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中1のAちゃんのホームステイ先が決定した。今日書類が届いたのだ。電話で「今すぐ来られない?」といったらびっくりしていた。夜のことなので、私の方から押しかけていった。うう、感激。今年行く3人の中で第1号だ。早速書類をみせてもらう。オハイオ河の流域。Down the river・・・だあ!
Aちゃん、よかったね。やはり書類がくると、現実味があるね。おばあちゃんが病気になり、発表会にでられなくなったり、事前活動もでられず、一時は国際交流参加を諦めるかと、いろいろ試練のあったAちゃん。その大事なおばあちゃんが亡くなってしまい、悲しみの中にいる家族のもとに、もう一つの家族の知らせ。Aちゃんの成長をおばあちゃんが望んでくれたのかも知れないね、準備に間に合うようにしてくれたんだねというお母さんの言葉が私の心に深く刻み込まれた。
思春期真っ最中の子たちが、逡巡しながら、葛藤しながら、準備を進めていく。進んでいるとは言えない状況だな。不安定で、心配したらきりがない。大人はやきもきさせられてばかり。それでも、待っていてくれるもう一つの家族があるんだね。明日は事前合宿。迷わずに遅れずに行くんだよ。Tくん、AちゃんとKちゃんをちゃんと連れていってね。本人にしか乗り越えられない山があるんだよね。
去年、どうしようもない状況だった息子が、今年いく子たちを励ましている。どの面下げて、といいたいところだが、友達が迷って見せてくれるおかげで、まわりの子が成長できる。おたがいさま。ありがたい。
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次男をERに連れていった。腹いせにトイレットペーパーの包みをけとばそうとして、階段をけったんだって。夕食の自分の食器を洗わせているときに流しの前で肩を振るわせている。わらってんのかと思ったら、泣いている!中2の男の子が泣くほど痛いんじゃ、折れたかな、と思って、病院に電話したらどうぞというので、連れていった。夜の8時半頃病院に入る。以来、延々待たされ、初めて呼ばれたのが2時間後。それからレントゲンをとり、さらに待つこと1時間半、やっと言われたのが「骨折かも知れない、よくわからないので明日整形外科に行ってください」それからさらに待って、レントゲンの写真を借り、紹介状を持たされ、会計をし、でてきたのが、1:15AM。4時間半だよ。
途中、何度も何度も救急車がきて、その都度、順番はなしになる。しかたない。死ぬほどのけがでもないんだもの。次男も待ちくたびれて、ベンチや車いすで眠りこけている。8時半に入ったときは、まさかこんなに待つとは思わなかった。病気だったら、家で寝ていた方がぜったいにいいでしょうね。でも、骨折じゃあ、と思って我慢。この次は自分で添え木して、翌日整形外科につれていこうっと。
三男をテキサスでERに連れていったときも、帰りは夜中の3時だった。しかも「スーパーで熱冷ましを買え」と言われて、深夜のスーパーで買って帰った。親も経験です。明日は「母の会」と三男の学校の家庭訪問だよ。かたづけなくちゃ・・・次男を整形外科に連れて行かなきゃ。学校は?うーん。当分送り迎えか・・・
腹いせがとんだことになって、次男もさすがに「ごめんなさい」といっている。ったくね。総身に知恵まわらせろってんだ。
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今日は北関東の与野本町で、英文学の吉田先生のコルデコット講演会。ところが朝起きると雨! おまけに「武蔵野線で信号故障」えーっ! 長野のYテューターと与野本町の駅に9時半の待ち合わせ。連れていってもらわないと、講演会の場所がわからないという事情で、7時半すぎ急いで家を出る。「もういくのか?」長男がものいいたげな・・・かかずらわってると遅刻だ!駅までのせてもらいたかったんだろうけど。次男はまだ家にいるし、三男は運動会の代休。彼らにつきあってる暇はない。
