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フェニックスの日記
フェニックスの日記 [全1154件] 581件~590件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
山岳民族のために働く日本人 2 08月08日 (火)
 午前中「バーンサバイ」(平安な家)というNGOを訪ねた。そこは、HIV患者のためのシェルターである。
 今から十数年前、日本での暴力虐待シェルターからこの活動は始まったのだそうである。10年ほど前から、人身売買によって日本国内に不法に連れて来られたタイ人女性の駆け込み数が増えた。その後、日本人夫の暴力から逃げて来るタイ人女性が増え始めた。そして、その頃からエイズの罹患者がチラホラ現れ始めたそうである。そこで働いていた早川さん(現バーンサバイ代表)と青木さんは、家庭の事情で退職したが、数年後仕事に復帰するにあたり「原因の地」でのシェルターを開く事にしたのだそうである。
 現在、タイ政府はエイズの撲滅に力を入れており。タイ国民はわずか30バーツで高価な薬を手に入れる事ができる。しかし、山岳民族にはその権利がない。バーンサバイはタイの社会保障やその他のプロジェクトなどを利用しながら、利用者が抗HIV薬などを服用できるように支援している。
<バーンサバイURL: http://homepage3.nifty.com/baansabaay/ >

 午後はチェンライの谷口巳三郎氏(熊本県出身)を訪ねて4時間の道のりを車で出かけた。(どうやって行こうか・・と模索していたら、昨日の希望の家のタッサニーさんが「燃料とドライバーの日当を払えば送っても良い」と言って下さったので甘えることにした。)途中、米屋に立ち寄った。チェンマイよりもチェンライで買った方が少し安いのだそうである。
 谷口巳三郎さんは現在85才。60才までは農業大学等で教鞭を取り、定年後タイに渡った。山岳(高地)民族には元々国境などなかった。後にボーダーが引かれてしまい、森林伐採が進み、住むところを追いやられた人々が平地に降りてきて、国籍もなく、字も読めず、無垢でだまされやすく、結局ただ同然でこき使われ、スラムに住み着き、貧困のために麻薬や人身売買に巻き込まれ・・・。谷口氏は、荒地に木を植え、畑を作り、山岳民族(高地民族)の人々に農業を教え、教育を施し、25年間、タイ山岳民族の人々のために働いている。
 
