウモロコシとポークチョップでアイオワ気分。
トウモロコシも高いのであまり買えないが、
今日はいっぱーい差し入れしてくれたラボファミリーに感謝。
2本と三分の一も食べちゃった~! これぞ、アメリカサイズ。
ポークチョップもいつもよりはデカイサイズ。(家族みんな感激)
アイオワのステートフェアでは、この倍の厚みがあって、あごがくたびれたね。
暑さに、身を投げ出すようにしていたティムが、今度は前脚を懐にしまうようにして寝ている。
さむっ。
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猛暑である。日本って、こんなに暑かったっけ?子どもの頃は30度を超す日があれば、最高だった。
まったく、降れば土砂降り、降らねば空梅雨で猛暑・・・
毛皮を着ているお方は、こんな感じ。
お昼寝中だ。近づいても気がつかず。くか~
午後は雷雨になった。
その後、また晴れたので、蒸し暑いことこの上ない・・・
ティムに晩ご飯をやるのは後にして、夕方のラボのクラスにでかけた。
暑いと食欲ないんだよね。
土曜日の発表・送り出し会まで、最後のクラスだというのに、集まりが悪く、
ゴロヒゲ役の三男はTAが終わってから登場。
(どうするんだろね)
送り出し会でやる「こんなとき、どうする」スタンツの打ち合わせをし、
Kiの国際交流ノートに激励メッセージを書く。
会場をでると、おや! 高原のような涼しさ。
(夏終わっちゃったみたい・・・)
阿蘇は、今日も大変な雨だったそうだ。
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「先生、タオルたくさんあると言ってましたよね。」Koちゃんのお母さんは、九州出身だ。
ボランティアをしているお友達が竹田市にいるそうで、タオルを送ってほしいということだった。
タオル? あるよ。いっぱい。
サウナ状態の屋根裏へ上がって、探す・・・あったあった。
新品中古のタオルがたくさん出てきた。とりあえず一度洗濯機で洗う、60本。
昔祖父が経営していた会社の挨拶用タオル。役に立つならうれしい。
今日は、Koちゃんと「おおかみと七ひきのこやぎ」をした。
どこで切るか・・・と思っていたのに、なんと最後までTAできてしまい、お母さんのおかげ。
Koちゃん一家は、ファミリーキャンプにいく。楽しんできてね。
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よかった、よくはないけど、ひとまず、ほっとした。九州のUテューターから、無事との知らせ。
気象庁の「今までに経験したことのない大雨」とは、
滝の内側にいるような息苦しさと恐怖を感じる雨だそうだ。
停電して真っ暗なのに、稲光で真っ白な外。
固定電話も携帯も、時々しか通じず、電気も水道も国道も断絶状態、しかもまだ降り続き被災中だ。
状況はテレビでみるよりずっとひどいらしい。
多くの被害が出ている中、Uテューターとラボっ子たちは、避難中の家族もふくめ、ご無事とのこと。
あんな豪雨にふられたら、ここもひとたまりもない。
経験したことのない、とか、想定外とかがしょっちゅう起こるこの国に、
地球的被害をもたらす危険な持ち物は必要なのか。
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今日は、国際交流の参加者とともに、居住地の役場に挨拶に行ってきた。
副町長さんが、懇切ていねいに話を聞いてくださり、激励してくださった。
たくさんのおとな達が関わってくれていることを肝に銘じて、
自主的に考え、公を尊重する行動をしてほしい。
きっとできると信じているよ。うちのパーティの子だからね。
Kiちゃんは、アルバータ州に決まった。我がパーティから二人目のカナダ。
一人目は長男で、2004年マニトバ州だった。
表敬訪問のあと、Kiちゃんとハンドブックをみながら、荷づくりの注意事項など。
だいぶしっかりしてきたと思うので、指示待ちをせず、自分からどんどん動いて欲しい。
あと一週間で荷送りだというのに、まだ用意できていないものがいくつかあるようだ。
雨がひどくなってきた。
夜、ティムをいれようとした夫が叫び声・・・
なにごと?
