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高校留学の事前合宿が、青少年センター(代々木オリンピックセンター)で行われている。希望に満ちた顔に出会ってきた。私はここ3年ほど、北米生活についてのレクチャーをしている。私のアメリカ滞在体験から学校、自分のコミュニティカレッジ体験、4-Hのコーディネイターをしていたことから言える話。ことばで成り立っていく社会であることや、日本とはいろいろ違うという話、論理的思考がことば、文章、人間関係、社会関係にも要求されるということ。作文の書き方、北米学校社会の常識などなど。
インターンのエリエル、サム、アンディ、クレイグもきいてくれて(日本語うまくなったなー)反応して手を挙げたり、答えを言ってくれたりする。例えば服装で、不適切なインフォメーションを与えてしまうことがあるよ、という話で、Tシャツにビールなどアルコールの名前が入っているものは着てはならない、それはラボっ子も知っている。ではCokeはどうか?何人かが「いい」に手を挙げた。一人が「だめ」に手を挙げた。「だめ」に手を挙げた子は、エリエルが挙げてたのを見たからだという。「エリエル、なぜだめなの?」「Cokeはコカコーラという意味の他にドラッグの名前だから」「えーっ!」
「ね。みんなは常識ないんだよ。こういうことを教えてくれるのは、ホストファミリーや、あなたのまわりにいる大人たち、いうこときかなきゃだめ」
大人の言うことを聞く、というのはすなわち命に関わることにつながる。これが北米の常識。
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月曜日は東京支部一日広場。私は教務委員なのだが、クリスたちの帰国で市役所でセレモニーがあり、ホストファミリーとしてはそちらへも出なければならなかった。次男も中学を遅刻していくことにした。市主催の中学どうしの交流ということで、校長先生もいらっしゃるし、次男も堂々としたもの。わずか10日間の滞在だったが、次男もよくやったし、クリスもほとんどラボ版「ウルルン滞在記」他のホストファミリーたちも涙なみだである。クリスたちマルボロミドルスクールの一行は、市役所のバスに乗って成田空港へ。何人かのホストマザーもついていったので、「俺も行っていい?」という次男を押しとどめ、学校にやる。私も猛ダッシュで新宿のラボセンターへ向かう。
ラボセンターで、午後からのプログラムに間に合った。午後は拡大言語習得研究会。Tテューターのレポートのあと10のグループに分かれてグループ活動。私は座長だ。「父母にラボの言語習得をどう語るか」のロールプレイから始める。短い時間でうまく説明できないことを発見するいい機会。他の方のいい表現を聞かせてもらえたのもうれしい。
それでも何となく落ち着かなくて、後で思った。言語習得させるため私たちが子どもたちになにをするか、ではなく、子どもたちの何をどう受け止めるかの研修を必要としていたのに、と。何をさせるか、に話題が行きがちであったが、「テーマ活動の見方」でもあるなあ。これは。父母に子どもたちのテーマ活動のどういうところを見てもらいたいか(言語習得的に)だよな。
さて、私の中国ホットミニレポート。「地球只有一介」(中国語の「ひとつしかない地球」)を聴かせながらスライドプレゼンテーション、デジカメで撮った写真をプロジェクターでスクリーンに大きく映し出し、完璧なレポート!をするはずだった。ところが、バッグの中にCDがない!しかたなくSB3の中国語の歌「大海」を聴かせながら行う。この歌はテューターたちがレセプションで歌ったもの。楽しく有意義であった中国体験。そして違う国と違う国の子どもたちが出会うということの重要さ、それこそが国際交流なのだと実感する旅であったことを強調して終わる。うーん。