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チェンマイ希望の家(House of Hope) 08月07日 (月)
 バンコク北部のチェンマイは昔、独自の王国があったそうであるが、長い歴史の間にアユタヤに制服されたりビルマに制服されたりして、1932年シャムの一地方になったのだそうである。バンコクから空路約1時間、空港に降り立つと、バンコクの喧騒は消え、静かなたたずまいが現れた。
 空港からタクシーで40分程行くと、田んぼの中に赤い屋根と白い壁の小奇麗な建物が見えて来た。山岳民族のエイズ孤児(両親をエイズや麻薬中毒で亡くした子ども達)19名と養母さん一家が暮らしている。この施設は、大森さんという日本人女性によって創設されたのだが、大森さん自身は癌で3年程でこの世を去り、その後、大森さんのお姉さん(上野敏子)夫妻の主催する「希望の家を支える会」(宮崎県延岡市)によって維持運営されている。私達は、宮崎県の国際協力関係のネットワークの中で、大まかな情報は把握しているのだが、実際に訪問させて頂く事によって、我々のフィールドに生かす事のできる事象を発見できるのではないかと思い、今回の訪問を実施することにした。
 丁度訪問した時間は昼食タイムだった。寮母のタッサニーさんは留守だったので、しばらく待たせて貰うことにした。大きい子も小さい子も自分の皿に盛られたごはんをキッチンから自分で運んで来てテーブルにつき、それぞれが食べた後は、また自分でキッチンに運んで行った。そうこうしている内にタッサニーさんが帰って来た。予め連絡を取っていてもらったので話はスムーズに始めることができた。
 ここで生活している子ども達は、ラフ族・カレン族・モン(ミャオ)族・アカ族・リス族など山岳民族(先住民族)の子ども達である。高地を自由に行ったり来たりして生活していたのに、勝手に国境が引かれ、タイ語を話す民族ではないのでタイ人とは認められず国籍がない。無国籍→教育を受ける機会を奪われる(高校以上には行けない)→良い仕事につけない→貧しい・・と、いつまでも貧困から抜け出せないサイクルが回り続けている。貧しさ故に、ヤンゴン等の観光地へ出稼ぎに行き、エイズに感染し、家族中に広まり、そして死んでいく・・。残された子ども達の面倒を見る人がいない・・。そんな状態を見て、看護師さんだった大森さんはタッサニーさんと一緒にこの施設を建てたのだそうである。
 京都からボランティアに来ている荒木さんの案内で施設を見せて頂いた。高床式の寝室棟は2棟、男子棟と女子棟に別れている。ボランティア貯金助成金によるものだそうだ。1階部分は洗濯物干し場。水道の近くで、女の子が一生懸命自分の物を洗っていた。事務所・幼児室・食堂などのメインの建物はODA草の根無償によるもの。こういう風にキチンと子ども達の為に役立っているのは嬉しい。養豚と養鶏、田んぼと畑もあり、できるだけ自給自足を目指しているのだという。
 「谷口さんという日本人が指導して下さっているんです。会ってみませんか?」というタッサニーさんの言葉に、近所に住んでいらっしゃる方かと思って二つ返事で約束したら、ナント、4時間も離れたチェンライだと聞いてビックリ(*_*)! けれども何かの縁だと思い、明日訪ねて行くことにした。

 夜は、ホテルの近くのナイトバザールに繰り出し、イタリアンレストランで美味しいイタリア料理に舌鼓を打った(^。^)♪~。
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バンコクの休日 08月06日 ()
 5日未明発の飛行機で、先発メンバーは帰路についた。我々は諸事情により2日間しかバンコク希望の家に関われなかったが、学ぶところは多かった。
 昨日~今日は、久し振りに何のしがらみもなくバンコクでゆっくりする事ができた。・・・とは言っても、11日~14日にネパール行きを急遽決めたので、ダウンタウンの旅行会社へ行き、航空券の手配をした。それから空き時間は、週末市場(ウィークエンドマーケット)へ出向いた。公共の公園の一角をに雑貨・衣料品・布・バッグ・食品・・・等、ありとあらゆる種類の一坪ショップがびっしり所狭しと並んで居る。通路は人一人すれ違うのもままならない。火事や地震でも発生したら確実に逃げられないだろう・・な・・、なんて思いながら・・・歩いた・・・歩いた・・・歩いた・・・(‐ε‐)・・・。全ての品物には定価表示がない。「これ、いくら?」から交渉が始まる。定価主義に慣れた日本人には勝手がつかめない。安く値切ったつもりでも、結局は高く売りつけられたりしているのだが、どちらも満足で落着している(笑)。2日間通って、端から端まで歩いた。あ~ぁ・・、つ・か・れ・た・ぁ・・・(×Δ×)
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バンコク希望の家(Home for Hope) 08月04日 (金)
 昨日と今日、タイ・バンコク郊外の「希望の家」(Home for Hope)を訪問した。ここで暮らしているのは、スラムから救い出された子ども達約200人。子ども達の親はエイズやその他の病気で亡くなっている人、麻薬中毒、行方不明など様々だ。実際の親から売られそうになって保護された子どももいる。
 カトリックのイタリア人神父(在タイ30年)が開設し賛同する人々によって支えられてきたこの施設は、今年からカトリック・バンコク教区が全面バックアップすることになったのだそうである。
 「希望の家」はバンコク郊外の緑豊かな静かな環境の中に建っていた。白い壁に赤い屋根。建物の前には広い芝生広場がある。遊具もある。学校から帰ると、子ども達はそれぞれの「家」(年齢・性別によって住む建物が分けられている。)に帰り、おやつを食べると、芝生広場で遊んでいる。私達以外の参加者は31日から会っているので、もう既に顔なじみになっていて、子ども達が前から後から抱きついてきて、自然と追いかけっこが始まった。私の後ろからも少女が駆け寄り肩を叩いてから少し離れ「こっちまで、おいで~!」と悪戯っぽく笑った。フェニックスは「あんなチビちゃんには負けないぞー。」と追いかけたのだが、いゃ~・・なかなか捕まえることは難しかったね~・・(笑)。子ども達の笑顔からは、スラムに暮らしていたとか、両親がいなかったり複雑な環境であったりというような事は微塵も感じられられない。
 5時になったら「お勉強タイム」。小学校の現役先生や学生さん達がボランティアで指導に来るそうである。
 6時より夕食。小学生の「家」では、上級生の子ども達がお皿を並べたりして準備をしていた。
 7時からはミサ。聖堂が狭いので「家」毎にシフトを組んで順番に参加できるのだそうである。みんな、ミサに参加できる日を待ち望んでいるようだった。
 静かな、清潔な、規律正しい環境の中で、子ども達のトラウマは少しずつ癒されていく。各「家」にはそれぞれ寮母さんが一緒に生活をして、子ども達の母親代わりを務めている。シスター方は全体の運営やプログラム、寮母さん達への」トレーニングやワークショップに関わっているようだ。
 成績が良くて進学を望む子ども達には、高校・大学進学のチャンスもある。一人一人の能力や適性によって進学先や職業訓練を行い、将来の自立に備えるという。

