モー は静かに草を食みたい・・・ |
05月27日 (木) |
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口蹄疫の影響で、新潟県小千谷の牛の角突きが中止になったとニュースで言っていた。
観光客が全国から集まるため、牛や近隣の家畜への感染を恐れたためだ。
かかっても軽くすむ去年のインフルエンザとはわけが違う。感染したら大打撃だ。
先日来、思い出していることがある。
アメリカに住んでいた頃、家族でモンタナ・ワイオミングに行った。2001年のことだ。
ある街でロデオに行ったら、入り口でパスポートを求められた。
狂牛病、口蹄疫、クロイツフェルトが問題になっていた頃で、私たちが外国人なので疑われたわけだ。
アメリカに入国してから2週間は、家畜への接近を拒まれる。
もちろん私たちは数年前に入国しているし、旅行には身分証明書であるパスポートは携帯している。
でも、悔しいのでカリフォルニアの車の免許証を見せた。
「私たちはカリフォルニア在住の日本人で、パスポートを見せろとは心外だ。
だが、感染を心配すること自体は共感できる。私たちへの誤解は解けたか。」
「失礼した。」
そういって、あとで「カリフォルニアからもお客さんが来ている」と放送された。
でも観客はほとんど白人。ロデオに白熱するその姿をみながら、
これが全部(誤解であれなんであれ)敵に回ったら、と思うと恐ろしいな~。
(フランス革命における群衆・・・というのを昔、ゼミでやったしね・・)
高校生の時ホームステイしたユタ州でも、集会の時、愛国的な老人がいて、ちょっとこわかった。
よくわからないから、なおさらだ。それでホストファミリーにくっついていた。
なにかのメモリアルで、その老人は、だれかの死を悼んでいるのだろう。
でも、突然、その愛国心が外国人に向かってきたら?
「攘夷!」・・・・
毎年のメモリアルデーや日米開戦日、2001年の9,11のときも、静かにしていた。
わけのわからない人はどこにでもいる、とばっちりを食ったらたまらない。
でも、日頃は、コミュニケーションで、無知や無理解を埋める努力をしていたんだよ。
熱くなりそうな人がいるような機会には用心していただけだ。
後日帰国したら、日本のステーキ屋や焼き肉屋は、狂牛病の影響で閑古鳥が啼いていた。
日本ではそういう反応の仕方をするんだな。
去年のインフルエンザ禍でも、理不尽なことがたくさんあり、
基本的に人間は、知らないこと、わからないことに対して恐怖を感じ、排除しようとするのだと思う。
日本の大きさはモンタナ州くらい。
東京から宮崎のことは静観しているが、アメリカの距離感からすると
狭いところで口蹄疫が大発生しているように思えるかもしれない。
とかく報道されることは、(他が見えないので)大きくとらえがち、ではある。
中国についてもどれほど、百聞は一見にしかずと思うことか。
北朝鮮問題でも、報道をそのまま聞いて「どういう国?」と息巻く三男に、
日本がこの国を含め、アジアの国々にしたことを説く。
「え?」という次男。集団は残酷になりうる。
コミュニケーションの大切さ、ひとことでもふたことでも、相手に伝えたいと思う努力が大切、とおもう。
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Re:モー は静かに草を食みたい・・・(05月27日)
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うーちゃんさん (2010年05月30日 23時53分)
うーん、考えてはいるけれど、なかなか口に出して意見を言うのを相手
を選んで控えなければならない事って、アメリカにいたとき私もたくさ
んありました。
9.11の時はとにかくあまり目立ったところには行くな、子どもたち
とは家の外で遊ぶな、ひげは剃れ、などと仲良しのアメリカ人に言われ
ました。私たち以上に彼らが私たちの為に警戒してくれていたと感じま
した。
学校でも子ども同士でも不穏な空気があったクラスがありました。中東
のクラスメートが休んだので、そのことでクラスの大半がコールした
り。中東のクラスメートを庇うような発言ができなかったり、配られた
国旗のステッカーを貼ってあるかどうかが話題になったり、、、。カト
リーヌさんのこの日記にあるようなことは本当に切実に感じたし、今で
も感じています。
集団は残酷になりうる。教室内でも起こります。
コミュニケーション力ってただ口先や表情を豊かにさせるのが上手な力
だけを言うのではなく、もっと、人間の大事な思考を司ることばという
ものを大切に扱う心そのものも問われる力でもある、と思います。集団
の中での自分を如何にキープさせるか、考えさせられますね。
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Re:モー は静かに草を食みたい・・・(05月27日)
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カトリーヌさん (2010年05月31日 00時04分)
ことばの力は、コミュニケーションのためだけでなく、思考のためでもありますね。
外に向かっていくことばと、内にむかっていくことば・・・
内に向かって、洞察力や思考を深めて、自己を確立していく時期があります。
静かにためたその力を、ある時自然に外に向かって使えるときが来ます。
我が子が自分育てをしているのを、見守りたいですね。
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