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毎年2月にNRリサイタルを行う。一月の新年会以来、日本の百人一首に親しみ、今度は英語の詩歌というわけだ。これは毎年恒例のパーティ行事。「そうだっけ?」なんていう子もいるけどね。
新年会の次のラボの日、私のNR絵本のコレクションの一部を使って、各自今年のNRを選び出す。「先生これは?」ともってくるNRの一つひとつに対し、ほとんどは私がジュークボックスのように歌ったり唱えたりして、「やっぱいい」などと言われながら、一日がかりで決めていく。高学年はかなり自分で見当をつけている。一人五曲。ひとつはクラス共通。ひとつはソロになるように調整する。あとはクラス内外でだぶったりしながら、決まっていく。6年生は「早口ことば」に挑戦すること、中学生以上は英詩を入れること、が決まり。もちろんやりたい人はどうぞ。
曲目が決まったら、一覧表に作る。NR1のNRの若い番号順、英詩NR1,2、NR2のNRの若い番号順、つづいてすがたり。すがたりは、今年国際交流にいく子の事前活動支援で、秋から機会あるごとに発表させているものの3回目。および高学年テーマ活動発表でナレーションなりセリフなりのあった子のすがたり。
すがたり以外のNR、英詩で「特別CD」版を作る。ラボの度にいちいちCDをあっちこっちしていては不便だからね。一覧表の順番どおりにCDにおとす。これが発表順でもある。今年はNR38曲に英詩5つ、すがたり4人。
最近入ったばかりのラボっ子は、Hey, diddle, diddleからの5曲とだいたい決まっている。そこが入門NR。ラボっ子たちは、自分のレパートリーのタイトルを書いたり、歌詞を書き写したりする。その間に一人ずつ呼んで個人練習。曲目を立派に暗唱するのではなく、毎年かけて、NRに親しみ、人前でスピークアウトする機会を持とうというもの。なぜか「ほかの人の分の方が上手」結局全部やってるのよね。でも全部覚えなさいじゃ、ひいちゃう。5つだけだから、気軽に出来るのよね。初めの年は3つだったかも。
毎年一曲を選んで絵本に作る。ラボ歴の古い3年生たちはどんどん書いていく。ちゃっかり一番短いのを選んでいるけど、いいよいいよ。文字は英語掛け用紙に書いておき、絵本の絵を描いた後で貼り付ける。2年生のYzちゃんは、書き写しがまだまだなので、私が1行ずつ書いたもののすぐ下に書いてもらった。とても上手!貼り付けるのは自分の字の方だ。キディさんたちは、私が書いた字の上をマジックでなぞったものでもオーケー。きれいな絵本ができあがり、その喜びの方が大きい(親子共々)年々しっかり成長してくれますしね。
6年生たちは、真新しい辞書でひき方使い方を教えてもらいながら、今までとはちょっと違う感じで向き合う。先輩たちもよろしくたのむよー。NRリサイタルが終わると、春の地区発表会に向けてテーマ活動に取り組むのです。
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1月20日、CWニコルさんの講演会が行われた。ニコルさんのこれまでのいろいろないきさつをあたたかくユニークな口調でお話しされ、とても楽しかった。20年以上も前のこと、黒姫学童で谷川さんの国生みワークショップが行われ、その時にニコルさんも対応してくださったので、じっくりお話を伺うことができた。住み始めたばかりのわらぶき屋根のお宅に伺って、お茶をごちそうになったり。
私は、ニコルさんの手になる文章がとても好きだった。会場でもワフ家、タヌキなどが言及されていたが、ニコルさんが初めてライブラリーにした仕事は「ブレーメン」だったと昔聞いた。「ちょっとやってみろ」ということでブレーメンの英語を書いてきたニコルさんのブレーメン冒頭の文章を読んだ谷川さんが、何という導入、と絶賛。あのSK3のシリーズは、「ことば」にていねいに向き合って、高学年を迎えつつあったラボの姿勢が本当によく現れていると思うのだ。当時SK3をしっかり発表できるということが、あこがれでもあった。私のパーティの5周年では小学高学年を中心とするクラスが「はだかの王様」を発表したが、SK3のテーマをしっかりスピークアウトする発表という経験を小学生の間に絶対にさせたいと思っていたからだった。
