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「先生、ホームスティ先、決まりました!」昨日のパーティの時間に、今年Pから唯1人の国際交流(北米)参加のMちゃん(中1)がにこにこしながら決定通知書を持って来た。今年度の宮崎地区研の参加者の内、まだ決まっていない2人の中の1人だったので、内心、心配してたようである。スティ先はお6才上の兄と同じミシガン州。決定通知と同時にEメールも届いた、と、プリントアウトしたメールも手にしていた。出発は7月21日とか。やっと、実感が湧いてきたようである。
今日~明日は国際交流事前合宿(in福岡)。今年は宮崎・鹿児島からの参加者が例年より少ない為『南合宿』は成立せず、高速バスで4時間半かけて『北合宿』に参加しなければならない。午前11時17分発の高速バスで、宮崎市から北米参加の2人(MちゃんとMパーティのKちゃん)と韓国交流参加のHちゃんの3人は福岡へ向った。しっかり参加して来てネ!
明日の帰宅は、夜9時を回るだろうな・・。
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「地鶏とつぼ漬けがチョット足りなくなっちゃって。。県庁の横の物産売り場で買って送ってくれないかな~~『顔シール付』を・・」先日、帰省した時「かの人」のシール付お土産を山と買い込んで帰って行った長女からの「緊急お願いメール」(笑)を受けて、指定の物産館へ行った。建物も売り場も『そのまんま』なのに、店内の人口密度が違う・・(*_*)!唯一の違いと言えば、かの人(知事)の等身大パネルが物産館入口で出迎えていることぐらいなのだが・・(*_*)・・。
いろんなマーク(旅行会社の印)のバッジをつけた人々で溢れていて、通路をすれ違うのも大変なくらいの賑わいで、娘指定の知事顔シール付を手にするのも大変!!、レジに順番を並ぶのも大変・・・(×Δ×)(*_*)!!! オッドロキー!!!!!
あっら~まぁ~~・・・(*_*)!フェニックスもあやかって、入会募集チラシに「顔シール」を貼ろうかしら・・(-_-;)(>_
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1月の出直し知事選の時は、マサカ「かの人」が当選するとは思ってもいなかった・・。せいぜい気休めに立候補したのだろう・・とタカをくっていた・・。だから、出先の福岡で(TVで)結果を知った時は本当に驚いた・・(*_*)。
ところが、いつしか宮崎の顔になって、あらゆる商品に「顔シール」が貼ってある。売れ行きは例年の数倍!「かの人」を一目見ようと県庁ツアーも花盛りである(^^)。
先日、三島(静岡県)在住の長女が帰省した。短い滞在で忙しかったのに、ちゃっかり県庁を訪問し写真を撮っている。高校卒業までいつでも写真を撮る機会はあっただろうに・・・、今回はわざわざの訪問である(笑)。
そして、道を挟んだ物産館で「顔付き」地鶏炭火焼真空パックを山のように買って機上の人となった・・・・(笑)(^^)。
そういえば、今年の国際交流のつどい(結団式)で、宮崎県知事からのお祝いのメッセージが例年のように読み上げられたのに、今年は何故か会場から「オゥ~」とリアクションがあった・・(^^)♪
「知事といくソウル」ツアーはすぐに満席になったらしい・・。公務で訪韓の知事の往復に合わせて、同じ飛行機で行くだけのことらしいのだが・・・。(^^)
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苺:近年クリスマスシーズンに合わせてハウスで冬に収穫するものが増えている。最近のイチゴジャムはペクチンを加えて固めるものが多いそうであるが、路地物の熟した苺をジャムにすると、自然のペクチンでしっかり固まるのだそうだ。
藁敷きの畝の上に小さな赤い粒々・・・。英語のstrawberryは、藁の上をはったツルバラ科のベリーという意味なのだそうである。
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宮崎市の公民館で、先日開催した国際こども支援団体“H&H”(Heart and Hand)http://www3.ocn.ne.jp/~m.labo/h/ 主催のバングラデシュ・スタディツアー報告会を開催した。約30名の出席を得て、宮崎から参加した3名と鹿児島から参加した1名が報告した。参加者それぞれの観点から感想や気付きを聞く事ができてとても良かったと思う。小さい事でも、これからの活動に生かしていきたい。
