|
|
台風の影響で天気が悪く、2泊3日の予定だったパーティ合宿も1泊に急遽変更。2泊でやることを1泊分に詰め込んで全て終わらせてしまい、夏活動報告は別の会場を取って午後そちらへ移動した。近所というのはありがたい。キャンプの必須条件「非日常」は、この悪天候でしっかりクリアされるだろう。
金曜日、2時から3時までの間にキャンプ場に集合。急な予定変更のための連絡などに追われていたため、お昼ご飯もミスしてしまい、時間前にうちへ来た子たちが忘れ物をしたり、別会場を急に取りに行ったりしていたので、例年お昼からもう搬入しているのに今年は2時にやっと搬入。もう、2家族来て、準備を始めていた。キャンプ場のおじさんがビニールシートをかしてくれて、炊事小屋からさらにシートで、仮説テントをはる。これで多少の雨でも活動しやすくなった。バンガローは6棟。アンデス(男子高学年宿泊部屋および活動部屋)ロッキー(男子低学年宿泊部屋)トンチン(食料備品庫)バイカル(本部)ヒマラヤ(活動部屋)ナイル(女子宿泊部屋)という贅沢な使い方。
水星がびょうキン肉マンチームと、ラボチームの2グループに別れてグループ別活動、運動会(ピーナツを運ぶレース、ラグビーボールを棒で転がすレース、あひるのように走るレースそしてウサギ跳びレース)
いよいよ夕食づくり。今年は空き缶でご飯を炊こう。ところがビールの缶が思うほど集まらなかった。フルーツポンチを作れば空き缶がでる。そこで1/4合を一人ずつ自分で炊きたい低学年はビールの缶を2段重ねて炉と釜をつくり、つきっきりで炊いた。他のメンバーは他の空き缶に1合全て入れてしまい、炊事小屋の炉の上に並べていっぺんに炊く。これは火当番に任せる。カレー作りもいそがしいから。ビール缶がまのほうは、なかなか火が燃え続けなかったり、缶が倒れたり、大騒動。他の空き缶のご飯はカレーにかまけているうちに火が強すぎたり、ひっくり返すのを忘れていたりして、おこげになったものも。おこげがいい!と選んだのもいたが、上の方までお焦げのやつは、下の方はもう炭。しかし失敗は成功の元。おおかたはうまくできて、カレーもおいしく、足りないくらい。このやり方だと、カレーの鍋だけでいいので、鍋2つですみ、後が楽だ。いつもはカレー2鍋、ご飯も2,3鍋炊いていたから。炊事小屋の炉は6つあるが、全部使うと熱くて近づけない。
さて、キャンプファイヤー、きもだめし、花火大会など、夜のプログラムをいっぺんにやる。キャンプファイヤーは盛り上がり方が足りず、?? きもだめしは、今年もバナナやリンゴをお墓にお供えしてくるだけだが、これがこわい。真っ暗。懐中電灯なし。今年は一人ずつ、と言ったのに、ラボっ子たちが泣きそうになって頼むので、ペアで行くことになった。それでも墓石まで近づけずバナナをお墓の入り口に置いて来ちゃったペアも。怖い気持ちは花火で解消。それからちょうどいい状態になったキャンプファイヤーの熾きでマシュマロを焼く。一日目のプログラムはこれでおしまい。
子どもたちにとっては、ここからがお楽しみ。キャンプファイヤーのあとの、火遊びが、男子の最大の喜びなのだ。キャンプ場を走り回って、手当たり次第、燃えるものを火にくべる。これでいつも合宿の燃やせるゴミはスケジュール表からバンガローの表札まですべてなくなる。それから、夜更かし。毎年毎年、一日目の夜は寝られない。今年はなんと、夜中の3時に「待ち合わせ」していたとかで、2時に強制的に解散させられるまで大騒ぎだった。山の中のキャンプ場、悪天候もあり、誰も来ない。どんなに騒いでも、迷惑にならないから、悪びれもせずいつまででもやっているのだ。バンガローの中で密かに夜更かししているくらいなら、合宿だから多少大目に見るが、バンガローを出て走り回って騒いでいるのでは雷を落とさざるをえない。
