幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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フェニックスの日記 [全1154件] 941件~950件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
長女一家の帰省 12月30日 (木)
 東京や大阪等大都会から故郷各地へ向けての大移動が始まった。新幹線も200%近い乗車率とか・・。宮崎着フェリーもほぼ100%の乗船率とニュースで言っていた。
 そんな中、静岡在住の娘家族も満席のJALで帰って来た。この時期の帰省は長男誕生以来なのでもう7年振りとなる。それからは例年混む時期を避けて帰省していたのだが、仕事を替わって平日に休みが取れなくなってしまったのでこの時期以外に連続して休みを取ることが不可能になってしまった。私自身も今年は年末年始自宅に居れそう・・(笑)。という訳で、長女一家の今回の帰省が実現した。
 短い慌しい滞在だが、凝縮して有意義に過ごそうと思う。
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初めましてTony! 12月29日 (水)
 オーストラリアから一ヶ月のホームスティでやって来ているトニーが、ラボッ子達と一緒にゆつぼウィンターキャンプから帰って来た。
 12/19(日)に関空に着き、12/20(月)から宮崎へ来ているのだが、私は丁度すれ違いでカンボジアへ行っていたので初顔合わせである。3泊4日とても楽しかった!と笑顔で語ってくれた。今流行りの韓国系のCOOLな Korian Austrarian である。日本のママもゾッコン。本物の我が子以上に可愛いらしく目を細めている。
 良いお年を!
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スマトラ沖地震 12月27日 (月)
 昨日、帰国して初めてインドネシア沖で大地震が発生し、津波で多くの人々がその被害に遭った事を知った。私がカンボジアへ行っていたのを知った世界各地の友人からホットメールへ心配メールが沢山入っていた。カンボジアは今回さほど被害はなかったし、私の訪問地はかなり内陸部であったので全く影響はなかった。しかも今回発生時、私は既に帰国し宮崎へ向かうバスの中に居た。その事をメールで友人達に返信しながら、TVでの速報に目が離せなかった。
 11月にバングラデシュを訪問した時、プーケット経由バンコク行きの飛行機を使った。時間がなかったのでプーケットで降機はせず、降りていく観光客を横目で見ながらバンコク→ダッカと乗り継いで行ったのだが、次は是非立ち寄りたいものだ、と思ったものだった。昨日だって、余りにも眩しいバンコク市内に面白みを感じず、次回はサムイかプーケットででも一日過ごして帰国したい・・などと思いながら帰国したばかりである。
 クリスマス休暇を楽しんでいた人々を突然襲った大津波。刻々変化する被害者の数字。着の身着のままで助かった人々が泣きながら恐ろしかった状況を説明している。暑さの中で腐敗や伝染病の蔓延が懸念される。犠牲者の方々のご冥福を祈ると共に、一刻も早い行方不明の方々の発見を願う。
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冬の日本へ/ラボの教育力を実感 12月26日 ()
 楽しく充実した夏休みは終り32℃の真夏から6℃冬の福岡へ飛行機は滑りこんだ。整然とした街並みを眺めながら、道路に人・自転車・バイクの雑然としたプノンペンの街を懐かしく思う。若い参加者は、どんな事にも立ち向かえる強さをもらって帰って来た。みんな、まばゆい程一回りも二回りも大きくなって帰国した。
 博多駅交通センターで解散。それぞれの故郷へ向けて新たな旅立ちの始まり。

