幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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フェニックスの日記
フェニックスの日記 [全1154件] 831件~840件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
I am leaving from Bangladesh today. 4 05月07日 ()
 昨夜、最後のミーティングをし、エバリェーションをした。それぞれが貴重な体験に感謝し、それを楽しむことができた。帰国したら、自分の言葉で周りに伝えると言う。
 そして、今日は全員、ゆっくり起きた。ゆっくり朝食を取り、荷物をまとめ、午前10時半にゲストハウスを後にした。セダンに5名、5名乗りバンに7名(運転手含)乗り込んで空港へ。荷物を下ろして、エミちゃんをみんなで見送った。エミちゃんの目に涙が浮かんでいた。でも、クリグラムにはエミを待ってるみんなが居る。頑張ってエミ!Big Bear Hugをして別れた。

 13:10発予定のTGはわずか15分遅れで出発。バンコクで7時間待ち。深夜12時55分発の飛行機で福岡へ。
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バングラデシュ最後の日 05月06日 (金)
 今日は休日、週末である。バングラデシュの暦は土曜に始まり金曜に終る。早起きしたメンバーは川の辺を散歩したようだ。夜中中定期的な鳴き声ををしていた鳥がいた。何人かはその鳥の正体を見たらしい。白い鳥だったと言う。狐を見たメンバーもいる。フェニックスは、一晩中鳴いていた狐や鳥の声に眠りを邪魔されて、「おやすみみみずく」の「みみずく」心境で「あ~眠た~い!」農業大学の構内にはライチやマンゴーの木が沢山あり、たわわに実をつけている。
 朝10時、附属中の英語の先生アフローズさんから朝食の招待を受けているので訪問した。以前のアパートより一回り大きな住まいに引っ越していた。愛娘のソバちゃんが2階の窓から恥かしそうに顔を見せ「アモ―(ママ)」と呼んでいる。子供の使用人を二人雇っていた。以前の子(16才)は結婚したらしい。今回の子は6年生と4年生。田舎の貧しい家庭の娘だという。アフローズさんの偉いところは、このような児童労働者にも勉学の機会を与えていることである。6年生の女の子は、”H&H”の支援児デルワ―ル君と同じ中学校へ通っているという(バングラデシュでは6年~10年が中学)。<注>“H&H”の支援は原則小学校教育支援なのだが、支援者(教育里親)が希望すれば中学まで継続支援できる。デルワ―ル君は支援児最年長で、本人の学習意欲に教育里親が賛同して、10年までの教育支援を継続している。
 2ヵ月前から、コミュニティ・ソーシャルワーカー運営のチャイルドレイバーのためのクラスが開設されたらしい。小4の女の子は毎夕2時間の夜間小学校に通っているとのこと。次回訪問の時、授業を見せてもらおう。
 心のこもった朝食を頂き、久々の再会を喜び、2時間程お邪魔して、P.D.E小学校の校長先生宅へ移動した。たまたま訪れたアフローズさんの甥の行為で、全員トラックの荷台に乗っての移動。(フェニックスだけは助手席だけど・・(笑))みんな、キャーキャー言って大喜び~♪
 岩手県へ留学した事のあるアリ・アシュラフさんが通訳をかって出て下さって大助かり(^。^)♪校長先生は英語が不自由だったので、コミュニケーションにとても支障をきたしていたので大変助かった。通訳を通して話を聞いてみると、「支援児の一人の成績が良くないので、その子はもう切って、代わりにもっと頭の良い子を支援して欲しい。」と言われ、内心とても複雑な気分になった。その子は卒業まであと1年。何とか頑張って卒業して欲しいと願う。
 近くに住む、サダムとリミの家を訪問した。スラムの竹の家に住んでいる。裸でいたのに、我々の姿を見ると、慌てて洋服を着た。
 二人の家族に別れを告げ、リキシャでバスターミナルへ向かう。アシュラフさんのお陰で切符をスムーズに購入することができた。全員バスに乗り込みダッカを目指す。運転手さんも車掌さんも、仲々親切で、車掌さんはカーテンの開閉に気をつかってくれる。バナニで下車し、歩いてゲストハウスへ。
 バナニに近年増えてきたおしゃれな店で買物をしたい、と、参加者の皆さんが外出したので、フェニックスも近くに住む友人宅を訪ねた。友人はサプライズ・ビジットを喜んでくれた。子供の使用人の顔ぶれが変わっていた。