「たぬき」は私のもっとも好きなライブラリーのひとつ。ラボっ子時代、学校やいろいろなことで、なんとなく落ち込んだり、壁にぶつかっていたとき、何とはなしに1話から聞く。たぬはいjきは必ず1話から聞く。そして2話3話と聞いているうちにすっかり元気をとりもどし、4話の犬を投げ飛ばすシーンではもう完全に復活。一緒になって声を出し、アクションまでつけて「これがさっきまで落ち込んで他人げんか」と思う回復ぶり。
「ワフ家」は、新刊で購入したときについてきた「人形」をまだ持っている。ワフ家の思い出は何と言っても複数言語。パーティ全員100人で3週間で発表したスペイン語のワフ家ピクニックの巻きをはじめとし、フランス語韓国語楽しかったよ。ワフの多言語版CDが出ることを願っています。このキャラクターをラボはもっとだいじにするべきでは?ラボっ子と一緒に成長していけるライブラリーになるでしょう。
ドリトル先生の話はあまりでなかったけど、ニコルさん自身も好きな作品のひとつとか。自分になぞらえた登場人物がいるそうですよ。だれでしょうね。
こんな風に、昔聞いた話をこんなにも鮮やかに覚えている自分にも驚きます。今の子どもたちに話をするのはキャベツに話をしてるみたい、とのことでしたが、キャベツにもいい音楽を聴かせて育てる農家のごとく、テューターはがんばっているのですよねえ。
オーロラ、あ・はう・りくも好き。ゴロヒゲシリーズも、珠玉の作品。 ベイブにも出てくる井戸の場面のUp and Downは、イギリスの落語のモチーフだとか。ラボライブラリー以外にも、「コロンとグルガ」や、「勇魚」はすごく好き。たくさんの著作の中にはあまり好きでないのももちろんあります。壮大なテーマもうーんとうならされる。でも、あちこちにいろんな仕掛けのつまったユーモア溢れる文章がとても好きでした。久しぶりに間近にニコルさんをむかえ、なんだか、長いこと不在だったお父さんが帰ってきたような感じ。おかえりなさい。
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重なるときは重なる、という典型のような昨日は、朝から忙しかったー。夫の父の三回忌、中学の授業参観日、地区の高学年活動の合宿、小学校のどんど焼き(私は役員、担当は翌日の片づけだけど)おまけに雪まで! 事前の計画では、夫が長男、三男を連れて三回忌にいき、私と次男が中学、合宿は次男。三男は夕方までに帰宅してどんど焼きに行きたい。ところが朝、あきる野の雪は「すごくなりそう」だったので、結局夫だけが三回忌に。
暗い雪道をライトで照らしながら夫を駅まで送る。帰りの迎えは約束出来ない。雪が積もったらお手上げ。雪かきも必要になってくる。帰ってきて、お弁当を用意し、今度は次男を学校に送り、そのあいだにも「今日どんど焼きあるんですか?」という問い合わせ。「どんな天気でもあります」と三男も電話に対応。
それから、ラボの合宿に行く6年生の女の子たちの引率に突如長男をかり出して(何せ雪だもの。何が起こるかわからない)駅まで送り、授業参観にいき、保健室にもよって最近の次男の学校生活に関連して保健の先生といろいろお話しをし、帰ってきて三男とお昼ご飯を食べ、三男を友達の家に行かせ、次男の合宿の用意をし(バッグに入れて玄関においとけっていっといたのに、何もやってない!)次男の電話を待って迎えに行き、そのまま府中青年の家に送っていき、そこで待っていた長男とすぐ帰るはずでしたが、もう少し待てば、急に具合が悪くなって帰った子のぶんのただ飯をもらえると長男が言うので(彼は起きてからご飯もたべず)それをいただいて帰り、三男はどんど焼きからずぶぬれで帰ってきて、夜は夫を駅に迎えに行き・・・雪がひどくならなくてよかった~。これで雪かきまで加わったら、死ぬよ。どんど焼きの片づけは来週に延期という連絡をまわす。あー、やれやれ。
合宿は、地区の高学年活動の発表に向けてのもの。我がPからは次男(中1)と小6の女の子たちの計4人が参加。長男も参加すればいいのに、高校生ということでかかるプレッシャーを避けたいのだ。それでも小6の女の子たちを送って、すぐ帰ればいいものを、こまごまとお手伝いして(お茶くみ、ゴミ集めなど)担当のテューターたちを感動させ、まあ、いいけどね。それは、逃げなんだよなあ。小さい頃から実は中心でやるより、横から手伝うほうがいいらしい。本筋からそれたところが好きなのだ。お父さんと似てる?ま、そういうラボっ子もいていいか、と思うので、やるということをやらせている。ラボに連なっているだけで、何もしないよりまし。ただめしはちょっと恥ずかしかったなあ。他のラボっ子の「こいつら、何で食ってンだ?」というまなざし。「食い逃げ」だし。
