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小澤俊夫先生の昔話大学 |
04月07日 (火) |
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小澤俊夫先生の『昔話大学』に、昨年から参加しています。
ラボのテューター研修でも小澤先生からグリム童話のお話を伺ったことがありましたが、今回は、市民大学形式の連続講座です。
土日の2日間で80分の授業を6コマ、それを3年間で6回受講します。
秋田県では初めての開講だったようです。
会場は、田沢湖のほとりにある閉校になった潟分校です。
大正時代に作られたという木造の小さな分校です。
***写真は昨年の第1回目の時のものです***
木の机に木の椅子、小学生に戻ったかのようです。
(ははは!でもね、自分のお尻のサイズに時の流れを感じましたわ~)
今回の講座、グランドにはまだ残雪がありました。
けれども実行委員会の方々の気配りで、桜が大きな花瓶にいけられていて、教室になった体育館は春の気配。
いつまでも若々しく優しい小澤先生は春風のような雰囲気を醸し出していました。
さて、その講座、世界中の昔話には共通する語法があるということで、それらをグリム童話をはじめ日本や外国の昔話などを通して学んでいます。
ヨーロッパの昔話に共通項を発見したのが、スイスの学者、マックス リュティ。
小澤先生は、それら共通項がヨーロッパのみならず日本、アラスカ、世界中の昔話に等しくあることを研究で明らかにされました。
口承文芸である、それゆえの共通項、共通の語法です。
昔話の持つ力を熱く語る先生は、昔話がこれからもずっと残ってほしいと願っています。
今の時代、昔話が口承文芸として残っている国はだんだん少なくなっているそうです。
確かに。私は親から「むかしむかしあったけど~」とよくきかされました。
しかし、私が我が子に語ったものは。。。
語り口はでたらめだったと思います。
我が子に生きる力や希望与えられる昔話になっていたかどうか、全く自信がありません。
現代にあって、本来は口承文芸である昔話を後世に残すためには、正しい再話が大事だそうです。
絵本化する人たちにも確かな目が必要なようです。
絵本を選ぶ私達にも、見極める眼が大事です。
そのようなことも学んでいきます。
昔話は、善悪や道徳を教えるものでなく、『強く生きよ』というメッセージを与えてくれているのだそうです。
昔話でよく『3』という数字が使われます。
お話によっていろいろな『3』がありますが、1回目は失敗、2回目も失敗、でもあきらめずに3回目で成功というパターンがよくあります。(3びきのやぎのがらがらどんがそうですね。)
こういう昔話を聞いて育った子どもたちは、たとえ2回も失敗が続いたとしても、3度目のチャレンジをしようと思えるというのです。
昔話では悪知恵を持つものが富を得ることもあります。時には悪知恵を使ってでもたくましく生きよ、というメッセージを発しているのだそうです。
ナチスの収容所に入れられた人で、昔話をたくさん聞いて育った人の方が最後まで希望を捨てず、極限状況の中でも心が壊れることが無かったそうです。
過酷すぎる状況の中で、たとえかすかなものだとしても希望を持ち続ける強靭な力を昔話はあたえてくれるのですね。
小澤先生の言葉が浮遊することなく心にすとんと入ってくるのは、小澤先生の研究の視線の先に常に子どもたちがいるからだと感じます。
研究されたものに、あたたかいものが流れているかのようです。
この私が、睡魔に襲われることもなく、飽きることもなくワクワクして参加できるこの昔話大学、次回が楽しみです。
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Re:小澤俊夫先生の昔話大学(04月07日)
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返事を書く |
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マミーさん (2009年04月11日 22時30分)
リジータさん、コメントありがとうございました。昔話大学での小沢先生の
おはなしのエッセンスがリジーターさんの文章から知ることができうれ
しいです。楽しそうですね。
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