今日火曜日は、またまた市役所に行き、今度は連続教育講演会のひとつ「ベビーサイン」の会の後援を申請。それと市報にのせてもらうようにもお願いしに行く。マルボロの受け入れを通じて、市の方にもおぼえていただくことが出来た。その中にご近所の方もいらして、こちらには夏の盆踊りのことをお訪ねする。7月に来る4-Hのリードシャペロンのメアリ・アリスさん、盆踊りの踊り子さんグループに入れてもらったら、きっとおもしろいことだろう。
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オオクニヌシの発表。マサチューセッツから来たクリス君も八十神、ナレーションなどになってもらい、一緒に発表する。地区発表会のおいこみ10日間という時期にホームステイしているクリス君。否応なしにラボファミリーとしてとりこまれている。引き渡し直後から合同練習、雨の富士・箱根日帰りバス旅行の日もクラス練習。東京タワーを見に行った日も急いで帰ってきて合同練習。そして他のみんながディズニーランドに行っている今日は、地区発表会で3時から7時半まで日野市民会館にかんづめだ。
八十神のセリフは「あんな子供に恥をかかされた」という英日。英語はともかく、日本語を一生懸命おぼえた。みんなと同じように動きもあるし、背が高いので重要な身体表現もやらされる。ナレーションはエピローグの場面の英語を、日本語担当の長男と一緒にいう。練習の時はそれほどでもなく「おつきあい」程度だったのだろうが、昨夜も私の個人指導をうけ、だんだんナーバスになってきたらしい。本番になると「どうしよう。どうしよう」と初めての発表におろおろしだした。
「動きはわからないし、恥ずかしいので、自分のパートのところだけでてくるから、後は座席でビデオをとっていていいか」という。「だめ。自分がどこででるかわからないでしょ。一緒にいないと教えてあげる役の子が困る。ビデオは誰かに頼みなさい」我が子同然とはこういうこと。「だって、練習をちゃんとやっていなかったんだもの。わからない、できない。」「大丈夫。絶対出来る。」「本を下に置いて、わからなくなったら見てもいいか。」「なぜ?もう覚えたといっていたでしょう。いい?ナレーションは長いし、あなたは急に一緒にやることになったんだから、本を持ってやりなさい。ただし、カンニングじゃなく、堂々と読むこと。ゆっくり、感情をこめて。」
我がパーティで初舞台を踏むのは、クリスだけではない。3歳のMo、5歳のKi、7歳のTaのきょうだいもそうだ。Taがどきどきして、大きい子に「ぼくわかんないよ、どうしよう」と言っていたらしい。私には興奮しているように見えたけど。2歳のKe、4歳のKa兄弟も、舞台に乗るだけで上出来。
発表前の場当たりでは、長男に任せて、私は会の進行役をやっていた。だいたいいつも地区発表会の時は音響やら進行やらあって、私のパーティの子たちは自立せざるを得ない状況だ。でもそれで育つのだと思うから、大きい子に任せることにしている。小さい子たちもこういうときは神妙に言うことを聞くようだ。
いよいよ発表。まあ、ひと言で言えば、「チビッコ運動会」 ちびラボたちが、実に楽しそうに混ざって走り回っていることか。あれえ、ウサギ役じゃない子が、ウサギになって一緒にすわっているよ。にこにこして。今まで一度もやらなかった子が、今日は出ているじゃないか!ちびたちがついてきてくれない、言うことを聞かないと言って困っていた大きい子たちも、自分たちがしっかりするとみんなついてきてくれることを学んだろう。あんなに楽しそうにちびたちがやれるというのは、大きい子が成長したおかげだ。クリスも一生懸命よくやってくれた。「ぼく、どうだった?」まんざらでもなさそう。長男は初めてこんなに緊張したと言い、「膝ががくがくした」そうだ。今回、急遽友達のピンチをすくった経験をした彼ら。成長したなあ。ことばも、最後にはひとりひとりよく頑張ったものだと思うし、ドタバタしたけど、いい発表だったと思っている。この子たちの未来が楽しみだ。