今日の夕方、次男から乗り換え駅の拝島まで帰ってきたと電話。「4人一緒?よし。東秋留から歩いて帰る?よし。じゃあね」切った途端、別のお母さんから電話。迎えに行くので、次男を含む全員送ってくれるとのこと。ありがとう。暫くしてまた次男から電話。「おれ以外はみんなここで行っちゃうんだって。迎えが来るらしい」ちょっとまて。なんか誤解の現場を押さえたような気がする。「あんたも送ってくれる、という話だよ。それにしても迎えが来るのは、東秋留?拝島?どっち?」「ここまでくるらしい」「ここってどこ?」「拝島」「拝島のどこで待ち合わせ?」混乱しはじめた。
やめた。こういうときは指揮系統をひとつにした方がいい。それは迎えに来るお母さんだ。それに次男がいると、不思議と物事がうまく進む。こんなにわかってない本人にもかかわらずね。
何事もなかったように、次男到着。
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ラボランドつながりの坂口農園から、頼んであった干し柿が届いた。さっそくひとつ。うわー、おいしい!やわらかくて! これ、冷蔵庫(野菜室)に入れておくと、やっぱり少しかたくなってしまう。たくさん頼んだけど、干し柿好きのうちの息子たちの餌食になって、いつまでもつかしらね。「雪のないお正月かと思いきや、次の日一晩で」一面の銀世界になってしまったそうだ。坂口農園はラボランドより暖かく、果樹栽培に適しているのだが、何もかも雪の下となり、坂口さんも一年で一番ゆっくり休める時期なのだそうだ。
一昨年、昨年と、親を亡くし、この時期は鬱。例年の2倍という花粉情報も鬱の原因。新年早々失敗ばかり。息子たちも私を安穏とはさせてくれない。学校も始まったしね。
先週はどんど焼きで燃やすお正月のお飾りを町内で集めてまわり、小学校の田圃まで持っていった。(子供会の役員なのだ)喪中だったので我が家からはない。お飾り集めを手伝った子どもにはどんど焼きで使える100円券がもらえる。うちの次男三男と近所の男の子が手伝ってくれた。初めは何で俺まで?と渋々出て来た次男も、近所で餅つきをやっているのを見て、まずそっちへ直行。花粉症を懸念して、子どもたちに集めさせて自転車で持っていかせるつもりだったが、あるわあるわ、私のオデッセイのトランクに満杯。いろいろなお宅で門松からだるままでいっぱい出してくれた。(つきたてもお餅も)
火曜日の新年会では、百人一首大会に沸いた。茶の湯の会もし、ひととおり日本人を味わう。各自一首か二首短歌を作ってくるのと、聞き込みお年玉(ライブラリーの聞き込み一回1円をぽちぶくろにいれてくる)は、次のラボを期限とする。みんなのラストスパートがたのしみ。聞き込んだ分の小銭は私が倍にして上げる。小銭マシーンからちゃりーんとでる小銭!みなぽちぶくろを小銭ではち切れんばかりにして、お金持ちになって帰っていくのが例年のこと。実際はどうがんばったって数十円なんだけどね。小銭マシーンには「見せ金」として百円玉、五百円玉もいれてあるけど、使う気遣いはまずない。1月の間は、百人一首と日本の遊びをしながらナーサリーライムの練習をつけていく。2月にナーサリーライムリサイタルをする。
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福島県郡山市に移られた斉藤Tに電話してみた。なつかしい「斉藤です」の声。国分寺にお住まいの頃、本当にしょっちゅうお電話で話した。斉藤先生は34年あまりラボを続けられ、「斉藤パーティ最終章」という素晴らしい発表を最後に引退されたのが2年前。私もパーティの子どもたちを引き連れ、ソングバード発表で応援。斉藤Pは、「友盛」それからこれまでの「名場面シリーズ」をほとんど語りだけでも観客をうならせる素晴らしいものを見せてくれた。小学生から大学生にいたる斉藤P最後のラボっ子たち12人の本当に素晴らしい発表でした。斉藤Tのようにテューター生活を終わらせることが出来るのだろうかと、居ならぶテューターたちはため息をつくばかり。平家の残党ならぬ斉藤Pの残党は、斉藤Tの薫陶を受けた近くのパーティに移り活躍中だろう。
