幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧海外交流・留学ランダム新規登録戻る 0593426
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
・ KATO PARTY NEWS
 News 9月’11
 News 12月’11
 News 2月'12
 News 3月'12
 News 5月'12
 News 7月'12
・ 日本語研修ホストファミリー
 路線図
 行き先
 駅名
 道草するなら
 09日本語研修HF説明会 長男の報告
・ ラボ 青梅・あきる野ピーターパン 子育て支援講座
 ベビーサイン  
 2009年ホワイトホースシアター来日公演
・ 中国交流20周年
 中国体験記2 交流は日中間を行き来する飛行機のよう
 中国体験記3 鳳山温泉
 中国体験記4 北京
 中国体験記5 ギャップ(桂林など)
 中国体験記6 北京から上海へ
 中国体験記7 上海外語学校
 中国体験記8 豫園
 中国体験記9 上海最終日
 中国体験記10 中国料理
・ スタッフとして関わった Labo/4-H exchange program
現在ページはありません。
・ 藤井パーティ35周年
現在ページはありません。
ティム、ゲートで出迎え
カトリーヌの日記
カトリーヌの日記 [全1165件] 1021件~1030件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
中国体験記3 鳳山温泉 5 04月10日 ()
民族文化宮での20周年記念式典のあと、民族飯店に戻って昼食会。私は月壇中学の先生方と関東地方のテューターたちと一緒のテーブル。何というおいしい料理!!中国料理って、こんなにおいしいのか、と、初めて知った。先生方と楽しい会話。私のことは「三人兄弟マーマ!」と驚かれる。それ以来、誰それをつかまえては話すらしく、何人かがわざわざ見に来た。私はアルコールはパスなので、水を注文するためにその中国語をおぼえた。
 食後の短い時間を利用して、民族文化宮のバザールへ行ってみる。すごい熱気!もうだめ。とてもついていけない。と思いながら、すいていそうな二階へ行くとパールや玉を売っている。オオクニヌシをやっているのでラボっ子たちへのおみやげは、石と決めていた。ごろっとしたきれいな石を想像していたのだが、ここで売っていたのは、彫刻を施した玉だ。昔のお金をかたどった小さな翡翠の玉のブレスレットと、水晶をバラの形に彫刻した指輪を買う。これはいい!以後私の買い物の路線を決定した。初めは圧倒されていた買い物だが、長野のYテューターに触発され、次第に気が大きくなり、値切ることもできた。
 民族飯店をチェックアウトして、バスで鳳山温泉へ向かう。ラボっ子たちもホストも月壇中学の先生方も一緒だ。ラボ側としては、「キャンプ」体験を、ということだったのだが、時期的にアウトドアは無理な上にこの人数が一度に泊まれてアトラクション的にも適しているのは、ということで鳳山温泉度暇村になったという。それにしても、どうして温泉なんですか、という疑問があるでしょう?日本に何度かいらして、地元の温泉で接待を受けた体験のある李校長先生の提案らしい。遠来の客をもてなすには、温泉だと。その温泉は日本の鄙びたイメージのものではなく、いわばハワイアンセンター。エステもある。北京の上流階級が、余暇を過ごすための施設で、共産主義のイメージと異なる。私たちが止まったのはホテルタイプの部屋だったが、隣接した別荘地には、カリフォルニアタイプの3ベッドルーム、温泉プール付きの豪邸。夕食がまた、最高においしかった。やばいぞ、食べてばっかり。
 日本を出るときすごい花粉症で、声も出なくなっていた私は、北京について、花粉が全くないのはよかったが、すごく乾燥しているので、ノドを保護する服を着て、夜寝るときはマスク。温泉がありがたかった。全身エステにも挑戦。あんなにお腹いっぱい食べて、ポンポンのお腹をエステシャンが押す。うわー、充填豆腐。このならびの部屋でテューターが何人もマグロ状態になっているのかと思うと笑いがこみ上げてきた。足マッサージの方へ行くと、なんと、今度はししゃも状態!!事務局やテューターたちがししゃものように同じ方向に寝かされ、顔の上にはキュウリの輪切りで誰が誰だか。これは笑えますよ。お湯もいろいろな種類あり、温度あり、あっちに入ったりこっちに入ったり。水着なので、テューターと事務局が混浴。なんだか、うそみたい。ラボランドでもかみなりちゃんの大浴場で混浴、っていうのも、いいかも。
