ヒロ |
01月20日 (木) |
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「先生、ヒロたちは、今どうしているんですか?」
と、元気な3人の男の子をラボに入会させて下さっているTさんが言った。
「今、5年生になりました。あと1年したら、小学校を卒業して、多分職業訓練所へ入ると思います。そして、半年くらい木工や電気修理の』技術を学んで、どこかで働くことになると思います。」と私。
ヒロはバングラデシュの小学5年生の男の子(11才)である。幼い弟と妹がいる。毎年洪水に見舞われるこの地で、とても危ない川沿いに竹を編んだだけの簡素な家に家族5人で暮らしている。現地NGO運営の小学校へ通っている。ヒロはこのNGOの小学校で伝統音楽と出会い、天性の美しいのびのある歌声を認められた。
私は、2年程前、偶然バングラデシュを訪問した時、心に染入るその歌声に出会い、いつかこの歌声を日本の子ども達に聴かせてあげたいと思った。が、実現には程遠く思われた。それが、ひょんなことから宮崎市市民活動支援金を受給できるようになり、多くの方々の協力・募金を得ることができ、昨年2月に招聘事業を実現することができた。「絶対に」不可能であると思われた「極貧の」子ども達が日本へやってきた。故国の歌を澄んだ声で歌った。そして、ラボッ子を始めとする多くの子ども達や県民・市民と交流し、温かい想いを残して帰って行った。
当初、訪問時と帰国後の生活とのギャップを「残酷」であるとも考え、惑い話し合いを重ねた末に実現に至ったのである。心配をよそに、帰国後、彼等はかえって自分達の文化に誇りを持ち夢を描くようになったと聞いた。後に続く後輩達にも「夢」と「希望」を与えたと聞いた。
しかし、現実はそんなに甘いものではない。小学校を卒業する割合がわずか30数%のこの国で、中学進学という義務教育以外の高等教育に対して、親は全くの力は持たず、NGOも小学校の基礎教育普及に奔走している状態なのでとてもじゃないが一個人の中学進学までは手も金もまわらない。彼の笑顔・美しい声・夢は、あと1年間だけのものかもしれない。そして、社会の現実を知り、夢は所詮夢なのだ・・と思い知らされる、その日が来るのかもしれない・・。不可能と思われた「日本へ来る」という「夢」を実現することができただけでも幸せなのかもしれない。いや、知らずに済んだことを知ってしまって、さらなる「夢」を与えたことが、かえって残虐な行為だったのか・・・。我々は、いつも自問自答を繰り返す。
「ヒロの中学進学をサポートしたい。」とTさん。私は驚いてTさんの顔を見つめた。「3人の子ども達が、毎日のように『ヒロはどうしているかな~?』と言うんです。長男Yと1才しか変わらないのに、下の弟や妹もウチの子と同じくらいだし・・・、他人事とは思えない・・」とTさん。「お兄ちゃんが頑張っている姿を見たら、下の弟や妹にも希望を与えるのではないでしょうか。」「ありがとうございます。」私は胸が熱くなって、ほとばし出でるものを制することができなかった。
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来月2/19(土)開催予定の県内NGOネットワーク「国際協力ネットワーク」主催の「国際協力フェスティバル」へ向けての実行委員会。最終段階へ向けて、一つ一つの分科会の責任者、準備物、当日のボランティア数等の確認や、刷られてきたチラシの内容確認等を行った。それぞれ手分けして県、市、教育委員会、メディアへの後援依頼・取材依頼等は終了。各学校へ向けての発送や、名札・パネル等細かい準備物の最終チェックの作業がまだ残っている。
未来を担う若い世代、無関心層の多い市民へ向けて、工夫が続く。
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今年初の地区研。地区代表のNテュ―ターが突然、
「私、10年前も地区代表だったんです。」と口火を切った。
昨日1/17、福岡での合同会議に出席した時、フラッシュバックしたらしい。 10年前の1/17、その日はやはり福岡で合同会議が開かれていた。オーストラリアンが帰国の日と重なっていて、関西の情報収集や帰国路の確保など、総局はてんやわんやの混乱の一日だったと言う。
一昨日、オーストラリアンを無事送り出したばかりの私にとっても、身につまされる発言だった。
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10年前のこの日の朝、私は遠く離れた九州の宮崎で地震の第一報を聴きました。当時、早朝実家の手伝いをしていました。ラジオをつけてラジオを聴きながら仕事をしていますと、突然放送が中断され「臨時ニュース」が流れました。NHK放送局もかなり揺れているという実況放送に近いものでした。「窓から外を見ています。停電でしょうか。何も見えません。辺りはしーんと静まりまえっています。被害情報はまだありません。被害はあまりないものと思われます。」