なんと、ティムのおうちに、山のような○○○が・・・!
「13日の金曜日で仏滅・・・」とつぶやく夫であった。
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九州の皆さん、大丈夫だろうか。ご無事をお祈りしています。
大変な被害のあった住所をみて、びっくりしている。
息を潜めて、無事の連絡を待っている。
毎年、この時期ははらはらする。
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ピー、もうラボ終わったんじゃないの~?
プレイルームのティータイムも終わり、今年国際交流に行くKiちゃんのために
ラボフラッグに寄せ書きをしていたとき、庭の方からティムのピーという声。
思わず、Koちゃんのお母さんが笑い出す。
「なんか、呼んでるみたいですよね」
でかい犬のくせに、ピーという高い音を出す。
散歩や遊んでほしいときに出す声だ。
プレイルームやキディが終わると、帰り際にクッキーがもらえる。
「もう音楽聞こえないから、終わってるってわかるんですね」
ソングバードや、「ちゅうちゅう」の音楽が聞こえなくなり、しばらくたつので
「まだあ?」という催促のようだ。
そういえば、11時をとうに過ぎている。
帰り際、Koちゃんがティムにクッキーを二つやってくれた。
昼食に、昨日の残りのサラダをサンドイッチにしたのと、
圧力鍋で茹でた手羽先を食べていると、
ティムがデッキに来て、見ている。にこっ
手羽先のにおいだな。うしっ
さっきまでどこか避暑地に行っていたのに。
パンの耳と鳥の骨をもらうと、また避暑地へ。げんきんな奴だの。
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暑かったり、肌寒かったりと、忙しい?毎日・・・夫と三男が遭遇したクロアゲハ。
きれいでしょ?
カラスアゲハというのも来る。それは、黒に群青色の羽。
もう少し前は、モンシロチョウだった。お昼寝中のティムの鼻先に止まっていた。
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地区研でのライブラリータイムに「既刊ライブラリーのレポートをする」順番が回ってきて、
以下のようなことを考えたなかから、抜粋して話した。
おおかみと七匹のこやぎ・・・
グリムは世界中のいろいろな神話や昔話、当時の社会情勢とも関連していて、
その元になった精神世界を考えるとおもしろい。
たとえば、オオカミが子山羊を飲み込む、ピープが救い出すというところは、
ギリシャ神話のクロノス(ガイア・ウラノスの息子でタイタン)が
父を殺したように自分も我が子に殺されるという予言をおそれて、
生まれた我が子を次々に飲み込んでしまうのだが、
最後に生まれたゼウスを母のレアが隠し、代わりに石を飲み込ませ、
後にゼウスがクロノスを倒して兄弟たちを助け、そこからタイタンとの戦いになる。
(クロノスの睾丸を切り、そこからほとばしった精液が天の川になった、
それを浴びたレアが妊娠したという生々しさ)
母ヤギについて、
子どもの成長を願う一方、失うのを恐れて、
過保護にする(腹に戻す)という母親の飲み込む性も連想し、オオカミとの同一性を思う。
母親はこやぎたちを留守番させるという試練を与えながら、オオカミになって様子を見に来てしまう。
おおかみ対策をあんなに言い聞かせておいたのに、やっぱり、だめね、あんたたち・・・
こやぎたちは、母親なら簡単に見つけてしまうような日常生活の道具の中にかくれ、
見つかってしまうでしょう。
彼らは、過去(生まれる前)に戻される。
ピープだけは、時計に隠れたので、未来と繋がっている。
けれども、時の中に囚われて、自分からは声が出せない・・つまり仮死状態ですよね。
それを打破するのが、三時。
厳密に三時というわけでなく、お茶の時間とか、ごはんだよとか、
ガンピーさんの「そろそろお茶の時間だから」のように、
膠着した物事がふっと切り替わる力をもったことばですよね。
ちっとも言うことを聞かない子ども(ラボっ子)に腹を立てながら、
ときどきなにか素晴らしい成長を見せてくれたりすると、