翌朝6時半に起こす。殆ど寝ていないらしい。昨夜牛小屋に行って予めもらってきておいた牛乳で、シリアルを食べる。うちの冷蔵庫に入れておいたのを朝取ってきた。それから搾乳を見せてもらいに行く。搾乳したてのものは生ぬるくてすぐ分離してしまい飲めないんだって。搾乳は器具でやるのだが、牛乳が管を通って流れていくのを見ているのでも飽きないらしく、ちっとも帰ってこない。私が77年にユタにステイしていたときは毎週こういう牛乳を牧場にもらいに(買いに)行っていた。今は法律がかわり、できなくなったのだそうだ。
グループ別活動で、カレンダーの絵を描く。なかなか調子がでない。「夜更かししてダラダラするのは許さん!」といったら、「先生だって起きてたよね。」という陰口が聞こえた!誰のせいでだと思うのか? それからバター作り。そのあいだに、夫がご飯を炊き、ジャガイモをゆでている。炊きあがったご飯をみんなでおにぎりにし、ゆでじゃがに作りたてのバターを付け、これがお昼ご飯。お母さんたちが、片づけの手伝いにやってきた。
午後は別会場に移って、「夏活動報告会」 ここにお母さんたち、プレイルームさんも合流。キャンプ、高松次郎展、ノルウエー留学から帰国したY子の報告、そしてアメリカ、カナダのホームステイ報告。ラボっ子たちへのおみやげは、あらかじめジップロックに入れて名前が書いてある。たくさん買ってきてくれたキャンディー類、ペニー、シールなど。リコリススティックもガミーワームもある。みんな、「うぎゃあ~」と言っている。会場から出たとき、どしゃぶりだった。「変更して正解だったね」とは、3年生の三男の言葉。
帰宅して、鍋洗い三昧。頭は働かず、身体もくたくただが、今日やってしまわねば、一生出来ないかも、と思って単調に磨き続ける。こんな時は夕食はステーキ、といいたかったが、息子どもはそれぞれにくたばっており、プログラム変更で鬼のように余ったそうめんを、うどんのようにしてたべる。10月半ばの気温。来年は、朝からやって、一泊にしようかな。毎年会社を休んで対応してくれる夫に感謝。
|
|
|
|
|
8月2週目くらいにウイルスにかかってから、3週間近く。毎日10通以上の赤字の「読めません」メールが来ていた。ウイルスチェックをし、マックは大丈夫と言い続ける夫。じゃあ、一体これは何なの? 夫は、うちのPCじゃなくてどこか他のPCがウイルスにかかっているなどと言う。
毎日メールチェックし、削除する。ほとほといやになる。それでも、何もしないまま毎日が過ぎた。おや、と思ったのは先週の日曜日。一通も来なかったのだ。「日曜日はだめよ」かな。日曜日お休みの所がやっているのか? 月曜日はまた復活。しかしそれ以後、いままでよりは数が減った気がする。うん、減ってきた。そして、26日(金)は日中にチェックしたとき3通で、夜にもう一度チェックしたときは何もなかった。
それと平行して気がついたことがある。ラボのひろばが暇なとき、数が少ない、ような気がする。今はみんな、合宿などで忙しくてひろばに手が回らない。どうも、ラボのひろば関連のウイルスか??考え過ぎかな。フリーメールとかいって、いらないメールがたくさん来るようになり、片っ端から断ってきた。それとも関係があるのか。