 ラボっ子たちもあっちに入ったり、こっちへいったりと、結構楽しんでいる。ラボランドの野外活動のような、開放的な顔つきになっている!来てよかったね。ホストがなにくれとなく面倒を見ているのもほほえましい。
 鳳山温泉度暇村のまわりには、普通の住民が住んでいて、温泉施設を建設中。彼らとその生活ぶりと、温泉施設、それを利用する人とのギャップが激しい。この人たちは?と聞くと、そのうち出ていくだろうという。以前は人民公社で、自給自足だったのだろうが、そこに温泉がでて、いずれ地元の人は出ていくのだ。李校長は中国の発展をいろいろ見せてくださったが、逆に、いろいろな矛盾も見ることになる。
 交流会ではラボっ子たちの西遊記の発表、中国の学生の楽器演奏、踊りなどあり。日本文化紹介コーナーでは、関東はすもうの着ぐるみをもっていったので、それを着て写真をとったり。例の大きなホストがにこにこして着ぐるみを着てくれる。ホントに横綱。
 ひとつしかない地球を、全員で歌う。昨日の民族文化宮の時よりずっとリラックスして、本当に素晴らしい交流をみせてくれた。これからまたラボっ子たちはホームステイだ。テューターたちは万里の長城へ行って、民族飯店へもどる。
中国体験記2 交流は日中間を行き来する飛行機のよう 2 04月08日 (金)
「ラボは中国と日本の間を行き来する飛行機のように交流を運んでくる。」北京にいる間、何度このことばを聞いたことだろう。私の不勉強が恥ずかしいほど、この交流が長い間に渡って、多くの人々に支えられてきたことを知る。
 民族文化宮で行われた20周年記念式典は、中国側のコーディネイトによるものだそうで、たぶんに政治色の強いものだった。両国の関係者に対する謝辞の繰り返しの中に政策的なものが盛り込まれている。中国の学生はこういう公式スピーチを直に聞く機会が多いのだろうか。学生でいっぱいの会場。ついこの間いった息子の合唱祭と見た目はほとんどかわらない。日本だと、こういう会場に入った途端、うんざりした停滞ムードというか、重い雰囲気があるのだが、中国の学生はお行儀がいいのかな。
 ラボっ子代表のスピーチ。初めは関心がなかった中国交流だったが、ご両親、とくにお父さんのことばによって関心を開かれたという。長い歴史の中でできた傷をもち、穴があいていることを知り、その穴を青少年交流でうめたいという。立派なスピーチだ。彼は大役を果たして、荷が下りたのだろう。唐辛子を無茶食い?して、そのせいかどうか、後日大変なことになったおまけつき。
 中国交流に参加した経験から、現在、中国に留学中のラボっ子大学生。長年に渡るラボの国際交流をへて、留学が手の届くところにあることに気づき、中国を選ぶ。交流が、平凡な自分の生活に夢や希望を与え、実現する力を与えてくれたという。素晴らしい中国語のスピーチで、壇上のお偉方も、場内も、感動。
 ホストファミリー体験からスピーチした中国の王くん。17歳。彼が日本語でスピーチを始めると初めて会場に笑いがさざめき渡った。おなじみの友達が日本語で話しているなんて、おかしな感じなんだろう。中学に入って日本語の勉強を始めた。大変で放棄したいと何度も思った。そんなときに受入をした。交流活動が、自分の日本語学習意欲を促進し、2度目の受入の時には、言葉の通じる喜び、日頃学んだことを行かせる喜びを味わったという。ラボっ子がおいていった目覚まし時計に今も起こされる毎日。日本語の声で毎朝、叱咤激励してくれているという。ラボっ子との深い関わり。受入に際し、家族で会議をしたこと。成長して父母から離れがちだったのに、これをきっかけに接近できたこと。ラボっ子のために心を砕く両親の様子に、普段自分に注いでくれている愛情の深さに気づかされたという。居ならぶテューター、皆、感涙。
 日本にホームステイしたヤンさん。家族の親切さ、ラボっ子の熱心さ、ラボの先生のまじめさ、兄弟姉妹がいるということのすばらしさ。「ひとつしかない地球」の歌が大好きで、友達を思い出すという。また感涙。
 ここで感じさせられたことは、彼らは「個人の体験のすばらしさ」のみを語っているのではないということ。学び、向上し、子孫へと続く交流。体験や楽しさ、友好というのは、「教育」であり、世界を創っていくものであるということ。それを実感させられる会であるとつくづく思った。中国の学生が一生懸命、素晴らしい日本語を話して、自分たちが勉強したことを精一杯活かそうとするその態度に心打たれ、涙が出た。
 会場を出るときに、学生たちをみる。おやおや、ウオークマンがぶらさがっている。なるほど、日本の中高生とあまり変わりないか。ははは。
中国体験記1 我再来了 1 04月07日 (木)
中国交流9泊10日から帰ってきた。今リカバー中。帰る早々いろいろ始まり、外食ホテル暮らしの10日間がなつかしい。花粉症もでず、本当にパラダイスだったなあ!
