幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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フェニックスの日記
フェニックスの日記 [全1154件] 511件~520件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
箱根ピカソ美術館 12月04日 (月)
 昨日はコンサートの後、Hテュ-ターの計らいで富士東地区のラボッ子達と一緒にバスで三島へやって来て、長女宅に泊まった。
 今日は、長女の家族と、丁度カナダから一時帰国している次女と1才の長男と一緒に、箱根ピカソ美術館へ行った。
 ピカソの作品は近代の陶器作品が多かった。それはそれで興味深いものではあったのだが、勝手に絵画部門を想像していたフェニックスにとってはちょっと拍子抜けだった・・。通常の概念の「美術館」ではなく、多くの屋外彫刻が沢山展示してある美術公園だった。ヘンリー・ムーアの作品が多く、私見だが「ピカソ美術館」というよりも「ムーア美術館」とネーミングした方がピッタリなんじゃないかな~・・(笑)。 
 園内に足湯があり、それを目当てに来館する人も多いらしい。子ども達は緑の中を走り回り、大人達は園内の足湯で楽しみ、力まず構えずに有名アーティストの作品に触れられるスペースではある。
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ラボ40周年記念イベント参加 12月03日 ()
 昨日は、朝一の飛行機(7:25発)で宮崎を発った。9時過ぎには羽田に着き、京急→みなとみらい線と乗り継いで、連絡がスムーズだったせいか、10時半前には会場に着いてしまった。前総局長、前々総局長、前・前々・前々々々・・九州総局事務局員だった懐かしい面々が、とても忙しそうに準備作業に勤しんでいる。手伝おうと思ったのだけれど、分からない者が入ってもかえって混乱させると判断し、入口の外で待つことにした。今日の横浜は風もなく宮崎と同じくらい暖かい。同じく待っているテュ-ターらしき人がいたので声をかけると、銀世界の北海道から参加のテュ-ターだった。
 
 午後1時よりシンポジウム開始。ラボ40年の蓄積を、各方面の専門家が分析。40年の経験の蓄積が専門家の学術的根拠や解説を加えた事に意義があるのだろう。折角の蓄積を、今後、社会や世界のニーズに応える活動に活かして欲しいと願う。

 今日は、「ひとつしかない地球子ども広場」デー。朝から大勢のラボッ子・ラボファミリーが駆けつけた。長女の子ども(小3)も三島からバスで他のラボッ子と一緒にやってきた。私は、地雷廃絶を訴えオタワ条約批准に向けて運動しているMパーティのブースを少し手伝った。
 バングラデシュに図書館を造りたい!という夢を持つフェニックスにとっては、スリランカに絵本支援をしている奈良のAテュ-ターに会ったり、SVA(タイ・カンボジア・ラオスに絵本を送る活動をしているNGO)のスタッフと話ができ、元気をもらって「さぁガンバルゾー!」という力が湧いてきた。
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Crazy Week・・・(T_T) 12月01日 (金)
28日(火)帰国。
29日(水)幼稚園正課&木花台小学生Gラボ
30日(木)キディG+鶴の島小学生Gラボ
そして、今日12/1(金)は、
中高生Gラボ。終了9時半pm。帰宅10時pm。

明日は朝一の飛行機で40周年記念イベントへ参加。
バタバタ、パッキングのフェニックスである。
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忙しい週の始まり・・ 11月28日 (火)
 朝7時40分、福岡国際空港着。帰国日に遅れず、ヨカッタ、良かった! 地下鉄→高速バスを乗り継いで宮崎へ。行きは長~~く感じた4時間のバスの旅が、なぜかと~~っても短く快適に感じる(^^)(笑)。
 休憩で停まった宮原SAで食べたソフトクリームの味がサイコーだった・・・!!!
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オフィシャルデイ 11月25日 ()
 日本を出て10日目、バングラ入国5日目、やっとパートナーシップを組んでいる現地NGO代表のシャモールさんと話ができた。今後の支援、将来の展望などについて話し合った。
 3月の春休みには、バングラデシュで「こどもア-トフォーラム」開催も決定した。中高生を連れて参加しようと考えている。

 午後、JICAバングラデシュ事務所を訪問した。
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やっと・・ 11月24日 (金)
 今日~明日の2日間は道路が開く・・という事で、急遽ダッカへ移動することにした。本当はもう一ヶ所マイメンシンという場所へ行かなければならないのだが、またいつ道路封鎖になるのか誰にもわからない。とにかく動ける時にダッカへ出ていなければ、帰る事(つまりバングラ脱出・・(笑))すらできなくなってしまう・・。という事で、今日は朝から「移動」。
 朝6時、宿舎を出て、「エアコンバス」の出るターミナルのあるランプールへ向う。7時半のバスに乗る予定だったのだが、長期の道路封鎖で車両が都合できす、1時間遅れの別のバスに乗り換えた。8時半出発のエアコンバスは順調に走り、4時間後には予定通りトイレ&昼食休憩のレストランへ着いた。VIPルーム附設のトイレで用をたし、ハンバーガーとアイスを買って、再びバスに乗り込んだ。その後も、バスは至って順調に走っていたのだが・・・、何故かあと30分くらいで到着の所でストップ。理由はわからないまま3時間待ち・・。これはバングラでは「フツー」のことだけど・・ね(笑)。
 いずれにしても、3時間半ほど遅れたけど、無事にダッカに着いてメデタシメデタシ・・・(^^)。
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今日もまだ・・・ 11月23日 (木)
 今日もまだ交通は動かない・・。
明日はどうなんだろう・・。誰に訊いても「夜にならないと明日の政府の方針がわからない。」と言う。ふぅ~・・やれやれ・・・(-_-;)・・・