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上海最終日は、半日自由行動の日。Oさんと「オペラ」でパンとコーヒーの朝食をとり、作戦を立てて、高架鉄道と地下鉄を乗り継いで繁華街へ出る。切符が安い。上海博物館をじっくり見て回り、そこのブティックで買い物をする。今まで「シルクのスカーフ安いよ安いよ」とどんなに言われても買う気がしなかったけど、ここですてきなのを見つけて、3枚も買ってしまった。
そこからにぎやかな南京路を通り、一日目の観光に来られなかったOさんのために、バンドへ向かう。途中のレストラン「天水」で昼食。おいしー!この日は通訳してくれる人はいないのだけど、食い気に勝るものなし?バンドは1920年代の建物が黄浦江沿いに並ぶ上海一の名所。そこに来れば世界の建築物の博物館のようなもので、古い上海と新しい上海(対岸の浦東地区)を一望できる。
バンドから金陵路へ抜ける道はレースや布地の問屋街とでもいおうか。生活感あふれる道筋。豫園も近い。金陵路は、楽器街。そこでたまたま入ったお店で藍染めの綿のチャイナブラウスを買う。いやあ、Sが元気になって上機嫌のOさんがスポンサー状態。傍目から見たらどんなカップルに見えるかしらね?ふふふ。
夕方ラボっ子たちが続々とホテルに集結。外語学校でお別れ会をし、夕食は招待所でビュッフェ・ディナー。最後の最後までいたれりつくせりで、本当に感謝感激。Sが、「一日のみのホームステイだったが、家族の愛情と上海のすごさを感じることが出来た」と言っていた。北京で別れるときに他のテューターの皆さんからいろいろ小物をいただいていたので、それをくじ引きの賞品にして、お楽しみにしてもらう。校長先生は「つまるとコミュニケーションに困ります」を引き、耳かきが当たった。「筆談に必要」を引いた先生方は、4色ボールペンなど。「中国式のお手前もすてきでした」を引いた先生は、野点セット。などなど。賞品のレベルに差があるときはこんな風なくじ引きにすると楽しくて失礼にならずにすみますね。
ディナー中ににわかに慌ただしい動き。長春から上海に着くはずのグループが黄砂?とにかく視界不良で、南京におりてしまったというのだ。旅にはそういうトラブルはつきもの。そんなときも、頼りになるRさんのおかげで、夜中の高速をバスでひた走り、朝方無事合流。
つかの間の仮眠のあと、空港へ。ここで、成田組、中部組、関空組、福岡組に別れ、それぞれ引率者が引き連れて帰国の途につく。長春から来たグループはバスの中でしっかり寝たと見え、帰りの飛行機の中では元気いっぱい。上海組の方が、ホテルで寝ずにおしゃべりしていたかな?機内食も食べずに爆睡。
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午後はラボっ子たち、ホストの何人か、それから日本から留学している高校生も一緒に豫園へ。前日の観光も日本からの留学生がついてきてくれたのだが、ラボっ子どうし仲がよすぎて入り込めず役に立たなかった。この日は予め、「高大生の女の子のところへ行って」とアレンジしたから、大成功。
豫園は、明代の庭園でお土産物やさんもずらり。日本で言う浅草みたいな感じ。日本語の江先生もついてきてくださった。お茶やさんで試飲をした。これが昔祖父と飲んでいた煎茶の味を彷彿とさせるおいしい緑茶で大感激、早速買う。他にプーアル茶・ジャスミン茶・菊茶・お茶菓子などを買い、ラボママたちに玉の指輪やブレスレット、息子たちにTシャツ。