 中国は、初めて。北京空港に着くとみるもの聞くもの皆新鮮だ。漢字の目立つ看板。でも北京市内にはいるとビルの看板が東京に比べぐっと少なく、間口の狭いのっぽビルの東京都は違って、横幅がででーんと広いビルが建っているのに圧倒される。ワンフロア何平方メートルあるのだろう?なんとなく昔の名古屋を思い出す。小さいときの記憶は、建物や道などが、大きく記憶されているので、整然とした都市計画と独特なデザインのビルが昔の名古屋のように思えたのだ。もちろん現実には規模が格段に違うのだが。
 中国では特に時間どおりのフライトやスケジュールは期待出来ないと言うことばどおり、中部セントレイア組が恐ろしく遅れてやってきて、成田組も空港の駐車場のバスの中で待機。月壇中学では先生方とホストファミリーがずーっと待っているというのに、どうすることもできない。疲れ切った対面式の最初の組み合わせが、日本の小さな小学生ラボっ子と相撲取りのように大きな月旦の中学生。これには日中一同大笑いして、旅の疲れ、待ちぼうけの疲れが一気に吹き飛んだ場内であった。
 宿泊は民族飯店。なかなか快適。ルームメイトは、なつかしい中部のHテューター。Hテューターは私が中学生だった昔からちっとも変わらない。楽しい。今回、あちこちに転泊するため、いちいち荷造りをしなければならず、落ち着かない。寒いと困ると思って、真冬のロングコートも持ってきていたが、北京にはちょうど春が来て、暑いくらい。しまった、Tシャツを一枚も持ってきていない。あきる野は寒かったし、まったく考えが及ばなかった。民族飯店のブティックで半袖を探したが、ない。パンダのぬいぐるみがかわいい。九州から家族で来ていた子が買ってもらっていた。にわかに私も旅ならではの物欲が沸いてくる。物価はとても安いが、ホテルのブティックで買うのがただしいのか、わからない。もうちょっと様子をみよう。民族飯店にはまた帰ってくるから。
 続きは中国交流20周年の記念式典。ではまた。
 
 
ただいま 3 04月05日 (火)
中国交流から、昨日帰国した。帰国早々次男の中学の教頭先生から再三お電話いただいていることを知った。姉妹都市のマサチューセッツ州マールボロウ市からの6人の中学生が来る。そのホストファミリーをというわけだ。中国交流に行く前日に話は聞いていたが、他の人にもぜひこうした機会を、もし、誰もいなければうちで受けますと言って出かけた。どうも引き受けてがなかったらしい。
 今日市役所からも連絡があり、もう3月18日に秋多中ホスト不在のまま説明会をしたのだというので、早速出かけていってスケジュール表などもらってきた。ふむふむ。帰りに教育委員会によって、教育長さんとお会いして、いろいろお話ししてきた。中国交流のこと、今年の国際交流(送り出しと受入の両方)のこと、企画している連続教育講演会のこと、そして今回のマールボロウのこと。あきる野市の教育長さんは、素晴らしい方で、ああいう方がトップだと実に仕事がしやすいことだろうと思う。
 マールボロウは16日から25日までのホームステイ。我が家には13歳のクリストファーくんが来る。地区発表会が24日だ。追い込みの10日間。何というスケジュール。もうこうなったらしかたない、クリスくんにもセリフを与えて、オオクニヌシに出てもらい、地区発表会の実行委員にも混ざってもらうしかない。もし、こういうことが嫌いな子だったら?そのときはそのとき。
