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イザナミ |
02月08日 (金) |
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中村安世子さんの葬儀は、神道だった。谷保天神さんが祭主としてみえ、古事記ゆかしき
祝詞(こういう場合もそういうんだろうか?)があげられた。
悲しくて悲しくて、いろんな事がすっとんでしまったり、また、いろんな事を思い出した。
元多摩地区のテューターたちとも語り合った。いろんな事があったよね。
あったかくてやさしい人だったけど、厳しくて強い人でもあった。
正直だったから、滅多なことではほめない。中村さんに認められた時はうれしかったよね。
ラボっ子たちに対しても、手取り足取り面倒を見たりせず、老婆心から先回りしたりせず、
「自分でここまであがってらっしゃい」というスタンスだった。
エクスキューズは、通用しない人だったね。
中村さんのまえで、恥じないラボを、と思ったものだった。
中村Pのテーマ活動はすごかったよね。なんせ「人生すべてテーマ活動」だもの。
東京支部のテーマ活動発表会に最後にでたのが、「国生み」で、
カーキ色のTシャツに墨痕あざやかな中村さんの字で「人生すべてテーマ活動」とあった。
それを背負って発表するラボっ子たち。
私のパーティもたまたま同じカーキのパーティTシャツを作ったのだが、
中村さん曰く「国防色」
カーキと「国防色」では、重みも違うねと笑いあったものだ。
このあいだの東京支部高学年活動発表会では、中村さんの最後のラボっ子が、
現在のグループTシャツの下に、このTシャツをきて発表に臨んだと聞く。
そして、棺のなかに、このTシャツを入れているOB。
中村さんと古事記・・・。
中村Pのスサノオ、国生み、地区高学年活動の国生み、わだつみ、どれも忘れられない。
そして、テューター研修での国生み。
「国生みを雁さんの直弟子のあなたを通して経験したいわ」とおっしゃって、
春の地区研修で国生みに取り組んだのは、1995年。
ちょうど、三男がお腹にいる頃で、日を追うに従い「危なっかしくて見るに堪えない!」と、
私は表現してはいけないというお達しがでて、初めのナレーションのみ。
(発表の日(7月始め)は臨月に入っており、それから2週間後に生まれました)
私は晴れ女なのよ、と言うとおり、昨日も今日もいいお天気で。
時代が変わって、中村さんのようにはもうできないと思うが、
そんなエクスキューズは中村さんには通用しないなあ。まだまだだなあ、私。
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