 午前中、ナズマ(9/8フェニックスの日記参照)の墓参りに行った。2004年2月、他の4人の子供達と一緒に日本にやってきた女の子の墓だ。5人の内で一番明るく前向きに見えたのに・・・。ナズマの墓は、墓標もなく,数ヶ月したら誰の墓かわからなくなるような小さな土山だった。あまりにも切なくて、涙が止まらなかった。

 午後、ナズマと一緒に日本に来た二人の男の子、ハニフとヒロが会いにやってきた。この二人は、日本に来たことによって中学進学が叶ったのである。日本に来た事により、Tさん一家がサポートを申し出てくれたのである。もし日本に来ていなければ、今頃は日雇いの仕事に従事していたことだろう。12才になった二人だが「ぼくは10才です。」という日本語は、当時覚えたままだった(笑)。しっかり勉強して、中学を卒業して欲しい(バングラデシュの中学進学率は8%)
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ツーリングinバングラデシュ? 11月22日 (水)
 今日もバスも車も動かない。しかし、クリグラムの人々は別に困った様子はなくいつもの生活に勤しんでいる。人々の生活空間の移動は徒歩かリキシャで十分なようである。車が来ないのでかえって安心して道路に群がっていることができる。要するに何日も歩行者天国が続くようなものだ・・(笑)。
 しかし、滞在日数が限られているフェニックスは、みんなと同じように「ゆったりライフ」をエンジョイしている訳にはいかない。今日も80ccのモーターバイクの後ろにまたがって1時間以上かけて30数キロ離れた支援校へ行った。全くのサプライズビジティングだったので、始めはびっくり眼、それから白い歯の笑顔に変わった顔々で埋め尽された。
 50名の教育支援児一人一人に教育里親さんからの手紙とノート、鉛筆、消しゴムを手渡した。はだしの子がいる。チャックが壊れたズボンの男の子がいる。垢や埃で汚れた一張羅のワンピースの女の子・・・、みんな本当に良い笑顔をしている。この笑顔がいつまでも続きますように・・。
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陸路入国 11月21日 (火)
 子供達の待つバングラデシュへの入国は、北部の国境から陸路で入る事にした。カリンポン→シリグリ→マナグリと、Dr.グラハムズホームの車で送ってもらって、マナグリからボーダーまではタクシーを利用した。
 国境まではスムーズに行ったのだが、有刺鉄線を越えた向こうの事情は、インドとは全く異なっていた。バングラデシュは選挙を控えて、反政府党によるストライキや道路封鎖が続いていた。全ての道路の車での通行禁止、列車・船の運行停止状態で、全国民は全く他市他県への移動ができなくなっていた。そこで、唯一許可されている、モーターバイクとリキシャでの移動の内、モーターバイクを選択し、車なら2時間弱で到着の距離を4時間かけてバイクで移動した。・・・~疲れたけれど・・・ナントか・・・夜10時過ぎ、無事到着~・・・!
 シャワーを浴びるや否や・・・
バタンキュー★,。・:*:・゜☆,。・
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施設見学 11月20日 (月)
 Dr.グラハムズホームの施設を見学した。
 最初に訪れた場所はグリーンハウス。温室の中では沢山のランが栽培されていた。その他にもいろいろろな花の栽培がなされていた。商品価値をつけてカルカッタで高く売るのだそうだ。ここは高校を卒業した子供達の職場にもなるのだそうである。真新しい施設では、日本人専門家(男性)による日本語の授業があ始まっていた。別室では、日本人専門家(女性)による味噌作りの実験がなされていた。成功したら貧しい村の産業として活用するのだそうである。大豆は豊富なので、付加価値をつけて販売すれば高収入が得られる。教育を受けた後の貧困からの脱却へ向けてのサポート施策である。
 グリーンハウスの隣には、立派なスイミングプールがあった。雨季に雨水を溜めて水泳の授業に用いるのだそうだ。毎年、校内水泳大会があるとのこと。イスラム教の国バングラデシュではとても考えられない・・。
 それから幼稚園。女の子は赤いセーター、男の子は紺色のセーターに身を包み、遊具の豊富な園庭で元気良く遊んでいる。バングラデシュ・クリグラムの子供達からすると、いや一般私立学校の生徒が見ても羨ましい環境である。教室の状態も、壁に貼ってある展示物も、比較する事が愚かしいくらいすばらしい。
 小学校~高校は学年末試験の真最中で、教室内を見ることはできなかったが、校庭を行き交う生徒達はみんな礼儀正しかった。
 運動場の一角にセンターキッチンと呼ばれる大食堂がある。寄宿舎の生徒は全員、一日3回の食事をここで取る。清潔な食堂には、菜食主義の子用、一般の子用とメニューがわかれていて、たっぷり食べることができる様に工夫してあった。台所では、自家製チーズやここのファームで取れた野菜をキッチンスタッフが手際良く切ったり剥いたりしていた。
 牛乳、チーズ、卵、肉、野菜など、子供達が食べる物は全てホーム内の農園で自給している。また子供達の三度の食事に供するパンのためのパン工場も敷地内にある。学校の制服を作る縫製工場もあり、ホームの中でも卒業生の雇用を産み出している。余った作物はカリンポンの一般市民に販売も行っている。
 サポートしている国々は委員会を組織し、情報を共有し、定期的に会議を開いている。

 ここまで行きつくのに、かの国では、あと100年でできるのだろうか・・・。いとおしい空腹に喘ぐバングラデシュの子供達の姿を重ねて想う。
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