 今年からの自国教区による支援活動、すなわち、タイ人の手による国内問題への取り組み意識が高い事に、バングラデシュと関わっている私はとても羨ましく思った。バングラ国民にこういう意識が生まれてくるのはいつの事だろうか・・。有り余る富を持っている人はかの国にも居るのに・・。
 とは言っても、タイ政府が福祉問題や社会問題として予算化したり討議したりしている訳ではなく、まだまだ「慈善」に頼る部分が大きな問題である事に変わりはない。タイは物価が高いので、子ども一人の食費は一ヶ月6,000円は必要である。バンコク希望の家(Home for Hope)では、子ども達の食費補助里親を募集している。

 フェニックスは、ラボッ子達と一緒に再訪して、子ども達とソングバードやおはなし(テーマ活動)で遊ぶことを夢みている~・・♪(#^ー^#)
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再びバンコクを目指すが・・、and finally・・・ 08月03日 (木)
 そもそも福岡発でバンコクへ行くのに、何故フェニックスは北京にいるの?
今回のバンコク行きは、タイのスラムの子ども達の為に働いているYシスターを訪ねてタイのスラムの現状を見に行くことにある。他の参加メンバーは既に7月31日のTG(タイ航空)で現地に到着しているのだが、ゆつぼサマーキャンプ1班に参加のフェニックスはどうしても他の人達と行動を共にすることができないので、遅れての参加と相成った。それなら・・と、アレもコレも・・と欲張ってスケジュールを入れ込み、帰路はまだ行った事のない成都に寄って(降機)帰ろうと、中国国際航空を利用したのである。北京か成都を経由して行くのだが、往路は乗り継ぎ時間の少ない北京経由を選んだところ天候不順のため乗り継ぎができず、北京で足留めをくってしまったのである(8/1フェニックスの日記参照)。

 さて、昨夜飛行機は定刻を30分程過ぎて「無事」離陸した。・・と思ったら、暫くすると突然機体が上下に揺れ始めた。再び天候が悪化したのである。乗り物に弱いフェニックスは慌てて酔い止め薬を飲んだ。しばらくウトウトしていると、飛行機のランディングで目が覚めた。「着いたのかな!?」と時計を見ると、着陸予定時間よりも1時間も早い。嵐を避けて中国国内のどこかの空港へ停機した模様。そこで数時間待って再度離陸した。結局バンコクの到着したのは朝の5時を回っていた・・。はぁ~・・バンコクへの道は遠かった・・(×Δ×)・・(実感)。