テューター冥利に尽きるなどと思い、
そんな一喜一憂も、私たちはしょっちゅう経験しているけど、
ピープが生き残ったことで、「すこし元気が出て」オオカミを探しにいく。
子どもの頃、布を切るはさみの切れ味にうっとりしたことがある。
そんな気持ちを見透かされ、「それで紙を切ったらダメだよ、絶対に!」と祖母に戒められたものだ。
だれでもそんな思い出を持っていることだろう。
切れ味のよい刃物で切って、上手く縫ってしまえば、切られたこともわからない。
そもそも、この物語では、子山羊も飲み込まれただけでするっと再生するし、
(また生まれるってことだよね)
(だから逃げまどうときラボっ子たちはあんなに嬉々としている)
オオカミも死んだと言っても、井戸に落ちたのだから、またどこかの地下の道を通って地上に現れるかも、
という連綿とした繰り返しを感じさせる。
「繰り返し」という原則があるならば、子山羊たちの7匹も、七曜とか、繰り返されるもので、
月、火、水・・・といって、ピープは、日曜。
また、懲りる・懲りぬ・懲りろ・グレる・グレぬ・グレろ・・・
わんぱく小学生やわからんちん中高生につきあっている私たちがやりたくなる「下二段活用」でしょう?
谷川さんのあそびですね。
このライブラリーがでたのは、高2のころで、シニア対応していたサマーキャンプのテーマでした。
当時は、キャンプのテーマは「かえるときんのまり」シリーズということで、
4つの中のどの物語にするかは、ロッジのメンバーを見て
相談したり、シニアの導入で決めていました。
2班対応するうち、シニアのペアも変わるし、どんなラボっ子がどんな意見を持ってくるかで、
テーマが何になるかは、「生もの」だった。
キャンプ直前のシニア合宿で、谷川さんより新刊ライブラリーの「講話」を拝聴した。
それは、内容がとてつもなく深いのだが、自分たちの活動が芸術となりうる感動も覚えた。
「おおかみと七匹のこやぎ」の谷川講話を、
みなさんにシェアすることができれば、とても有意義だと思う。
さて、キャンプに入ってみると、私は一人で、ラボっ子でないロッジの対応になりました。
S学校という山の中の学校が、夏休みで生徒を家に帰す途中、ラボランドにやってきて、
「ラボを体験する」というもので、二ロッジに分かれて入りました。先生も二人ずつ。
その生徒たちは、自閉症や登校拒否、心に傷を受けている子、障碍を持っている子、潔癖症や、
とにかくいろいろな問題を抱えて、普通の学校に行けないでいる子たちだった。
ほとんどが男の子で、一ロッジ中、女の子は、4人でした。汚物もそこら辺に放り出して。
潔癖性で皮がむけるほど洗う子、何ヶ月もお風呂に入っていない子、
お互いに嫌っているか、無視しているか、感心がないか・・・
もちろん、ラボも知らないし、無表情だ。
そういう子たちが、なんで突然こんなところに連れてこられたんだろうと思っているわけで、
どうやってロッジ活動をしたらいいのか、途方にくれたが、
ラボをやってほしい、というそれだけを頼りに全力でSB,テーマ活動、キャンプソング、
いわゆる、ラボキャンプをやったわけだ。
(話が、ライブラリーから逸れているのをお許し下さい)
なにかとっかかりを見つけては、感性と、直勘の働くままに全力投球していた。
この時のテーマ活動は、「こやぎ」を選んだ。
無表情な子たちの感情を呼び覚ますには、どの物語もこの子たちに合わないような気がして、
毎回、母やぎが悲しむシーンをほんとうに泣きそうな気持ちでやった。
もう、ひとりだけ、バカみたいでした。それを黙々と・・。
ところが、だんだん、ひとりふたり・・テーマ活動に入ってきたのだ。
三日目の夜のロッジ交流会では、ラボっ子ロッジと発表し合ったが、
その時は全員がテーマ活動をしていた。
ピープを見つけた母ヤギのように、私もすこし元気が出て、
何ヶ月もお風呂に入っていない女の子たちを連れてお風呂に入り、
「女の子はきれいにしないとね」と言いながら、ひとりひとりごしごし洗ってやった。
女の子たちは無表情で黙って洗われていた。
(この子たちは、「いやだ」ということを言わないのだ)
だから私の自分勝手と自己満足かも知れないと思いながら。
4日目の朝、キャンパーたちが、しずかに泣いていた。