拝島駅まで車で、すいていれば15分のところ、やはり30分はかかる。この時間帯は結局渋滞に捕まるだけなのだ。だから10時新宿はいいけど、9時半集合はいやなの。でも今日は北関東だし、初めての場所。いかねば~。武蔵野線に乗れば、意外に早く着く。新宿のラボセンターに行くのと同じくらい。西国分寺で武蔵野線にのり、武蔵浦和で埼京線に乗り換えるだけ。ところが、今日は信号機故障だとかで、ダイヤはめちゃめちゃ。新宿へでた方がいいだろうか、でももうそんな時間はない。止まっている訳じゃないんだからと思って西国分寺で武蔵野線に乗る。やはり、おそい。新秋津で、「埼京線に乗る人は西武池袋線で池袋にでてください」などとアナウンスしている。え?そんなこと急に言われても・・・動いているならあと数駅で武蔵浦和だもの、このまま行ったほうがいいんじゃないの?運転手が走ってきた。わかった。乗務員の確保ができていなかったんだ。なんでもいいから、安全運転で行って。
元のダイヤからすると1時間以上の遅れがあったようだが、そしてなんと埼京線まで遅れていたのだが、私としては10分かそこらの遅れで、与野本町に着いた。Yテューター、待っていてくれてありがとう。
吉田先生の講演会はとてもおもしろく、改めてコルデコットを手にしたくなった人が多かったんじゃないだろうか。私も何冊か手に入れているけど、活用せねば、と思った。午後は北関東の一日広場。東京支部のプレイルーム研究会で「ベビーサイン」をやるので、そのインフォメーションをさせてもらった。皆さん、地区研や教務地区研の予定の方が多いらしいが、もしご都合が合えば、ぜひ、東京支部の方へ来てください。
他には中国交流の報告やキャンプのオリエンテーション。インフォーマティブな内容だった。参考にしよう。
さて、Yテューターと大宮にでて、ショッピング。彼女がいると、つい誘われて買ってしまう。うふ、私たち、ローズシスターズ、二人ともバラ柄がすきなのだ。気っぷのいい、豪快な買いっぷりのYテューターがいるので、私も一緒になってあれやこれやひっくり返し・・・「買わなきゃタダ!」と言い聞かせてきたここ数週間の誓いを破った。似たようなバラ柄を着て、似たような体格のYテューターだが、彼女といると、自分がどれほど丈夫で頑健でたくましい?か、思い知らされる。帰宅して、ぶあつい豚のソテー(脂身がおいしい)を食べ、バラ柄のどんぶり(カフェオレカップともいう)でご飯をお代わりして食べながら、あー今日もご飯がおいしい!と思ってしまった。
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国際シンポジウムで、日系人の果たす役割について語られていた。日本がアメリカとつきあって来た歴史の中での日系人の存在をもっと知るべきである。また、現在形でどれほど日系人に助けられているかも。日本がアメリカに進出していった影に日系人がどれほどその橋渡しをしたか、その功績が評価されていないか、も。
私たちのような短期間のアメリカ在住経験のなかでも、それがひしひしとわかる瞬間がある。日本からアメリカへ旅行に来た人達が白人とつきあいたがって、日系人を軽視する。親切にされても、利用した後、自分の功績のように振る舞う。そして、日本ではその実績を活かせる機会が少ない。私たちもラボをやっていなければ、アメリカに住んでいたことは「思い出」でしかないだろう。
そのラボも、4-Hとの交流は日系人であるカワグチ氏の橋渡しによるものだということをご存じの方は少ない。アメリカは、これでなかなか歴史、由来、過去の関係を大切にするということを、おぼえておかないと。これほど長きに渡り、多くの交流がなされた素晴らしい関係は、一人の日系人により始まるきっかけを得たのだ。今でも、カワグチ氏(息子のお嫁さん)によって貴重な役割が果たされている。
中国交流でも、在日中国人の林さんの存在は大きい。林さんの貢献により、どれほど助けられているか・・・病院でのやりとりでも、林さんがいたからこそと、感謝の念を新たにしている。国と国との間で、重要な役割を果たしている人達がたくさんいる。この交流で育てられたラボっ子たちも将来、そういう橋渡しをすることになるだろう。
在米日系人については、知っておくとよいと思う。日系人にゆかりのあるモーガンヒルに住んでいたので、その手の本は図書館にも豊富で、中には自費出版かと思われるものもあって、いろいろ違う立場から書かれた本を読むことが出来た。日本でも手に入るものでは、山崎豊子の『二つの祖国』はNHKの大河ドラマにもなったので余りにも有名。それからヨシコ・ウチダの"Journey to Topaz"はシリーズになっていて、アメリカの児童書の本棚にずらっと並んでいた。『トパーズへの道』という日本語訳がでているはず。そしてジャンヌ・ワカツキ・ヒューストンの"Farewell to Manzanar" またデイビット・ガターソンの"Snow Falling on Cedars"は、工藤ゆき主演のハリウッド映画になったのでご存じの方もいるだろう。日本のこと、日本人のこと、日本とアメリカの関係のこと、こういうことは、頭で思っているだけでなく、本で読んだりしていると意見も言いやすく、留学生たちにもおすすめだ。
