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昨年、大阪へ帰った裕介は、豊中市の長谷部Pにかわって、今年の3月、中国でホームステイして来ました。しっかり楽しんできたようです。パンダの写真と一緒に
“ぼくの印象の中では、中国はとても愉快なところでした。とってもたのしかったです。”
と手紙が入っていました。
裕介のおかげで、私自身も、中国への思いがわいてきました。いつか行ってみようと思います。
裕介!ありがとう!!
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今夜のメンバーのなかで、初めて出会った子たちもいる。
送り迎えの都合で、1番下が小4のS弥が入っているが、深山Pのメンバーとは、面識がない。でも、1番上が、深山P高2のT裕とT也、初めての子たちの中でもいつもと変わらず、すぐにみんなの中に入ってきてくれる。
それから、もう1人T笑(中2)は、スプリのおはなし広場で、一緒にテーマ活動を作り上げてきた仲間。来るや否や、酒井Pの中学生の中に入り、打ち解けている。
この3人を迎えての1回目が、無事終わった!
では、どんなふうに終わったのか、記録しておこう。
まず、やりたいお話を出し合った。先週までのところで、M佳の強い希望で、『ドリームタイム』に決まっていたので、酒井Pの子たちは、初めてそのお話を聞いてきていた。やりたいお話を言い合う中に、『ドリームタイム』が入って(M子・A音・K歩)いて、M佳は嬉しそう!
M佳 わたしは、小学生の頃、中高大生フェスティバルを見に行って、初めて『ドリームタイム』を見た時は、1話ではなかったんだけど、すごく楽しくて、お母さんにCDを買ってもらって1~4話を何度も何度も聞きました。やりたくて、何度も出したんだけど、みんな知らなくて、なかなかやってもらえなくて、去年の夕涼み会でも却下されて…・だから、やっぱり、これをやりたいです。
T也 みんなで、楽しくやりたいのは、『十五少年漂流記』の2・3・4話か、『西遊記』です。楽しんで作りたいから・・。
Y矢 『安寿と厨子王』がいいです。お母さんにもう1度会えたところがいいなって思いました。(S弥もうなずく)
Hか 『十五少年漂流記』の2話がいいです。
T笑 『注文の多い料理店』がいいです。(みんなの話を聞いて、Yもこれがいいと…)
S介は、国際交流参加予定者なので、『ション万次郎』の素がたりがあるので、それ以外は今、気持ちが行かないから、みんなでやるのはなんでもいいとのこと。プレッシャーがありそう…。
遅れてやってきたT裕含めて、それぞれの1部分を動き始めた。
~~それぞれのやりたい場面を選んだ子が中心になって動く~~~
〈時間切れになって、…〉
T也 来週は、今日動いたやつを全部聞いてきて、どれにするかを決めます!みんな!しっかり聞いて来よう!!
T裕 お前も聞いて来るんだな!!
T也 当然ですよ!!
実は、私の中では、『ドリームタイム』はなくなるだろうと思っていた。でも、CDを聞いてきた子たちがM佳の熱い思いを受けて実際に聞き、心動かされた事実を目の当たりにして、来週のラボが楽しみになってきたのも事実だ。
“聞いて感じる!”
まさに、今!!って感じがしてすごくエキサイティングな私です。私も、聴くぞ!!!
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今、酒井Pは7月9日(土)の“夕涼み会”に向けて取り組んでいます。ここ最近は、深山Pと一緒にやっています。
先週は、子どもたちとどんなテーマ活動にするかを話し合いました。新高1のM佳の強い希望で『ドリームタイム』(1)に決定し、明日、それを動いて見ることにしていました。
ところが、それを私は、どうしてもそのままにしておけない内なる衝動に駆られて、その〝内なる衝動”を信じて動き始めました。
その“内なる衝動”というのは、今まで1度もやったことのない“夕涼み会”での合同テーマ活動の提案でした。
テーマ活動は、何よりラボっ子の思いを大切にします。だから、1度決まった“テーマ活動”をどんな理由があるにせよ、もう1度白紙に戻してほしいと頼むには、それなりの理由と、道筋があると思うのです。
だから、まず、私はM佳に自分の思いを話しました。彼女の熱い思いで決まったテーマ活動です。彼女に私の思いを受け入れてもらえるように一生懸命電話の向こうにいるM佳に話しました。
M佳が、私のいうどの言葉に同意してくれたのかはわかりませんが、晴れてOKを取り付け、深山Pの高校生にfaxでお願いすることが出来ました。テーマ活動が決まっている所に誘う訳にはいかなかったのです。テーマ活動とは、元来そういうものですから…。
両方のパーティの子どもたちに、2度とない有意義な時間をすごしてもらおうと、仕掛けた企画でした。順序を踏んで、ラボっ子の心を大事にしかけたつもりです。そこさえ、押さえておけば、後は、ラボっ子が、自分たちの気持ちの動くままにやってくれると信頼しているのです。
さあっ、明日は、第1回目!
ラボっ子の動きをレポート出来たらいいなと思っています。
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〈K子&K太ママからの便りが届きました。〉
ラボ行ってきました~。
自己紹介は緊張気味だった二人…。
その後私は、一度帰宅して、終わる時間にお迎え行ったら…。
すっかり馴染んでました。
二人とも「お友達できたっ!」って…。
同じ敷地内のマンションに住む5年の男の子が、別れ際、K太のところに来て、
「もう友達だよなっ!!」
って言ってくれたのがすごく嬉しかったです。
やっぱりどこに行ってもラボっ子はラボっ子なんですね…。
ラボに、またまた救われた三人でした。
よかった、よかった!!いいスタートが切れたようす。
酒井パーティも、もっか、組かえ中。
この緊張感は、たいせつにしたいです。
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昨日に引き続き、今日は、昼間は、k子&K太&T尋&Aきとの最後のラボでした。
春休みになっていたので、時間を少し繰り上げ、会場に行くと、何と編み物教室が…。
急きょ、熊野神社の境内で遊び、4人との写真をとり、
(こんなふうに、4人と1人ずつのショットを)
“お別れ文集”を作るために、アイセルへ移動!
