幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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フェニックスの日記 [全1154件] 491件~500件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
地域に根ざして35年・・ 4 01月06日 ()
 「そんなに言われたら、頑張らざるを得ないわねぇ~。」
「先生、これからも40周年、50周年を目指して頑張って下さい。」というOBの挨拶に、足立Tは満面の笑顔でこう答えた。

 今日は、同じ宮崎地区の大先輩、足立Pの35周年記念発表会。記念発表会は現役ラボッ子全員による「世界の歌メドレー」で始まった。

 沢山のOB・OGが駆けつけた。今ではいい年の大人になっている元ラボッ子昭和組が、嬉しそうに当時を語り、昔やった「手品師とこねこ」や「ピーターパン」などをメドレーでつないで発表した。お腹の出た元少年、塔の立った元少女も、一瞬にして少年少女時の表情に変わった。<(注)昭和組:歴史の長い足立PではOB・OGが卒業時昭和だったか平成だったかに分かれて、OB・OGによる発表があった。「昭和組」は文字通り昭和時代に足立Pで活躍した元ラボッ子のことである。>

 子供達(元子供も)は親しみを込めて「デカパン先生」と呼ぶ。「30人以上ラボッ子がいないと、シャペロンにもなれなかったの。だから頑張って増やしてアメリカへも行きました。」とデカパン先生。35年の歴史の中では、全国一若い市長も輩出した。

 お母さん・お父さんによるパフォーマンス、元ラボッ子平成組の「オーロラ」、現役中高生の「わだつみいろこの宮」、ラボッ子全員による「きょうはみんなでくまがりだ」と、バラエティ溢れる楽しい温かい集いだった。
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「ひとつしかない地球」に生きる仲間と共に・・ 2 01月04日 (木)
 12/23~30、カンボジアスタディツアーに参加した子供達から感想文が届いた。
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<小4男>カンボジア!!スタディツアー参加
 今回、ぼくはカンボジアのスタディツアーに参加しました。心にのこった事は、3つあります。
①ゴミの山・・・ぼくははじめて、ごみの山をみました。動く車にヒョイととび乗り、ごみをあさるところが心にのこりました。
②ポルポト・・・ぼくは、ポルポトがひどいと思います。赤ちゃんを空になげて、てっぽうでうつ事が心にのこりました。
③地らい・・・ぼくは、はじめて、地らいをふんだ人をみました。さいしょに足が1本しかない人にあうまではこわかったです。ぼくは、かわいそうだと思いました。

<小6女>カンボジア!!スタディツアー参加
 今回私はカンボジアのスタディツアーに参加しました。
 私がカンボジアへ行って一番心に残ったのは、ゴミの山で生活している人々です。
 ゴミ山へ行く前、こじいんへ行きました。そこの子たちは、みんな笑顔がステキでした。こじいんの人たちといっしょに“ソーラン”をおどったり、おり紙をしました。とても楽しかったです。でもその子たちも、みんなゴミの山で生活していたと思うとかわいそうに感じます。
 ゴミの山で生活している人たちは、だれよりも早く良いゴミをとろうと、小さい子からおとなまで、収集車にのってゴミをあさっていました。ちゃんとした家に住んでいる人もいるのに・・・と思いました。
 私はこのスタディツアーに参加して、世界には、ごはんを1日3回食べれて学校へ行って・・・というようなことができる人だけではなく、ごはんを食べれない人たちもいるということがわかってよかったです。またこのような経験ができるといいです。

<中1女>STUDY ツアー
  私がスタディーツアーで一番思い出に残っている場所はCCHです。初めの印象は、日本語が壁や柱に書いてあって、さすが日本人が建てた孤児院だと思ったけど、みんなと話したり歌ったりしていると(日本語と英語で)同感する所もあって楽しかったです。その中でも夢について話しました。その中には、日本に行く事や安定した職につくことなど夢がありました。でも、あなたは?といわれた時に私は答えられませんでした。私は今、何になりたいのかなんて分かりません。いろいろ考えさせられました。  
 次に英国が建てたCDCCに行きました。小さい子とあそんでたのしかったのですが、なぜCDCCができたかという面で考えさせられました。孤児?がふえているということを感じてです。ゴミ捨て場に行った時、何人かの子ども達が働いていました。私達はふだん、学校に行って夕方に帰ってくるといった感じですが、そこの子供達は、朝から仕事をしてその日の生活をしていくといった感じで、との違いを感じました。
                                   
