幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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オークンからテレマカシ―(ありがとう)/マレーシアの光と影 12月28日 (水)
 みんな、カンボジアが大好きになってしまって、離れたくなさそうだったけど、もう行かなければならない。カンボジアに別れを告げマレーシアへ。オークン(ありがとう)カンボジア!また、きっと来るよ! 

 今日はクアラルンプールの人権NGO方がスケジュールを組んで下さっているので、まずは空港から直接NGOの事務所へ向った。マレーシアが誇るツインタワーやスフィンクスを模したショッピングモール等を車窓に見ながら進んで行ったのだが、みんな疲れてぐっすり眠っていた。
 10月に来た時、マレーシアのクリーンさ、物乞いのいないことに驚いたのだが、やはりそれにはカラクリがあった・・・。
 街の中心の開発の際、政府はそこに住んでいた人々を郊外の仮設に強制的に追いやったのだそうである。そこはベニヤ1枚で仕切られた長屋で水も電気もない所だったそうである。そこは仮設なので半年がまんしてくれれば、きちんとした住居を与えると約束したのに、もうすでに13~20年経っているのに、全くの知らんふり状態なのだそうである。このNGOは住民に「権利」を教え、住民と共に政府と戦い「水」と「電気」を獲得した。そして、政府に対して「約束」を履行するよう要求しているのだそうである。
 車で約1時間ほど走った所に、そのロングハウス(長屋)はあった。中に入ってみると、色を塗っているので一見「普通」に見える壁も裏にまわればたった1枚のベニヤ板であることがわかる。まるで舞台の大道具(仮設)そのものである。そこに家族全員が暮らしている。マレーシアは子どもの数が多いので、一家続に割り当てられた2部屋だけではプライバシーは保てない。もちろん、隣の音は筒抜けで、家族自体のプライバシーも保てない。それでも、これが自分で選んで入居したのならば、また話は別である。彼らは政府に騙されて、強制的に移住させられたのである。学校も遠いので、行かなく(行けなく)なった子ども達も多いという。病気になっても、近くに病院がない。車もなければ、公共交通もない。
 今、政府は観光に力を入れているので、様々な観光施設を建設しているそうである。そして、その近辺の人々は目障りという理由で、奥地へ強制移住をさせられているのだそうである。
 ロングハウス・コミュニティの一角にある幼稚園で、そこに住む青年達との意見交換会をした。
マレー「学校教育は何語でされているのですか?」
日本人「日本語です。」
マレー「日本語だけですか?」
日本人「そうです。」
マレー「民族毎の言語で教育はされないのですか?」
日本人「え・・?」
という質問の中に、マレー系、インド系、中国系住民の混在するマレーシアの一面が垣間見えた気がした。
 それから、彼らが追い出された地、ライトアップされた夜空に浮かぶツインタワーへ行った、紀伊国屋やケンタッキー、マクドナルド、伊勢丹などの店が入り、観光客の憩の場所になっている「美しい」地である。

 夜11時、「テレマカシ―(ありがとう)」とNGOのスタッフと握手をかわし、日本行の飛行機へ乗りこんだメンバー。今夜は機内でどんな夢を見たことだろう。
 左の窓へ目を移すと、窓のすぐ横に、大粒の七つ星のひしゃくがあった。
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アンコールワットのてっぺんで「はらぺこあおむし」! 3 12月27日 (火)
 朝4時半起床。5時半出発。6:45発の飛行機でシェムリアップへ。
7:35シェムリアップ着。迎えのバンで宿舎へ向う。荷物を下ろして、まずは近くのカトリック教会へと向う。教会が支援している子ども達への支援文具を贈り、地雷被害者に義足や義手を提供しているハンディキャップ・インターナショナルへ。
 ディレクターにカンボジアの地雷・不発弾被害状況を聞いた。現在地雷撤去費用の70%は、地雷の埋っている地面の上に生えたブッシュを払う費用に費やされるのだそうである。またこの国の東側には、30年前のベトナム戦争時米軍によって投下された不発弾が埋っており、その鉄くずを売ろうとして被害に会う人々が絶えないという・・。戦争が終った今でも、地雷は毎年500人以上の人々の腕や足やを吹飛ばし目をつぶしている。義足をつけて訓練している幼い少年・少女の姿に、涙ぐむ参加者もいた。みんな、無言で車に乗りこんだ。

