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マルセル・マルソーを悼む |
09月24日 (月) |
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パントマイムといえば、マルセル・マルソー。その芸術性を世界的に普及させたフランスの俳優。
初めて見たのは、大学生の頃。
親しくしていただいていた杉本テューター(元)に連れて行ってもらって、
国立劇場へ行ったのも初めての経験だった。
あら、あなたもスカートもっていたのね、と杉本テューターの目が語っていた。
マルセル・マルソーを知らないと言ったら、杉本先生の息子に思いっきり馬鹿にされ、
悔しくて、お小遣いをはたいて、チケットを買って。
ラボって、こんなに、高い芸術つながりだったのか~とあせった瞬間・・・・若かったですね。
初マルセル・マルソー体験。ものすごく感動して、後年、夫を連れて行った。
無口な夫がますます黙って、見入っていた。感想も言葉少な。でも感動していた。
パントマイムが、サーカスや演劇、ダンスの一パフォーマンスではなく、
テーマのある芸術性の高いものであると初めて知った。
そこから受ける感動は、はじめ静かで、それからわきあがってくるものがあり、後々まで、決して忘れなかった。
おもしろいものが、哀しいということも、わかった。
マルソー演じるビップは、もの悲しい。
今から思えば、あんなに若かった頃、一体、何がわかっていたんだろう。
あの時でさえ、人生の哀感をひしひしと感じられたのだから、今だったら、もっと後だったら?
あの頃は、スサノオも、スサノオ自身を通してしか、見ていなかった。
今は、親として、テューターとして、一人の年を経た人間として、感じるものがもっとある。
ラボっ子のスサノオの発表を見ると、泣いてしまうくらい、切なく、感動してしまう。
白坂道子のナレーションに同化して、心の奥に感情を抑えて、ぐぐっと物語っている。
マルソーに出会ったのは、そんな国生み時代(国生みが新刊だった大学生時代)だ。
マルセル・マルソー、享年84。
全世界の人々に、こんなに感動を残して、逝く。
ラボは、ただ、英語を覚えるためにセリフやナレーションを丸暗記しているのではない。
ただ、発表するために表現をまとめているのではない。
テーマ活動そのものが芸術。言葉そのものが芸術。
そのインスピレーションと、活動を継続していくには、
テーマ活動(の練習)と言葉の習得を重ねているだけではだめだ。
映画をみたり、音楽を聴いたり、いろいろな人と会ったり、体験と感動を重ねていないと
自分が空っぽになってしまう。
どんどんはみだしていくと、逆に自分のやっている足元が、豊かになってくる実感、ありませんか?
ラボっ子が育たない、言葉が定着しない・・・と悩んでいるとき、
活動が幅の広い、豊かな様相を示しているか、考える。
人を共感させているか、自分がまず、感動しているか・・・
テーマ活動のおもしろさは、感動できるから。英語を覚えるためのメソードと思ったら小さすぎる。
本当におもしろいと感じるためには、自分を磨いていないとね。
高校生の時、ラボのテーマ活動って、芸術だったんだ~!と思う瞬間があり、自分のやっていることを誇りに思えた。
本物と出会う、という実感は、何物にも代え難い。
マルソーの日本公演は、もう見られない。飯田深雪先生(料理とアートフラワー)も亡くなった。
でも、私たちがいま、子どもたちに本物を渡していかなくては。
藤井先生がシェイクスピアを語るときの、わくわくするような瞳、杉本先生が続けている水墨画。
斉藤先生も東京展に出品している!
そんな方たちとの関わり合いとラボっ子たちからもらうエネルギー。
好きなテレビや読書、あきる野の風景をみながら、人との関わりをもらいながら、
自分はちっぽけでも、ラボっ子たちに、おもしろいものがあるよって、言える存在でありたいな。
ラボっ子達の目を輝かせること、それがテューターの仕事なんだよねって。
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Re:マルセル・マルソーを悼む(09月24日)
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さとみさん (2007年09月28日 01時17分)
カトリーヌさんへ
すご~い、懐かしい話、うなづきながら読ませていただきました。
偉大な師との出会いは、多感な年代の自分には、すべて血や肉や肥
(!?)になっていきました~
豪傑とお呼びするにふさわしいグレートテューター達。
まだまだ道の先はエンドレスですよね~
日々精進あるのみですね。
杉本家には、私が大学生のころ、夕飯までずーずーしく毎週居残って、
居候さながらでした。
そのころの、母(杉本さん)と息子たちの会話を、今自分が子育てしな
がら、ふと思いだし、子どものことで悩みを抱えたときは、杉本さんな
ら、こんな時、子どもになんて、声をかえる(叱咤!?)するだろう
か、とか、
一緒に子どもと喜びを分かち合っている姿とか、頭をよぎります。
母として、テューターとして、一人の女性として、とにかく何足もの草
鞋(わらじ)履いてますもんね~
私たち。
これ以上、わらじ を拾わないようにしてるつもりなのに、
素敵なわらじを見つけると、また、拾いたくなってしまうので、それも
困りものですがね~
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Re:Re:マルセル・マルソーを悼む(09月24日)
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カトリーヌさん (2007年09月28日 13時23分)
さとみさん
一体、いくつ足があるんだ~? ですね!
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