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二女の住むバンクーバーを一年に一度訪れる。バンクーバー空港に降り立つと、バンクーバーの自然を表したオブジェとファーストネィションズ(カナダ先住民)のアートが出迎えてくれる。バンクーバーは、自然と発展が調和した美しい街である。高層ビルディングの林立する市街地から手の届く位置に海があり森が広がる。バンクーバー市が先住民から借り受けているスタンレー公園には樹齢何百年を超える木々が天に向って聳え、また様々な鳥や動物の生息地でもある。公園内には先住民のトーテムポールが集められた場所やクラフトショップ、水族館などもあり、丸一日楽しめる場所である。
一昨年の秋、娘夫婦と「鮭博物館」へ行った。水体系が観察できるように川の一部をガラスでしきった「川」を鮭が下流から上流へとビュンビュン跳ねながら上って行く光景に圧倒された。この時期、娘達はよく鮭捕りに行くそうである。釣り糸などを使わず素手で面白いように捕れるらしい。実際、冷蔵庫には冷凍鮭が眠り、食卓にもムニエルや塩焼きなど鮭メニューのオンパレードであった・・・(^^)。
今日、次期ライブラリー著者のC.W.ニコル氏の講演会が福岡市で開催された。ニコル氏は講演の大半を「サケ、はるかな旅の詩」に費やされたが、氏の話を聴きながら、バンクーバーの自然と、鮭の壮絶な川上りのシーンが鮮明に思い出された。あの、バンクーバー空港でいつも出迎えてくれるア-トの作者スーザン.A.ポイント氏が挿し絵を担当されると聞き、嬉しい偶然に親しみを持って聴いた。発刊がとても楽しみである。
http://www.susanpoint.com/home.html (←スーザン.A.ポイントHP)
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5/10(水)の木花台GはG主催の「ひとつしかない地球子ども広場」「はらぺこあおむし」から見えてくる世界を通して、地球のことを考えてみよう!外部のお友達が4人参加してくれたのに、肝心のGリーダーY君がおたふく風邪でお休み・・(-_-;)だったけど、お話をたどりながらパクパクあおむしの工作を作って遊んだよ。いつまでも蝶々がいっぱい舞う自然豊かな地球であって欲しいね。
5/11(木)いつも100%の出席率の元気Gの筈なのに、今日は出席率が悪い・・・・(-_-;)。連休疲れか、連休ボケか・・。来週に期待!(^^)
5/12(金)千葉のUパーティから中2のM君・小4のT君が転入。二人とも最初は少し緊張していたけど、ソングバードが始まり、テーマ活動が始まると、少しずつ顔が和らいできた。みんな楽しく明るい仲間なのでヨロシクね!
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3月に年長さんが卒園し、春休みからしばらくお休みしていた幼稚園の正課ラボが始まった。久し振りに会う子ども達は1年ずつ大きなクラスの名札を胸につけ、幾分照れくさそうに手を振っている。半分は新しい顔が見える。また今年も、幼い子ども達との一年が始まった。
年間わずか36回のクラスだけど、この園で、ナーサリライムや英語の歌や響き、沢山のおはなしと仲良くなってね。
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5/6(土)5時起床。最後の荷物点検を終え、6時にクリグラムを後にした。1時間半程車で走り、ランプールより「エアコンバス」に乗ってダッカを目指す。7時半発予定の「エアコンバス」は約20分遅れて7:50に出発。クラクションを響かせバンピングを繰り返し4時間ノンストップで走って、レストランにてトイレ&軽食休憩30分。メニューに「ハンバーガー」を見つけ注文。まさしくハンバーグ1個以外は挟んでいないシンプルなもの。それでも、カレー味に少々飽いていた口には美味しく感じられた。バスは再びクラクションとバンピングを繰り返しながらダッカへと走る。クリグラムを出て約8時間かけてダッカに到着。お尻がバスシートの形にプレスされたかのような感触になってしまっている。NGOの運転手が迎えに来ていた。3人掛けのシートに4人乗り込んで事務所へ向かう。気温37度。汗が滝のように流れ落ちる。事務所でメールチェックとエバリエーションをして、今後の支援について代表と話し合う。それからイギリスのNGOブラックの経営する店でクラフトを購入。購入資金が貧しい女性達の支援に還元される、所謂買うボランティア。
5/7(日)11時少し前に空港へ着き、搭乗手続き。スイスのへレンさんも同じ飛行機でバンコクへ向う。助産師のへレンさんは、バングラデシュの衛生状態の改善法について模索。我々の教育支援法との類似点が多く、これからもメールで意見を交換していくことにした。福岡行きフライトは深夜。多少のお土産を買った以外は、ひたすら眠って時間を待つ。5/8(月)深夜1時フライト。今夜も左横水平位置に7つのひしゃくが見える。銀河鉄道の旅を楽しんでいると睡魔に襲われ眠りの国へ。