私の所に来た不可解メールのアドレスを見ると、おかしなものがある。ioreoresagi@なんとかとか。そのアドレスも実在しないものか、変えられていると、夫は言う。だがlabo-kanagawa@何とかとか、何じゃこりゃ?と思うものがあった。明日はもう、来ないといいな。もうこれで「なおる」といいな。こんなふうに成り行き任せでいいのか、不安だけど。
|
|
|
|
|
24日は午前中来年の国際交流参加予定者の親子面談、午後にパーティ合宿準備会だった。合宿は家の近所のキャンプ場で、パーティだけで、という気安さから、まるで準備がなっておらず、昨夜おおわらわで下準備。参加費はいくらだっけ?参加者は? 警備上の理由から2泊3日間他の方を閉め出して6棟のバンガローと炊事場、全て貸し切りにする。人数の少ない我がパーティではバンガローにも余裕たっぷり、よそのパーティから参加したい方は大歓迎。参加費は2泊3日で2000円と、食べ物です。
準備会では、3年生以上高校生まで2グループにわかれ、私の下準備しておいた大枠にしたがって、わいわいがやがや、楽しそうに事を進めていく。グループの名前、運動会の種目、食事の献立、係、プログラムなど、だんだんに決まっていく。私は時々、後何分で決めて!とか、おやつで釣ったりして、そして全体会で調整。調整の結果、一日目の夕食は両グループともカレーに空き缶のご飯。一方がデザート、もう一方がサラダ担当。朝食は各自2日分のシリアル持参。2日目の昼食は一方がたらいソーメン、もう一方がおにぎりだって。シェアしあうことに。おやつは茹でたジャガイモにCome butter, come で作ったバター。スイカ。2日目の夕食は、親たち登場でファミリーバーベキュー。子どもたちはごちそうになるだけ。一日目の運動会の種目も4から5種目決まり、ルールの調整。係りの決定(蚊取り線香係りの香取君とか時間を把握する時計係など) 全体の持ち物の調整の後、もう一度グループごとに誰が何を持ち寄るかの話し合いと持ち物表作り、休んでいる子の分も書く。合宿中も準備も、人数が少ないのに2グループ対抗なので、どの子もあそんでいられない。
お母さんたちがやってきて、更に持ち物、準備の調整をする。子どもたちは薪グループ(大工さんの所へ行って木っ端をもらう)牧場グループ(近所の牧場にいって、朝牛乳をもらえるか交渉)ブルーベリーグループ(ブルーベリーを摘んで今日のおやつにする)の3つに別れて出かけていった。大工さんは留守。牧場は採乳が朝4時と9時なので、その時容器を持って買いに行くことになった。1リットル200円、殺菌する前の牛乳なので、「スーパーで買った方が安いよ」と言われたらしいが、合宿なのでこういう経験の方がおもしろいから、と頼んできたそうだ。ブルーベリー摘みは、蚊に刺されながら、3つのボウルにいっぱい摘んだのに、帰る途中で転んで一つはからになってしまったとか。草原に紛れて拾えなかったらしい。そんなこんなで、準備しているのも楽しいのだ。
今年は昨日帰ってきたばかりの2人の帰国報告会もいれる。おかしなお菓子も買ってきてくれた。合宿は27,28,29の金土日です。ここも東京ですよ、念のため。
|
|
|
|
|
息子どもが帰ってきた!! ワシントングループに続いて、マニトバグループが、東京駅に到着。北米時間でいえば、もう朝だ。ねむそーな次男。スカスカのキャリーオンから、CDが出てきた。頼んでおいたGeorge Strait(カントリーの大スター)、彼の好きなBrooks and Dunn(カントリー)それから、ホストの兄ちゃんにすすめられたというNew Found Glory(ロック)だ。ブルックス・アンド・ダンのCDケースは、末っ子のモンタナに踏まれたとかでしっかり割れてしまっている。どこにでもある話だ!!