 さて、中国交流は、素晴らしかった!!熱い思いで帰国すると、家にはほか弁のカラが散乱、くっさ~!私のスリッパも行方不明。階段にはレーズン。おみやげでつって、片づけさせる。我が子とラボっ子たちへのおみやげは「石」 翡翠などの細工品だ。いまオオクニヌシをやっているから石の首飾りをおみやげにしたというわけ。これでやる気が出てくれると良いのだけど。明日はみんなして石の首飾りをしてオオクニヌシをやろう。
 
オオクニヌシびより 2 03月22日 (火)
日比谷公会堂で行われた2005年度国際交流の集いに行った。今年の参加者は3人、早くに出かけていった。私は来年の参加者を連れて、毎年恒例帝国ホテルのユリーカでアメリカンブレックファースト。さあ、準備活動始めるよ、と背中を押してやる行事だ。去年の参加者がほかのラボっ子を連れて、こちらはマック。参加者のお母さんたちも駆けつけた。
 集いはとてもよかった。コロラドのコートニー、相変わらず元気で若々しい。ニューイングランドホームスクールのジーナさんの英語とコロラドのコートニーの英語が微妙に違うのも面白いなあ。アメリカは広い。中国大使館の方のスピーチもよかった。数日後私はあの渦に巻き込まれるのか・・・インターンのエリエルのスピーチも、楽しく参加者を力づけたことだろう。早速カリフォルニアのコーディネイター、パット・イングリッシュに報告。このエリエルが初めて日本にステイする時のオリエンテーションは、私も参加しており、トイレのことはしっかり教えたつもり。でもやっぱり情報が多くて、わかっていないことってたくさんあるのね、と、帰国したエリエルの話に大笑いしたものだ。そのトイレストーリーを披露してくれた。激励隊も、よかったなあ!彼らのことばには、とても親近感のある真実があるよね。
 今年度一番先にでるグループとして、中国交流がある。私もそのひとりだ。9泊10日というスケジュール。今日になってやっと荷造りを始めたという相変わらずの泥縄状態。
 さて、ラボっ子たちを連れてJR有楽町に下りたところに、なんとオオクニヌシがいた。大黒様の木彫りの像があったのだ。あのナレーションそのままに。4月の下旬に地区発表会で発表するので、ラボっ子たちも興味深そうに見ていた。写真なんかじゃなくて、本物! その後帝国ホテルのユリーカでブレックファストしていたら、見たような人が・・・なんと、国生みやオオクニヌシの日本語の語りをされた鈴木瑞穂氏!!!これも本物! それから、もちろん、集いの坪内Pの発表! うちのパーティとは違い人数が多くて迫力があったなあ。でも、私たちだって、センス良くがんばろうよ、ね!!わざわざ見に来たラボっ子たちと語り合う。
 いい集いだったけど、やっぱりこの時期、かかかかかかか花粉が~。もうだめ。
ウエルカム!メアリ・アリスさん 2 03月20日 ()
日比谷での国際交流の集いを明日に控え、アメリカからうれしい知らせが入った。2年前に日本語研修のシャペロンとして我が家にステイしたバージニアのメアリ・アリス・フォーモさんが、今度はリードシャペロンで来日するのが決定したという。また我が家に滞在したい旨、打診が来ていたのだ。2年前、高1の長男のためにティーンエイジャーの受け入れを希望していたとき縁あって来ることになったのがシャペロンのメアリ・アリスさんだ。我がPのラボっ子たちをよくかわいがってくださり、また2年生の現職の教師ということで、小学校訪問して授業をしてくれたり、あきる野市のためにワンデーアメリカンスクールをやってくれたりした。シャペロン受入って、こんなにオイシイものかと、毎年やりたくなってしまったほど。メアリ・アリスさんも2年ぶりの再会をとても楽しみにしている!わお!彼女のことだ、きっとまたやる気になっているのだろうな。よおし、働いてもらうぞー!