 予定していた全ての訪問を終了し、明日は帰国の途に着く。10人で過ごした10日間、毎日波瀾に満ち、お腹の底から笑って過ごした。みんな素敵な仲間だ。コ―へイ、トモミ、You are proud of LABO ! なんだか、まるで1ヶ月はこの国に居たような気がする。
 メンバーの一人エミ(3月大学卒/22才)は、ボランティアノ―ト大使として一人我々と別れてクリグラムへ戻る。頑張って、エミちゃん!
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マイメンシンへ 05月05日 (木)
 もう一つの活動フィールド、マイメンシンへ出発(朝8時)。車で2時間位なので、そんなに遠くはない。水をどこかで調達して行かなければならない。運転手は英語が通じない人なので「アマル・パニ・ドルカ(水が必要)」「アマル・パニ・キンボ(水を買いたい)」と覚えたてのベンガル語で言ってみる。車が店の前で停まった。通じた!無事、水をGETして、さぁ~出発!
 町を抜け、田んぼを見ながら過ぎ、熱帯雨林を抜け、池のほとりの民家を見下ろし車は進む。学校へ通う生徒達がいる。小さな学校が見える。バザールに人が群れている。途中で雨が降り始めた。葉っぱの埃が洗い流される。煉瓦工場が見える。ホテイアオイの紫色の花が美しい。鴨が泳いでいる。そんな光景をいくつか繰り返すと、見覚えのある風景画現れた。バスターミナルと雑踏、女子大、医科大、ゴミをあさっている犬と牛。手で進行方向を指示し、目的地の小学校を目指す。「ソージャ(まっすぐ)」と「オカネ(そこ)」「エカネ(ここ)」を繰り返して使い、何とか無事に小学校へ誘導する事ができた。低学年のテストな真最中だったが、校長先生が出迎えてくれた。テストの終了を待って、一人一人に「手作りノ―ト」を手渡した。学校に来ていた支援児5名が集まってきた。「手作りバッグ」に「手作りノ―ト」と筆箱(鉛筆・消しゴム入り)、色鉛筆、クレヨンを入れて5人の子ども達に手渡した。ジュエルとラッセルには里親から預かってきた手紙も手渡した。みんな、それなりに大きくなっている。
 この小学校の環境は、クリグラムのCB運営の小学校と比べると、とても悪い。落ちそうな天井、暗い室内、壁には何の張り紙(作品やライムなど)もない。トイレは最悪。汚物が山になっている。先生方の意識も、如何に点数を取らせるかに集中しているようだ。それでも、子ども達は学ぶことができる喜びを隠せない。コ―へイはあまりの劣悪な環境下で学んでいる子ども達を見て、一生懸命目をこすっている。「かぶ」をやる予定にしていたのだが、雨は上がったけれども、運動場に水溜りができて、上演できるような環境になかったので「おもちゃのチャチャチャ」だけにすることにした。ここでも「おもちゃのチャチャチャ」は、子供達の心をとらえた。
 子供達に別れを告げ、国立農業大学附属中へ向かった。こちらもテスト中で、生徒も先生も忙しそうだった。日本に留学した事がある、という人々が訪ねて来て、参加者の皆さんと暫し談笑した。校長先生に挨拶をして、ゲストハウスへ。そこで清算し、車はダッカへ帰した。明日はバスでダッカへ戻る。
 しばらく休憩し、支援者宅訪問をすることにした。今日はジュエル宅。竹と藁だけの粗末な家に住んでいる。就学年齢に達した弟が居るが、学校へ出すことができない。しかし、周りには、まだまだ行きたくても行けない子ども達がいる。我々は何と無力なんだろうと実感する。できる範囲でやれる事をする以外はない・・・。トモミがおりがみで花を折り始めると、みんな口々に「フロ(花)!」「フロ!」と叫んで大喜び。あっと言う間に列ができた。フェニックスも羽ばたく鶴を折って羽をパタパタやってみた。「パキ(鳥)!」「パキ!」と大喜び。TさんとIさんがピョンピョン蛙を折った。「ベン(蛙)!」「ベン!」と歓声が飛ぶ。お父さん・お母さんに会い、それから手を振って別れようとするのだけれど、どこまでもどこまでもついて来る。家々の壁や塀に牛糞が干してある。「What?」とコーへイが聞くと「Cow dung」と答が返ってきた。「『かにむかし』や~!」コーへイの顔に笑顔が戻った。(^。^)
 今日の夕食も、ゲストハウスのシェフが腕をふるったとても美味しい料理だった!
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アドベンチャー from クリグラム to ダッカ/「おもちゃのチャチャチャ」は魔法の言葉 05月04日 (水)
 午後、日本大使館訪問のアポをとっているので、3時頃にはダッカに着きたい。が、運転手の都合で8時前に出発は難しい。昼食時間を短縮するしかないか・・・、と、思いながら、8時30分に出発。ガソリンを入れて、イザ、ダッカへ。