Sもすっかり元気になって一泊だけになってしまったがホームステイに入った。私たちもとてもうれしくて、夜、出かける。夕食後、私はOさんと上海雑伎団を見た。すごいね~。だいたい、上海の人は普通の人も、普段の交通で慣れてるもんね。すごいの、交通事情が。北京でも桂林でも、人・自転車・リヤカー・車・トラック・バス・・・そういうものがごったに押し通っているのに驚いたけど、上海が一番すごいと思う。ロスのハイウエイはローラーコースターライド、という歌があったけど、そんなもん、上海のタクシーに比べたらゴーカートみたいなもの。上海通のUテューターでさえ、「前をみんごつたい」といっている。足元を見るとブレーキ踏んでるし。
夜、ホテル近くの美容院で髪を洗ってもらう。Rさんのお薦めのひとつが洗髪。すごく安いし夜遅くまでやっている。桂林で見かけたけど、入るまではね。ロングヘアなので15元(1元=13円つまり15元は200円くらい?)予め濡らすことはしないで、イスに座ったまま洗う。シャンプー液に水?を少しずつ加えては泡立てていくみたい。頭やこめかみのマッサージが気持ちいい。1回目の泡をしごいて2回目のシャンプー。その後シンクへ行ってお湯で洗い流す。ぬるいドライヤーに手ぐしでかわかす。ブローブラシは使わない。肩、首などのマッサージもしてくれる。髪がサラサラになり、頭がとても軽くなった。
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上海外語学校での授業。グループを2つにわけ、書道と手芸のクラスへ行く。気が重い。書道と手芸。私の最も苦手とするところ。仕方ないか、これも国際交流。そう思って書道のクラスへ行く。ところが、私につきっきりで教えてくれたのは、次男と同い年の注の男の子ふたり。日本語専攻ではないのに、こんなに親切にしてくれる。筆の持ち方から墨の付け方、下ろし方、はね、はらい、とめ・・・かんべんしてくれー。妥協というものがない。言葉が通じないと、日本語専攻のかっこいい高校生(長男と同い年)を呼んできて丁寧に教えてくれる。高校生の方は適当に社交的に、「上手ですよ」なんて言うのだけどね。そのうちに中学生二人が英語専攻ということが分かり、にわかに話が通じ始めた。一生懸命でかわいい。おかげですごく上手になったと思う。時間ぎりぎりで書き上がった「中日友好」 今までこんなに上手な字を書いたことがない。しかし彼らには満足できるものでなかったのか、自分たちで書いた「中日友好」に贈加藤倫子といれたものを持ってきてくれた。なんてかわいい子たちなの!
手芸。書道で精神力を使い果たして、もうだめだと思いながら次に挑戦。中国結びをつくる。板にビスを差し込んだ型を使って編んでいく。結構やれる、と思っていたが、フィニッシュでわけが分からなくなり、救援要請。先生が呼ばれてきて、それこそ真剣に直そうとしてくださったが修正不能。ご自分の首に掛かっていたものを外してくださった。「あ、ラッキー」とラボっ子。ほんと。
ああ、腹ぺこ。食堂へ行く。前日ラボっ子がたくさん残して、心苦しかったので、この日はうどん一杯だけにしてもらっていた。これは正解。みんなほとんど残さず食べた。午後の再集合まで、ラボっ子たちは自由行動。それぞれにボールあそびをしたり、おしゃべりしたり。
私たち大人も、一息入れようということで、「ケーキとコーヒー、行こうよ!」と誘う。調べはついてる! 朝、ホテルから学校までの道のりを反対まわりして好ましげな喫茶店「オペラ」を見つけておいたのだ。おいしそうなケーキやベーカリー。そこでケーキとコーヒーを食べ、ああ、ひさしぶり~。甘いものが食べたかったのよね。
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あきる野市と姉妹都市交流をしているアメリカ・マサチューセッツ州のマールボロウ市から、13歳のクリス・アモリム君がやってきた。あきる野の各中学に一人ずつの割合で、10日間のホームステイである。
