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おとなのための物語 |
02月26日 (日) |
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わかものフェスティバルの発表を見に行った。全国のテーマ活動好きな大学生たちが、
それぞれの支部で練り上げたテーマ活動を見せてくれる。
ラボライブラリーもあり、オリジナル作品もあり・・・
ラボライブラリーだとこちらも熟練?しているので、大学生だからというハードルの高さもあり、
どうしても評価がきびしくなる。
だが、こちらも想像力をはたらかせてテーマ活動を見るという環境設定もできている。
オリジナル作品の場合は、初めて見る作品が、言葉として、表現として、伝わってこなければならず、
共感も得られにくい。
さて、この日の発表は、ラボライブラリーの作品に関しては、表現もすばらしく、完成度の高いものだった。
だが、やはり、ラボのテーマ活動の特性(全年齢楽しめるという)を考えてしまい、
小さな子どもの表現の発露には適わない、という思いも抱いた。
ライブラリー以外の作品では、一般の舞台としてみてもなかなかのものだった。
ただ、一般のように衣装や舞台設営の演出がなされないので、わかりにくい面もどうしてもある。
北関東のシェイクスピアは、とてもすばらしかったが、登場人物の見分けがつかないため、わかりにくかった。
コメディ部分はさすが、表現力あるなあと思ったが、それだけで終わりたくなかっただろう。
「テーマ活動にする」ための同じ白Tシャツ・ジーンズが、表現のじゃまをしたとも言える。
千葉支部のトルストイは、感動的だった。人数に制限があるため、背景などの描きこみは捨て、
人物の表現に的を絞ったのがよかった。
逆に、人物の表現がすばらしかったため、その人物が別の役(ナレーションなど)になるときに、
こちらの気持ちが切り替えられなかった。
東京支部のオスカー・ワイルドは、人数を活かして、背景もよくぞここまでと思う念の入れよう。
テーマも素晴らしいと思い、彼らの年齢や境遇にもふさわしいと感じた。
幸福な王子のつばめと王子の交流を思いながら、自己犠牲や報われない思いについて、
またそれ自体のうつくしさについて、考えている自分がいた。
考えさせられたのは、大学生が表現したいテーマについて、その表現方法について、だった。
ことばとものがたりと交流のラボが、原点にしているのは、何もない環境でもできるテーマ活動だ。
けれど、そこからどのように遊んでも、実験してもいいのが、ラボじゃないか、と思う。
テーマ活動だって、そのような土壌から生まれ出でてきたのだから。
すばらしい四国支部の一人テーマ活動の「鮭」を見ながら、
ニコルさんが二十年くらい前におこなった映像と音楽と語りのステージを思い浮かべた。
あれから、映像技術も音響技術ももっと発達し、プロでなくてもその技術に手が伸ばせる現代、
大学生たちの表現として、人体以外の発表も見てみたいと、四万十の鮭の遡上を思い浮かべた。
テーマ活動を見る上で、こちらも想像力を働かせてみることは重要だ。
たとえば、少ない人数でやっているのに、背景まで見えてしまう!
という発表に出会うこともあり、感動する。
そのことばや表現が、こちらの想像力をどんどん引き出してしまう発表があるのだ。
だが、多くは、表現の限界をみせられる発表にも出会う。
頑張っているな、とは思うけれど。
たとえ人数がいても、単調で奥行きの乏しい発表になる。
ラボライブラリーには、いい作品がたくさんあり、発表者のことばも表現もまあまあだったが、
大学生として表現するなら、もっと踏み込んでほしいとも思った。
あるいは、おとなとして、取り組みたい作品として、どうなのか・・・
見応えのある、すばらしいわかものの発表に、いろいろと考える材料をもらって帰った。
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Re:おとなのための物語(02月26日)
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SENCHOさん (2012年02月27日 16時35分)
かなりの不分でご意見に共感。ぼくまもなくしゃん芯と感想日記にアップします
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