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全米日系人協会と国際交流基金共催の国際シンポジウムが経団連ビルで行われた。アメリカで、カリフォルニアのモーガンヒルに住んでいたとき、日系アメリカ人と接点があり、ロスの全米日系人博物館にわずかながら寄付をして帰国した。以来律儀に案内状がくる。今回も全米日系人協会から、愛・地球博でのシンポジウム・レセプションに招待状が来ていたのだが、さすがに5月の平日に愛知県までは行かれないなあ、と思っていたところ、国際交流基金の方から東京でのシンポジウムの招待状が届いた。丸の内の経団連ビル。
座席には同時通訳の受信機とイヤホンが一人ひとつずつおいてある。よくテレビでみるあれです。実はこういう国際シンポジウムなんていうものにでるのは、初めて。4ーHの日米会議にはでたけど、英語オンリーですから。
来賓として河野洋平衆議院議長の挨拶。基調講演は、経団連副会長で東芝会長の西室泰三氏とアメリカ上院議員のダニエル・K・イノウエ氏。それからパネルディスカッション。モデレーターは、エアバス・ジャパン社長のグレン・S・フクシマ氏。概観のスピーチは竹沢泰子氏(京都大学教授・ハーバード大学客員教授)パネリストとして木全ミツ氏(NPO法人女子教育奨励会理事長)、エリック・K・シンセキ氏(元米国陸軍参謀長)、たい田英哉氏(国際交流基金日米センター所長)、そしてそして、あの、ジョージ・H・タケイ氏(俳優、全米日系人博物館名誉理事長)だ。
ジョージ・タケイ氏は、あの、スタートレックのミスターカトウですぞ。(映画ではスールー)テレビシリーズで、毎回ミスターカトウの真摯な活躍が頼もしく、映画でカーク提督の危機に際して、USSエクセルシオールの船長として登場したときには「ああっ!昇進なさっている!!」とうれしかったものだ。日系人俳優としてウオーク・オブ・フェイムに連なるのは彼だけだ。なにしろスタートレックのファンとしてはうれしい。
日系アメリカ人は苦難の歴史をもつ。苦労して海を渡り、働きに働いてやっと得た生活の基盤を、日米開戦とともに失う。収容所での生活は、日本人としてのルーツを否定するか、アメリカ人としての未来を失うかの選択を迫られ、家族の絆、家庭生活の基盤を破壊されるものだった。ジョージ・タケイ氏の言葉に、「日系人が独特なのは、一世、二世、三世、と世代によって顕著に異なる性格をもっていること」というのがあったが、まさにそのとおり。
カリフォルニアに住んでいたとき、いろいろ勉強しました。マンザナー収容所にも出かけていった。モーガンヒルに住んでいた日系人たちは普段ほとんど目立たないが、「春祭り」には全員集合。ここでの照り焼きチキン弁当の仕出しを手伝ったときは、パセリを見るのもいやになったほど。感心したのは、移ろいゆく日本文化と日本語を、奇妙に保持していること。日本人より日本人らしいかも、と思った。三世ともなると、ほとんど日本語を解さなくなる。歴史的背景もあるのだが、1世との日本語会話が家庭内の話題に限られ、しかも1世の出身である九州の田舎の方言だ。
カリフォルニア4-Hによるラボっ子のホームステイ受け入れで、日系人の家庭があった。とてもいいご家庭で、大いに感謝したものだ。ホストマザーが日系3世。日本語は全く話さない。受入を体験して、それまでうっとおしく感じていた父親の日本の話題(収容所を含めて)に親近感を持ったそうだ。ホストマザーのアイデンティティー発掘になったのですね。
さて、経団連ビルに行ったのは今日が初めて。東京に住んでいても、丸の内に行くのは珍しいことだ。今日の中高生クラスは「自主ラボ」せめて終わりのティータイムに間に合うようにと思ったが、JR東日本は今日は厄日。あちこちで不都合があり、私も帰りに総武線人身事故の影響で中央線もおくれ、家にたどり着いたときにはもうみんな帰った後だった。