ジョージ・ストレイトは、私の大好きなアーチスト。一番新しいアルバムか、2001年以降のもの、と頼んでおいたのに、なかったとかで(?)94年のと98年のアルバムを買ってきた。私の持っているグレイテスト・ヒッツにもあるじゃないか。ところが、聞いてみたら、アメリカに住んでいたときによくラジオなどで聞いていた「ああ!これ!」というような歌が歌詞カードつきで!(グレイテスト・ヒッツは、歌詞カードはついていない)うわあ、やったあ!ジョージ・ストレイトさまだあ。なんというか、アメリカンライフを彷彿とさせる歌で、またすごーくすばらしい歌声。来世はカウボーイと結婚したい(?)私の思いが、息子と一緒にStrait Home!(Straight と、同音異義語で、George Strait の正調さを表すことばとしてもしばしば使われる)
マニトバグループとして到着した長男は、私となかなか目を会わさない。でも、私は決めていたのだ。帰ってきたら向こうの習慣が抜けないうちに、ハグしようと。17才の大男の息子をハグするチャンスはなかなかない。思い切ってやってみたら、思いがけず向こうからもしっかりと抱きしめてくれた。そのあとは、なかなか友達と別れがたく、長く座って帰るために、充分余裕があったはずの19:54の「通勤快速青梅行き」に走って飛び乗ることになってしまった。長男はカナダ出身のこれまたカントリー歌手、Shania Twain を買ってきてくれた。これは夫のfavorite 。
ホームステイを終えて帰ってきた息子たちの感想を聞くには、まだ、疲れすぎているようで、何を聞いてもはっきりせず、三男がいちいちまたはりきって通訳するのがなんとも。次男はコーディネイターのキャロルに「My grand son 」と言われてかわいがられ(キャロルは私のコーディネイター仲間)私へのプレゼントを託されたそうだ。彼の英語力が役に立ったとも聞いている。寝ずに作った名刺(パーティのお母さんたちが持たせてくれたコースターにつけて配るはず)がごっそり残っているのには、がっかり。
長男はなんと髪の毛を赤く染め、ピアスまで開けちゃってる!フィリピーノで黒髪のはずのホストはキンキンだったもんなあ。しっかり染まってきたか。明日以降の話が待ち遠しい。
|
|
|
|
|
いよいよ明日は息子どもが帰国する。ホストマザーからはそれぞれ、いいステイだった旨メールが来ている。次男の匠のホストファミリー、マグナス家の情報がアップデイトされてきた。匠はオレゴン州のオカノウガンというカナダに近いところにステイしていたので、家族でカナダに行ったらしい。お母さんがパスポートを山のようにして国境警備員に渡し、警備員は車の中を見て男の子がいっぱい乗っているのに驚いたとか。マグナス家はこのあと日本から来た青年をホストするらしい。ごくろうさま。
長男のふひとは、最後の夜をホストや友人たちとにぎやかに過ごしたらしい。ジョークやふひとの手品などで盛り上がったとある。両家とも息子たちの帰国を寂しがってくれている。ありがたいことだ。
さて、私の方は、あの二人が帰ってくるということで、ストレス倍増。アンタッチャブルの彼らのテリトリーを、掃除する、布団を干す、うわーっっっ、ごみだらけ。靴下がいっぱい。買っただけで着ずに退部したバレーボール部のユニフォーム! 見たくなくて見ないようにしていたけれど、帰国すれば彼らには厳しい現実が待っている。すぐそれに取りかかってもらわないとならないので、狭い家を少しでも広くしておかないと、というわけだ。三男の舜はよく手伝ってくれたので、二人だけで焼き肉を食べに行った。家族全員では行かれない場所だ。私の夏もおわり。
|
|
|
|
|
まいった。長男がステイ中のカナダのホストファミリーからメールで何か送ってきた。しかし開けることが出来ないので、その旨メールで伝えたところ、「何も送った覚えはない。よくウイルスに感染するので、また感染したかも知れない。開けないように。」とのこと。