 今回のツアーにも昨年同様ラボッ子が参加した。小学校・孤児院・路上で現地の人々の中にスーと入って行き多言語の海でコミュニケーションを取ろうとする彼等に「サスガ!」と感心した。積もった英語が彼等の中から迸るのも見た。けれども最も感動したのは、彼等の中に悲しみや優しさを共有する心、他者を思いやる心が育っている事だった。「テーマ活動」を通して参加者の和ができ、その輪が広がり、喜びを共感することができた!楽しさを伝える事もできた!ありがとう!
 外へ出た時、ラボで培われた教育力をあらためて実感する。
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カンボジアに別れを告げて 12月25日 ()
 「3週間位経ったような気がする・・。」とスタディツアー参加者達は口を揃えて言った。参加者にとって、この1週間は毎日が驚き・感動・悲しみ・感激・発見・気付き・・etc・・・の連続で一日一日がとても濃く充実していたからなのであろう。
 内戦終結して13年。本当の平和を実感してからまだ5年。800万を超える人々がこの地で虐殺された。学校の先生も学生も知識層の壊滅を計るポルポトの犠牲となった。戦争が終った時、医者は全国で5人しか残っていなかった。何もわからない人々と子ども達のみが残された。教える人がいないし、足りないものだらけの社会。法律の整備もまだまだこれから。でも昨年「平和な」選挙が施行され、1年間かかったけれども、ようやく内閣が組織された。国としては、まだまだヨチヨチ歩きの状態だけれども、それでも何とか2本の足で歩み始めたカンボジア。国境沿いにはまだまだ地雷や不発弾が多く埋っており、毎年800人を超える人々が被害に遭う。マラリア、ポリオ、伝染病で多くの子ども達が命を落す。命の重さは決して平等ではない。それでも、人々はクメールの子孫である事を誇りに一生懸命生きている。子ども達はキラキラ輝く瞳で学び生きるために一生懸命働いている。
 サマキ小でなわとびやボール遊びをした事、CCH孤児院で「かぶ」を演じたこと、ハンディキャップセンターで地雷被害者の子ども達とおりがみ遊びをした事、みんなの心の中に残っていることだろう。そして、自分達がどれ程恵まれた存在なのか気付いた事だろう。日本に帰ったら、自分自身の言葉でまわりに伝えて欲しい。

 トランジットでバンコクに立ち寄ったので、半日市内観光をした。カンボジアに比べるとタイは超先進国である。どこも黄金色に輝いている。参加者は埃っぽいカンボジアが懐かしそうにみえた。
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アンコールワットの一日 12月24日 (金)
 朝、ペンション近くを流れるアンコール川沿いの道を散歩した。お寺の隣に小学校があり、子ども達が三々五々集まって来ている。川沿いの道端に出店が開かれていて、朝から人々がお粥などを食べている。バナナケーキ(もち米をバナナの実と一緒に蒸したものをバナナの皮に包んで焼いた物)を10個買った。2,000リエル($0.5)。バナナは一房1,500リエル(約$0.3)。お昼用弁当(^。^)
 ペンションの朝食は、フランスパン・卵焼き・ヤキソバ・スイカ。お腹一杯食べて余ったフランスパン3本も、お昼のお弁当に加えた。♪

 アンコールワットへ行く前に、ハンディキャップ・インターナショナル訪問。ここは地雷や不発弾で手足を失った人々に対する義肢の作製・訓練を行っている。世界各国からの支援で成り立っていて、日本のJICAも協力した事がある。近年は増えてきた交通事故被害者の支援やポリオ感染者への支援も行っているという。我々も心ばかりの協力をさせて頂いた。

 それから、イザ、アンコールワットへ。ゲートをくぐり一人$20の入場料を支払って進んでいくと右手の掘の向こうにアンコールワット寺院が優雅な姿を現した。それを横目で見ながら通り過ぎ、南大門をくぐると目の前にバイヨン寺院遺跡が現れた。車を降りて、遺跡を歩く。小6のTくんは大はしゃぎ。先頭に立ってどんどん進んで行った。きっとトム・ソーヤが鍾乳洞の中に入った時のようにワクワクしているのだろう。私は4回目なので遺跡の陰で休んで待つことにし、Tくんのお守りは高校生2人に任せることにした。3人は意気揚揚とバイヨン探検に出かけて行った(*^▽^*)ノ”
 それから象のテラスを歩き、それに続くデーモンのテラスを歩いて、日本のチームの関わっている修復現場を見学した。