昨日の引き渡し早々、ラボの合同練習。24日の地区発表会でオオクニヌシに一緒にでてもらうのだ。ちびラボたちは大はしゃぎ。中学生たちも沈滞ムードがいっきに華やぎ、楽しくやれそうだ。クリス君がまた、いい子なの!ちびラボを追いかけ回し、追い回され・・・クリスはテーマ活動では高校1年のK子にくっついている。そこまで近寄らなくても、と思うほど近くにいる。K子ちゃんを信頼しているんだね。
ご両親はブラジル人。クリス君だけがアメリカで生まれていて、親戚もみんなブラジルにいる。従って、ポルトガル語が出来る。他にスペイン語、日本語も勉強中。オオクニヌシでは八十神とナレーションにはいってもらう。「ワクワクシテイマス」とは本人が日本語で言った言葉。
今日は市主催の都内見学のあと、急いで発表会の実行委員会。大勢のティーンエイジャーに囲まれ、SBを踊らされたり、目を白黒。同じ地区のTテューターはブラジルに住んだことがあり、それが縁で話が弾むのだが、クリス君、Tテューターの風貌がブラジル人に違いないと言い張る。
クリス君と同い年の次男がよくお世話をしてくれる。やっぱり同年代っていいね。寝るところも、いつものホームステイだとラボルームにしているお座敷なのだが、今回は発表会間近で私の仕事部屋にもなっているので、子供部屋に押し込んだ。3段ベッドの最上部に窮屈そうに寝てくれている。 13歳でも慎重は175センチあるらしい。私が仕事しているとおしゃべりに来て、かわいいんだよね~。
長男次男はともかく、三男が話についていくところがすごいね。わかるんだ。げらげら笑っている。やっぱり、受け入れっていいね、と思う。
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月壇でのお別れ会で李校長先生がスピーチしていた言葉に「コミュニケーションに痛みや不安が伴うのは当然」があった。本当にそう思う。齟齬というものがあるから、それを克服していこうという姿勢が生まれる。その働きかけこそが素晴らしい体験だと思う。たとえば実の親子でも。お互いに分かり合おうとしなければ、ね。そういうことを学ぶとてもいい体験だったといっているのだ。
ラボっ子代表でスピーチした愛ちゃん。小・中・大と三回目の参加で、それぞれの年代の気持ちが分かるという。参加する年代で経験も違うから、再び参加する事を勧めるという。これは私が父母会で「キャンプは通うもの」といっているのと同じ言葉だが、それを国際交流で言うとは恐れ入る。さらに続ける。中国の子供は一人っ子で甘やかされているという印象があるかもしれないが、その恩返しをするために勉強し、頑張っている。自分の将来のためだけでなく、国のためにも。自分は「国のため」と考えたことはなかった。しかし大学生になった今、強くそれを感じるというのだ。一人一人の人間で国が出来ている。一人一人が頑張らなければ。
中国交流でこんなに成長するラボっ子たちの姿を見せてもらい、この交流の教育力の大きさを知る。ラボの三本柱ふうに、こんな図を考えた。「国の将来」「教育」「経験」国策としての「教育」があり、教育が「経験」を通して人を作る。経験をした一人一人が「国の将来」をになっていくのだ。
北京から上海へ。私としてはいよいよ引率の一人という感じだ。旅も半分終わり、いろいろ考えるところがあり、Oさんに思いの丈を伝える。たじたじとなるも、聞いてくれるのは昔なじみのおかげ。上海外語大付属外国語学校に到着し、ホストファミリーが次々にラボっ子たちを引き取っていく。北京を出るときから熱のあったラボっ子Sは、私たちと一緒にホテルに泊まることになった。熱といっても元気なので、疲れが出たのだろう、唐辛子の食べ過ぎじゃないの?というくらいに思って、今日は静かにしていようと、ホテルで過ごす。
翌日、上海外語の交流会。北京の政治色の強いセレモニーとは異なり、こちらは生徒の企画運営。私も突然、お茶のお点前をすることになった。日本からひょっとして使うかな、と思って持ってきていた籠に入った野点セット。北京でわかれたテューターたちからいただいたお菓子も合わせて、先ず日本のお菓子を食べてもらい、それから順にお茶を取りに来てもらう。野点用のお茶碗はひとつしかないし、それで点てるだけ点てて、プラスティックカップにすこしずつ分け入れ、お味体験してもらう。
