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ラボランドのシュラフ |
04月02日 (土) |
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先日、ラボセンターのTさんと話していたら・・・Tさんたちは東北ラボに救援に行って、
帰ってきたところだった。仙台の事務局を手伝い、テューターをたどってさらに北上していくと、
テューターどうしの情報で、どこそこの方がもっと困ってる、ということがつかめる。
東京の自治体での救援物資受付も中止となり、宮城県でも受け付けない、
多くの避難所でもう、物資余りが起こっていても、その先には行ってないことがある。
Tさんたちがいざなわれて行ったのは、女川だった。いろんな物資も石巻でとまってしまうという。
そこで、ラボランドのシュラフが、大昔のシュラフだが、役に立つことになったそうだ。
皆さんは知らないと思うが、昔キャンプが始まった頃、ラボランドの寝具はシュラフだった。
第1回目の黒姫キャンプは、1971年。森の中に点在する瀟洒なロッジに泊まったとき、
私の人生で初めて寝袋というものを見た。
以来、私にとって寝袋、というと、芋虫状のものでなく、ラボランドの封筒型のもの。
当時は、各自シーツを2枚縫い合わせて袋状にしたものを持参し、寝袋の中に入れて使った。
しかし、小学生が寝袋の中にちゃんと収まって寝ていられるはずもなく、寝るときは暑いからね、
それで夜更けに寒くなったときに、今度は簡単に入れない。
収納も簡単かと思うと、巻くのがヘタだったり、だらだら~っとなだれて来ちゃったりして、
それで割とすぐ、寝袋より普通の布団の方が使いやすいということになり、敷き布団が導入され、
そのうち普通の掛布とんに取って代わられた。
しばらくは、集雲堂で、登頂隊が泊まるときに使われたり、テント村(!)で使ったり、
本部で寝具が足りないときには使っていたのかな。
キャンプで、ロッジで寝袋で寝た、という人は、事務局でもいるかなあ?シーラカンスなみ。
あのシュラフが、まだあったんだ。
Tさん曰く、「ちゃんとクリーニングしてしまってあるものですから」
余談ですけど、
ラボシャツだって、アイロンプリントのラボマークが配られて、各自プリントしてきなさいだった。
当時白いTシャツといえば体操服しかなかったから、
みんな体操服にアイロンプリントしたラボシャツで来たんだよ。
まんなかにまっすぐにプリントするのが、むずかしかったんだよね~・・・。
ラボランドのシュラフに郷愁感じてしまう我が家では、「え?うちも一つほしいな・・・」
とつい思ってしまったけど、役に立って嬉しいよね。
昨日、近所に越してきた三男の友人が、新居でトイレに入ったら紙がない!
トイレットペーパーはまだ段ボールの中、どの段ボールかわからない!という緊急事態で
我が家に飛び込んできた。トイレットペーパーを一巻き進呈したのはいうまでもない。
夜、夫が「トイレットペーパー、ストックの1カートンがないぞ」と言っていた。
ああ、救援物資で出しちゃった。
「ええっ? うちにないのに・・・」
停電、運休、自宅待機で、けっこういつもより使ったんだな。
これから学校や会社にちゃんと行ってくれれば、なんとか再来週の配達まで保つんじゃない?
4月に入って、市の施設も開館。停電も少なくなり、ラボもなんとかやれそうだ。
17日の発表会は延期してしまったけれど、新規まき直しでやらなくちゃね。
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