 ところが、1時間走ったところで、突如エンジンストップ。助手席に座っていたOさんが、「オイルランプがついていたので気にはなっていたのだけれど、ガソリン入れで停まったらランプも消えたので大丈夫と思ったんだけど・・。」と言った。運転手のカーティンさんが、「オイルを買って来るので待っててくれ。」と言う。No choice。頷くと、カーティンさんは手を挙げてバスを止め、バスに乗って去って行った。我々は近くの住民の興味の対象となり、あっと言う間に取り囲まれてしまった。何かしきりに話しかけてくるのだけれど、サッパリわからない。誰からともなく「おもちゃのチャチャチャ」を口ずさみ始めると、住民も笑いながら唱和し始めた。そして、サトウキビを差し出した。みんな笑顔でサトウキビをかじり、甘い汁を口に含んだ。そうこうしている内に、カーティンさんが誰かのトラックに乗って戻って来た。オイルを入れて、キーを回すと、OH!!! かかった!!!みんな拍手をして車に乗り込み、仲良くなった住民に手を振って、再出発!
 ところが、30分もたたない内に、再びエンジンストップ。カーティンは車のエンジン部を開けて、触り始めた。しばらく時間がかかりそう・・だと、コーへイは集まって来た子供たちを前に再び「おもちゃのチャチャチャ」を始めた。子ども達は白い歯を出して笑いながら「チャチャチャ」と唱和し始めた。市職員のTさんも、コーへイに触発されて、別人のようにブレイクして、コーへイと一緒に子ども達の前に立った。それから、二人は子ども達と一緒に田んぼの方へ歩いて行き、稲刈り体験を始めている。さて、カーティンはいろいろと処置を施しているのだけれど、車はウンともスンとも言わない。万事休す。
 カーティンは本部に電話をかけて指示を仰いでいる模様。「新たに車をチャーターして来ようか。」と言って来た。私は、「高速バスでダッカまで行けないか?」と言った。カーティンは手を挙げてバスを止め、運転手に聞いた。OKである。我々は荷物を抱えてバスに乗り込み、カーティンに手を振った。
 休憩で停まったドライブインで、トイレを済ませ、ハンバーガーを10個買い車内で食べた。ドライブインで電話屋さんに頼んで、CB代表のシャモールさんに連絡を取り、ターミナルまで迎えに来てもらうようお願いした。うとうとしている内にバスはダッカに着いた。時計を見ると5時。「やれやれ・・・、大使館は間に合わなかったか・・・」と思いながら電話を入れると、待っていてくださる、とのこと。ヨシ、急ごう!と思った瞬間、タイヤがパンク。今日はつくづくついいてない(-_-;)。4人分の座席に大人6名乗りこんで、グルシャンの日本大使館を目指す。昨年までの領事部は昨年の洪水で沈んでダメになったらしく場所が変わっていた。
 いろいろあったけど、何とか無事にダッカに着く事ができた。冷えたビールが美味しかった!
<今日の発見>「おもちゃのチャチャチャ」は魔法の言葉なのだ!
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タウンセンター小・職業訓練所・シェルター見学/チャイルドレイバー 05月03日 (火)
 午前中は、昨年日本に来た子供たちの学ぶタウンセンター小学校を訪問した。朝、8時を過ぎると子供達が三々五々と集まって来る。どの子も、日本の高齢者手作りの布製カバンを下げて通学して来ている。8時半から朝礼が始まった。てきぱきと号令をかけている女の子がいる、ふと見ると、昨年日本に来たアスマだった。去年は他のみんなから一歩引いて恥かしそうだったのに、今日は堂々と号令をかけているので、びっくりした。国旗を掲揚し、胸を張って国家を斉唱し、教室に消えて行った。
 バングラデシュで小学校へ入って最初に学ぶのは、「ああ、バングラデシュ、緑豊かな美しい国よ、・・・」という国を称える歌だそうである。日本の子供達にも、自分の国を愛し、誇りを持って欲しいと思った。
 学校の入口に「WELCOME JAPANESE FRIENDS」というボードが設置され、各柱に両国の国旗が飾られてあった。昨年、日本に来た時に、どこの小学校でもこういう歓迎を受け、学んだのだと思う。それまで何度か訪問しても、こういう事はなかった。やはり何事も体験から学ぶものだ・・と思った。
 各教室を訪問して、ベンガル語で自己紹介をした。コーへイは北米交流の経験を生かして、アルバムを作って来ていた。一昨夜のホームスティの時も、それを見せて紹介したらしい。今日も、それを出して日本の紹介をしていた。コーへイもトモミも、先生やスタッフに対して、わからない事はキチンと質問をするし、聞かれた事にはしっかりと英語で答えている。積もった英語が迸る瞬間である。参加者の中には大学生や英語を専攻した人はいたけれども、この二人の素晴らしいところは、年齢・国籍を超えてコミュニケーションを取ろうとする姿勢だった。そして、ライブラリーによって育まれた、感じる心と、楽しむ心は、この旅を何倍をも楽しくし、また彼らを更に大きくした。