私と斉藤先生との出会いは、十何年か前、2歳になった長男にラボをやらせたいと思って、かねて知り合いのテューターに紹介してもらったことから。新宿のラボセンターで初めてお会いした。まだプレイルームという言葉もなく、幼児クラスに入れてもらい、私も一緒に楽しんだ。まもなく未収園児のクラスを午前中に作り、お母さんたちみんな参加して、まったく今のプレイルームだ。斉藤先生のアシスタントで楽しむうち、「テューターはあなたの天職よ」と押し出されてテュータースクールへ。引っ越し、次男の出産とすぐには開設できず長男は暫く斉藤Pへ通った。そのころの仲間が最終章まで残る。
斉藤Tは、絵にも造詣が深く、ラボっ子たちは実にのびのびと素晴らしい絵を描いた。テーマ活動に対する深いお考え、ラボの教育活動に対する情熱。その一言ひと言が聞く人の心を打ちながらご本人は至って謙虚。勇退は本当に惜しいと思った。もっとアシストすることが出来れば、続けていただけたのに、と思う。また、私たちテューターの教育、研修にそのお力をお借りしたいものだと思います。
お電話では、ラボにかまけていたときの方が元気だったと笑う斉藤T。福島にお住まいのテューターの皆様、斉藤悠紀子Tを郡山市湖南町の雪の中から引っ張り出してくださいね。
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BSで映画「ホワイト・ファング」を見た。アメリカで子どもの読書用にと買い、私はおろか、次男もまだ読んでいなかったらしい。明日はパート2だから、きっとヒットしたんだろう。見ようと思っていたのに、すっかり忘れていて途中で気がついて急いでテレビをつけた。動物はでる、ゴールドラッシュのシーンはでる、悪い奴はやっつける、というので、次男三男は大喜び。私たちもアメリカンリバーに行って、あのかなだらいを買って川の水を揺すったりしたもの。加藤Pのトムソーヤ1の発表にも、ゴールドラッシュのシーンを生き生きと取り入れたっけ。
表紙を見ただけの間違った先入観で、動物もの、たぶん鳥?というくらいに思っていた私は「ホワイトファングって、鳥の種類かと思ったら、オオカミ犬の名前だったのか」と言ったら、次男と三男からケーベツ!のまなざしで見られてしまった。「えーっ?だってホワイトファングだよ」「ホワイトファングって言ったら決まってるじゃん」「この犬(オオカミ)に決まってるよね」「何で決まってるの?」「だってファングだよ」
辞書を見た。fang 牙とある。うーん。何で知ってるわけ? 明日は「ホワイト・ファング2」です。よろしかったら見てください。
ベイブもみた。今日はパート2.わっはっは。明日はベートーベンだ。パート2もある。ベイブのご主人が、「それでいいんだ」というセリフ、英語ではThat'll do.だ。トムソーヤのジョーもそんなセリフがあったなあ。日本語では「いいぞう!」見つけられますか。動物ものといえば、犬2匹とネコ1匹が我が家目指して旅をする映画、あったよね。英語の題ではHomeward Boundだったっけ。あれ、私のラボっ子時代のホストファミリーのお姉さんのだんなが撮影しています。当時映画を見に行ってはまだ駆け出しだったリードの名前を探したものでした。3匹の映画では一番に名前がでてくる!大出世。
BSのテレビドラマ「ホーンブロワー」もいい!再放送がうれしい。冬のソナタといい、年末年始ははテレビにはまりまくり。もちろん、ホワイトハウス、チャングムというレギュラー番組もね。
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三が日も終わり、私もひとつ歳を取ってしまった。子どもの頃は誕生日だというのに、年賀の客のあと片づけはさせられるし、お店は開いてないし、ケーキもないし、友達も集まらなくてお誕生日会も出来ず、とふてくさって、家出したことがある。おばあちゃんちに、だけど。叔母が名古屋まで行って、イチゴのショートケーキを買ってきてくれたのが一生わすれられない。当時、バタークリームのケーキばかりで、生クリームなんて珍しかったし、ましてお正月に手にはいるとは思ってなかったものね。
今年の年末年始は、元々の計画で行けば、26,7日の親子パーティ一泊交流で刈谷に行った際に実家に泊まり、三男を残留させて、30日に車で残りの家族が合流。夫は青春18切符の残りを使って一人帰京。私たちは3日の藤井パーティの新年会に出て、Uターンラッシュが収まった頃私の運転で帰京する、予定だった。
ところが、母がいろいろ言いだし、27日には長男を残留させて帰京。長男の働きしだいで私たちがお正月に里帰りできるかどうか、ということに。これが変更1.