ところが、明けて時間が経つにつれ犠牲者の数がどんどん膨らんできました。遠い地で何もできず、TVに釘付けになった日のことを昨日のことのように思い出します。ラボッ子の家庭も犠牲にあいましたね。亡くなった方も生き残られた方も辛く苦しい10年間だったと思います。
当時中1だった息子は大学生についてボランティアに参加しました。被災地神戸でバケツで水を運んだり、お年寄りの体拭きをしたりしました。しかし帰宅してから今日まで「ひどかった。」と言った以外は一言も街の様子を話しません。「シャッターを押せなかった。」と写真も1枚もありません。
10年の節目に亡くなった方のご冥福を祈ると共に、震災の事実を風化させることなく命の大切さを後世に伝えて下さいますようお願い致します。
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1ヶ月のホームスティを終えて、トニーとエマがオーストラリアへ帰る日がやってきた。松崎PとIパーティのラボッ子たちが宮崎空港へ集まって来た。ラボ旗を広げてみんなで写真を撮った。二人共ラボッ子達と手を絡め、抱き合い、別れを惜しんでいる。エマとホストのMちゃんは、抱き合ったまま、時が止まったように身動きひとつしない。来て欲しくなかった日。でも、来てしまった・・・。二人のママは淋しさを隠せない。頬を涙が伝って流れ落ちる。トニーもエマも、まだまだ帰りたくない、と肩を落している。
時間は容赦なく過ぎて行く。もう待合室へ入らなければ・・・。身を引き裂かれる様に辛い・・。本当の家族になれたんだね。
See you again! また帰っておいで。さよならは言わないから。
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現アメリカ・南ミズリー州立大学教授、ケン・ラザフォード氏の講演を聴く機会に恵まれた(アムネスティ宮崎主催)。
1993年12月、氏はソマリアでの援助活動中、乗っていたジープが地雷により爆発し両足を失った。
その後、アメリカ・ジョージタウン大学で国際関係学を学びつつ、地雷被害者への支援と地雷禁止運動の批准を目的とするNGOを立ち上げ、論文、著作執筆、講演活動を通じ、平和活動を展開中。また、この活動を通じて故ダイアナ妃との知己を得、1997年8月にはボスニアで地雷禁止キャンペーンに共に参加。
現在は南ミズリー州立大学で教鞭をとる一方、地雷禁止運動の更なる批准のために活動を続けている。さらに最近では国際障害者条約推進のための活動にも参加。2002年秋に札幌で行われた国際障害者会議でも演説を行った。
「地雷は眠らない兵器です。そして対象を選ばない。」と氏。戦争が集結した後でも、何世代後の人々の上にも、その被害は襲いかかる。今回のスマトラ島沖地震で発生した津波は、スリランカの地雷を押し流した。被災地では地雷の被害に恐れながら片付けを強いられることになる。
そういう事実を知ること、が「平和のためにできること」の第一歩である。
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韓国系オーストラリアンのサン・スー・リー(通称サンちゃん)のパーティ訪問日なのだが、サンちゃんは月末の帰国を控えて疲れが出たのか、少し体調を壊していた。夕方の予定前にどこかに観光に連れて行ってあげようと計画していたのだけれど、ここ数日体調不良だということで、観光は中止した。あまりに悪ければ夕方の「サンちゃんとあそぼう!」も中止やむ無しと思ったのだが、「それには出たい!」という希望があったので、お世話になっているNテュ―ター宅でゆっくり時間まで休んでもらうことにした。
ゆっくり休んだサンちゃんは、思ったよりも回復していてほっとした。無理をしない範囲で、アルバム紹介と、韓国かオーストラリアの子ども達の遊びかゲームの紹介をお願いした。ウィンターキャンプに参加したラボッ子はサンちゃんとは顔なじみ。お互いの顔に笑顔がこぼれる。トニーもエマもにっこり微笑む。ウィンターキャンプで盛りあがったという韓国の歌「わたしはしあわせ」(ひとつしかない地球Ⅳ-6)をみんなで2回も踊った。みんな大好き!パーティの十八番になりそうな勢い(笑)。
サンちゃんは流暢な日本語で、全員のラボッ子一人一人に優しく声をかけていた。アルバムも今までのインターンの中で最も充実していて、伝えたい気持がとても良く伝わってきた。子ども達は真剣にサンちゃんの話に耳を傾けていた。将来は小児科医になって医療に携わりたい、そして自分を必要としている地域へ出かけて行きたい!と目を輝かせる。
松崎Pの中高生G(小6以上)とトニーでテーマ活動「三匹のこぶた」を発表した後、トニーとエマのフェアウェルセレモニーへと移行。二人のママは涙を浮かべていた。二人とも「すばらしい家族に出会えて良かった。帰りたくない。また、きっと帰って来る。」と言った。
みんなで、最後の持寄り晩餐会。終了後も、みんな別れ難く、仲々帰宅しようとはしなかった。
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青い海宮崎から、世界に発信する『環境メッセージ』です!