 さぁ~て、お次はアンコールワットだ!みんな興奮気味。真ん中の通路をひたすら前進し、一番高い部分をよじ登る。まるでロッククライミングだ。頂上はさわやかな風が吹いていた。石の上に腰を下ろしてお弁当を広げる。バナナケーキ、バナナ、竜眼、酢コンブ、プレッツェル、チョコレート(^。^)♪ アンコールワットのてっぺんで食べるお弁当は格別!昼食後、大人は昼寝。高校生はTくんに付き合ってかくれんぼ。アンコールワットのてっぺんでかくれんぼをした初日本人かもしれない!(笑)でも、そのお陰でカナダ人の青年と出会えたと、高校生は喜んでいた(^。^)♪ツアー客のように時間には制限されず、ゆったりと心ゆくまで楽しんでから、芥川竜之介の「蜘蛛の糸」よろしく1本の手すりを伝って降りた。それから壁のレリーフ・ストーリーを見ながら東西南北の外廊をゆっくりと周った。

 アンコールワットを見渡せるという丘に若い3人はよじ登って行った。私とGさんは余力がなく、下に越しかけて待った。後からふと左側を見ると、象の背に揺られて登るという手があった・・・んだ・・・($1,500だけど4人は乗れる!)ヨシ、次回は象で!!!(^^)

 それから数メートル歩いた所にピラミッド型の塔型寺院があった。あんまりツアー客の目には触れない場所なのだが、珍しい形の貴重な遺跡だそうである。Tくんは絶好調!ヒョイヒョイとまるでスパイダーマンのようによじ登って行った。高校生の一人Eさんもそれに続いた。塔のてっぺんに涅槃像があったと言う。う~ん、あそこまではムリだなぁ~・・・。若い人が羨ましい。

 夕暮れの中、プノンペンへ戻った。スターマートでケーキ・ホットドッグ・お菓子・アイスクリーム・スプライトを買い込みホテルへ戻った。とっても充実した忘れられない2004年「夏」の思い出。今日はクリスマスイブ。メリークリスマス!
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トゥールスレイン/ゴミ捨て場/CCH孤児院訪問 12月23日 (木)
 <トゥールスレイン・ポルポト博物館>8:30~9:30
 700万人とも800万人とも言われている虐殺の舞台であるトゥールスレイン博物館へ行った。元高校であるこの建物はインテリの象徴であるということで収容・換金・虐殺の現場となった場所である。独房・足かせ・金属ベッド・逆さづりに使用されたハリやカメ・・など当時使用されたおぞましい用具の数々が展示されてある。殺害する前に一人一人を写真におさめたり、人間の頭蓋骨でカンボジアの地図を作製したした狂気の行動に終止符が打たれてからまだ十数年しか絶っていない。小学生のTくんの年齢とカンボジアの終戦はほぼ同じである。参加者は無言で独房をまわり、無言で写真を見、無言でベンチに腰をおろした。

 <ゴミ捨て場>9:40~10:15
 プノンペン中のゴミが集められて、トラックがひっきりなしに出入りするゴミ山。無分別のゴミが捨てられると子どもや大人達がゴミに群がりプラスチックや空き缶を拾う。貧しい家庭が乾季に田舎から出稼ぎに来たりもする。臭気が漂い、蝿が飛び交い、ガスが発生し燃えあがる。そのような中、このゴミ山の一角に、日本のNGOや個人、海外のNGOによって建てられた、小学校、職業訓練校、図書館がある。昨年までなかったプレスクールも開かれていた。技術を身につけてこの生活から脱却して欲しいと心から願う。