みんなは、自分で作ってきたお別れメッセージをもとに最後の仕上げ!
それを書き終えたら、お茶タイム!昨日の今日です。すぐに、“バディ!”の声。
みんなで、私の家までバティを組んで移動!
せまい中で、みんなひしめき合っておやつを食べます。
終わりの時間が近づいてきたので、またまた、バディを組んで、お迎え場所の安東会館へ移動!
なんて、臨機応変な(てきとうな)テューターとラボっ子!!いつもポジィテブ思考の私は、こんなふうに予定通りにならなかった時を楽しめる自分でいたいなって思っています。
しかし、引っ越しする4人を含め、最後まで、こんなテューターに付き合ってくれるラボっ子に“感謝”です。
もう1つ、大事なことがあった日でした。
それは、就活に入るT依の最後のラボ…。
T依は、酒井P第1期ラボっ子涼子や未来の同級生です。入会年齢は、2人には及びませんが、同期がみんな、県外に行ってしまう中、S大で、がんばって来ました。そして、ラボ辺境の地で、大学生まで残ってくれたことは、本当に有難い事でした。
“ありがとう!“の言葉以外にはありません。
そして、…、私は、“ラボ”を手掛かりに子どもたちの“居場所作り”を仕掛けるつもりです。どんな形になるか、今の私には、わかりません。ただ、思いをつら向こうという気持ちが、1番だと思っています。
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今日は、3月恒例のおわかれ遠足がありました。
集まったのは、ラボっ子22人、ラボママ5人(ただし、うち2人は帰り際、出口手前でやっと会えたのだけれど…。
何が楽しかったかって…?
*いつものメンバーで、いつもと違う所で、関わりあえたこと?
*素敵な動物園で思いっきり走りまわれたこと?
*北極グマのロッシ―がハイテンションで、すごくサービスしてくれたこと?
参加していたお母さんが、
「みんなといっしょじゃなかったら、うちの子、行ってません!」
って…。
(今日の楽しさは、この仲間だっ!!!!)
それが、あらためて分かったひとときでした。
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震災の後、いろんな意味で、躊躇していた“素がたりのつどい”でしたが、1月から3月のそれぞれの家庭での親子での取り組みが見えた、ほのぼのとした会になりました。
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S山さん(k歩&E実ママ)から、素がたりの集いの時に、チャリティーバザーを開いたらどうかと提案をいただきました。
実は、先週のラボの時間、子どもたちは、震災にあわれた人たちに自分たちが出来る事ってどんな事だろうと話し合っていました。みんな学校や幼稚園で、いろいろな話を聞いていました。
そして、みんなから出た意見をまとめて、募金をして、東北のラボっ子に送ろうということになりました。
そこに、チャリティーバザーも加え、全額、ラボの東北ラボっ子支援金にしたいと思い、S山さんの提案を皆さんにお伝えしたのです。
いつもは、小さくなった子ども服やラボTシャツなど、リサイクルの意味も含めて、100円ですが、今回は、支援の意味も含めて一つ200円にさせてもらいました。みなさんにも、バザー用品をお願いし、いつもの“素がたりの集い”に開く意義が加わりました。
我が家の隣りの神戸からお引っ越しされた上村さん曰わく、
「本当に大変なのは、この後の3~5年の復興までの時間です。」と…。
ご本人は、医療の検査技師のパートをしながら、5年間ボランティアをなさっていました。
私の考えの及ばないことだったので、実際に経験されている方の話しには、重みがありました。
今の私たちにできることをラボっ子と一緒に考えて行こうと思います。
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明日中高大生フェスティバルをひかえ、バスの手配担当だった私は、朝からキャンセルや弁当の変更など忙しくしていました。
夕べは東北大震災のことで夜中2時半までPC付けっぱなしで見ていたのですが、、、。「どこかよそ事と思っていてフェスティバルのことは別の事と感じていました。それに会場は岐阜県多治見市、静岡よりも西だったのです、、、。」
そんな私に、フェスティバルに出演するT依(大学生)のお母さんから電話が入ったのが上記の言葉だったのです。
「こんなときに、遠くに、それもフェスティバルだなんて、、、」
T依のお母さんの言葉は胸に突き刺さりました。
そして私たちの地区は、出演を取りやめにし、その後夕方、中高生大生フェスティバル自体も中止になりました。
がんばっていたそこに向かっていた子たちには、残念だったと思います。でも、今年フェスティバル中止の事を胸に刻んでほしいと思います。どんなにいつも通り平凡なことが幸せかということを、、、。
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あんな大ごとになっているとは、つゆ知らず、11日(金)のラボ活動3コマをやって帰りました。用心して休んだ子もいましたが、出席した子はみんな口々に地震のことを話すけれど普通にラボをやって帰りました。私が帰宅をして夕食をとり、そして気になったいたのでPCの動画を開けてみてびっくり!なんと津波が人の予想をはるかに超え三陸リアス式海岸をのみ込んでしまっていたのですから。同じ日本人がこんな目にあっている時に、知らなかったとはいえ、ラボ活動していたことにうしろめたさを感じずにはいられませんでした。
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