ひとり、またひとり、涙をこぼしているのだ。女の子たちも無表情の顔に涙が流れていた。
感想文には、「感動した」という言葉と共に、たくさんの感想が書かれていた。
先生方が、「驚いたよ。この子たちが感動したり、涙を流すことなど、ありえないのだ。
僕たちはそのために何ヶ月も費やしているのに、君はそれを4日でやったんだよ」とおっしゃった。
そのとき、いい気持ちになった一人の子がやり出したのが、
「にんじん・だいこん・かぼちゃ」。(だから元祖だよ?)
ホームステイは、私は高1で行ったので、その前の何年間か、かなりの聞き込み量があった。
すがたり、という時代ではなかったが、そらんじる・・・・物語が片手くらいあったと思いう。
オリエンテーション合宿のときにパジェント(野外劇)を見た。モルモン教の宗教劇だった。
私たちのラボっ子がホワイトホースシアターを見たときのように、細かい点にはとらわれず、
だいたいわかった、という感じだった。
ホストファミリーが何を言っているか、よくわからなかったはじめの頃、
ホストマザーに、このパジェントはじめ、いろいろなことを自分がちゃんと理解できているか
質問攻めにして確認したら、
「よくわかっているわ」ということだった。
また、それ以後、マムの英語はすべてわかるようになった。
ステイ中、「イエス・ノーをはっきりと」と言われるが、それだけではなんだか情けなくて、
なんとか会話が続くよう、イエス(ノー)のあとに続ける言葉や、
自分から言い出す言葉を心がけていた。
そのときの状況や精神状態にぴったりくるシチュエーションの物語のシーンを思い出し、
言葉を引っ張り出していた。
たろうからワフ、くるりんぼうずやたぬき、ピーターパンやトムソーヤなど、
当時出ていた全ての物語から、引っ張り出していた。
それを聞いた他のラボっ子が、思わず笑ったり、
アメリカ人たちが何がおもしろいのかと尋ねてきたり、
会話を逸脱してセリフやナレーションを何人かで続けたり、発展させたり・・・
それ自体も楽しかったが、そのうちに、引っ張り出さなくても、自然に出てくるようになった。
自分の中で複数のラボ機が回っていて、どのチャンネルでも瞬時にあわせられるような、そんな感じ。
気がつくと、独り言も英語で言っているし、
とつとつと単語を並べるのではなくて、あふれるように、
ある言葉を言ったら自然とそれに続く前置詞などがくっついてくる、
その前置詞に繋がる言葉が発音までリエゾンして出てくる、といった具合だ。
マムは、私のことを「そこらのアメリカ人の子よりよっぽど高度な英語を話す」と言ってくれ、
それほど親身に思っていてくれていたのかとうれしかったのだが、
私が「理解する瞬間」を大変楽しみにしていたそうだ。
じっと聞いていて、わかったとたん顔がぱっと明るくなるのだそうだ。
「あなたの顔が明るくなると、ああ、理解しているんだと思って、嬉しくなる」と言っていたが、
その時の言葉が、bright とdelight と言っていたと思うが、
韻を踏んでるな!と思ったものだ。
会話に使うだけでなく、ライブラリーの英語になれていたので、
倒置法、仮定法、長文・・いろいろな場面での説明などもよく理解できたように思います。
ライブラリーの英語、日本語、音楽、テーマ活動にしたときの仲間との思い出、
テープを聴いているときに寒かったとか、そんなことまでバックグラウンドになっている。
おおかみと七匹のこやぎといえば、谷川さんの話と、あのキャンプ・・・
ことばに濃い体験がくっついている。
そういえば、この間の金環食のとき、部屋が暗いので、突然、私の頭の中に鐘がなってきた。
ジャックと豆の木の音楽だった。
豆をなげすてた翌朝、部屋を覆い隠すように豆のつるが伸び、
部屋が薄暗くて一箇所だけ日の光が差しているというシーンの音楽だ。
こういうことは、私のひそかな楽しみである。
大人になって、話をするようなときも、ある共通の精神状態を相手に持ってもらうために、
Imagine, we are in Germany・・・ というような事をします。
Imagine, we are having a student who has a problem with ....