午後は上海名物パールタワーなど観光。黄浦江をクルーズ。1920年代の美しい建物が並ぶ。夫の務める半導体会社「ルネサス」の看板が上海にあるので、見て写真でも撮ってこようと思っていたら、ありました、ありました。ルネサスは漢字で「瑞薩半導体」という。
熱がまだあったSは上海外語学校の留学生がいつも行くという病院で見てもらうことになり、日本語の先生が付き添ってOさんが連れて行っていた。点滴でもしてもらえば、安心だろう。夜はどこかに出かけましょうということになり、林さん、Uテューター、Oさんと私でタクシーに乗り、繰り出す。そこへ病院から電話で、もうほとんど目的地だというタクシーの運転手に事情を話して病院へまわってもらい、そこで待っていてもらって、病室に行く。おや、元気そうじゃないの。相談の結果、心配する病院の先生には申し訳なかったけど(だいぶおどかされた)、退院することにする。待たせてあったタクシーで私たちが先に帰り、林さんとSが後から帰ってきた。腹ぺこで、のどがからから。入院しているより、水を飲み、薬を飲み、食べられるものを食べて、寝ている方がいいだろう。翌日、ホームステイに入れるほど元気になった。
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ギャップを感じる機会の多かった今回の中国の旅。中国交流に対する関心も東京と現地入りして他支部のテューター・ラボっ子たちと出会って、格段に違うことを知る。こんなすばらしい交流が行われていたとは。こんないい子たちが育っていたとは。こんなに支えてきた人達がいたとは。がーん。
飛行機の中でフライトアテンダントに、飲み物をもらう。私が英語でオーダーする。通じない。あら、と思って、ゆっくり繰り返す。やっともらえる。と、となりのラボっ子が堂々と中国語で注文し、お目当ての飲み物をゲットしているではないか。か~。自分がなんと情けないことか。
李校長先生ご自慢の鳳山温泉。日本の温泉施設を模した作り。北京の裕福な人達のリゾート地。たくさんの服務員(従業員)が、下にも置かぬもてなしをしてくれる。というか、なんでこんなに服務員がいるの?温泉の湯に入るたび、段差のあるたび、階段のたび、ドアのたびにアシストしてくれる。そこで伸びやかに過ごす生徒たち。そのすぐ側には、貧しい生活。この温泉の建設が進めば進むほど、この人たちの生活とはかけ離れたものになり、やがては住む場所を追われるのだ。
そして桂林。なんとすばらし景色。本当に墨絵。雨上がりのもやがぼおっとかすんで、えもいわれぬ情景である。晴れていれば、水に鏡のように映るのだろう。どんな天気でも現実とは思えないほどの美しさだ。
私たちがこんな風景をながめながら離江下りをしているその船に、竹の筏でやってきて、ものを売る人々がいる。行く先々でも、物売りに囲まれる。小さな男の子が、Hテューターのコートのすそをしっかりつかんで放さない。涙でぐしょぐしょの顔。毎週来るキディさんの男の子そっくりのその顔。教育もなく、職業訓練もうけず、観光客に依存している暮らしがある。桂林空港に着いたとき、ほとんど人がおらず、だだっぴろいがらーんとした空港に驚いたが、帰りはゲートまで並ぶお店。いくらなら買う?とついてくる店の人。
北京から遠く離れたオプショナルツアーで、フライトスケジュールに振り回され、北京に帰ったのは夜中。翌日は上海に発つ。
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幸せなマグロ、ししゃも状態ですっかりリフレッシュして、3日目は万里の長城へ。北京は政治の中心、歴史的建造物、近代的なビル、そして鳳山温泉や万里の長城も北京市だ。おっそろしく広いということだ。北京にのびている万里の長城には八達嶺長城などがあり、私たちもそこへ行った。