 <CCH(孤児院)>10:30~12:30
 ゴミ山のすぐソバに、ゴミ山から拾われてきた孤児達の暮らす孤児院がある、2004年10月にJHP学校をつくる会(小山内美江子代表)によって建設された孤児院である。収容人員は昨年までは16名だったが、今年は30名になっていた。この孤児院の子ども達のほとんどはゴミ山でゴミ収集車と共に生きていた親のいない子ども達である。親に3回も売られた女の子と会った。逃げ帰っては売られ、逃げ帰っては売られ、救われてここに来たのだそうだ。心も体も傷ついた子ども達。子ども達はここに来て初めてまともな食事にありつけ、安心して眠ることができるようになった。小学校へ行って学ぶ喜びも覚えた。
 この孤児院では今年から伝統芸能の踊りの練習を取り入れた。子ども達がその踊りを披露してくれた。これらの活動を通して、子ども達は自分の国に誇りを持ち、自信を取り戻していく。私達もお礼に「かぶ」を披露した。丁度ボランティアに来ていたアイルランドの青年2人がいたので、犬とネコを手伝ってもらった。インターナショナルなテーマ活動ができた(^。^)。拍手がいつまでも鳴り止まなかった。
 みんな、力を合わせてカンボジアの未来を創ってネ!そして、かぶのように大きく大きくなあれ!

 <シェムリアプへ>
 昼食後、オールドマーケットへ。竜眼(果物)を買って、15:30空港へ。17:50発の飛行機でシェムリアプへ行く予定だったのだが、肝心の飛行機が来ない。1時間遅れでようやく出発。飛行時間35分で到着。しかし車でなら12時間はかかるらしい。
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隊員活動視察/サマキ小訪問 12月22日 (水)
 <自動車整備技術訓練>8:30~10:00
 来年3月までの2年間、自動車修理の技術を教えるシニアボランティアの森谷さんの活動する訓練校へ。授業見学の予定なのに、生徒が集まらない。先生も来ない。月$20の給料では生活できないので副業に勤しむ先生。来ても授業がないならば・・と、遊びやバイクタクシーのバイトに行ってしまう生徒達。そこを調整しながらやりくり教育する難しさ。森谷さんは2年間の活動を振り返りながら、最初の頃はイライラしたことや、それでも良い相棒(指導教師)に恵まれて有望な人もいる発見そしたこと・・などを話してくれた。「あ~・・すっきりした。これで3月まで頑張れる!」とにっこりしながら締めくくった。でも、森谷さんがボランティアでやっている日本語クラスは、ほとんど欠席者がいないそうである(^^)。

 <RTCC,PNH中学校理科教師養成所>10:30~11:30
 授業見学の筈が。急にWSが入って授業中止。という事で、青年海外協力隊の宇田川さんの活動の話を聞いた。ここも、先生がアルバイトに出かけたり、生徒も同じような状況だったりだが、それでもまあまあ出席率は良い方なのではないか・・と言う。JHP学校をつくる会(代表:小山内美江子さん)が顕微鏡を20台寄附してくれたお陰で授業がスムーズにいくようになったと感謝していた。それまでは9台の顕微鏡の内8台は壊れていて、全く使えなかったそうである。
 宇田川さんは笑いながら「ここの学生は日本人なら小学生でもできる定規の使い方ができないんです。重さの目盛も読めないんです。でも、光の地球を回る速度や円周率は小数点以下随分小さい数字まで言えるんです。」と笑いながら言った。そして手作りの定規で長さを計る教材を見せてくれた。

 <NUM日本語教室>13:30~14:30
 実務系大学での日本語教室を見学した。初級クラスはまだ始まったばかりで「こんにちは、私は〇〇です。」だけしか習っていないので、我々もそのフレーズだけで挨拶をした。それから隣のクラスへ移った。隣のクラスではリスニングの練習をしていた。テープの音声があまり良くなかったが、皆真剣に勉強をしていた。この学校は比較的豊かな生徒が多いそうである。確かに他の学校に比べて新しいバイクが多いような気がした。