母の態度が軟化し、里帰りがかないそうになったが、なんと長男が31日から元日にかけて東京の友達と会う予定があるといいだし、では、2日に行くか?という感じになった。これが変更2.
ところが、大晦日の大雪で、雪かきをしてくたくたになり、交通の問題が発生して、なんだかくたびれたねーという感じ。2日に体力気力回復して帰ったとしても、また帰京する頃寒波が来たら、立ち往生だ、ということで、結局、「寝正月」になってしまった。
元もと年末年始を実家で過ごす予定で生協などの手配をしていたおり、大晦日の雪で車を出せず、食糧難は必至だったが、まあ、やれるだけやろう。ホントは「この家の女房め、買い物に行くのをいやがって・・・」というのが実情。段ボール箱で買っておいたカップ麺はもう失せた。野菜は根菜類、青いものはねぎが一本残るだけになった。今日は鶏肉のすき焼きふう。「とりにく?」「・・ふう?」なんだそれ! つまりすき焼きの牛肉が鶏になり、ネギとしらたきのほかに、白菜の残りとじゃがいもとレンコンをぶちこんだ。わかる?量を確保するため。
誕生日には、立川の高島屋へ行った。まず、大晦日にこわれた私のめがねをなおす。待つ間、長男に素敵なめがねをかけさせてみる。ヨン様だ~。次男三男はめがね売り場に立ち入り禁止。「ショッピングはしないの?」と夫。「さっさと食って家に帰ること以外考えられない」という次男を連れて? さあ、とんかつの和幸だ。ここはご飯とキャベツとみそ汁はお代わり自由。ま~、食べるわ食べるわ。ファイバードリンクのコマーシャルはうちのことじゃないかと思うくらい。会話はなし。「こぼすな」「たれとって」「おかわりください」以外は黙々と食べ続ける。私の誕生日だってこと誰か覚えてる?とんかつのあと、アメリカンパイのお店に行く。私と夫はコーヒー、次男はアイスクリーム、三男はなんとチーズケーキのチェリーソースがけ。長男は私とストロベリーパイをシェア。やっと、会話らしきものが。高島屋立川店のレストラン街はまもなく改装。このパイのお店は消える。アメリカンテイストにはちょうどいいお店だったのに、残念。
3日の朝、ウインターキャンプに行くラボっ子から問題発生と電話。やはり、キャンプ当日はテューターは自宅待機が必要? 今までに「人身事故で不通」「行方不明」といろいろあったものね。
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ご飯を食べていたとき、小3の三男が「I've bitten」と言った!?えっっ今なんて言った?あまりしつこく聞くと、もう言わなくなってしまうのではないかとも思ったが、なぜそんなことを突然言い出したのか、知りたかった。「I've been bitten?」 思わず理解の助けになるようなことも言ってみた。クリスマスに発表したばかりのワフが影響していることは明らかだ。ワフ木曜日に泥棒のセリフだ。
「ううん。かみつかれたんじゃなくて自分で I've bitten, うーん、my lip!」えっ、ご飯食べててくちびるかんだ?泥棒は「かみつかれた」という受動態だが、三男は能動態の現在完了形で言っている!ええ?なんで?どうして?そんなことが言えるの?
