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ハーパーズ・フェリーの思い出 |
02月11日 (土) |
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思いがけず?「ことばの宇宙」に、ジョン・ブラウンの記事が載り、ハーパーズ・フェリーのことも
知っていただけたと思う。
FCC参加のために渡米した翌朝、ホテルの近くで朝食をとり、レンタカーを借り、
パットの運転でハーパーズ・フェリーへ。
紅葉がすばらしい。アパラチアン山脈が迫り、シェナンドー河、ポトマック河・・・
ハーパーズ・フェリーは、バージニア、ウェストバージニア、メリーランドの三つの州が交わる地点。
かつては交通の要所として、また武器製造の要所でもあり、ジョン・ブラウンの急襲を招く。
また河の交わる地点で、増水の時期にはたびたび洪水にも見舞われている。
それでも古い町並みが保存されていて、とてもすばらしかった。
ときどき聞こえる汽笛は、いまでも炭鉱から石炭をはこぶ貨物列車だった。

お昼には、おすすめのソフトシェルクラブのバーガーを食べてみた。
飲み物はもちろん、地元のルートビア。昔の風邪シロップの味がした。

ジョン・ブラウンに呼応した北部の人達がどっと南北戦争で南部に押し寄せ、
あるグループは、教会の鐘を奪って帰った。
自分たちの消防署に鐘がなかったから・・・というのだが、
重いのに、どうやって持ち帰ったんだろう。
その鐘が「ジョン・ブラウンの鐘」として、マサチューセッツ州マールボロウ市にある。
近年、バージニアの町から返還希望が出たが、ピケをはって断固反対したそうな。
南北戦争の続きを、まだやってる、アメリカ人。
(日本でいえば、薩長会津・・・)
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