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がーん!!!!生まれて初めて「おばあちゃん」と言われてしまった。今日は、PRのKaとKeを保育園に迎えに行ったのだ。二人は別々の保育園に行っている。お母さんが4月から復職し、4月中は発表会の合同練習、その後も来られる日に来るようにしていたが、遂に、私が保育園お迎えで、お母さんなしでラボをやってみることに。いつもはおじいちゃんがお迎えに行っているので、たまには、おじいちゃんもお休みね。
ちょうど次男がテスト明けで早帰りなので、一緒に迎えに行く。まずKeの保育園。一瞬、どうしてこのメンバーがここに?という顔をしたKeだが、すぐに次男に飛びついてきた。車までスキップだ。つづいてKa。ここで、「Kaくーん、おばあちゃんがお迎えにきましたよー」といわれてしまったのだー!!!「あのっ、おばあちゃんじゃないんですけど・・・」
じゃあ、どなた?ということになって、なんとなくしどろもどろになってしまった。担任の先生にはお母さんから、伝えてあったのだけど、園長先生までは・・・ところが、うちのラボっ子のお母さんがここにおつとめしていて(今日は早く帰ったのか、みえなかった)そのお母さんへのパーティ便りを時々次男が届けに来るので、「ああ、英語の先生の。礼儀正しいぼっちゃんがいる・・」ということになった。パーティ便りは封筒に入れて宛名を書いてあるので、保育園の郵便受けに入れればいいのに、わざわざ事務室まで侵入していたんだ、次男・・・ここにおります。
さて、大はしゃぎでやってきたKaとKe。フルーツソングをたっぷりやり、ガンピーさんもやったね。終わるといつもおやつなんだけど、今日は晩ご飯一緒に食べよ。今日のメニューは、十五穀ごはん、ほうれん草と椎茸とぎんなんがんも入りみそ汁、ぶりのみそ漬け、カボチャの煮付け、それから紫蘇ワカメちりめん入りコールスローサラダ。今日は長男が弁当を忘れていったので夕食が一人分浮いた、その一人分で充分KaとKeの晩ご飯の量が足りるね。次男が「この大根おろすよ」「えっ大根下ろしなんかないよ」あらー。大根下ろしを作るつもりでスピードカッターにセットしたまま忘れている大根が・・・いつのだろう?こりゃやっぱり、中身もおばあちゃんかなあ。
KaとKeは、「おりこうしないとお家に帰るんだよ」といわれて、おりこうしている。ははは、泊まりたいらしい。
私は、ラボのなかにこうやって「ご飯食べ」をいれるのがいいと思っている。いつもいつもじゃ大変だけど、たまにはね。準備しているとき次男が「どうしてうちでご飯食べるの?」「だって、いつもはお母さん7時過ぎに帰ってきてそれからご飯作るんだよ。それで次の朝7時にはもう保育園にいくんだから。」「へえ、おれよりえらい」(おかあさんがね)いつも大変なおかあさん、おじいちゃんの、Off ということもあるけど、ご飯を一緒にすることで手伝わせたり、おりこうさせたりするのがいいと思うのだ。特に、うちの次男三男がボスになっているから好都合。食べ終わって、生ゴミを「コンポスター」に入れに行かせる。三男が先頭でKaとKeが並んでついていくのがかわいい。お迎えに来たお母さんも「今日は一度も飲んでいない」というコーヒーを飲んで、二人も大喜びで帰っていった。
夜、お母さんからメール。なんとあのあと、Keがおたふくになり、夜間診療に連れていったのだそうだ。皆さん大丈夫ですかって。うちの子たちはアメリカで予防接種されているからいいけど、なんとまあ。上機嫌だったのにねえ。
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連続教育講演会「ラボ子育て支援講座」の第一回目が、青梅の今井センターで行われた。
5月は「マザーグース広場」講師は青梅の田上テューターだ。1歳児と2歳児を連れたお母さんたちが集まった。10時半からの開始なのだが、9時半から集まってきてしまったとのこと。そういえば、私も長男を育てているときは、もてあまして、8時半にはおでかけしていたなあ。(9時から11時まで公園、11時半にお昼ご飯だったっけ)
お子さんたち、1時間も待っているうち疲れてしまっただろうに、さすが田上T。あっというまに皆の注目を集め、気を惹きつけてしまい、1時間たっぷりと遊ぶことが出来た。
「くまさんが一本道を歩いていく」で始まり、ここでもうしっかり「今日はおもしろいらしいぞ」と子どもたちの目がランラン。かわいいくまのパペットが、皆の緊張を解きほぐしていく。そしてゆっくりと、おだやかにプログラムが進んでいくので、子どもたちが自然に入り込み、楽しんでいる。