 連絡も不可能だったのだが、さすがにホテルの予約をを更に延ばす事ははばかられたので、一度ホテルへ行きシャワーを浴び、朝食を取り、先発隊に合流予定時間まで休息を取った。
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王府街ぶらと故宮博物館見学(^。^)! 08月02日 (水)
 一夜明けた今日は、真っ青な青空の北京晴れ!貰った休日を有効に使わない手はない。朝食を済ませると、ホテルの向いのバス停から市内バスに乗って繁華街王府街へと向った。昨日の嵐のお陰(?)で北京スティと相なった訳だが、実はフェニックスは北京訪問は2002年以来2回目である。街の様子は4年前とかなり違っていた。新しい建物が増えている。北京五輪を控えてか、建設中の物も多くある。道路を往き交う車の増加。新しい車が多い。そして、人々の服装も激変していた。若い人の服装は日本の若い娘の服装と全く変わらない・・・。以前来た時は、お尻の部分に穴の開いたズボンをはいた子ども達が多かったのだが、全くいない。人民帽を被った人なぞついにお目にかかることはなかった・・。
 天安門広場は「あの事件」を全く感じさせることもなく「平和」な人々で埋め尽くされていた。人々はアイスを舐めたり、コーラを飲んだりしながら闊歩していた・・。あまりの変貌に、しばし我が目を失った。しかし、2002年ですら、その2年前までにはなかったネオンに驚いたものだった・・のである。「北京は首都だし、オリンピックも近いから・・」と、フェニックスは自分に言い聞かせながら故宮へと急いだ。
 修復中の建物はあったものの、故宮の中は昔のままだった。ラストエンペラーのシーンを思い浮べながら、ゆっくりと宮内を歩いた。帰ったら「ラストエンペラー」をもう一度観てみよう!
 思いがけずに北京の休日を楽しむ事ができた。休日をありがとう(*^▽^*)ノ"
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想定外の北京泊・・ 08月01日 (火)
 バージニアビーチの中高生が、宮崎空港でホストファミリーと別れを惜しんでいる時間、フェニックスは福岡行き高速バスの中でうたた寝をしていた。そして、正午前、バスは博多駅バスセンターに到着。フェニックスとIテュ―ターの二人は「手作りノート」とクレヨンの詰まった重い荷物を抱えてタクシー乗り場へ移動。タクシーで福岡国際空港へ向った。空港で、先に送っておいたダンボール3箱の「手作りノート」とクレヨン・色鉛筆50kgをチェックイン時に預け、自分の荷物とカバン詰めの荷物はハンドキャリーで機内へ持ち込む。どこからこんな力が出るのだろう・・・!?(*_*)と思える程の荷物を肩で息をしながら運ぶ。