 次の訪問地は職業訓練校。12才~16才の子供達が、洋裁と電気修理技術を学んでいた。6ヶ月の研修後、スキルを身につけ自立して行くそうである。コーへイ、トモミは自分達と同じ年代の子供達の訓練の様子を、どんな気持で眺めた事だろう。

 午後は、昨年の洪水後に建設された「シェルター」を見に行くことにした。車で約2時間走ると、川の辺に出た。昨年秋に訪問した時は柱が立っているだけだったので、どのような形に完成しているのか、いろいろ想像を巡らしながら現地を目指した。案内標識に5基のシェルターマークが描かれ、非常時には即避難をするように、と書かれてあるらしい(ベンガル語なので読めないが・・。)。案内人の男性が胸を張って、先に歩いて行く。我々は遅れないように、彼について進む。「ここです。」彼が指差した先に見えたのは、十数畳のコンクリート床に数本の鉄筋コンクリート柱と、トタン屋根の工作物置き場のような構造物であった。「ハァ~~~???!!!」余りにも想像とかけ離れていたので、思わず声を出してしまった。ここに一体何人の人が避難できると言うんだろう・・・!?「100家族、約500人」と言う答が返ってきた。500人・・・。立ってギュ―ギュ―詰めで、本当にやっと「命」をつなぐだけの構造物なのだ・・・。500人もの人が押し寄せるのなら、壁があるとかえって危険かも・・ね・・と、思い直した。ドアがあれば、入口が制限され、間に合わずに溺れる人が出るかもしれない・・・。そうか・・・最低限の「避難所」なのか・・・。水が出ると、この界隈の田畑も家も、みんな水に浸かり、この場所だけが島のようになるのだと言う。何だかスゴク疲れた・・・。
 シェルターの近くに家内で紙巻タバコを製造している集落がある。生まれたばかりの赤子を膝に乗せて製造している母親。見よう見真似で上手に紙を丸めている子供達。学校へも行かず、1日中木陰に座って紙巻タバコを製造している。健康上も良くないだろうに・・・。
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チリマリ小学校・チリマリ病院・ラグファクトリー訪問/歓迎会 2 05月02日 (月)
 今日は“H&H”http://www3.ocn.ne.jp/~m.labo/h/ で教育支援をしているチリマリ小学校を訪ねた。田んぼの中の山羊や牛が寝そべっている細い道や竹やぶの生い茂る道を通り、クリグラムから約1時間ほどかかって、田んぼの真ん中の小さいな小学校へ着いた。