 日本にかえってきて、カンボジアとの違いをつくづく感じます。
たとえばスリが少ないことや、物乞いがいないことです。
 日本もそんな時代があったように、カンボジアもそれなりの復興を、カンボジアの今の子供達と先進国がしていけるといいです。そのためにも、私たちが見て感じた事を、いろいろな人に伝えたいです。  
 
いつか、世界中の子供達が、いっしょに笑えるように・・・・・・・・  

*********************************************************
ゴミ捨て場で暮らしていた孤児を保護しているNGOの元にはこの1年間に約100人の子供達が新たに保護されていた。けれども、まだまだ危険な状態に甘んじている子供達が数多くいる。また、この子ども達は、人身売買や臓器売買、売春等の標的になりやすいという。

そう思ってた矢先、インドで以下↓のようなおぞましい事件が発覚した。
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女児大量殺人、臓器目的か=民家で17遺体見つかる-インド (時事通信)
 【ニューデリー2日時事】インドの首都ニューデリー近郊のノイダで昨年末、住宅街の民家裏庭の溝から女児を中心に少なくとも17体の白骨化した遺体が見つかった。この家に住む実業家とその使用人の男性の2人が殺人などの疑いで逮捕されたが、遺体には胴体部分がなく、警察は犯人が臓器を売る目的で殺害した可能性もあるとみて調べている。2日付の地元紙が伝えた。 
[時事通信社][ 2007年1月3日6時14分 ]
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けれども、これらは氷山の一角である。

こんな悲しい人権無視の現実を、教育の力でくいとめて行きたい!
ドラマスタイルのWSやトラウマの癒しなど、ラボには国際貢献に使える素材が沢山詰まっている。ラボッ子と共に「ひとつしかない地球」に生きる仲間との関わりを、今年は更に充実していきたいと思う。

全国の皆様、本年もどうぞ宜しくお願いいたします。
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ラボは児童劇団!? 6 01月03日 (水)
 英字新聞の「カルチュアルニュース」のWeb版に「硫黄島の手紙」関係の」記事が掲載されている。その中に松崎ユウキの紹介記事があるのだが・・・

えっ「全国組織、子供演劇『LABO』」!?
ラボは多面的なので、一面ではそういう側面もあるのかなぁ~・・(^^)♪(笑)
英語版
http://culturalnews.bravehost.com/film.html

日本語版(※ネタバレに注意)
http://cn4japan.exblog.jp/4808214/
http://culturalnews.bravehost.com/summary.html

ハイ、初笑いコーナーでした(*^▽^*)ノ"

でも、表現力、コミュニケーション力、イマジネーション力がつき、どんな人とも仲良く、世界に飛出して行く力が育つのは確かです!

2007年、
さあ、君も、大きく羽ばたきましょう!