 晴天。空には雲一つない良い天気。15:00の定刻を15分程遅れて、飛行機は離陸した。眼下に福岡の街が広がり、小さくなり見えなくなった。海の中に小さい島や岩が見える。1時間も経たない内に、ん?見覚えのある風景が・・(*_*)! 飛行機は釜山の上空を飛んでいた。湾岸ブリッジが見える。釜を伏せたような丘も・・・。あっと言う間にソウル上空へ達し、(ひょっとしたら北朝鮮上空通過・・?!)と思った瞬間、飛行機は左へ旋回し海上に出た。今まで晴れていた空に雲が立ち込め、何も見えなくなった。飛行機が激しく上下に揺れ、ベルト着用サインが点灯した。窓の外を雨が斜めに流れて行く。悪天候の中、飛行機は大連空港へ着陸した。
 大連で中国入国手続きをして、すぐに北京を目指すと聞いていたのに、飛行機は停止したまま、何の案内もない。外は大雨で、時々稲光も見える。困った・・・。私達は北京でバンコク行きの飛行機に乗り返る予定にしていたので、とても焦っていた。
 北京到着予定の午後7時を過ぎても、悪天候はおさまらない・・。弁当と飲み物の支給が始まった・・。これで遅れは「確定」・・(汗)。ところが9時過ぎ、パタッと雨が止んだ。「CA95北京行き」のアナウンスに乗客の顔に喜びの表情が踊った。全員乗り込んで、飛行機は離陸し北京を目指した。
 北京に着いたのは10時半を回っていた。乗り継ぎ予定の飛行機は、到着を待っててくれているのだろうか・・?急ぎ足でトランスファーデスクに向ったが、バンコク行きの飛行機も天候が回復した瞬間に飛び立ってしまった後だった・・。「次の便は?」と聞くと「明日夜の同時間。」と機械的に答え、搭乗券の日時を書き換え、ホテル名を書いた紙とテレホンカードをくれた。仕方がないので、タクシ^で北京市内のホテルへ向った。
 航空会社が用意してくれたホテルは「二十一世紀飯店」。2年後のオリンピックを目論んで建てられたばかりの新しいホテルだった。とにかく、バンコクの宿泊を延期しなければならない。ロビーの公衆電話から、貰ったテレホンカードでバンコクのホテルへ電話をかけ、理由を告げて、1日後の宿泊に振替えてもらった。それから、部屋へ行き、シャワーを浴びて眠りについた。
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ゆつぼキャンプ1班(7/28~31)/バージニアビーチの中高生のミュージカル 07月31日 (月)
 7/28(金)朝9時、九州9号は37名のラボッ子と3名のテューターと1名の看護師さんを乗せて出発、ゆつぼを目指した。途中、パーキングで昼食を取り、1時間の休息を取って、バスは九州高速からやまなみハイゥエィへ。阿蘇五輪を右手に見ながらゆっくりと上って行く。見なれたゆつぼの景色が見えて来た。宮崎を出発して約5時間のバスの旅。

 バスが着くと、いつもの事だが、大学生が手際良く子ども達を遊動し、荷物をバスの下の荷物入れから取り出してシートの上に並べる。子ども達はそれぞれ自分の荷物を取り、本部前広場へと向う。
 本部前広場には、各グループのシニアがプラカードを持って出迎える。ここで、同じバスで着いたラボッ子は、それぞれの民宿毎に分かれて3泊4日過ごす新たな友と出会う。
 開営式会場の本部建物2階会場で、懐かしい顔(テュ―ター)に会う。久し振りの顔々・・・。始めて見るフレッシュな面々も・・。フェニックスのグループにも、若々しいテュ―ターが集い、気持ちが若返る!(^。^)!
 初めてのキャンプで緊張している顔と、ベテランの顔が交差する。フェニックスは、北米受け入れのエミリーと、ホストが大会で参加できないので代わりにホスト代理で参加したホストの弟Y太(小2)、小1で初参加のHちゃんと一緒に民宿麓に宿泊した。
 お風呂から上がってガヤガヤしていたと思ったが、その騒音がパタッと止んだ。きっと、昨日嬉しくてあんまり寝ていないんだろう・・な。いつの間にか、みんな軽い寝息を立てている。

 2日目は6時起床。6時半からの朝の集いには、元気元気の顔と、まだまだ眠い顔が交差する。2日目はアウトドア活動。山登り組は早朝から出発。お弁当のおにぎりと水筒を忘れては大変!しっかりチェックして、順次出発。
 いつもの事ながら、夕べはコース決めが大変だった・・・。参加者の年齢と、参加できるコースがの数がアンバランスで、コレ!と心に決めて参加した子が、定員制限で涙を流すシーンもあった・・。それでも、一夜明けると、それぞれのコースに笑顔で出て行くラボッ子はすばらしい!帰って来る時には、みんな満足気な満面の笑顔。こうやって、ラボッ子は社会性・譲り合い・様々な体験を身につけて行く。