 車は、アンコールワットへと向った。ゲートを過ぎてしばらくすると堀が見えてきた。その向こうに見えるのは、そう、アンコールワット!「わぁ~!」「すげぇ!」参加者一同素直に声をあげた。
 アンコールワットを右手に見ながら、ゲート前で下車し、歩いてゲートをくぐった。そしてバイヨン寺院を満喫した。象のテラスへ向う途中に小さな寺院があったので立ち寄った。歩く歩調に合わせて、物売りの子ども達が寄って来る。参加者はすぐに取り囲まれて動けなくなる。最初は困った顔をしていた参加者達もだんだん慣れてぃて交渉して絵葉書やブレスレッドなどの土産品を手に入れ始めた。結構楽しんで沢山買ってたようである(^^)♪
 タプロン寺院では板根によっては破壊され、しかし根を取れば倒壊という、破壊と保持を根に委ねざるを得ない運命の壁にしばし見入ってしまった。
 そして、アンコールワット前のレストランで美味しい昼食を取り、元気になった面々は、イザ、アンコールワット本殿を目指した。とにかく前進して、最高峰を目指す。クモのように張り付いて塔頂を目指す。着いた!風が心地よい!石がひんやりして気持いい!しばしくつろいで悠久の時に浸る。
 「ねぇ、かくれんぼしよう!」と中学生。かくして、今年も世界遺産でのかくれんぼが始まった(笑)。いゃ~・・なんと贅沢!・・・そして、「『はらぺこあおむし』やろう!」というY美の提案でスクエアの真ん中でやっちゃいましたヨ!テーマ活動 on The Angkoe Wat、世界初!!!(*^▽^*)ノ”
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JICA事務所訪問/日本センター訪問 12月26日 (月)
 午前中、JICAカンボジア事務所を訪問し、カンボジアの現実とODAプロジェクトについての概要の説明をうけた。
 午後はプノンペン大学の敷地内に建ったばかりのカンボジア日本技術交流センターを訪問した。このセンターは正式開所式は来年の2月なのだそうだが、一部講座は既に始まっている。日本語コースやコンピューターなどのトレーニングコースや若いビジネスマンの起業についてのアドバイス等も行うそうである。タダが当り前の国で、しっかり(安いけど)払ってもらって参加してもらう方法をとるそうである。それは大事な事だ!と、バングラを思い浮べながら賛成に1票のフェニックスである。

 合間を縫って、NGOを訪ねたり、教育庁の方と食事をしたり、ロシアンマーケットへ行ったリ・・と、いろんな方々と出会い、見て、食べて・・・、プノンペン最後の夜は暮れていく・・。明日はいよいよシェムリアップ行き。
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On the Christmas Day・・・ 12月25日 ()
 午前8時半、ポルポトの虐殺現場ツールスレインに行った。ここは高校の跡で、所謂「インテリの象徴」ということで迫害・拘留の現場となったのだそうである。鉄ベッド、鎖、足繋ぎ棒、独房群・・・抹殺された人々の写真、衣服、リンチに使われた様々ま道具、狂気ポルポトが死人の骸骨で作らせたというカンボジア骸骨地図の写真と、それらの骸骨と弔う鐘・・・などなど・・・。これらは60年前のことではない。わずか十数年前までのできごとなのである。今回の参加者の最低年齢は13才、この子達が生まれた1993年に国連アンタックがカンボジアに入り、そこから復興が始まった。高校生・大学生参加者が生まれた時も、まだこの地は戦禍にあったのである。昨日行った孤児院の子ども達の中に現実戦災孤児もいるのである。メガネをかけているだけでインテリと判断され殺された人々、美人は育ちが良いに違いないと強姦され殺されたという。参加者は気分が悪くなり、座りこんでしまった。でも、これはまぎれもない最近の事実。しっかり目を開けて見て、戦争がいかに愚かなことなのかを学んで欲しい。そして、帰国したらそれぞれの口で伝えて欲しい。

