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帰国しています |
11月17日 (木) |
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ワシントンDCでのFCC(フォール・コーディネイター・コンファレンス)が終わったあと、
VAのジュディ・アン・フレイさんのお宅に二晩お世話になった。
まず、ちょっと説明。
ワシントンDCは、狭い四角形のエリアで、まあ、広義にはそのまわりの地を含む。
が、DCそのものはどの州にも属してはいない。
DCを取り囲むようにメリーランド州、バージニア州がある。
ホワイトハウスはDCにあるが、ペンタゴンは川向こうのバージニア州アーリントンにある。
コンファレンスを行ったホテルもアーリントン。
ナショナル4-Hユースセンターはメリーランド州シェヴィーチェイス。
だから、ちょっとぐるっとしただけで、DC、メリーランド州、バージニア州をまたぐ。
ワシントン・ダレス・インターナショナル空港はバージニア州。
ハーパーズ・フェリーはバージニア、ウェストバージニア、メリーランドの三角地点なので
行きはバージニアを通って、川を渡ってウェストバージニアに入り、帰りはメリーランドを通って帰った。
財団のM氏に
「到着翌日にバージニアとウェストバージニア、メリーランドに行ってきた。」と言ったら、
「You are so active!」と言うので、周りのアメリカ人みんなが大笑い。
そう話している彼も、気づかないうちにDC、メリーランド、バージニアを行き来しているのだから。
そして、本当に美しい。
DCだってその周りの地域だって、都会なのに木が多く、森もあって、紅葉が素晴らしいし、
ちょっと郊外へいけばなおのこと、うねうねした山の稜線、清涼な河、南北戦争の記念地・・・
なだらなにたちはだかるアパラチア山脈、シェナンドー河・・・おもわず、歌っちゃうよ。
「シェナンドー河」に出てくる「ワイド・ミズーリ」って、何のことだと思う?
ジュディ・アンに聞いてみる。
「そりゃあ、河でしょ。ミズーリ河。」
私もそう思っていたんだけど、もしかしてミズーリテリトリーじゃないかと思って。
「ミズーリテリトリー? あっ!そうかも! そうとも言えるわね!!」
だれか詳しい人いないかな?
ジュディ・アンの家は、DCから車でバージニアの西部に向かって2時間ほど行ったところ。
ジュディ・アンは祝祭のテーブルを飾る花(大量)やランタンをレンタカーで持ち込んでいるので、
帰りにまず花屋へ行ってランタンを返し、家で私の荷物と花を降ろし、レンタカーを返しに行った。
レンタカーは、シャーロッツビル空港のレンタカーだった。
こぢんまりしたかわいらしい空港だ。アメリカってどこにでも空港があるんだな。
トマス・ジェファソンの故郷なので、彼のことばが空港の丸天井の周りに施されている。
"I am as happy no where else and in no other society, and all my wishes end,
where I hope my days will end, at Monticello.
昼食、買い物、洗濯、お土産を渡し、夕方から地元の4-Hクラブのアチーブメントナイト、
教会の役員改選ミーティングディナー。
まんまるな大きな月が地平線から昇ってきて、まるで日の出のよう。
翌、日曜日は教会に行き、聖体拝領もして(ルーテル教会ではクリスチャンでなくてもやるんだって)
その後、シャーロッツビルへ観光に。
ミッキータバーンでメアリ・アリスと合流してフライドチキンなどこの辺りの伝統食を楽しんだ。
高校生の時ホームステイしたユタの家では、ほとんど毎日、夕食は
インゲンの煮たのと、茹でたトウモロコシ、ビーツの煮物、ハンバーグだったが、
このミッキータバーンでもおなじようなインゲンとビーツがあり、懐かしい!!!!と思って
当時のエピソードを話した。
それからトマス・ジェファソンの家「モンティチェロ」を見学。
モンティチェロは、二層構造になっていて、階下が台所やワインセラー、使用人通路になっており、
階上は工夫されたお部屋がずらり。
すべてにおいてトマス・ジェファソンの意をこらした建築であり、発明であり、インテリアである。
あらゆることに精逸した知識人、技能人であり、また多言語に優れた人だったようだ。
多くの名言を残した人でもあり、
"I cannot live without books."という鉛筆をラボっ子たちに購入。
メアリ・アリスは2003年と05年に我が家にホームステイしたバージニアのシャペロンで、
小学校の先生。
(ジュディ・アンのお孫さんがその学校にいるという)
「家族とラボっ子のためにお土産を用意したからスーツケース、空けておいてね」
とのことだったが、
「机の上にだしておいて、すっかり忘れた!!」という・・・・。いかにもメアリ・アリスらしい。
まあ、私たち、そういうことしょっちゅうよね。
夕食は、約束の天麩羅。えび、ズッキーニ、さつまいも、たまねぎ、アスパラ、ピーマン・・・
それが・・・大失敗・・・どういうわけかなかなか油の温度が保てず、衣がはがれちゃって。
白米は、California Sushi Rice というのをスーパーで見つけて、
ジュディ・アンが電子レンジで炊いてくれた。
だんなさんのジャックが、「これ、うまいな。オレは米が好きなんだ。」と言って、
作り方を覚える気になっていたのがかわいい。
ジャックは、エビが苦手だということだったが、エビの天麩羅はずいぶんお代わりしてくれてたよ。
翌、月曜日、IAD(ワシントン・ダレス・インターナショナル空港)に送ってもらった。
用心して早朝に出発したが、もう少しというところで渋滞。
「ダレスにはどう行ったらいいの?」ジュディ・アンが車に話しかけている。
「そのままの道でいいですよ。」「でも渋滞しているの、なんとか他の道はないの?」
「そのまま行った方がいいですよ。目的地はダレス空港でセットしていいですか?」
ジュディ・アンの車は、On StarというGPS内臓のナビゲーションシステムが搭載されており、
口頭で行き先を言うと、オペレーターが車の位置を確認して行き先を教えてくれ、
ナビをセットしてくれる。
結局、11時の飛行機だから、おそくとも9時半までにと思っていたのに8時に着いてしまい、
航空会社のカウンターも空いていなかった。
しばらく待ってチェックインし、帰国の途につく。
直行便は便利だけど、全日空だったのでいきなり日本語の世界に引き戻され、なんだかとまどう。
行きは空いててよかったけど、帰りは混み混みの窓際席で、
離陸前にトイレに行かせてもらった後は缶詰状態で、我と我が身を封印する。
成田からリムジンバスで立川へ、これも拍子抜けするほどスムーズに着いてしまい、
会社帰りの夫と合流して荷物を運んでもらい、自宅近くの駅から私と荷物だけタクシーで帰る。
帰宅すると次男が出てきて、タクシーから荷物を降ろすのを手伝ってくれたが、
よいっしょ~!と降ろしたら、そのまま荷物がて~っ!と走って転がって行ってしまい、
タクシーの運転手さんが大あわてで追いかけてくれた・・・
なんだか・・・帰ってきたという感じだよ。
さっそく、ご飯を作る。
自転車で帰ってきた夫が、途中、ハーゲンダッツを買ってきてくれたけど、
飛行機の中で食べたし、ここは寒いし、外食のほうがありがたかったんだけど、ね。
ま、いいか。
地下室の床が完成していた。
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