もう、感染してしまったらしい。私が送った覚えのない、メールリストにもないところへ送りまくっているらしい。しかも、送信リストにも載らないから、どこへ迷惑をかけているのかわからない。ただ、「送れませんでした」とか、「このメールは開けられませんでした」とかのまっかっかなレポートが毎日鬼のように来る。
夫がウイルス除去を試みたが、変わりなし。マッキントッシュには感染しないはずでは?インストールしなおしたり、大騒動だが、進展しない。困った。もう、秋に向かって始動しなければならないというのに。それに、一体どれくらい人に迷惑をかけているのだろう。
もし、私から、メッセージなしのドキュメントが送られてきたら、絶対開けないでください。迷惑をかけてしまった方、もしいらしたら、ごめんなさい。そして、どうしたらいいか、教えてくださるとありがたいのです。よろしくお願いします。
|
|
|
|
|
黒姫2班トンチン2でご一緒だったばあちゃんから、キャンプ中の写真CDが届いた!ばあちゃんは、中部柴田Pの4才のラボっ子(なっとう)の付き添いでみえたおばあちゃん。それがもう、す、すばらしいいいいいっ! どっしりとしたゴッドばあちゃんで、みんなの人気者。ロッジのために大車輪で働き、全員に木で細工した「えんぴつ」をつくってくれた。小さなラボっ子たちにとっては、お風呂、就寝など、生活全般に渡ってお世話になり、大きなラボっ子たちもばあちゃん、ばあちゃん、となつき、毎朝の布団かたづけや食事の支度などあらゆるところで一緒に。孫のなっとうも、その愛くるしい性格と一生懸命の関わり方で皆にとけこみ、トンチン2は、この二人の業績大!というところ。シニアもずいぶん助けてもらったし、私たちテューターは、ほんとにばーちゃんさまさま。ちょっと楽しすぎ?と反省するほどです。ばあちゃんといっても、まだお若くて、わたしたちよりちょっとうえ?くらい。体力気力は有り余り、生活上の技術というか、サバイバル技術に長けていて(実際すごい)キャンプのリーダーにしたいくらい。うちのパーティの合宿は、快適な黒姫に較べ、サバイバル合宿をうたっているので、こういう方にきてもらいたい!お近くだったらいいのに! と、切に思うほどです。
ご自分のご子息たちをラボで育て上げ、今また同じパーティにお孫さんをいれて、キャンプの付き添いでラボランドにも通う。元気で前向きでいるとそういう素晴らしい人生がまっているのか!うーん、すばらしい!
|
|
|
|
|
フォークラマの日本パビリオンのキッチンでボランティア。アスベルさんのHPでやっと長男の消息がわかった。長男からは何の音沙汰もない。
私もカリフォルニアのモーガンヒルで、日系人の「はるまつり」などを手伝ったことがある。山のような照り焼きチキン弁当を流れ作業で作っていった。早朝から何時間もずっとパセリを入れる係りだったり。異国の地での日系人社会というのは、その姿、文化とも凝縮されていてとても興味深いものがある。苦労した一世、苦渋の選択を余儀なくされた2世、祖父母と言語的に隔絶した3世。そして今は4世、日本は全くの外国である。しかし、何と維持されていることか、日本文化。もしかして現代に暮らす私たちよりずっと大事にしているかも、と思うくらい。だが、ことばとなると難しいらしい。教えるのは年老いた一世か二世。そのことば使いはしばしば方言であったり、家庭内での会話に限られていたり、何を言っているのか判別が難しいほどだとか。親たちの世代が苦労している分だけまた反抗もあり、若いときの日本語の伝授がむずかしいらしい。そうしたわだかまりを乗り越えた年代になってやっと、「覚えようかな」と思っても、おそかったり、その子どもはさらに離れてしまっていたり。秋から私に日本語の先生をやってほしいと言われていた矢先、帰国になってしまった。