 3日目、もう何ヶ月も前から一緒にいるように振る舞うラボッ子達。3日目プログラムは、自然と「妖精のめうし」のお話に入って行けるように様々なプログラムが用意されている。シニアのお土産にも「妖精のめうし」への導入に心配りがしてあって、少しずつCDで動けるようになってきた。・・・と思ったら、今夜はキャンプファイヤー・・!あぁ・・明日はもう「さよなら」の日。1日目はつまらなそうな顔をしていたエミリーも、目をタオルで何度もこすっている。「Everythin was wonderful!!!」エミリーは泣きながら感想を述べた。

 4日目、早朝の朝市。人気はやっぱりオリジナルカンバッジ。ラボハットの周りにいっぱい着けてとても誇らしそうなラボッ子達。
 姉妹ロッジ交流で互いに「妖精のめうし」のテーマ活動を披露した後は、部屋掃除と持物整理。シニア、大学生コーチ、ご苦労様m(__)m。
 昼食後は荷物を持って本部前広場へ。到着すると、それぞれのバス毎に別れて、閉営式終了と同時に、遠い地域から順に発車して行く。
 宮崎行きの面々も、心いっぱいの宝を携えて九州9号バスに乗り込んだ。
さようなら。また来年!

 バスはやまなみハイゥエィから高速へと走り、夕方6時半、両親の待つ宮崎駅東口て到着した。

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 無事到着し、解散した後、フェニックスは車に飛び乗り、宮崎市民文化ホールを目指した。今日はバージニアビーチ市からの中高生の公演日なのである。「遅れても必ず観に行くよ!」と約束をしたし、明朝発つ彼等に、さよならを言いに行く時間が取れないので、どうしても今日中に会わなければならない。
 公演は始まっていたけれど、彼等の素晴らしいミュージカル「ブロードウェイに乾杯」を観ることができ大感激!公演の後、ラボッ子宅にホームスティしている7人とホストファミリー全員とでレストランへ行き、別れを惜しんだ。みんな本当の家族のようになっている・・。もう明日はGood-by。でも、これからが交流の始まりだよ!
 「先生、来年はパーティでテーマ活動を持って、バージニアビーチへ行きましょう!」とY実ちゃん(中1)。他のラボッ子も賛成!と唱和する。
 その気持ち、忘れないようにネ!


 
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フェニックスの忙しい1日(^^) 07月27日 (木)
明日からサマーキャンプ。でも、今日は今日でanother busy day。今日は1日、昨日から来宮しているバージニアビーチからの青少年の同行通訳ボランティアデーなのである。朝8時半に市役所げ集合し、市の車に乗り換えて打ち合わせをしながら移動。
 集合地である、植物テーマパーク「フローランテ宮崎」にホームスティ先から続々と青いポロシャツに身を包んだ中高生年代の子ども達が集まってきた。口々に昨夜のホームスティのハプニングを披露している(笑)。ラボッ子宅にスティした子ども達は既に顔なじみになっている私の顔を見るとにっこりと微笑んで「ハ~イ♪」と手を挙げた。
 1999年全国グリーン博を開催した場所に花をベースにしたテーマパークを開演して7年、四季折々の花々が彩るこの園は、多くのボランティアさん達の手で運営されているのだそうである。園内を一巡した後はバスに乗り込み、照葉樹で有名な綾町を目指した。フェニックスと市の国際交流員のペーターさんが子ども達のバスに、指導者や他のスタッフはマイクロにと2台に分乗。大人のの目が外れると、本来のあどけない顔に戻るのはいずこも同じ。約1時間の道のりを、キャーキャー騒いでいた(笑)。
 綾で昼食を取り、照葉樹の谷をまたぐ歩行用吊り橋としては世界一高い所に設置されまた世界一長いという照葉吊り橋から照葉樹の森を眺めた。中には恐くて半分も行けない子もいたけど・・・(笑)。
 それが終ると、かき氷屋さんの前に行列。子ども達は子ども達で、いろんな味をミックスして注文しているし・・・、おじさんが一人でやってるかき氷屋さんなので要領がイマイチで、時間がすごくかかった・・(-_-;)。
 そんなこんなで予定時間を大幅遅れて出発し、300以上の古墳が点在する西都原へ。3世紀から7世紀までの各世紀の古墳があるのだけれども、如何せん時間が押してるので駆け足見学・・。子ども達が理解したかどうかは不明・・(-_-;)。
 忙しい1日駆け足観光ツアーの最後は、市長表敬。お疲れ様m(__)m

