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「夏の夜の夢」考察 |
08月22日 (水) |
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ラボでシェイクスピアといえば、まず「ロミオとジュリエット」。
このR&Jと「夏の夜の夢」は、ほぼ同時期に、同じ素材を元に描かれている悲劇と喜劇だ。
R&Jの悲劇は、ギリシャ悲劇を元にしており、
駆け落ちした恋人同士がアテネ郊外の森で、ライオンに襲われ、片方が死んだと思ってもう片方が・・・と、
結局両方とも死んでしまういう悲劇。
R&Jでは、イタリアという舞台設定で、悲劇の時間的推移も極端に縮めて、
運命の糸に操られる人間の無力さに人々を引き込んでいく。
大衆が笑い転げる卑猥な表現もたくさんあり、一瞬悲劇ではないのかと思うほど。
R&Jも「夏の夜の夢」も、「ときは夏」でありながらまるで違う展開、それでも表裏一体と思える作品だ。
「夏の夜の夢」は、恋人達が織りなす喜劇であるが、
その劇中劇にR&Jそのものとも言えるこのギリシャ悲劇を入れている。
「夏の夜の夢」の舞台設定もアテネ、アテネ郊外の森、というふうに、
あきらかにギリシャ悲劇を印象づけさせる。
ところで、いたずら妖精パックは、プーカというケルトの妖精に由来する。
プーカは黒い馬の姿をしているとも、動物の精霊とも言われ、
POC(牡山羊)からギリシャ神話のサテュロス(半身牡山羊)パックに結びつく。
旅人が出会うと、命をかけた乗馬をさせられたり、変幻自在のプーカに苦しめられたりする。
指輪物語でみるように、森を支配するのは妖精王であるから、
人間の力の及ばないところで物事がすすんでいくのに抵抗がない。
「夏の夜の夢」を見た当時の大衆は、森のシーンでは当然、
自分たちの周りにある森を想定しながら見たに違いない。
つまり、シェイクスピアは、ルネサンスの権威からギリシャ神話を演目にしながら、
イギリス人になじみの深いケルト神話を想起させ、
また、そのことで、現実の制約から自由になり、
イギリス階級社会、人間の矛盾を効果的に描き出していると言える。
アテネ大公の婚礼の祝いの席で行う劇中劇を演ずるのは、イギリスの庶民の姿だ。
ボトムがロバの頭にされるが、つまりは、ロバという、のろまで馬鹿な印象はそのまま、
抑圧されても気がつかないイギリス庶民の自虐的な姿か。
そもそもなぜ、婚礼という祝いの席で、恋人達の悲劇を演目とするのか、
演ずるのが無知のようにみせたイギリス大衆というところが、
なんとも、皮肉というか、いろいろなことを想像してしまう。
ちょうど江戸時代にかかれた「忠臣蔵」が時代背景を鎌倉時代としてカムフラージュしながら、当局を暗に皮肉ったような・・・・
長い間、日本では「真夏の夜の夢」とされていた。
Midsummerを直訳して、夏の真ん中、真夏、としたのだ。
しかし、Midsummerというのは、夏至のことであり、6月。
日本で真夏の夜というと、八月十五夜、ということになってしまう。
日本的な土壌から言えば、夏至より八月十五夜のほうが神秘性が増すだろうが、
ヨーロッパでは、夏至が、森の妖精達の魔力が増す時期で、特別な意味がこめられている。
キリスト教以前のケルトの文化が息づくヨーロッパを感じながら、
現世の矛盾をころがすように、あなたも妖精の魔法にかけられ、一睡の夢を見てください。
ホワイトホースシアターによる「夏の夜の夢」は、8/29代々木オリンピックセンター、
9/15浜松アクトシティ楽器博物館、9/30刈谷シャインズホール、
10/13岐阜県笠松中央公民館大ホール、10/16パルテノン多摩で、行われます。
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Re:「夏の夜の夢」考察(08月22日)
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めぐこさん (2007年08月23日 09時42分)
こんにちは。書き込みありがとうございました。10月の公演の日に
ち確認できました。検討してみたいと思います。
シェイクスピアの人間を描く鋭さは見事ですが、さかのぼればギリシ
ャ神話いきつくのですね。ラボではこの両方に自然に触れられる機会が
あるということで、これもまたすばらしいですね。
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