日本でそこら辺にいっぱいいるような風貌のおばさんが、英語ぺらぺらというのは、ちょっとカルチャーショックを感じるところ。えんぴつのようにやせた甚平が似合いそうなおじいさんが、「アナタ、ナニドシ?」という西暦から干支に計算する仕方を片言の日本語で教え歩いていたり、ははー、恐れ入ります。この人たちから私たちはどううつるのだろうか。
ラボっ子を受け入れてくれた日系3世(親)4世(ホスト)のホストファミリーがいた。3世のおかあさんは、「自分の親の話をもっとちゃんと聞いてあげればよかったと今になって考えさせられた体験だった!」子ども同士の交流だと思っていたところからお母さん自身の自分探しの旅が始まったのだ。
史はどう感じているのだろうか。責任者に話をつけ、ラボの展示をさせてもらえるようにしたというから、交流の役に立つようなことをしてくれているのかな。パーティのお母さんたちからたくさん持たされたコースターには、名刺(裏にこの交流に興味を持った人が連絡してくれるようコーディネイターの連絡先を書いた)をつけて出会った人に渡すようにたくしてある。交流が交流を生み、組織を育てていってくれることを期待している。
|
|
|
|
|
ラボっ子たちを連れて、再び「高松次郎展」へ行ってきた。中1小6小5が一人ずつと、小3が4人、プレイルームの1歳児とお母さんと私の計10人。駅まで子どもたちを車で拾いながら行き、JRで武蔵小金井へ。そこから府中駅行きのバス(チビッコキャンペーン中で子どもは50円)で一本木でおりる。おもしろいというか、へんてこなものがいっぱいあるよ。なんじゃこりゃ、って何回思うかな。絵だけじゃなくて物体もあるよ。ピーターパン、トムソーヤ、国生みの絵を描いた人だよ。それからね、この高松さんとお友達がアリババシリーズの絵を描いているんだけど、みんな変わった絵だよね。どれが高松さんの絵か、家に帰ったら当ててみてね。さあ、中に入ろう。走ったり、騒いだり、さわったりしないでね。11時半に入り口に再集合。気に入った絵を、みんなに紙に描いてもらうからようく見てきてね。チケット売り場の外にある影の応接室にまず驚く。
皆緊張して入場。のっけから「へんてこなもの」が!でもようく見てごらん。高松さんはめちゃめちゃに適当に描いたんじゃないんだよ。細かいところまでよく考えて、計算して描いたものなんだよ。そこがびっくりなんだよね。
会場の係りの方が、「この作品をこちら側と、45度角度を変えたそちら側から見てご覧」と教えてくださる。とたんに歓声が上がる。ぐにゃぐにゃしていた波のような棒が、角度を変えるとまっすぐな四角柱にみえるのだ。どうも、このへんてこはおもしろいらしいぞ。順におもしろがってみていく。おもしろさを発見すると、友達に教えあっている。その会話もきいていておもしろい。芸術的センスのあるSが、友達のA に「スゴイよね」と言っている。A は、あいずちをうって、「ほんとすごい」と言っているが、たぶん考えていることは違うと思う。
ピーターパンの絵の時代、何じゃこりゃの連発。国生みの絵の時代。全部定規とコンパスで空間を描くことが出来るんだよ。そして最後の形の時代。さあ、自分の気に入ったものはあったかな。じゃあ、そこの前に行ってしばらくじーーーーーっとながめていてごらん。違ってみえるかも知れないし、目に刻みつけてきてね。
見終わった子たちからロビーにもどり、紙に印象に残った作品を描く。感想を書いてくれた子もいる。
S(小5)・・・「点」「形」とってもきれいな色できれいだった。もようは同じだったけれど色は違った。
A (小6)・・・「立体」最初は何かわからなかったけど、よくみたら立体にみえてすごかった。(よく見たね。私にはいまいちみえませんでした)「形」ふしぎだけどきれいな絵だった。