とぷうのおじさん突風 1 03月18日 (金)
このごろはすごい。花粉症が重症だ。もうだめ。昨日から声も出なくなった。昨日は雨模様だったけど、もうこれほど重症だとちっとやそっとの雨じゃ、ねえ。ラボをやっている幼稚園の駐車場で、鼻水が滝のように流れ出し、家に帰ったらもう、声が出ないわけ。目も開けられない。顔がむくんでいる。明日が怖いぞ、と思っていたら、ほんとにすごい。おまけにすごい風。どんがらがっしゃーん!!と突風が吹きまくっている。家の中にいても、すきま風を感じる。ふわっくしょん!
 声のでないプレイルーム。今日はお話が読めないので、体を動かして遊びまくる。ごあいさつも、声が出ない。そしたら、プレイさんたちが言ってくれた。私のセリフもみんな。おかあさんが、いつの間に全部言えるようになったんだろう、本人はただ毎週遊びに来ているだけなのに。と驚く。
 夕方、帰宅した三男が、玄関の前のビンわれてるよ、というので、また牛乳びん?と思って見てみたら、なんと、おばあちゃんからもらった火鉢が、そのうえに突風でものが倒れていて、見るも無惨に割れている。「瓦解」ということばがふさわしいほどに。とぷうめ、ほどほどにしろよ。あ~、もうくらくら~。明日夫にかたづけてもらおう。もうだめ。死んだ。
 長男が修学旅行から帰ってきた。奈良京都大阪?嵐山の方で川下りをしたのだそうだが、杉山があって、強風が吹くたび黄色いカーテンみたいなものがとんでくるんだって。
この長男、親から5千円もらって修学旅行に行き、自分の資金計画の甘さを痛感したらしいけど、なんとかなったのかな?
げっ 玄関が牛乳の海・・・ 2 03月14日 (月)
Honey, I'm home, I had a hard day. 疲れたときにはいつも出てくるシャナイア・トウエインのこの歌。ああ、やれやれ。本当に疲れた、花粉症はひどいし。地区研から帰って、急いでご飯の支度。こらーっ!ご飯だよ!早く来て手伝いなさい!こういうとき比較的すぐ来てくれるのが次男。今日も学校が休みだったので地区研にきてベビーシッターをしてくれた。と、「かあさま、ごめん。」
 えええええっっっっっ!!!!!げげっ玄関が牛乳の海・・・配達された牛乳を家の中に入れるときに落として割ったんだと。ビンは1リットル近くあるもので、牛乳の海に靴が・・・くら、くら~
 今日はすごく寒い。家中冷え切っているので、帰宅後すぐエアコンをつけ、夕食は熱々の「ぶたみそ」だ。ったのに、玄関のドア全開、牛乳に浸かった靴を外へ出させ、傘立て長靴その他全てを避難させ、バケツでじゃあじゃあ。ごしごし。ドアにも飛び散ってる!じゃあじゃあ。ごしごし。
 タオルシーツやバスタオルの古いので水気をとり、牛乳のついた靴を拭くんだよ!早くやってドアを閉めなさい!ご飯!
 夜遅く帰宅した夫、「玄関のそとに山積みになってるタオルはなんだ?」Honey, I had a hard day.