5/8朝8時、福岡空港ランディング。天気は曇。気温16度。バス→地下鉄を乗り継いで博多駅へ。KIOSKでおにぎり2個を買い、高速バス乗り場へ。お昼に食べたおにぎりは最高に美味しかった!日本人である事に喜びを感じた。フェニックスの喜びは240円で買える。とっても安上がりである(笑)。「わずか」4時間のバス。クラクションの騒音もバンピングもないスムーズな「エアコンバス」(^^)!まるでビジネスクラスのシートのように思われた。
午後2時20分、宮崎駅前到着。2時半自宅着。3日かけての移動の終了と同時に、お風呂にお湯を溜め、洗濯機を回す。あ~・・・、たっぷりのお湯のお風呂に浸かる幸せをかみ締め、ラボッ子とバングラの子を想うフェニックスin Hot Bath であるヾ(@^▽^@)ノ。
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昨日のジープは体格の良い人が途中で乗り込んで来て、更に劇的な旅を演出してくれた・・・(-_-;)・・。夕べは、疲れでバタンと寝入ってしまっていた・・。いやはや、昨日の内にシリグリまで戻って来たのは大正解だった。
朝7時半、ホテルの前のバスターミナルから、マナグリ行きのバスに乗り、そこから
ボーダー行きのバスに乗り換えて、無事にバングラデシュボーダーに帰ってくることができた。
しかし、今日はすごく多くの人々が入国を待っている。こんなに多くては数時間待ちは覚悟しなければならない・・・。と、その時、向こうの方で手を挙げて手招きをするオフィサーが・・・。ちょっぴりケィン・コスギに似たインドのオフィサーが我々を覚えていて、手招きし、早く処置をしてくれた・・けど・・、いいのかなぁ~・・・?助かったけど・・・、他の人達は、まだまだず~~~と待っているのに・・・m(__)m。
そんなこんなで、また合理性の欠ける両国のイミグレーション・税関を通過し、歩いて無事バングラデシュへ再入国。
クリグラムへ戻って、今年から中学校(小6年代)へ入学した2人の男児(松崎Pラボッ子の家庭が支援)を訪ね今年小学校を卒業した子の家庭から頂いたランドセルを中学通学カバンとして贈呈した。「勉強、がんばる!」と二人は約束して、しっかり握手を交わした。
夜は、昨年宮崎へ研修生として来たシャヒドルさん宅へ夕食の招待を受け、その後、彼が計画した児童絵画WSについてのスケジュールについて話し合った。
今日は子どもの日。20数kgの体重の子ども達が自分と同じか自分の体重より重い荷物をヨロヨロしながら運んでいる。子どもの為に設立されたNGOの職員宅ですら、チャイルドレイバーを使っているという現実。早朝から深夜まで雇主(持ち主?)が起きている間は眠ることも許されない。世界中の子ども達が、非合法的な労働から解き放たれる日はいつ来るのだろう・・?
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インド北東部・ヒマラヤ山DARJEERING ダージリン麓ダージリン地方。
朝、目を覚まして窓の外を見ると、一面のミルク色の霧がたちこめていた。この霧が美味しいダージリン茶の香りを作るのだそうである。
朝食の前に散歩としゃれこんだ。上へ上がって行くと「自然博物館」と書かれた建物に行きついた。「ヒマラヤの動物や鳥を見ることができる」と案内板に書かれていたが、時間が早過ぎて開いていなかった。子ども達が制服に身を包んで学校へ行っている。寒いのでみんなカーディガンを着ている。チベット系の顔立ちの人が多い。勾配が急なので、散歩というよりは「エクササイズ」に近い。ハーハ-言いながらホテルへ戻った、丁度良い按配にお腹がすいてきた。オムレツ、トースト、紅茶の朝食を取った。
ここまで来て、紅茶を買わずしては帰れない。感じの良いお茶屋さんを見つけて、薫り高い新茶を購入した。
気持ちはリッチだが、帰るには、再び過酷なルートを戻らなければならない。我々は、今日の内に、シリグリまで戻ることに決め、乗合ジープに乗り込んだ。
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クリグラム地方はインド国境に近い。数時間でボーダーへ行けるということなので、思いきって行ってみることにした。くねくねと曲がった道を2時間半程走ると、国境へ来た。迂闊だった。酔い止め薬を飲み忘れていたので、すこぶる気分が悪い。が、ここまで来て「天竺」へ行かない訳にはいかない!(笑)
ボーダーの事務所で少し休ませてもらって、税320TKを払いバングラデシュ出国手続き。すごく合理的でない、いくつかのほったて小屋(入管・税関)を経由して、徒歩で緩衝地帯を横切りインド領へ。またここで、合理性に欠ける順番で入管・税関のほったて小屋を経由して「無事」インドへ入国(*^▽^*)ノ”。
タカからルピーに替えて、ローカルバスでマナグリへ。乗車料金一人10R(約25円)。そこで一度下車し、通りを横切ってシリグリ行きダイレクトバスに乗り換える(一人32R:約70円)。シリグリはダッカくらい大きな街だった。