2月11日(祝/金)~12日(土)の一泊二日、日本一きれいな海の一つ青島を臨む「県立青島少年自然の家」にて、小学4・5・6年生を対象とした「宮崎アジアこどもフーラム」を、昨年に引続き、今年も開催します。楽しいアートワークショップを体験しながら、地球のこと、世界のことを考えるWSがいっぱい!3連休の前半なので、観光がてら宮崎に来ませんか?
年中花が絶えない温かい宮崎は、野球・サッカー・ゴルフ等のスポーツキャンプが盛ん。今回の開催地は空港に近く、JRの便も良い。天然記念物の「鬼の洗濯岩(波状岩)」のある「海幸山幸」の神話ゆかりの地のすぐ近くなのです。
「宮崎アジアこどもフーラム」の詳しい内容は、http://michiyo.vis.ne.jp/miyazaki/fantasy/fantasy.cgi
の[203]を見て下さい。
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新年を迎えての初幼稚園正課ラボの日。気持的にも、時間的にも、余裕をもって家を出た、筈だった・・・(-_-;)。ところが、しばらく走って、信号待ちの時、ふと後部座席を見ると「(*_*)!!!」七つ道具入りのバッグがない!幼稚園ラボでは<絶対に>必要な「ソングバード」を含むCDを入れたバッグを玄関口に忘れたまま車を走らせてしまっていた・・・(-_-;)。取りに帰る時間はない。新春早々の大失敗である。
車を左に寄せ、一番近いテュ―ター宅にTEL。しかし、話し中。一度切ってもう一度ダイヤル。しかし、やはり話し中(;□;)。ぐずぐずしていては授業時間に遅れてしまう。No choice。エィ、ままよ!と車を前進させた。
幼稚園に到着。子ども達がホールに移動を始めている。「せんせーい!」と屈託のない笑顔で手をふっている。
10時になった。「あけましておめでとうございます!A Happy new Year!」今年初めての正課ラボスタート!
「もう、みんな大きな声で歌えるようになったかな~?それとも冬休みで忘れちゃったかな~?きょうは、初ラボなので、CDではなくみんなの声でラボをやりますよ~!Are you Ready?」「Yes!」と子ども達。かくして新春幼稚園正課ラボは始まった(^^)♪
子ども達は、実に楽しそうに、大きな声で歌い踊った。担任の先生方も、私も、驚き、感心してしまった。(*^▽^*)ノ”
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スマトラ島沖地震の被害者は日々拡大し、15万人を超える人々が犠牲になった。そしてその半数は子ども達だという。連日30度を超す暑さの中、遺体の判別はもう不可能に近いという。負傷者・被災者の数は数え切れない。孤児の売買も深刻だという悲しい問題も浮上している。
各国で募金活動が行われ、有名人からの巨額の援助も伝えられている。「何かやりたい!」という申し出が殺到しているそうである。が、気持だけが先行して現場へ出かけることは危険であるし、かえって迷惑になるので謹んで欲しい。
このような中、宮崎では県内NGOのネットワークである「国際協力ネットワーク宮崎」が県内住民に途上国の現状を知ってもらおうと「国際協力フェスティバル」を企画している。今回の地震のように広域であのような事態が発生していることに関しては無関心ではいられないかもしれないが、規模の大小こそあれ、世界では同じように、自然災害や殺戮、餓え、病気で苦しんでいり人々は大勢存在する。
真の意で「できること」を考えてもらうために、楽しく「現状」を学んでもらうために、あと1ヶ月余りに迫った「国際協力フェスティバル」の最終準備に取りかかっている我々である。「国際協力フェスティバル」は2/19(土)、宮崎市立中央公民館を全館と公民館前広場を使って催行される。子どもから大人まで楽しんでもらえるように、智恵を出し合い工夫を凝らしている。
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