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2004/10/02の日記 |
10月02日 (土) |
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私の第一期中部時代(88-93)に、キャンプではなく個人的によく五箇山へ行きました。当時三四郎さんという先輩が中部にいて、独身で身寄りの無かった私は三四郎ファミリーの家族旅行に必ずと言っていいほど同行していました。ただ家族旅行といってもアウトドア、特にちょうちょと写真、しか三四郎さんは興味が無かったので、自然が豊かな五箇山にはよく一緒に行ったのでした。当時は東海北陸道は無く岐阜から国道を上がって行きましたので今の倍以上時間はかかりましたが、その道中が楽しく郡上、高山、白川と季節を感じながらのんびり車で行ったものです。途中清美村を通るせせらぎ街道が私は特に好きで、今年の春にもわざわざこの道を通って新穂高まで出かけました。
因みに三四郎さんとはよく山にも出かけました。一番最初は西穂、そして弓折、樅沢、双六、北穂、槍・・・名古屋は北アルプスに近いからいいですね。西穂では小屋に先に来ていた新潟の人と意気投合し「越の呑み助」という日本酒をしこたま飲み、私は下戸なのに、ふらふらになり山頂へ登りました。独票から先はナイフリッジも続き危なかったのに・・・しかし槍は肩から山頂はホントに怖かった・・・
話し戻って五箇山の冬はすごい雪ですが、それもまた風情があるのです。人が温かいせいか寒さもさほど感じません。合掌の家の窓と言えば冬でも障子一枚!でもなぜか暖かいのです。
長い雪道をやっとの思いで民宿に着いたとき、当時は夏にラボっ子を受け入れてくれていた民宿のおじいさん、おばあさんが庭先で栃餅を搗きながら待っていてくれました。
冬晴れに 栃の餅搗く 笑顔かな
もう10年以上も前のことですが、冷気の中に、温かい笑顔と、温かいお餅で迎えてくれた優しさは、今も忘れません。おじいさんは今はもういなくなりましたし、ラボっ子もお世話になっていませんが、私は今も昔もお世話になった方へは今年の夏もご挨拶に伺いました。
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