 さて、ラボッ子宅スティの7人は、フェニックスの車で、ラボッ子達の待つ歓迎会場へ移動。ユポーレ~♪で歓迎は良いのだが、西日の当るホールの温度が半端じゃなく息苦しい・・(-_-;)・・。
 自己紹介(バージニアビーチの7人+韓国の2人+エミリー)とつるのレイ贈呈の後、パフォーマンスとひとつしかない地球の歌で歓迎。みんなでSeven Steps、She'll be Coming Around the Mountain、Old MocDonald、Simon says をして交流した。バージニアビーチの7人は歌でお返し。天使の声のように美しい。みんな、うっとり~♪。31日夕方には彼等主演のミュージカルが開演される。この素敵な声に酔いしれ「行こう!」と思った人も多い筈ヾ(@^▽^@)ノ。

 一般参加の子ども達はこれでさようならをして、ラボッ子は別室に移動し、持寄り夕食会。どこの国の子も、食べ物を待つ目は同じ(笑)。食べ物に突進するのも同じ・・(笑)。もう、みんな、すっかり、言葉の「壁」なんて乗り越えてしまっている・・(笑)。美味しい食べ物をたっぷり食べて満足の表情も同じ・・(笑)・・だね!(*^▽^*)ノ"

 明日からは韓国の二人とエミリーはラボ・キャンプに参加。バージニアビーチの7人のホストファミリーは、バーベキューパーティの打ち合わせ、それぞれの熱い+楽しい交流の夏は続く・・・(^。^)(*^▽^*)ノ"
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Welcome to 宮崎! 2 07月26日 (水)
 昨年、韓国交流に参加したMちゃん(小6)宅へ韓国からシンヤン(昨年のホスト)がやってきた。Mちゃんと4人の弟達とパパとママの7人で空港でお出迎え。「シンヤーン!」姿を見つけてMちゃんが叫ぶ。シンヤンはにっこり笑って会釈した。
 家族写真を撮った後、パパが「Let's go!」と促した。Mちゃんもシンヤンも、顔見知りなので、会った時からニコニコしている。去年のスティがよっぽど良かったんだろうなぁ~・・・と、横から見ていても微笑ましい。明後日からは、ゆつぼサマ―キャンプへ一緒に出かける。

 今日は、宮崎市との姉妹都市、米国バージニアビーチからも27名の青少年達がやってきた。その内の7名はラボッ子宅へスティする。27名の来宮者の内2名は3年前にも来たメンバーだった。丁度3年前の来日時、ユウキが帰国していてボランティアで通訳をした時の事を良く覚えていた。しかも「ユウキ、CMにも出てたヨ!」と興奮気味に喋った。「ユウキと写ってる写真、ボクの部屋の壁に貼ってるんだ!」だって。あ、そうなんだ・・。有難う!

◎ユウキCM http://www.usa.visa.com/personal/visa_brings_you/advertising/index.html

 明日は韓米歓迎会を開催する(*^▽^*)ノ”。
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