T(中1)・・・「遠近法」「点」
T(小3)・・・「波」高松次郎展を見て、いろんなところがふしぎだった。Tは、自分自身のふしぎな絵も描いてくれた。
S(小3)・・・「波」かんそう、すごかった。マーブリングのような不思議な絵が裏に。うみの中らしい。タツノオトシゴがいるのだそうだ。
S(小3)・・・「波」 三角と四角を組み合わせたような自分で描いた絵が裏に。
Ts(小3)・・「波」「形」 円と三角を組み合わせたような絵を裏に描いた。感想・はじめてみた物がほとんどだった。Tsとは、「冬の絨毯にするならこの絵」「夏のシーツにしたら気持ちいいのはこの絵」「怖い感じの絵」「寂しい感じの絵」「うれしい感じの絵」などの問答をした。
美術館の外で弁当を食べ、少し遊んでから帰る。1歳児を連れているお母さんの荷物を持ったり、皆で協力しながら。ラボは贅沢な遊びだ。
|
|
|
|
|
WA にホームステイ中の次男の消息。本人からは手紙はおろか、メール一つない。ホストマザーのメールではよく食べよく遊びしているらしい。と、突然、財団から電話。医者に連れていってもいいか、という。? 何だ、行く前からあった、足のタコじゃないか。「タコじゃなくて、イボじゃないかといってます。医者に連れて行くことに同意しますか。」
もう何でも結構です。必要だと思うなら医者でも何でも。タコだろうがイボだろうが。たいしたことはない。家にいるときスピール液というのを塗っていたのだ。「あ、持ってくるの忘れた」でもね、あの薬は独特のにおいが強い。異臭騒ぎにでもなったら大変、忘れた方がよかった。こんなの大したことない。アメリカへ行ったらお母さんに見せなさい。向こうも男の子3人育てている人なんだから、タコなんて見りゃわかる。メールでもタコができているから、「見せなさい」と言ってくれと頼んでおいたものだ。
さて、早速メールでご面倒をおかけしました、と送った。すると、「実は行ってないのよ」と返事が来た。あんまり汚くて、黒い中心があるようにみえたのでステートコーディネイターに相談したりしたが、きれいになってみると、こりゃウオノメだわ、という。
「どうする?医者に連れてく?それとも薬局で薬のついたパッチでも買ってはっとく?」
どこにでも似たようなものが売っているのです。それで充分。
「それから靴下だけど・・・」 財団から、靴下がなくて裸足で靴を履いているのがよくないんじゃないかと言ってます、と聞いていたので、靴下は充分数あるはず。スーツケースの中を見てとメールしておいた。「汚いのが洗濯かごの中に3足ときれいなのもいくつかスーツケースの中に見つけたわ!!」おそれいります。次元の低い奴です。
「Takumi はうちの子と同じくらい、だらしないわよ。部屋が汚くて何回注意したことか。でも今日は怒った顔をしているのが大変だったのよ」何度も何度も注意し、「掃除はしたの!」と聞いたら、二人とも「した」という。「一体これがきれいなの!?」と言ったら、Takumi が「It's 80 % clean.」と言ったのだそうだ。
もう、匠はどこへ行っても匠。お母さんからのメール、悪いけどげらげら笑っちゃった。私が優雅な夏を過ごしている分、あちらでは大変なのね。日記を書くように指導して欲しいとそれだけお願いしてあったのだが「うちの子と同じで、書くのが苦手なのよ。この辺でメールを止めて、ちゃんと書いてるかどうか見張りに行ってくるわ」ということでお母さんからのメールは結ばれていた。ああ、もう、これぞまさしく私の日常生活ではないか!
ごめんなさい。あちらでは4人の男の子持ちになっちゃった。でも、すごくいい子でかわいいとも言ってくれた。食事を作り、アルバムを見せ、すがたりもやったらしい。終えてほっとしているようだ、とのこと。(ぎゃはは) 大した記憶作業とほめてもらった。
|
|
|