 
次男の合唱祭 03月12日 ()
次男の中学の合唱祭。課題曲と自由曲の2曲をうたう。次男は自由曲の方の指揮をする。落ち着きのない中学の一年生。これまでもいろいろあった。今年になってからも、特に2月は3回も病院騒ぎになるなど、心身共にお忙しい次男だ。こんななかで、指揮者をすること自体、大丈夫なのかなあ、と心配していた。音楽の授業で練習中に、「感想」を言ったらそこから揉めて、なんと殴られ、歯が抜けるという事件まで起きた。幸い抜けたのは乳歯。(まだあるのね~)信頼にもとる担任の対応に、私なんかあったまきて、「学校が安全でないなら子供は出せません!」と啖呵を切ったほど。
 次男には、学年末テストの前日だというのに、二人でしみじみ「チャングム」を見て、「ね。まわりがどんなに分からず屋でも、やるべきことをやるんだよ。」なんて話した。この次男、性格が素直というか、おめでたいというか、「うん。がんばるぞー」なんていっていた。そのすぐ後に、やはり学校でトラブル。けがをして7針縫う事態に。血の海だったとも聞く。ここまであると、よっぽど精神的に参るのではないかと思い、相当に心配もした。ところが後日「おれさあ、来年も指揮者やろうかなあ。」「え?好きなの?こういうの。」すっごい素直な顔で「うん。歌うの、好きなんだ」 なんていいやつなんだ。
 担任は、指揮者は次男の立候補でした、なんてトンチンカンなことを言いつのっているし、そんならやめてやる!とごねたって良いくらいに思うんだけども、誰に似たのか、いい性格。
 合唱祭には、親たちも来る。ひそひそ、かさかさ(プログラム)カメラやビデオの電子音。見る側の態度もなってないね。腹が立つのでこういう場所には来たくない。この間のボーリング大会だって、私が出ない声で一生懸命注意事項などいっているそのすぐ隣でずーーーーーーっとおしゃべりしている親がいる。近すぎてマイクに入っちゃうほど。保護者の方向けのお願い事項を話している間でも、とまらない。「あの、ちょっと、よろしいですか。お願いしたいことあるんですけど」と割って入った。ラボの発表会では、見る側の態度も育てていると思うよ。知らない子でも、注意するしね。そういうことをとってみても、今の世の中に「荒れた山に木を植える」ことをしていると思う。
 さて、今日は次男の晴の舞台だ。かっこいいよ!(親ばか?)まったく、学校行くのも命がけ、なんて、よくがんばっているよねえ。歌い終わり客席に戻ってくるところで、課題曲の方を指揮した子が、やったぜという感じに、前を歩いていた次男に跳び蹴りしている。まああっったく!
わかもののエネルギー 3 03月06日 ()
日野で行われたわかものフェスティバルを見に行った。日野市民会館へは家から車で30分ほど。中1の次男、小3の三男を連れて。長男は、進級がかかってる学年末テスト中だったのでおいていった。残念。どの発表も、見応えがあった。大学生までラボを続けて、こんなに極めたテーマ活動を一緒にやれる仲間がいるなんて、すごいことだと思う。
 神奈川支部の「うみのがくたい」。私自身がこのテーマを発表したのは小5の時?今の私のパーティでこの物語をやりきる力があるだろうか、と考えながら見る。やはり、子供の時にこういう物語に出会わないとなあ。こういう物語に。いままでにいくつもすばらしいうみのがくたいを見るたびにそう思った。でもまだ我がパーティの子たちをこういう物語に出会わせられない自分の無力さを思う。今日の発表もとてもよかった。荒々しい波、海の生き物の活きの良さ。海のようにたゆとうような情感がもう少しことばに出ていればもっとよかった。
 北関東支部の「プロメテウス秘話」。ゼウスも貫禄があり、プロメテウスの苦悩の始まりがよく描かれていた。エピメテウスの快活さもとてもよかった。この物語は、「再話」ということだが、彼らの創作なのだろうか。だとしたらたいしたものだ。所々の日本語・英語が少々訳語っぽく、ことばに芸術性がなかったのは素人だからだと思う。全体を通じて、現代劇ふうだったり、シェイクスピア劇ふうだったり、パッチワークのような感あり。それもラボで培ったものすべてを投入して作り上げたと思えば、いろいろな才能がちりばめられていると思える。