 在籍数は約300人。各学年約60名。午前の部と午後の部の2部制である。教室に入ると、電灯のない薄暗い教室で、3年生のみんなが一生懸命算数の勉強をしていた。日本から持って来た「手作りノ―ト」と未使用鉛筆を一人一人に手渡した。そして代わりに、子ども達がびっしりと書き込んで使い込んだノートを貰ってきた。各教室には「算数セット」が1箱ずつ置かれ、時計や計算カードを活用しているようだった。全ての教室を回って、スタディツアー参加者全員で「手作りノ―ト」と鉛筆を一人一人に手渡した。1年生の教室では「通学用布製バッグ」も手渡した。みんな小さく痩せていた。服は薄汚れて、ファスナーが壊れている子も多かった。それでも、みんな明るく、Big Smile で迎えてくれた。ここはNGO運営の学校なので、学校へ来ると給食(昼食)が支給される。1日一度はしっかりとした食べ物を食べることができる。それから無料で質の高い教育を受けることが出来る。けれども、支援母体であるヨーロッパのNGOからの支援は今年一杯で打ち切られる。来年からのドナーは見つかっていない。“H&H”は、現在30名の子ども達をサポートしているが、それだけでは、まだまだ不足である。何とか来年1月入学予定の子ども達分(60名)の支援ができれば良いのだが・・・。「何か足りないものがありますか?」と校長先生に聞くと「お金、学用品、給食用の食材、子供たちの服が足りない。」という返事が返ってきた。
 教育里子の子ども達30人の写真を撮った。帰国したら、里親の皆様に写真を届けよう。
 運動場の木の下で「かぶ」を演じた。参加者全員、心を一つにして演じた。子ども達はみんな大喜び!割れんばかりの拍手を送ってくれた。「おもちゃのチャチャチャ」は、ここでも大人気だった。車が動き出すと、手を振りながら走って追いかけて来る。See you again!元気でね!

 次にチリマリ病院を訪問した。この辺りでは最も進んでいる最も大きな病院である。が、日本人の感覚ではあまりにも前近代的で、みんな声も出なかった。昨年の洪水の時、義援金を届けた。「そのお金でミネラルとビタミンを買った。まだストックが残っている。有難うございました。」とドクターが言った。

 最後に、昨年から始めた「ラグファクトリー」。昨年と比べると、規模がかなり拡大し、働いている人数も3~4倍になっていた。ただ地面を掘っただけの埃っぽい環境はお世辞にも良いとは言えないが、アメリカからの注文もあるとのことで、みんなイキイキ、テキパキ働いていた。子ども(チャイルドレイバー)の姿が見えないので、何歳くらいの人々が働いているのか?とたずねると「16才以上。」という答が返ってきた。「何故16才以上?」と聞くと「16才未満の子どもを雇った場合は買ってもらえない。」という返事だった。8時間以上の重労働製品もダメだという事なので、買ってもらう為にしっかりと「労働基準」を守っている。良いことだ。これらの製品はきっと$1ショップに並ぶんだろうな・・・。日本の100円ショップで売られている品々も、きっと途上国の人々の、このような労働の産物なのに違いない。何人かのメンバーがお土産用に何点か購入した。買って支えるボランティアである。
 CBも独自運営を目指して自助努力をしているのだな・・・とは思ったが、まだまだ道は遠そうである。