今年の目標は、
40年間に培った多くの他面(多面)も社会に発信するゾー―――!
(*^▽^*)ノ”
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今年も忙しい日々始まる・・かな・・(・_・?)ハテ? 01月02日 (火)
 昨日は疲れていたのか、良く眠った・・(笑)。
しかし、ゆっくりしてはいられない。朝9時前のリムジンバスで大阪空港へ。10時15分発の飛行機で宮崎へ。空港に迎えに来ていた夫の運転する車で、夫の実家へ新年のご挨拶。
 それから、夫の実家の墓参りを済ませて、やっと自宅へ。
やっと、休めるかな・・・(・_・?)ハテ?(笑)
甘い、甘い・・・(笑)
今年も忙しい日々始まる・・(^^)
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お正月は京都で・・(^^) 01月01日 (月)
 朝8時半頃、ホテルを出て、京阪線に乗り換えて岩清水八幡宮へ行った。長女の中学時代の友人が枚方に嫁いで住んでいるらしく、そこで久し振りに会うというのも彼女の計画の一つに入っていたようである。男の子2人の母親になっている友人と、男女2児の母親になっている娘は、子供たちに目配せしながらも、楽しそうに話していた。昔話に良く登場する岩清水八幡宮には、現在はケーブルカーで上下できる。頂上の社周辺は破魔矢を買い求める人、おみくじに今年の運勢を託す人、お参りする人々でごった返していた。社の裏手には小さな祠(住吉神社や有名な神社のブランチ)がいくつかあって、そこにお参りすれば、遠くに行かなくても行ったのと同じご利益があるという便利(・_・?)ハテ?にできている(笑)。出店で、団子を買い甘酒を飲んで正月気分に浸る。展望台からは愛宕山や京都タワーが見える。子ども達は谷崎潤一郎の記念石碑の周りで追いかけっこをしたり、コマを回したりして遊んだ。そして、下向きのケーブルカーに乗った。朝、駅に着いた時はまだ30分待ちくらいで乗れたケーブルカーだが、降りて来た時には、列の長さが3倍くらいになっていた。
 ここで、長女の友人の家族に別れを告げ、京阪四条で下車。駅の出口から八坂神社の入口まで道路は混んでいた。ちょっと路地に入って昼食を取り、1本内側の路地を歩いて八坂神社へ。それからバスで2バス停移動して清水坂へ。正月の混雑もまた楽しからずや・・(笑)
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フェニックスin大阪 12月31日 ()
 昨日帰国したばかりのフェニックスは、年の瀬は長女の家族と大阪にいる。
休みの都合でお正月に帰省できない静岡在住の長女の家族と、中間地点の関西で年末年始を過ごす約束をしていたのだ。今日は一日、子供達の希望の海遊館でジンベエザメ三昧。餌やり見学ツアーに参加したり、記念写真に写ったり・・・と・・・、家族サービスも楽ではないが、また来年も協力してもらわなければならない大事な大事な家族だから・・ね♪(笑)
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さようならカンボジア 12月30日 ()
 昨日、夕暮れのシェムリアップを飛び立ち、バンコクへ。そこで、5時間待って日付が変わって午前1時、飛行機は日本をめざして飛び立った。バンコク空港でも、飛行機の中でも、さすがに4人共疲れて眠っている。この9日間、病気も怪我もせず、無事に過ごせて良かった。みんな「あ~・・帰りたくないな・・・。」と言いながら飛行機に乗り込んだ。折角友達になった仲間と別れたくなかったんだね・・。そんな気持ちが、平和な世界を築くのにとっても大事なんだよ。

 朝、7時50分、福岡空港着。タクシーで博多駅に移動し、大急ぎで昼食を購入し、9時4分発のソニックに乗車。9日間の旅で姉妹弟のように仲良くなった4人は思い出話に花を咲かせながら、宮崎へ向う列車の旅を楽しんでいる。別府でにちりんに乗り換え、そして、延岡で一人、そして佐土原で一人・・と、家族の待つ我が家へと降りて行った。最後の解散地、宮崎駅の改札では、MちゃんSくん姉弟の家族が全員で迎えに来ていた。

 お疲れ様。良いお年を!
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アンコールワットに立つ! 12月29日 (金)
 朝8時にチェックアウトをし、荷物を車に積みこんで、最初に目指した所はカンボジア最大の湖トンレサップ湖である。実は、昨日教会に届けた文具を使ってくれる子供たちの家(環境)を見ていた方が良いという、教会のシスターの提言で、急遽予定に組み込んだのである。華やかで、新しい外資系のホテル建築ラッシュの表通りと、川沿いに建つカンボジアの人々の住むバラックだけでもかなり差があるのだけれども、村の生活はこんなんものではない、とシスターは言った。街を離れるにしたがって、木造のバラックはヤシの葉やバナナの葉使用の小屋に変わっていった。ヤシやバナナのほったて小屋を眺めながら、バングラデシュの竹と葦の小屋とそこに住む子供達を思い出していた。村の子供達は痩せていた。埃に汚れた衣類をまとっていた。「でも、どうして笑顔があるんだろう。」「家族の距離がすごく近い気がした。」と、参加者は言った。