Round and Round the Garden, Pat-a-cake, Balloon・・・どれも取り入れたい工夫がいっぱい。はらぺこあおむしはパネルシアターでやる。私が英語、田上Tが日本語で掛け合うようにしてすすめていく。こんな小さい子たちなのに、よくお話をきいていられるね。お話が終わったら、座っていたシートがぱたぱた・・・おや~。裏に何かが・・・わー!!画用紙の葉っぱに紙テープを編んだあおむしがくっついているものが、シートの裏にくっつけてあるのです。それをゲットして、みんな大満足。こんな工夫があったら、お話が楽しいね。
来週5/24(火)はあきる野ルピアで「マザーグース広場」をやります。田上T、よろしくお願いしますね。興味のある方、ぜひどうぞ。
6月は、連続教育講演会の第2回目。中部から近藤先生をお呼びして、「ベビーサインの会」です。6/14(火)あきる野ルピアです。13日が新宿でテューター向けのベビーサイン講習会ですが、14日は、親子の実践講座です。もちろん13日に行かれなかったテューターの皆さんや、保育関係のかたも大歓迎です。
こんな詩を作ってみました。言葉はすべてベビーサインでできるもの。サインと言葉でお話ししているうちに、赤ちゃんもお母さんもリラックスしていく様子を詩にしてみたのです。今日お集まりのお母さんたちに声に出して読んでもらいましたら、とてもいい感じでした。
あかちゃん どうしてほしいの?
なにがしたいの?
たのしいの? うれしいの? どうして うれしいの?
いたいの? いやなの? どうしてないてるの?
おなかすいたの? なにか ほしいの? もっとほしいの?
うんちでたの? おしっこでたの? おしえたのね えらいね
そうね くさいね かえましょうね いいこね よくできたわね
おいしいね もういらないの? これはだいじ もうおしまいね
あついの? さむいの? おさんぽにいきましょうか いいおてんきね
まぶしいね あ、わんちゃんがいる とりさんもね
おふろにはいりましょうね きれいきれいしましょうね
ねむくなったね
おやすみなさい
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「先生、それ、オオクニヌシのネックレス?」清岩院クラスにきている小2のTが言う。今日は、中国交流で買った薔薇の形をしたローズクオーツのネックレスをしていたのだ。
オオクニヌシの八十神のセリフにある「明日の朝になれば姫の胸には俺の首飾りがぶらさがっているさ」この首飾りってどんなのだろうね。石、さんご、木の実、骨、角、いろいろな意見がでた。「まがたま」ということばを知っている子はそういっていたが、まがたまがなにでできているのかはわからない。中国交流で、玉(ぎょく)のネックレスをたくさんかってきておみやげにした。みんなのは翡翠。魚や花、幾何学模様、ドーナツ型、ラボっ子ひとりずつ、すきな形の玉をえらんだのだ。
以来、ラボシャツ&ネックレスがセットと考えている子もいる。オオクニヌシの発表は白ラボTとネックレスがコスチュームだった。厳密にいえば、オオクニヌシのネックレス、というわけではない。でも、いいじゃない。言われてみると、いいネーミングだと思う。オオクニヌシのネックレス。
その妹(年長)は、おおくにむし、という。今日はレコーディングをしたのだが、遂になおってなかったなー。でも私は訂正しない。「に」と「ぬ」をつなげていうのは、むずかしいかも。いつか笑い話になる。物語を理詰めにして、子供が「わかっていない」と嘆く方もいるが、子供の理解の仕方は大人には計り知れない。おおくにむしでも、たのしくウサギになって鮫の背中を飛べたもの。
ヤングオオクニヌシとスサノオをやった兄弟の妹(3歳)は、まだラボっ子ではないのだが、家で聞いているんだね。お兄ちゃんたちの発表を見て「うさぎさんがね、かわいそうなんだよ。それでね、だいじょうぶなの」と教えてくれた。わかってるじゃない。今日体験ラボのあと、お預かりで、車に乗せてうちに連れていく途中、発表の時の録音をかけていたら「にーに!貴くんの声だ!」とおおさわぎ。初めはお兄ちゃんがどこにいるのかとキョロキョロ探していたけど。ふふふ。
こんなかわいい子たちの成長を見守っていけるなんて、なんてすてきな仕事だろう!