 クリグラムへ戻って来て、シャワーを浴び、軽食を取った。今日は7時半から歓迎会があるそうである。少し休憩をして、会場へ足を運ぶと、もう子供も大人も集まっていた。懐かしい5人(昨年日本に来たメンバー)の顔が見える。民俗音楽と伝統舞踊の歓迎会が始まった。このNGO運営の小学校では、バングラデシュでは珍しい、子供の自尊心を高め、権利を主張する教育をしている。心に染入る美しい音色に思わず涙した。コーへイとトモミと他の参加者も、お礼に「かぶ」を演じ、「おもちゃのチャチャチャ」と「世界にひとつだけの花」を歌った。
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ボートトリップ 05月01日 ()
 5/1(メーデー)は祝日なので学校はお休み。そこで、CBが私達のためにボートトリップを計画してくれた。
 メンバーはクリグラム第1日目に、いきなりバイクの後部座席へ乗ってのエキサイティングな移動を体験することになった。12台のバイクを連ねてブラマプトラ川へツーリング。稲が並べてあったり、草が干してあったりしている道々をバイクは縦列を組んで通り過ぎる。道路に寝そべっている山羊や牛が、あるものは慌てて、あるものはのんびりと立ち上がり端に移動する。雨季には川の一部になる河川敷を、バイクは一気に駆け下り、小さな流れの中をバシャバシャと通り抜ける。20分程走ると川辺リに着いた。
 どこから集まって来たのか、あっという間に子供達や大人の群に囲まれてしまった。最初はこわごわしながら、そして少しずつ輪は狭まってくる。
 コーへイとトモミが進み出て「弁慶が五条の橋を渡る時・・・」とパフォーマンスを始めた。何回かやると、真似をし始めた。次に「おもちゃのチャチャチャ・・・」を始めた頃には、二人はみんなの心を虜にしてしまっていた。全員「チャチャチャ」のコーラスが鳴り止まない。
 船の用意ができたので、船上へ。船頭さんが竿をさして、ゆっくりと船を操る。船が岸を離れ進み始めると。コーへイとトモミのファンは船と並んで岸辺を走る走る。コーへイは船の先方に陣取り「♪Oh, Mr.Gumpy, where shall we float・・・♪」と大声で歌い始めた。岸壁から顔を覗かせている牛や山羊が「わたしも連れてって。」「どこかに乗せてって。」と言っているようだ。
 船が着いた島は、川の中州の一つで、雨季には川の中の消えてしまう土地である。雨季には大慌てで対岸に逃げて来る住民も、乾季になり土地が現れると再び島に渡り、玉ねぎやピーナツを植えて生活を始めるのだそうである。貧しい人々にとっては無料で使えるこのような土地を指をくわえて見ている訳にはいかないのだそうである。集落を訪れると、小指の爪より小さなピーナツがいっぱい干してあった。私達の顔を見ると家の中に招き入れ、ピーナツを煎ってご馳走してくれた。香ばしく美味しいピーナツだった。
 コーへイとトモミの「おもちゃのチャチャチャ」はここでも大評判。ハメルーンの笛ふきよろしく、あっちからもこっちからも出て来てついて来る。「帰りは野原を横切って歩いて行くことにしよう。」と、どこからか声が聞こえてくるようだ。
 再び船に戻ると「おもちゃのチャチャチャ!」と叫びながら、子供達が船の流れに沿って走る走る。元気の良い男の子は飛び込んで泳いで追いかけて来る。コーへイはそっと涙を拭った。見ている私達も感動のお裾分けをもらった。それから、船上でお弁当を食べた。お弁当はカレーチャーハンと野菜のフライ。割り箸と飛行機の食事の時出たプラスティックのフォークセットをカバンに入れてたのが役に立った(^^)!
 船上から「島」を見ると、砂の体積によって作られた島々はとてももろく、見ている内に崩落している部分があちこちで見られた。毎年、100近い新しい島が現れ、そして消えていく。そして、人々の命も水にのみこまれたり、水害後の伝染病等で、毎年消えていく。
 あちことで魚を捕っている人がいる。この穏やかな流れが、ヒマラヤの雪解けと同時に凶器に変わり牙を剥くのである。

 強い陽射しに照らされて、顔も腕も焼けてビリビリ痛い。傘をさしていたんだけど・・なぁ~・・・。あぁ・・・美貌が台無しに・・・(笑)(;◇;)