そして、そこから乗合ジープ(一人80R:約200円)で紅茶の産地として知られているダージリンを目指す。ジープは3人席に4人、前の2人席に3人のギュ-ギュ-詰め込み乗合で、標高2,000mを超すヒマラヤ山系の山々を縫ったジグザグのやっと離合できるかできない位の細い道を3時間ひた走る。体の向きを変えることもできない。イギリス人によるインドアッサム地方の紅茶栽培の歴史は19世紀より始まったのだそうである。どうやって収穫するのか疑うような急勾配の谷の斜面にはお茶畠(?)がしがみついている・・。落ちたら絶対に助からないと保証できる深い深い谷底まで、お茶が植えられている。人々は山のヘリにしがみついて生活しているような街である。
天竺・天井への旅は、結構過酷であった・・・(-_-;)(笑)。ホテルを探し、値段を交渉。しかし、近くのレストランで飲んだダージリンティとトマトスープの味は格別だった!ヾ(@^▽^@)ノ
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クリグラムの中心から車で約1時間、田んぼの中を行くと、小さな小学校が見えて来た。国際こども支援団体“H&H”(Heart and Hand)が教育里親支援で支えているチリマリ・ロムナ小学校である。竹壁・トタン屋根のこの小学校には午前・午後の2部制で約300人の子ども達が学んでいる。日雇い農民や日雇いリキシャ引きの子ども達で月1,000円~2,000円の収入で家族4~5人が暮らしている家庭が多い。学校で支給される給食が1日の唯一の食事だという子も多く、みんな痩せて小さいけれど、みんな学校で勉強できることが嬉しくてたまらない。実は、この子達にわずかビスケット2枚だけれども、朝食給食をプレゼントしようと集めた募金を届けにはるばるやって来たのである。
小学校入学率はやっと半分を越したものの、卒業までに至るのは就学年齢児の約36%。貧困由に子どもを奉公に出す家庭が多い。そして教育の欠如は新たな貧困連鎖の要因となる・・・。ヨーロッパからの支援打切りで閉鎖が決定していた小さな小学校が、Play with me さん、Samiさん、そして日本の心ある方々のお陰で存続し、バングラデシュ北部の貧しい子ども達に夢と希望を与えている。
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メーデーは国の休日なので、今日は学校や公的機関は休みなのだそうである。赤いハチマキをした人を満載した大型トラックと、その後にやはり赤いハチマキをした人々が何かを叫びながら行進している様子を見かけた。
午前中、近くの小さなNGOを訪問した。このNGOは1992年頃、一人の日本人によって創設されたそうであるが、数年後経営に失敗して解体。今では会の名前にのみに日本名が残っているものの、メンバーは全て入れ替わり、現在は日本人は一人も関わっていない。昨年より、女性(大人)に対する識字教育やコミュニティの人々に対する衛生教育を主体としての活動をメインに再出発をしたのだそうである。識字教育に必要な鉛筆やノートは極端に不足している。我々は今回持参した物の中から「手作りノート」100冊と、識字教室に通う時に教材を入れるための「手作りバッグ」50枚を贈呈した。
それから、ジャトラプア郡の健康センターを訪ねた。郡の議会の建物の2階が健康センターになっていて、数ヶ月訓練を受けたメディカルアシスタント(準看護師の医者版のようなもの)が巡回で週2~3回訪れ診察をするのだそうである。ここの対象者は、3,516家族、約24,000人だそうである。
雨季には多くの人々を飲み込むブラマプトラ川には100近い島々があり、貧しい人々が住んでいる。健康センターの後は、その内の一つを訪ねるボートトリップに出発した。インド国境沿まで出かけるので、ボートにはバングラデシュの旗が船頭と船尾に掲げられてある。島には想像とは程遠いような、竹壁草葺のマタニティ診療所があった。お世辞にも衛生的とは言えないが、無いよりはマシなのだろう・・。やがて雨季が始まると、人々は命がけで対岸へ避難して来るのだそうである。
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朝7時、バングラデシュの誇る「エアコンバス」(普通のバスにはエアコンはついていない。「エアコン」付は高級なのです!)バスターミナルへ行き、ランプール行きのチケットを買った。今回のスタディツアー参加メンバー3人と、スイスのNGO関係者へレンさん、代表のシャモールさんの5人で、この国で最も貧しい北部地域を目指す。あちこちで新道路作りの工事が始まっている。乗車時間7約時間。一度休憩で止まる以外は、ひたすら北へ北へと走り、そこからNGOの車で更に約2時間。道路の凸凹振動とりキシャや人を制するクラクションの騒音の中に8時間以上も身を置くと、身体が座席の形にプレスされたかのような感覚に陥る。見覚えある街並みが見えて来た。懐かしい笑顔に再会すると、疲れも吹き飛んだ。
日本を出て3日目、やっと、目的地に到着。
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