 中部支部の「アリス」。これは圧巻だったと思う。最初からワンダーランドに引き込まれる。うまいなあ、と思いながら、また彼らもそれを知ってて、というか、お話を十分に楽しんでいるふうだ。全体でひとつの風景なり物体なりを組み立てるというより、一人一人が表現するものでワンダーランドが醸し出されていて、輪郭がぼけるようなところまでが心憎い。それがぼわーっと拡散していって、次の不思議の世界には入り込んでいく。客席まで楽しい世界に巻き込んでいたと思う。一昨年の発表が、かなり高度でありながらステージのうえだけにまとまっているような気がしたのに、今日の発表はステージから飛び出していたのだ。それは、表現だけでなく、ことばのすごさだったと思う。ことばが、CDどおりで、こういう事を大切にしている中部らしさをよく表していると思った。テューターがどんなに思っても、わかものの「自主性」とぶつかるということがあるが、中部ではそういう物語を大切にするところがラボっ子たちにここまで浸透しているということか。
 千葉支部の「お城の王様」。NRにある、たった2行の詩からおこしたのだろうか?それとも小説?ファーストネームでなく、ファミリーネームで呼び合うところが、むしろ原作にそうあったからかな?しかし理不尽な話だ。精神を追いつめていくとこうなってしまうのだろうか。誰も自分を理解してくれないと自らを殺してしまう。或いは精神的に死ぬ。表現もことばもすばらしくて、今年もやってくれたな、千葉支部、と思った。
 九州支部のドン・キホーテ。役をあそこで決めさせるなんて、どういうこと?そんなに余裕があるなんて、すごいなあ。本当に誰が何をやっても楽しいメンバーなんだろうな。サンチョ・パンサのことばが田舎ことばなのは、土っぽさを表すためなのだが、九州の彼らがやるとよそ行きのことばになってしまうところあり。西郷さんとお供という感じで鹿児島弁でやったら、最高楽しめるかなあ、なんて思いながら見ていた。九州でもことばはさまざまだから、本人の方言でやったら、おもしろいよ。ちょっと声が小さくて、音楽も小さくなってしまったのが残念。
 関西支部の「ナイチンゲール」。かろやかな、かろやかなうごきが、ナイチンゲールだけでなく全員が動けていたのに驚いた。若いって良いなあ。動きがとてもよかったので、ことばにもっと期待したかった。ナイチンゲールはもっと素朴な物言いがよかったかなあ。王様も青年のようで、この二人の絶叫調のやりとりには違和感があった。王様は、三幕のロミオみたいな調子で運命を嘆いていた。もしかして、王様って若者だったの?という錯覚に捕らわれたほど。ナレーションはちょっと残念だったかなあ。あの物語は「語り」のことばが最高なのだ。そこをあらわしてほしかったな。でもいろいろな子が楽しく集える場というのが一番なのかもしれない。レベルアップを追求する余り、排他的にならないとも限らない。何でもあり、のラボ。大学生年代でも、ということを思いながら見ていた。
 東京支部の「変身」。これも大変精神的な話なのでこういう仕上がりに驚きながら見た。こういう出口のない状況に捕らわれるように惹かれること、私にもあるなーと思いながら見ていた。力作なのに、正直言って退屈。でも人の評価を求めるようなことなんか、時には捨てるのが、本当の芸術なのかも知れない。小三の三男の感想を見たら「かなしい」と書いてあった。メインの何人か以外は、ドイツ語も、日本語もなく殺風景な背景の一部で、彼らはどんなふうにこの物語と向き合ったのだろうか。
 たくさんの若者が集まり、すごい熱気。1980年のわかもの合宿が、私の最初で最後だったけど、若者たちがこうしてワイワイ集まって来るのってすごいよね。テーマ活動の善し悪しなんて、どうでもよくなっちゃう。いいじゃないの。わかものだもん。上島さんが「短い」と言っていたけど、本当に大学生年代なんて数年だものね。その数年の間に一生を生きる場合だってある。けれど何年かたって、やっぱり、おとなとして、戻ってきてほしい。
 福島から出てきてくださった斉藤Tもラボっ子たちと再会。斉藤Tにも会えたし、後輩ラボっ子にもあったし、発表は見応えがあったし、良い一日だった、と思うでしょう?帰宅したら、出来の悪いうちの子どもたちに怒、怒、怒!おまけに、夫まで「誰かから電話が来た。名前はわからない」という子供のような対応の悪さ。そのツケは私にまわるというのに! 昨夜お弁当箱を用意しようとして、次男のはし箱がないところから、弁当箱もひとつ足りない事に気がつく。一ヶ月近くも前の高大生発表会で使って以来のはず。これがやっぱり、次男。枝豆の皮が腐って、死んだタニシみたいなにおい。怒り爆発。
<< 前の10件 | 次の10件 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.