また、プロメテウスといえば、禁断の火を手に入れ、その成果が後世に問われるというような前提をもて、
まさに今の状況にぴったりの会話の土台となる。
イソップの話をだせば、こうあるべきなのに失敗する、という人生譚が下敷きになって会話が進む。
そうすれば、状況をいちからながながしゃべるより、相手が共感してくれるのだ。
共感しやすいたとえ話を探すのも、物語や世情を知っていないと、ですね。
アメリカの学校や幼稚園でも、出来事や指標を物語になぞらえて理解することもよくあった。
それで先生方とすぐに共感しあえ、よく手伝わせてくれた。
使った物語? やはりギリシャ神話、イソップ、聖書、フェアリーテールズ、シェイクスピア、
アメリカン・トールテール、トム・ソーヤなどのクラシック作品、
コルデコット賞やニューベリー賞の作品、話題作(映画含む)
気をつけたのは、ディズニー作品だった。
原作とストーリーが異なるし、あまりに有名で、そもそも私の意図しない方へ行ってしまう。
もっとも、そのうち、私がフェアリーテールズの原作に詳しいということが先生方に分かり、
先生方とディズニーの功罪を話したりした。
さて、こんなふうに、ラボライブラリーを活用?した私だが、
この分野が暗いな・・・と思わされたことがある。
それが自然科学だった。
物語はよく知っていても、幼児の使う昆虫用語さえしらない・・・
コンピューターや難しい科学用語というのではなくて、
子どもたちが嬉々として話したり、調べたり、扱ったりしているのに。
たとえば、ソーラーシステムという英語、何の意味だと思いますか?
太陽発電装置? いえいえ、水金地火木土天海冥・・太陽系そのもののことだ。
アリとキリギリスをやっていて、絵に描くとき、足はどこからでているでしょうか?
頭・胴体・腹の胴体部分から出ていますよね。
そんなことを話しながらアメリカで幼児が絵に描いていて、わ、わたしゃ・・・あせりました。
言葉を知らないだけでなく、他の分野への暗愚な自分。
アメリカで、ファンタジーの話をいつまでもしていることは、夢想家、はては危険人物扱いで、
おどろいた経験もある。
わくわくするような自然科学のライブラリー、ほしいなあ。
西欧文明を知っていることが言葉やコミュニケーションの役に立っているのだが、
アジアでは?
アジアではやはり、四書五経、漢詩、三国志など、中国文明をわかっていないと、
常識もないということになる。
昔の勉強はそうした書をすべてそらんじること。
世界の哲学が紀元前後の同じ頃に皆生まれたと、谷川さんの言葉にもあった。
ギリシャのソクラテス、イエス、ブッダ、孔子・・・世界の精神文化の源だ。
どうしたらそれをライブラリーに入れられるか、それもずっと思っている。
孔子と弟子の物語がやれたらいいのになあ。
孔子を題材にしたものは、きっと中国語から英語に翻訳されているだろうなあ。
そう思いながら、中島敦の「弟子」(ていし)を読んでいる。
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