 午後は再び昨日の孤児院を訪れた。子ども達が住んでいたゴミ捨て場を見て、ポルポト政権下の様子を学んで再び子ども達と会った参加者はきっと昨日よりも、もっともっと子ども達がいとおしく感じたことだろう。
 みんなで輪になってジングルベルを踊った。Yがハーモニカで「ひとつしかない地球」を吹き始めた。私達は自然と手話を交えて唱和していた。それを皮切りに孤児院の子ども達も歌を歌い始めた。それから、みんなでゲームをしたり綱引きをしたりして遊んだ。参加者は「はらぺこあおむし」を演じた。大喝采!!!子ども達はお礼に「オオカミと七匹の子ヤギ」を演じた。子ども達が参加者の膝に乗ってきて、みんなでお絵描きをして遊んだ。朝のショックを子ども達の笑顔で癒されたみんなは、4時間の滞在の跡、後ろ髪を引かれる思いで、孤児院のみんなに手を振って車に乗り込んだ。

 夜、日本に留学した経験のある人達の同窓会に招待され、帰国後頑張っている青年達と交流をした。
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教育庁/小学校/孤児院/ゴミ捨て場/メリークリスマスinカンボジア 1 12月24日 ()
 夕べはみんなぐっすりと眠れた様子。朝起きて、お粥とヌードルの朝食を食べた。
 8時45分に迎えの車が来たので、最初にプノンペン市教育庁へ向った。教育課長とNGOカンボジア・チルドレン・サービスの加藤さんを伴って、3年前から支援・交流を行っている市立サマキ小へ向った。
 4人乗り、5人乗りのバイクが車の横を通り過ぎる度に、参加者は大歓声をあげカメラのシャッターを切る。バイクにはミラーがついていない(*_*)!時々ついているのもあるけれど、何故か自分の方を向いている・・(・_・?)ハテ? 車の前を、鶏を生きたままバイクの両側にぶら下げて走って行く。過積載の車が通り過ぎる。見たことのない光景に、都度々々歓声をあげるみんな!

 サマき小に着いた。校長先生と教頭先生が出迎えてくれた。子ども達は授業中のようで、校庭はし~んとしている。校長室兼応接室に通され、日本から贈られた机と椅子にそれぞれ腰を下ろして、校長先生からサマき小概略を聞いた。それから文具の贈呈。「手作りノ―ト」600冊、未使用鉛筆800本、マーカー(12色セット2セット&ばら)、クレヨン(ばら)、色鉛筆(ばら)、鉛筆(ばら)、定規(150本)、絵本4冊、ピアニカ6台(←このピアニカは千葉Kパーティのお母様から送られてきたもので、ピアニカの裏側にラボッ子の名前が書いてありました。有難うございました。)
 カンカンカン・・と、ぶら下げられた車のホイルを金づちで叩くと、授業終了の合図で、子ども達がワーと校庭に飛出してきた。参加者も外に出て、子ども達と遊んだ。カンカンカン・・再びホイルの鐘が鳴って授業開始。子ども達は教室に吸い込まれて行った。我々は先生の案内に従って、授業を見学した。薄暗い教室で、黒板を見つめる真剣な目・目・目・・・。何代か譲り合って使用する白黒印刷の教科書は、カバーをつけて大切に使っている。

 午後は孤児院訪問と、孤児院に来る前に子ども達が一人で生きていたゴミ捨て場を見学。孤児院は院長が留守だったので、2時間ほど子ども達とおりがみをして遊んで、明日再び出直すことにした。ゴミ捨て場は悪臭と蝿の大群の歓迎を受けたが、そこに住み、黙々と働いている人々を見て、みんなはどう感じたのだろうか・・?

 今日はクリスマスイブ。クメールキッチンというクメールレストランでカンボジア料理を満喫した後、コンビニでジュース、アイスクリーム、お菓子を買い込んで、ホテルで乾杯!メリークリスマスin カンボジア!
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プノンペン1日目 12月23日 (金)
 朝5時半起床。6時朝食。7時ホテル出発し7:15空港着。Everything OK, today!と,9時過ぎの飛行機に乗る準備をして待っているのに飛行機はナシ・・・あれ???(-_-;)(・_・?)ハテ? ゲートを2回も変更され、2時間遅れて離陸。ヤレヤレ・・・(^^) 機内食を食べるには丁度良い時間にはなったけれども・・(笑)