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GW最後の日。立川で行われた東京支部テーマ活動大会を見に行った。我がPからは、小2以下のNR広場に出る6人とその保護者、NR広場担当シニアをさせてもらう中2の次男と高1のK子、他に小学生6人中学生1人高校生1人の総勢19人で見学。立川なので近くてありがたい。五日市線東秋留に8:45集合、いったん拝島で降りて合流、9:20拝島発で立川へ。担当のある次男とK子は拝島で降りずに直行。今日の引率リーダーは高3の長男と中1のY子。バディも組んでさあ、出発。
サマーキャンプ初参加予定の3人を含んでいるので、サマーキャンプ行き帰りの練習なのだ。ラボっ子たちはラボシャツ、私は赤いラボハット、こうするとよく目立つから。思うに、市報の広告欄や電柱広告に?万円と払っているけど、ラボの行事の度にラボシャツラボハットという歩く広告塔をやれば(そしてお行儀よくすれば)効果は絶大だと思う。
昔はそうして歩いたもの。去年サマーキャンプの行き帰りに、「なんてかわいい団体!写真をとっていいですか」なんて言われたこともあります。
プログラム最初のNR広場。小2以下の「お母さんから離れられる子」たちが舞台に上がりSBをする。一緒に舞台に上がるシニアも初々しい顔ぶれ。うちの6人も、今年でNR広場卒業のC以外は初めてだ。おやおや、最前列で2歳のKeが大泣きしている!このあいだの「オオクニヌシ」の発表では上機嫌で突然ウサギになってやっていたのに。この間ちょろちょろしていたMは、今日はノリノリだ。ロックマイソウルのあいだじゅう大泣きのKe。うちの次男すぐそばにいるんだから、抱っこするなり、なんとかすればいいのにと、もどかしい。最前列が後ろにまわって次の曲。Kも2曲目になれば落ち着くかなと、私も担当のTたちも悠然とみていたら、お母さんが舞台のしたから呼んで降ろしてしまった。まあ、親としちゃ見てられないか。おにいちゃんのKaは楽しそうにやっているのでお母さんとしても目的は半分達せられたわけだ。
こんな小さい子たちが主役のNR広場なんだけど、私には高1のK子がまぶしい。彼女が幼稚園のころ、じぷたの歌が初舞台で、こちんこちんのお地蔵さんになっていた。かろうじて泣いていなかったが「一触即発」という感じ。実はそうなるのは目に見えていたので、「発表する」と言わないであっという間に舞台に上げてしまったのだった。あまりにもかわいくて今でもパーティの語りぐさとなっている。それが今では小さい子たちの面倒を見る側で舞台にのっているのだから、成長したよね。そうやって、大きくなった子たちが、何人もいたんだろうな。
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中国料理がこんなにおいしいとは思わなかった。以前カリフォルニアに住んでいたとき、中国系の人が多い地域でもあったので、中国系の人に人気のレストランにもよく行ったものだ。3,4家族で丸テーブルを囲んでいろいろ注文し、帰りはベルトをゆるめて運転して帰る。また友人と数人で行くランチは、飲茶料理。中国系スーパーでお総菜を買ってきて、家でたらふく食べたこともたびたび。でも、「やっぱり、日本のバーミヤンがあってるよね、私たちには」なんて思っていた。
日本ではバーミヤン以外は、高くて手がでない。それより、フランス料理とか、ステーキとかの方が好き。バーミヤンは、安くてたくさん食べられるから、うちの子どもたちを連れていてもまあ、なんとか。それでも何千円とかかる。