三男は2歳から6歳までの3年半、アメリカで暮らした。当時ほとんど幼児の語彙だし、完了形なんかしゃべっていなかったはずだ。帰国後すっかり影を潜めた彼の英語。なんて正確に芽をだしたことだろう。上の二人は、アメリカで学校に通って英語を勉強したわけだが、三男は日常生活の中での言葉の揺籃期だったのだ。ずっと住み続ければそのまま発達したはずの言葉が、時と場所を隔てた今、こんな感じに芽吹いてくるとはね。
長男に話したら「へえ~、今まで眠ってたんだね」と言う。中2の秋に帰国した彼は「関係代名詞?なにそれ」って言っていたっけ。英語の文法がわからなくて困っていた長男。次男は日本で中1からの英語を習って、三単現のSとかやっている。この二人は国際交流で英語を呼び覚ましてきた。三男は、日本にいて、ラボで、がんばり中。ラボのメソードの確かさを感じる。
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親子P交流の後、私の実家の手伝いに残留していたうちのヨン様が帰ってきた。よく働いたのかな? ちっちゃいものクラブの私の家系では、背が高いだけで尊敬される。イスなしで取り替える電球、棚の荷物にも簡単に手が届く。電球の種類だっていろいろあるのを理解しているだけで大尊敬!に値するらしい。まあ、孫だもの、かわいいさ。
母は「ふっくん、ヨン様そっくり~。」と、にわかヨン様、冬ソナファンになってしまい、いつも早寝早起きだったはずが、毎晩「冬ソナ」にはまり「もう泣けて泣けて」 孫とロマンス番組を見るというのも感激ものだったらしい。
私たちは今日やっと掃除片づけを始めた。クリスマスは1月6日までだが、やっぱり大掃除にかこつけてやってもらわないとね。我が家のクリスマスは終了。聞き終わっていないクリスマスソングを聴きながら片づける。外を一回りした夫たちが、庭に2カ所○○○がある、といっていた。ネコにしては大きい。嫌疑をかけられた次男はタヌキだと言い張る。タヌキがティッシュ使う?
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親子パーティ一泊ホームステイ交流を終えて帰京した。小5以上のラボっ子7人(正確には6人と小3の三男)を連れて、青春18切符を使っての各駅停車の旅。26日朝8時半東秋留駅集合で、東京駅から東海道本線を延々。藤井パーティのある刈谷駅に着いたのが夕方4時半。ホストファミリーと対面し、軽食をいただいて藤井PR&Jの発表を見る。
中高大生が1幕から4幕までの全幕発表をクリスマスに行う、藤井パーティR&J大会も今年で29回目。毎年中1の「ロミジュリデビュー」の子たちが1幕と2幕のロミオ、ジュリエットになる。中1、中2で必ず、「ロミオ」と「ジュリエット」を通るというのが藤井パーティ流。今年は3幕もデビューの子がやっていて、危なっかしくも初々しく、また、去年デビューを果たした中2の連中が、なんと逞しく、頼もしく見えたことか。
高校生たちも活躍している。この年齢の子たちが、こう飽きもせず、毎年夢中になってやるというのがすごい。まあ、先輩としては、細かいところ、「もっとこうしたら」という感想もあり、藤井先生にだけはそれを伝えた。きっと涙ながらに読んでくれたことだろう。(スゴイ涙もろい)
そしてロミジュリ卒業の大学生。彼女らの本当に熱い思い、ラボっ子としての集大成がここに現れていたと思う。ロミジュリは「私たち中1から、何年やってきたことになるんだろう。なんかすごいとおもう」といっていた。そう。私だって、ロミジュリ卒業してから何十年?だけど、すーっとセリフがでるし、セリフが出る、というのは言葉を覚えているということだけじゃないものね。中1の自分自身のデビューから、何人ものデビューの子を支えながら、また自分自身と向き合ってきた凝縮した何年間かである。毎年やる、というのは本当に凄いことだと思う。藤井先生曰く「今年、気づかせてあげられなくても、来年は自分でそれを得ていく」活動。
私が連れて行った加藤パーティの中高生たちは、自分と同い年のラボっ子たちの活躍を見て、どう思っただろう?会が終わって、小学生たちは各ホストファミリーとの楽しい交流があり、「お風呂一緒にはいった」とか「夜寝るとき湯たんぽいれてもらった」とか楽しく過ごしたようだ。中高生たちは会場からそのまま移動して、藤井先生宅で打ち上げ。「12時までいた!」というのも新鮮な感動だったようだ。
翌日刈谷駅に12時半集合。集まってきたラボっ子、ホストファミリーの様子を見ると、たった一泊でもいい交流だったんだな、ということがわかる。クリスマス、年末、発表というこの一番忙しいときに受け入れてくださり、本当にありがとうございました。再び各駅停車を乗り継いで帰る。ホストファミリーの心づくしのお弁当を広げた時のみんなの顔!
長男は藤井パーティのラボっ子たちから「ヨン様~」と言われ、行きの電車で「ふっくんがヨン様っていわれたら、アーモンドチョコレートあげる」と言っていた貴くんは、賭に負けた。そのヨン様は、実家の祖母の手伝いに残留。ちゃんと働いているかしら?夜一緒に「冬のソナタ」見るらしい。
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