 <サマキ小訪問>15:30~17:00
 今回の本来の目的地サマキ小学校を訪問した。今回はCCH(孤児院)のソカさんの同伴・通訳で訪問した。穏やかな校長先生と勤勉な教頭先生が温かい眼差しで子ども達を見つめる。サマキ小学校へ画材を贈り始めてから3年目を迎えた。子ども達の週1回のお絵描きの時間が定着し、絵の質の向上が見てとれる。バングラデシュのCB同様今度は指導者の育成が課題となりそうである。
 Tくんは自分の小学校の写真をアルバムにして学校にプレゼントした。またみんなで遊べるように長縄を贈った。そしてみんなで運動場で遊んだ。小学生のTくんはここではすっかり小学生本領を発揮してカンボジアの小学生に混ざって縄跳びやボール蹴りで遊んだ。授業開始のカネがなった。カネは自動車のホイルである。子ども達は遊びを止めて教室へ入ろうとした。その時、校長先生が特別許可を出した。子ども達もTくんも大喜びで5時まで遊んだ。
 カンボジアの小学校は2部制である。午前の部は朝7時~11時。午後の部は午後1時~5時。子ども達は不自由な環境の中で一生懸命学んでいる。
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NGO/大使館訪問 12月21日 (火)
 <午前中>
 NGO/AAR(難民を助ける会)活動視察。私にとってはODA民間モニター視察(2002年11月)以来2年振り2度目の訪問。森進一さんの寄附によって建てられた車椅子工房では地雷で足を失った人々が車椅子の作製をしていた。2年前より整理整頓が行き届いていた。車椅子も以前は左右で微妙に違っていたりしたものだったがより正確になっていて感心した。テレビ・ラジオの修理部では最近携帯電話修理が加わったそうだ。携帯電話を分解して説明している教官は以前の卒業生だそうである。日本人にとってはケイタイは壊れたら取り替えるものor新しく購入するもの・・ですよネ?!でもケイタイはカンボジアではとっても高い。壊れたら修理して使わなくては!!!この技術を習得して自立を目指す人々の後姿を、参加者は真剣に見つめていた。

 <午後>
 NGOかものはしプロジェクト活動視察。10月に活動を始めたばかりの若いNGO。メンバーも大学生や大学を卒業したばかりでとても若い。その分アイデアが斬新である。孤児に英語とIT教育を施し技術を武器に自立することを目指す。社会的弱者(特に女子)はやむを得ず身を鬻がなければならない目に遭う機会が多い。それをIT技術で乗り越えられないか・・。NGOの経営もITの受注で自立運営を目指す。バングラデシュでのCB(現地NGO)の今後の参考になりそうな気がした。

 <夕方(16:00~17:00)>
 在カンボジア日本大使館表敬訪問。
 厳重なセキュリティ検査を済ませて館庭へ。2重、3重のドアを経て館内へ。大使館員花園さんにカンボジアの実状について話を聞く。真剣にメモを取る参加者達。話の途中でも、話の後でも矢継ぎ早に質問が飛ぶ。小6のTくんにはちょっと難しい話かも。でも小6の大使館訪問は初めてで最年少!と言われてにっこり(^。^)♪

 夕食はJICAの方お薦めのカンボジア鍋に舌鼓。豚の脳みそが珍味。チュンチョ(ヤモリ)が壁からWelcome!(*^▽^*)ノ”
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悠久のカンボジアを感じながら・・ 12月20日 (月)
 ホテルの食堂でゆっくりと朝食を取り、午前中はメコン川沿の王宮・銀寺見学。バンの横を4~5人乗りのバイクが駈け抜ける。参加者全員キャーキャー大騒ぎ(笑)。
 雲一つない青空に王宮の黄色が映えて美しい。カンボジアの悠久の歴史を肌で感じながら、広い宮庭をゆっくりよ歩く。黄色い衣のお坊さんとすれ違う。
 2時間程ゆったりと過ごし、JICA事務所へ向かう。JICA事務所でカンボジアでのJICAプロジェクトの話を聞く。
 お昼はクメール料理に舌鼓をうつ。クラブチャーハン、イエローヌードル、空芯菜、チキンベジタブル。たっぷり食べても$14ぽっきり。ナイスプライス!
 午後はシニアボランティアの活躍するモデル幼稚園+幼稚園教諭養成校の見学。カリキュラムと実際の授業とのギャップ、予算と実際に使えるお金とのギャップの中で一生懸命活動している隊員と一生懸命学んでいる学生達。教科書も充分ではなく先生の読み上げる教科書をひたすら書き写して自分の教科書を作成している生徒達。参加者の目にはどのように映ったのだろうか・
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