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先日、アスベルさんの日記に「呼吸していないHPがある・・・」と書かれているのを読み、ドッキリ。
つい先ほどまで1ヶ月半ほど死んでおりました~。ごめんなさいっ!
新人のくせに「お母さん広場」などをやり、加えて悪ガキ4人衆(そうです、なにを隠そう私は4人の子の肝っ玉母さん、しかも全員♂)の度重なる骨折、入院、手術で、訪問はするも日記に書きこむ余裕が全然無く・・・
と、今 いいわけを考えてみた次第です。
アスベルさんからついにお電話までかかってきて・・・ひえ~
今後まじめに取り組みまぁす!
さて、まずは「お母さん広場」のご報告。
昨日の「田島先生講演会」をもって4回連続「お母さん広場」が終わりました。毎回沢山の方に来ていただき、最後の「田島先生講演会」には多くのTの方も参加してくださって、本当にありがとうございました。
至らない所が多々あったと思います、どうぞお許し下さい。
「田島先生・・」では、今回 特に子供が停滞した時(ラボを楽しめない、親から見て子供の発語が少なくて続けさせるか迷っている、続けて本当に英語が喋れるようになるのか、など)の親の対応や、ラボっ子がどのような道を通って英語を身に付けていくのかをグラフと成長曲線でお話していただきました。「迷いが生じているご両親も必ず最後はラボっ子が勝つ、と納得して、退会予備軍の方が確実減った」と思える講演でした。
その日の反省会で先輩T方と「また秋もやろう!今度はあれもこれも作戦をねって・・・」と、なんと終わったその日にまた次の計画を話し合っていたという・・・何とも先輩Tのパワーの凄さにはいつも脱帽します。
私のこの小さなHPが再び死ぬ日も近い・・・。
気を取り直して、「ひとつしかない地球」。
遅まきながら私の所にも届きました。
韓国の曲以外はほとんど向こうの小・中学校でならったり聞いた事のある曲で動揺し、「ひとつしか~」にたどり着く前にすでにウルウル。
「ひとつしか~」に着いた時には既に号泣状態でした。
はたして私はこの曲をパーティで平常心をもって導入できるだろうか・・・。
Take Me Out to the Ball Game
ちょうど小学校の頃だったかこの曲が大ブームになり、クラス中が歌っ
ていた時がありました。ついでに曲にある「クラッカージャック」もむちゃくちゃ売れて、(長方形の箱に水兵さんの絵が描いてあるキャラメルポップコーン的お菓子。当時は1箱45セント、現在は輸入食品のカタログで見たら75セントでした)持っているとクラスのヒーローでした。
This Land is Your Land
この曲も深い思い出があります。
アメリカの小学校では各クラスに一本星条旗がおいてあり、毎朝起立して手を胸にあて、”Pledge of Allegiance" なるものを皆で唱え、その後”The Star-Spangled Banner"(国歌)を歌っており、小さいながらに「愛国心の強い国民だな~」と思っていました。
しかし、この曲が流行り出すや否や、毎朝の”The Star~”はこの歌に取って代わられてしまい、「な~んだ、あまりこだわりのない人たちなんだ」と感想の修正を行ったことを覚えています。
個人的には独立戦争を歌った国歌より、雄大な国土を歌ったこの曲のほうが数倍好きです。この曲を口ずさみながらまぶたを閉じると、あたりで大草原から風がざわざわと吹いてきて、いつでもタイムトリップできるから不思議です。きっと誰もが持っている体験ですよね。
もっと書きたい所ですがこれくらいにして、最後に毎朝必ずとなえていたという”Pledge~"なるものを、
モウロクする前に書きとめておこうと思います。
「 Pledge of Allegiance」
I pledge allegiance to the flag
of the United States of America
and to the Republic
for which it stands,
one Nation under God,
indivisible, with liberty
and justice for all.
明日もラボ、頑張ろうっと!
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親友のEmiとLeslieが年に一度来日しては家に寄ってくれる。先日、ラボ前のわずかな時間であるにもかかわらず、わざわざ家まで来てくれて、久しぶりの再会を喜び合った。
彼女と私は大学時代の友人だが、彼女は西海岸、私は東海岸の学校へ通っていた。特に親しくなったのは、私が1月だけの独立した学期(January Term)
を西で過ごしたときに再会してからだろうか・・。January Termとは 1ヶ月間 好きな事をすきな場所で研究し、ペーパーを書いてインタビューを受ければ単位がもらえるという学期で、これを採用している大学とそうでない大学があるらしい。
私はLosの叔父の家に間借りし、MARK TWAINの資料が膨大にあるというUCLAやその他の図書館に通って1ヶ月を過ごした。しかし、一番覚えているのは当然MARK君のことではなく、西のPizzaが東のそれと違っていてものすごくビックリした事である!