八達嶺長城(バーダーリンチャンチョン)は北京周辺では最も早く修復された観光用の長城ということで、多くの観光客でにぎわう。登城口から左は急勾配、右はなだらかである。人が行かない方をということで、私は事務局のMさんと左へ行った。右の方へ行った人々が長城の上にありのように見える。九州の梅木Pの参加者がそろいのオレンジのシャツで、アリの行列の中でもよく目立つ。さっそく物売りの攻勢にもさらされながら、素晴らしい景色を堪能。よくこんなの造ったな、という感じ。だって、本当に広大で険峻を極める地だ。この峰を馬が越えるのか?もちろんはじめは土塁のようなものだったらしい。それが何百年も作り続けられた結果こういうことになったわけだが、破られるときもあっさり破られている。この峰に何十万という大軍が立ったことを想像する。だいたいそのための兵糧は?スケールがちがう。
夕方、民族飯店に戻り、再チェックイン。ここでテューターたちは予め申し込んで置いたホームビジットに出かける。私は三男がお世話になった幼稚園の先生が結婚されてご主人の駐在でいらっしゃるので、日本のおみやげをたくさん持ってお会いすることになっていた。この先生には次男もお世話になっており、息子たちの成長目を見張るばかりに聞いてくださる。まだお子さんもおられない新婚さんで、ご主人もご一緒。民族飯店まで迎えに来てもらって 楽しい外出。
北京で行きたかった場所のひとつに故宮がある。しかしスケジュール的にどうしても時間が取れない。そこで故宮を見渡せる景山公園にいくことにした。景山公園は金代の12世紀に北海を掘ったときにでた土砂を積み上げたものを元のフビライが皇族専用の庭園としたことに始まり、明代にさらに積み上げ、明最後の皇帝はここで皇后・皇女とともに果てている。清代に「景山」とされ、皇室の神聖な場所とされた。ここからの眺めは本当に素晴らしく、夕闇迫る紫禁城と北京の街をいつまでも見ていた。うすぼんやりとしているのは黄砂か?
麓では多くの北京市民が踊り、歌、ゲームなど、様々に興じているのもすばらしい。鍵子(チェンツ)という、バドミントンの羽のようなものを蹴鞠そっくりのやり方で遊ぶ競技をやっているグループがあり、それは何、どうするの、といろいろ教えてもらううちに、あげるよ、ということになり、いただいてしまった。じゃあ、お礼に日本のお菓子でも、と差し上げようとしたが、遠来の客人をもてなすのは北京人の誇りのようにいうので、ありがたくちょうだいすることにした。(と、先生のご主人が通訳してくれた)
景山公園を出たところでタクシーをひろう。ちょうどイギリス人が下りてきた。楽しんでる?なんて英語で話したら「ちょっと、英語分かるの!?」とすがってきた。この人たちはタクシーの運転手がホテルを見つけられなくて、そこで下りることになったのだという。英語・日本語・中国語でやりとりしていると、野次馬がワイワイ集まってきてしまい、これはやばいとお互い察知して、分かれる。英語がむしょうになつかしい。
夕食は全聚徳という北京ダックの専門店。タクシーの運転手が「その店はベストチョイス」みたいなことをいう。前門のその店に行ってみると、よくにぎわっている。ここを訪れた有名人の写真がはってあった。ロック歌手や俳優、カストロ議長、海部さんもあった。味?そりゃもう、おいしいのなんの。付け合わせの冷菜のほかは北京ダックだけをひたすら食べまくった。そういう店。デザートには、近くの店にいってヨーグルトを食べた。
天安門広場を通り、デパートへもちょっと足を踏み入れて、民族飯店へ帰る。明日は桂林へオプショナルツアー。
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