 岸辺に着くと、「コーへイ!コーへイ!」の大合唱。朝方は恐る恐る取り巻いていた子供達が、岸辺に立って待っていた。「オモチャノチャチャチャ!」と催促している。「オモチャノチャチャチャ」の大合唱に送られながら、再び12台のバイクを連ねて帰路に着いた。ぬかるみを抜けて・・、川を抜けて・・、砂嵐を抜けて・・・(笑)(^^)♪

 「ライブラリーの世界だね~!」トモミとコーへイは顔を見合わせてにっこりした。そういう風に感じ、楽しむ心が育っているいるんだね。いつものパーティのように、キャンプのように、自然体で誰とでも接する二人のお陰で、ボートトリップは何倍も楽しいものとなった。他の参加者の方々が「ラボって何だろう・・?」と興味を持ち始めたようである。(^。^)♪

 その晩、コーへイ、トモミ、そして何人かの参加者はCBのスタッフ宅へホームスティをした。Have a nice homestay!
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8時間のドライブ 04月30日 ()
 ダッカから北へ約450kmのインドと国境近くのクリグラム地方を目指す。ダッカのゲストハウスを午前8時前に出発。重い支援物資を2台の車に分けて積み込み、5人ずつ分かれて乗り込む。CBの同行スタッフが各車に一人ずつと、運転手の交代要員が各一人ずつ乗り込んだので、結構狭い感じ。それでも、この国の普通の人よりはかなりゆったり目の贅沢さで出発。水を7L購入して、2台の車は前になり後になり、北を目指す。車窓からの風景は、私にとってはかなり発展したように映り、他の参加者にとっては信じられない時代へタイムスリップしたように映ったらしい(笑)。11時過ぎ、レストランでトイレと昼食をすませた。大体3分の1程度は来たことになると言う。
 北へ北へ・・・。どこまでも続く田んぼ。田植えをしている人。草取りをしている人。稲刈りをしている人。日本では四季折々の風景も、年中温暖なこの国では一度に見ることができる。ちょっと不思議な感じ。道路や田んぼに牛・山羊・羊が寝そべり草を食んでいる。池や田んぼのあぜにあひるが群をなしている。
「合鴨農法や~!」とコーへイが声をあげる。
リキシャ(馬車の前の部分が馬の代わりに自転車の乗り物)が満載の人々を乗せて通り過ぎる。そこをクラクションを鳴らしながら車は駈け抜ける。
「遅れ過ぎて、結局は最先端ですね。エコな乗り物ですものね~・・。」と市職員のTさんが、半ばあきれ半ば感心して呟く。みんなお腹の底から笑う。
 目の前に工場群出現。フィールドにそそり立つ煉瓦工場の煙突の群、といっても5~6個もあれば「群」に入る。重い煉瓦をざるに入れて頭に乗せて運んでいる姿が見える。石のないこの国では煉瓦はとても大事な産業である。道路舗装には砕いてじゃり程度にした物やさらに細かく砕いて粉状にした物を用いる。路傍に座ってトンカチで砕いている人々もいる。
 熱帯雨林を過ぎ、バナナの林を抜け、バザールをいくつか通り、それを繰り返しながら車は北へ北へと走り抜ける。
 毎年、ヒマラヤの雪解け水で氾濫するブラマプトラ川に日本のODAで建設された不似合いな立派な橋がかかっている。ジョモナブリッジ。有料橋である。通行料400タカ(日本円で約800円)だがこの国の人にとっては1万円以上払うに等しい。そこだけは、まるで日本にいるようなスムーズなドライビングを体感することができた。
 しばらく走ると、今度は列車・車・リキシャ・大八車・人共用の橋がある。鉄橋を借りて使っているような橋である。ガタガタガタ・・・と通り過ぎると、思わず歓声があがる(笑)。ジェットコースターのように、バンピングの道路を通り、夕方4時少し前、目的地へ辿り着いた。
 懐かしい顔の面々が迎えてくれた。汗を流して、一休みして、新鮮な食材の夕食に舌鼓。
「『三匹のこぶた』の世界のよう・・」トモミが呟いた。貧しい人々の家は藁と竹やジュートの茎を束ねただけの簡素な造り。少し余裕ができると、家はトタン製になる。金持ちの家は煉瓦造り。はっきりと見た目で貧富度がわかる国である。
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バングラデシュへ 04月29日 (金)
 夕べの美味しいタイ料理で元気百倍のメンバーは、朝から張り切っている。今日はいよいよバングラデシュ入り。
 午前10:30発のタイ航空でバングラデシュへ向かう予定が、40分遅れて離陸。機内食のカレーがなかなか美味しい。バンコクーダッカは2時間半のフライトで無事ランディング。
 入国にしばし時間がかかる。入管のオフィサーがコンピューターに慣れていないので、一人一人への対応時間がかかるのである。イライラしても始まらないので雑談して待つ。
 入国したら、予め決めていた「換金班」「カート班」「荷物班」に分かれて行動。福岡空港で預けた13個の荷物を確認し、入国ゲートへ。昨年宮崎へ来たラッセルが迎えに来てくれていた。ガラス越しに我々を見つけて手を振っている。外回りのフェンスには見物人がいっぱいひしめいて我々外国人を見物に来ている。さしずめ、我々は檻の中パンダ状態。
 2台の車に分乗して、ダッカ一の青山バナニのゲストハウスを目指す。空港から延びる道路が舗装され、中央分離帯まで建設されていてビックリ(*_*)!沿道に花壇が作られている。2月に何か会合があったらしく、それに向けて整備されたらしい。無事にゲストハウスに到着し、バングラ名物のチャイを飲みながらラッセルと話している内に、CB(現地で協働しているNGO)のスタッフが数人現れ話に加わった。