今回の中国交流では、宴会料理から入ったので、8人から10人で囲む円卓。いろいろな料理が次々にでて、本当に楽しめた。まず、席に着くと、冷菜。ここからもう感激もののおいしさ。湯葉の細くしたものが辛目の味つけになっているもの。すぐきか、晩菊か、というような漬け物に、小さい大豆が入っている漬け物。この大豆は小粒納豆のような食感で、粘りはない。これだけでご飯がどんどん食べられそう。それから次々にでてくる温かい料理。北京では宮廷料理。日本で知っている中国料理なんて、本当にわずかなのね。それから、野菜が、なんでこんなに、と思うほどシャキーンとしている。円卓を回すのも楽しく、時計回りに順に取っては回していく。観覧車のように、一人ずつ回すたびにまた新しい料理があり、各駅停車で止まってはとる。どんどん取る。
北京でおいしかったのは、民族飯店のレストランと、鳳山温泉の料理。もう朝から中華バイキング。私朝は食べないの。なんていっていたのに、朝からごちそうさま!北京在住の友人に連れていってもらったのは、北京ダックの専門店、全聚徳。北京ダックと冷菜だけでどんどん食べてしまった。デザートに食べに入った、ヨーグルトの店。普通に宴会料理だと、デザートはフルーツ。スイカやパイナップル、リンゴ、みかん。中国の大きさを感じさせられる。
桂林では、広東料理と四川料理を取り合わせた感じの「桂林料理」 璃江の魚料理が中心で、肉はあまりなかった。ここでも野菜がおいしい。ビーフンが名物というので、ビーフン好きの理事長がとても期待していたら、おなじみの細いビーフンではなくて太い麺。ほとんど焼きうどん。これもおいしかったけど、細いビーフンにこだわる理事長が、食い下がっていましたね。それからベトナムのフォーのような麺に豆板醤のようなものを入れて食べる。また腐乳という豆腐のチーズ、これがおいしい。この二つは店で買って帰ってきた。「桂林辣椒醤」と「辣香腐乳」桂林三宝、というから、もうひとつはなんだったのかしら。腐乳は帰国してからあったかいご飯にのせたり、納豆に混ぜたりして食べたら絶品。辣椒醤は、麻婆豆腐にいれたり、焼き肉の時にしょうゆに混ぜたりして食べたらおいしかった。
上海では、期待していた上海がには季節はずれだったらしく、蟹そのものをかぶりつくことは出来なかったが、蟹みそが入った料理はいくつも食べた。おいしかったのは淡い味のスープに野菜とはんぺんか、しんじょのようなものが入っているもの、とんぽうろうのような、豚肉の煮込み!それから、ああ、料理の名前がでてこない。
喫茶店オペラで食べた朝食のパンも、こんなの食べたことない!と思うくらいおいしいのがあった。来年上海外語学校へ行く人はぜひ、オペラへ行ってみてくださいね。
お茶。茶専門店で、試飲しながら買う楽しさ。緑茶は全然考えていなかったのに、実になつかしい味というか、おいしくて、たぶんいいものなんだろう、中国のわりには高かった。ジャスミン茶は、ちいさいパール状のものや、鳥のような形をしているもの。パール状のものは、お湯を入れるとすごく量がふえて、まるでひじきのよう。鳥の方は花がさく。菊茶は、Uテューターおすすめ。お酒が飲めない私は食事の時に飲むものがなくて困っていたけど、このお茶をしってからは、堂々と注文できるようになった。お肌にいいんですって。茶店の人に聞いたら、プーアール茶(これも買った)に菊茶を入れて飲むのがいいんだって。
さて、中国のおみやげに買ってきたものに、プリッツがある。日本でも観光地などにご当地プリッツがあるでしょう。大きいやつ。中国にもありました。北京の北京ダックプリッツ、上海の上海蟹プリッツ、四川の麻辣プリッツ、広東のフカヒレプリッツ。プリッツは、中国語で「百力滋」といいます。
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