 Anyway、無事プノンペン到着。
到着は午後1時を回っていたので、
今日は、王宮や銀寺、メコン川流域の観光を楽しみ、セントラルマーケットでショッピング等を楽しんだ。メコンの雄大な流れを見ていると、物乞いに取り囲まれてしまってとまどう参加者。ODAで建設した絆橋を通って対岸へ。メコン川とトンレサップ川の合流地点はまるで海のように広大である。
 セントラルマーケットでは、Tシャツやスカーフなどを交渉して負けさせて買った!と得意満面(*^▽^*)ノ” セミ、コウロギ、タガメ、タランチュラ等が並ぶ食品売場に立つ7人。今回はタランチュラを食すツワモノもいましたヨ!(*_*)!!!足がクランチで美味とか・・・(-_-;)(Why don't you join us and try it?)
 屋台の焼きイカをおかずに市場の食堂でヌードルの夕食。なかなか美味!帰りにランブータン(果物)を買って帰って、夜ホテルで食べた。始めは見かけのモジャモジャに気味悪そうにしていた初体験のみんなも、その味にしびれて「オイシイ!!!」を連発。すっかり虜になってしまった(笑)。
 夜は、明日小学校や孤児院でやる予定の「はらぺこあおむし」の練習。こうしてプノンペン一日目の夜は楽しくエキサイティングに暮れて行ったのであ~る♪
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激寒から激暑の世界へ 12月22日 (木)
 夜行列車はとてつもなく寒かった。うとうとして目をあけると、ホームが真っ白な駅に停まっていた。入口のドアが開いているので寒風が容赦なく入ってくる。暖房は入っているのだけれど、余りにも寒過ぎて全く暖まらない。それでも、やっぱり早目に出発して良かった・・・。絶対に高速道路は閉鎖されている筈・・。
 列車は30分以上も遅れて、朝7:05博多駅ホームに滑り込んだ。ホームで大分から乗り込んで来ていたY君と会い合流。そして、博多駅地下の食堂で温かいお茶と味噌汁に大感激しながら朝ご飯を食べた。22日の福岡の気温は0℃。
 それから、地下鉄で福岡空港へ移動し、バスで国際線へ行き、約200kgの荷物を受け取りチェックイン。でも、雪の影響なのか・・1時間遅れで離陸。到着も40分くらい遅れてクアラルンプールに無事ランディング。荷物はスルーでプノンペンまで流しておいたたので、全員身の回りの自分の荷物だけ持ってクアラルンプールへ降り立ち、空港近くのホテルへ。気温29℃。
 その夜は、そこのホテルでバイキング式の料理をお腹一杯食べて、みんなルンルン気分。簡単に明日からの予定を確認し、早速「はらぺこあおむし」の練習開始!今回のツアー参加者はラボッ子5名(中1:2名/中2:1名/大学生2名)、一般の子2人(高2:1名/大学生:1名)。ラボッ子が主導を取りさっさと進めていく。最初のぎこちない関係が溶けて融合していくのが良くわかる。
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今日、出発します! 12月21日 (水)
 大寒気が日本各地に大雪をもたらし、飛行機やバスなどの交通期間に影響が出始めた。・・・明日の朝は大丈夫だろうか・・? 山間部が凍結していては高速バスは走らない。バスが遅れれれば、国際便に乗り遅れてしまう・・・。
 急遽、YAST(ヤング・アンバッサダ―・スタディ・ツアー)の出発を1日前倒しして、余裕を持って本日出発に変更した。
 バタバタと荷造りし、夜11時35分、宮崎駅に集合。宮崎からは7名、大分から1名、計8名でカンボジアへ行ってきます!
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HAPPY ENDING DAY 12月20日 (火)
 小学生GもキディGも、今年は今日でおしまい。
どのGでもクリスマスリースやクリスマスツリーなどのクラフトをして楽しんだ。それからクリスマスソングをみんなで歌って踊りまくった(*^▽^*)ノ”
 メリークリスマス~★,。・:*:・゜’☆,。・:*★,。・:
良いお年を!
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中高生G今年最後のラボの日 12月19日 (月)
 中高生G今年最後のラボ(本当は金曜日なのだが、Tが22日より留守をするため前倒し)。それぞれが今年の自分の感じた事を言い、来年の希望を言いあう。
 1月から取り組むテーマ活動を決めて、冬休み中に聴き込んでこよう、という事になり、テーマ活動を出し合うのだが、それぞれの想いが交差して仲々決まらない。「なよたけのかぐや姫」とK。「西遊記をやろうよ!」とY。「ロミジュリ!」とY美。「シフカブールカなんかどう?」「バーバヤガがいいな~・・」・・・。それぞれの主張を聞き、3つに絞り込んで新年最初の日に決めることにした。
 しっかり聴き込んで、& 充実した冬休みを! それではまた来年!
Have a Merry Christmas and Happy New Year!
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