 夕食は近くの中華レストランで美味しい料理を満喫。(・_・?)ハテ?我々は「おいしいもの食べ歩きツアー」に来たんだったっけ?(笑)

 明日は車で8時間かけて、北部のクリグラムを目指す。夜、簡単に明日のスケジュールを確認して、「かぶ(The Turnip)」の練習。ラボッ子が二人もいるのに、テーマ活動をしない手はない。おじいさんをコーへイ、おばあさんをトモミが担当し、二人で交互にナレーター部分を言いながら練習スタート。他の参加者も加わって、なかなか良い感じ。最年少のコーへイとその次に若いトモミがグループを引っ張っている。昨日初めて会ったばかりのちょっとギクシャクしていたメンバーが「かぶ」を通してすっかり打ち解けて仲良くなっている。それだけでも「テーマ活動」はすばらしい。
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タイの休日(^^)♪ 04月28日 (木)
 フェニックスと9人の仲間達は午前10時に福岡国際空港に集合した。構成メンバーは中学生・高校生・大学生・一般と職業も年齢もいろいろで、今日から11日間の旅に出発。さぁ~て、どんな旅になるのか、とても楽しみ、ワクワクのフェニックスである。現役のラボッ子、コーへイ(中3)とトモミ(高3)が何を感じ、どのような行動を取るのかを見るのも楽しみの一つでもある。

 さて、あらかじめ空港へ送っていた220kgの支援物資を持ってバングラデシュを目指す。バンコクで乗り換えのため一泊するのだが、支援物資はスルーでダッカまで流したので「ワリに」楽。

 正午出発の予定が15分遅れての離陸。15:20(タイ時間)バンコク着。バンコクの気温は32℃。入国を済ませて一歩外の出ると、暑さと騒音の出迎えを受けた。いつもながらの活気に満ちたバンコクの風景である。ホテルへ着き、シャワーを浴び、ラボッ子OBのKさん(バンコクで日本語教師をしている。)の到着を待って、近くの食堂へ出かけた。ロースト鴨、野菜炒め、ヤキメシ、トム・ヤム・クム、空芯菜など美味しい料理を満喫した。とっても美味しくて、みんな食が進む。Yum,Yum!一人当りの費用は200円ちょっと。 Nice Price!
 食後は近くの市場を見学。果物が豊富。ライチ、竜眼、ランブータンを買った。1kgがたったの20バーツ(80円弱)。ホテルへ戻ってみんなで食べた。甘くてジューシー!みんな大満足!!!

 明日は、いよいよバングラデシュIN。みんなくつろいで、ぐっすり眠った。
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