当時 東のPizzaと言えばぺったんこの生地のみだったのに、西の生地はいわゆるパン生地で、パンの皿に具が入っている、という感じだったのだ。おもわず
”Hey, is this thing PIZZA ?!"と聞くと
"What do you think, does this look like SUSHI to you?"
と言われた。
あれからかれこれ20年以上の月日が経つが、彼女は昔のままであり、かつ進化しつづけている。人っていつどんなシチュエーションで親友にめぐりあうかわからないし、また、たいした友達と思ってなかった人がのちに親友になる事だってあり得る。ただ今わかることは、親友がいると言う事はどんな大金よりも金銀財宝よりも言葉に言い尽くせないほどの暖かさが心の中にがあるということだ。彼女とは間違い無く棺おけに入るまで親友であろう。
ラボっ子も沢山の経験をし、沢山の人に出会って、その中から一生と思える心動く出会いをして欲しいと 切に願っている。
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日本人の英語はなぜなかなか通じないのでしょうか?・・・
それは日本人が悪いのではなく、半分は日本という国土に原因があるように思えてなりません。すなわち、他国の人とは英語力以前に、コミュニケーション能力に雲泥の差があると感じるのです。
世界から日本を見ると、日本は何と珍しい国なのでしょう!
髪の毛はみんな黒、目は黒、話す言葉は(アイヌ語を除いて)日本中どこへ行っても日本語。一般的に宗教の違いには無頓着、おまけに島国で他国と隔たっている・・。こんな場所では、コミュニケーション能力も自己表現力も上達するほうがおかしい!
私の通ったNYの小学校は20名前後のクラスでしたが、覚えているだけでもアメリカ人、フランス人、イタリア人、スペイン人、ヒスパニック、アフリカンアメリカン、ユダヤ人、インド人、中国人、韓国人、そして日本人と、何カ国もの子供が共に学び、遊んでいました。髪の毛は金髪、赤、茶色、グレー、黒、ストレート、カーリー、ボールドなど。目はブルー、グリーン、ブラウン、ベージュ、グレー、そしてブラック。王冠のエメラルドや、海の底を固めたように美しい瞳を持つ人たちが世の中にいる事を知りました。
もちろん、話す言葉も色々、好きな食べ物や生活習慣も宗教も違う。だから学校ではクリスマス(キリスト教)を祝い、ハナカ(ユダヤ教)を祝い、アジア人と共にお正月を祝う。セサミストリートも、英語の日もあればスパニッシュの日もあります。(それを知らず、友達に注意されるまで私は水の事は英語で”アクア”と言うのだと信じていました。)
そんな中での生存競争は大変です!
カラフルな20色のクレヨンの中で、自分の色をアピールしていかないと使ってもらえないからです。
”自分はこんなにステキな色なんだよ”と自己をアピールする力を身につけていく。
また、”あなたとはこんな所が違うけど、こんな所は似ているね”と、違う人を見る事で自分を知り、自分と他人を冷静に見つめ、違いを認め合った上で仲良くしていく方法を見出していく。
これがすなわち、コミュニケーションのスターティングポイントではないでしょうか?
大学の時、日本の一流大学のTOEFL580点取っている留学生がいました
が、かわいそうに英語が通じず、ホームシックになってしまいました。
一方、彼女より単語力は明かに少ないスエーデンの留学生はすぐに友達が出来て、楽しいキャンパスライフを過ごしていました。
英語が通じない・・・それは英語力以前にコミュニケーション能力に問題があったのです。(ちなみにスエーデンの子は小学校から英語を劇遊びで学んでいました)
私がラボTになる前、他の英語教室の教育システムがやたらに「薄っぺらく」感じました。その時はまだ何が「薄っぺらく」て、どうして自分はラボTになったのかよくわかりませんでした。でも、このようなコミュニケーション能力を英語と同時に身につけるラボの教育法は、少なくともその時の私に「薄っぺらさ」を感じさせなかった理由の一つになっていたのだと思います。
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これから賀谷パーティの活動を紹介してゆきます
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