 それから、一路、アンコール遺跡群を目指した。昨日、CCHの子供達が「明日はタプロン寺院に行く。」と言っていたので、もう一度の再々会を期待して、一番最初にタプロン寺院に行った。タプロン寺院は板根で覆われ、板根によって破壊されながらも、それによって支えられているという複雑な環境の中にある寺院である。今年から、インドの支援による門の修復が始まっていた。4人は大きな板根に「怪獣の手みたい!」と驚きながら、写真を撮ったり、もしかしたら会えるかもしれないCCHの子供達の姿を探しながら迷路のような境内を進んで行った。結局、CCHの子供達には会えなかったけれど・・ね(^^)(T_T)。
 それから、有名なアンコールワットへ。通路を通り、子供達がお堀に飛び込んで遊んでいるのを横目に見ながら、真中の階段を頂上まで登り、そこから更に塔の頂上までよじ登った。そこで、4人は鬼ごっこを始めたけれど、タプロン寺院の後だったので、少し疲れたらしく、しばらく水を飲んで休息をとった。しばらくすると元気になって「探検」と称して、あっちこっち動き回り始めた。「ボク、世界遺産を10回も上り下りしたヨ!」と小4のSくんは胸を張った(^^)。

 昼食の後、アンコール・トムの中を迷路のように歩き、それから、像のテラスで例の「羽」で遊び始めた。世界遺産のテラスで、楽しげに遊ぶ子ら。最高の贅沢な時間がゆっくりと流れる。私フェニックスは、木陰で子供達の戯れを眺めながら、遺跡の中に身を置き、来年に向けての充電中!(笑)
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地雷被害者センター訪問/CCHの子供達との再会 12月28日 (木)
 午前中、ハンディキャップ・インターナショナルを訪ねた。ここは、世界各地からのドネ-ションで運営しているNGOである。内戦終了から十数年経っている今日でも、毎年800人~1,000の人々がカンボジアで地雷の被害に遭っている。この被害は戦後に生まれた子供達にも、またこれから生まれるであろう未来の子供達の上にも襲いかかる可能性がある。
 4人の参加者は、ハンディキャップセンターの入口に設けられた小さなミュージアムで地雷に対する基礎知識を学んだ。それから、義肢や地雷模型の展示を見た。そして、スタッフの話を聞き、義肢製作現場を覗き、訓練場所へ移動した。義足をつけた人達が村へ帰って普通に生活できるようになるように、ゴツゴツした岩場や不安定な橋など、健常者にとっても厳しい環境の訓練設備が用意してある。4人共、自分の2本の足で歩いてみたけれど、それでも結構大変そうに見える。片足、片手、片目の被害者達の中には幼い子供もいた。参加者は身近に地雷被害者と接して、口数が少なくなった。入口の募金箱に小銭を入れ、それぞれ感想ブックに想いをしたためた。

 それから、近くのオールドマーケットへ立ち寄ってみた。例の「羽」をもう少し買いたかった4人は、値切ってゲット。それからチャーターしている車に飾っているのと同じバナナのキーホルダーをお土産に買っていた。

 それから川沿いの教会を訪問して、村の子供達のために「手作りノート」と鉛筆・色鉛筆・クレヨンを届けた。

 スターマート(コンビニ)附設のレストランで、ホットドッグ、ピザパン、コーラの軽い昼食を取り、少し休みたいという4人の要望で宿泊ロッジに戻ったのだが・・・、どうも本心は「羽」で遊びたかったらしく、3時間も羽遊びやバレーボールに興じる4人であった・・(^^)♪ 
 
 夕方に、少し市内を車窓観光して、街中のレストランで夕食を取った。ナント、その隣のゲストハウスに、CCH(12/25フェニックスの日記参照)の子供達20人が泊まっていた!!!4人は子供達と大喜びで抱き合っていた。
 CCHの子供達は国境附近で多発している人身売買やドラッグの被害に遭わないためにWSに参加するためにシェムリアップにやって来たのだった。(しかも我々が1時間で飛んで来た距離をギュ-ギュ-の車で8時間かけて・・)WSの合間には、あの有名なアンコールワットの見学も含まれているらしい。
 約1時間。再会の喜びに浸り、楽しいひとときを過ごした4人は、また再び涙の別れをしなければならなかった(T_T)。


 
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「かもにはしプロジェクト」と負の遺産ツールスレインを訪ねる 12月27日 (水)
 午前中、日本NGO「かもにはしプロジェクト」を訪問した。このNGOは貧困由に発生する売春や子供売買などの子供が関係する負の連鎖を崩すために、孤児達に英語とコンピューターを教えて、将来自活するスキルを身につけさせる事を目的に、ここカンボジアで活動している。若い起業家達の発想によるスタイルのNGOで助成金に頼るのではなく、運営資金調達も自立型を目指している。昨日同行してくれたナルンも、ここで英語とコンピューターを学び、昨年シンガポールの高校の留学試験に合格した。3年後はアメリカの大学で学びたい!と目を輝かせる。ナルン君の後に続けと、皆、真剣である。
 訪問時は、授業の真最中だった。10台のノート型コンピューターの前に子供達が座り、子供二人に先生一人の割で丁寧に教えている。
「将来の夢は何ですか?」参加者のC(中1)が訊ねた。
「良い仕事につきたい。」「会計士になりたい。」「ビジネスマンになりたい。」と、子供達は答えた。
「PCのどこが楽しいですか?」とA(中2)が質問した。
「前はできなかった事ができる。」「PCア-トが楽しい。」「いろいろ調べることができて、知識が広がる。」と、子供達は答えた。
「PCを学ぶ前と学んだ後では、違いますか?」とM(小6)。
「前は全くPCの事は知らなかった。今では触れてタイピングができる。とても嬉しい。」「前はPCという言葉は聞いた事があったが、何の事かわからなかった。始めてPCを見た時、テレビかな?と思った。でも、違うという事が今はわかる。知識も増えてとても嬉しい。」「絵を描くという事は、前は紙に描く事しか知らなかった。PCア-トは色も形も自由に描ける。夢のようだ!」
「最初はアルファベットから教えるのですか?」とS(小4)がスタッフに質問には、「アルファベットが読める事が、ここに入学する条件です。」という答だった。この子達は孤児院から選ばれて、ここに学びに来ているのである。彼らは、ひとつひとつ、自信を取り戻して未来に向って歩いているのだ。

 元JICA専門家もKさんに話を聞く機会もあった。日本の中学校とカンボジアの中学校とネット・ライブでお互い学び合う授業をセッティングしたりしている事に、中学生参加者は目を輝かせた。

 それから、近くのロシアンマーケットを覗いてみた。孤児院の子供達や路上で老若男女を問わず遊んでいた羽を買いたかった4人は、ここで競うように羽を買っていた。それから、友達へのお土産にと、ブレスレッドなどを買っていた。

 午後、忌まわしい虐殺の拠点となった「ツールスレイン」(ポルポトミュージアム)を訪ねた。元高校の建物は、インテリの象徴という事で、ポルポト狂気のおぞましい場所となった。一巡して気分が悪くなった参加者ではあったが、戦争や独裁の愚かさは彼らの心にしっかりと残ったようである。中学生は、メモリーノートにしっかりと正直な感想を記録した。

 夕方、4日間のプノンペンステイに別れを告げ、飛行機で北部のシェムリアップへと移動した。
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