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<16才男子の感想>
僕はバングラディッシュに行って、とても良い経験をしました。
何故なら自分がどれだけ幸せか、日本がどれだけ暮らしやすいか分かったからです。
日本は好きな時に食べ物を食べて、飲み物をのんだり誰でもできる。
しかしバングラディッシュの人は一日一食なんて普通。明日どうなるのか分からないような毎日を過ごしているのです。
町を歩けば裸の子供が物乞いしてきます。1タカは二円。それを必死に貰おうとするのです。僕は最初はあげようかなと簡単に考えていました。しかしバングラディッ
シュでは大抵、物ごいの子には裏にヤクザがついているらしい。つまり物乞いさせてヤクザの資金源になっているのです。
これではあの小さな子供にいくらお金をあげても助けることはできないです。
だからあげる事ができませんでした。
僕は日本に帰っても今、あの裸で必死に物乞いしていた子が今どのような暮らしをしているのか考えるととても胸が痛いです。助けるためには何をすればいいのか分かりません。
孤児院を作るのもいいと思います。
しかしその前にバングラディッシュ人の「子供は大事な働き手」という考えを変える事が大切だと思います。
これは孤児だけに言える事ではありません。普通の子でも学校に勉強しに行く事すらできない子も大勢いるのです。
これから僕はその子供たちを助けるために小さい事でもいいので何ができるか、考えて行きたいと思います。
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<17才女子の感想>
見たもの、聞いたもの、感じたもの全てが私の視野と世界を広げてくれる。
そんなスタディツアーに今回参加することができて本当に良かった。
バングラデシュの空港に到着して、せこい荷物検査をなんとか通過。
車に乗り込み、道路に出てはじめに感じたのは、本当に最貧国?ということだった。
信号も車も、汚い建物の中にガラスばりのビルもある。ホテルも案外綺麗だった。
でもそれはダッカの、しかもその中のほんの一部だけを見ていたから思えることだった。二日目、金持ちばかりのいる店で食べたアイスのその値段で、一日を暮らしているような人たちがほとんどであり、その格差こそがバングラデシュの抱える問題だということを、次の日から痛いほど感じさせられることになった。
幾つかの小学校に訪れたが、どこの子供たちも本当に無邪気で可愛かった。ノートを貰った子供たちは本当に嬉しそうな顔で笑った。
アカデミーの子供たちとダンス教室で一緒に踊ることができて楽しかった。村の女の子には彼女の持っていた古ぼけた人形をもらった。
私たちのバングラ語版「はらぺこあおむし」を、とても楽しそうに見てくれた。また、以前宮崎に来たヒロとハニフも立派に大きくなっていた。
そして、今回ツアーに参加したきっかけともなった教育里子の『弟』ムクトにも会えた。恥ずかしがっていたけど、会って話すことができて嬉しかった。これから沢山勉強して、立派な大人になってバングラデシュを良くしていって欲しい。
子供達との思い出はいくら書いても書きつくせない。その可愛さはどこの国でも一緒だなぁと、日本とカンボジアの子供を思い出しながら感じた。日本と違うのは、バングラデシュの彼らは充分な教育をうけることが出来ない、欲しいものどころか必要なものが手に入らないことだ。
ナズマのお墓参りに行った。ナズマは、ヒロやハニフ達と一緒に宮崎に来た元気な女の子だった。草の中の小さなナズマの墓の前で手を合わせた。なぜこんなことになったのか分からないが、ナズマの笑顔が浮んできて涙が出た。.
この国ではまだ女性の差別が深く残っているそうだ。
女の子の孤児を優先的に入学させる小学校があるのも、そういう理由から手に職をつけることが必要だからということだ。
一番心に残っている風景がある。ナトゥで見た、二本の椰子の木の間の大きな月だ。
そして川の上にある月と水面上の黄色い道。周りには蛍が飛んでいた。捕まえると手の中で光っていた。月を見つめながら夕涼みをした。こんなゆっくりと流れる時間は、日本での忙しい毎日ではなかなか手に入れることができない。
バングラデシュの富裕層とその他の人々の格差を感じる場面は多々あった。
アイス屋さんやビデオつきエアコンバスには、いかにもお金持ちそうな人しかいなかった。
扇風機バスに乗ったときには、タイヤの脱輪が起きて驚いたけれど、皆当たり前のようにしていてさらに驚いた。
また、経済格差だけではなくきっと教育格差も大きいのだろうと思う。
医療、衛生、福祉、法律、全ての基盤となるのはやはり教育で、字が読み書きできないことには職につくことは難しい。だから、必要なのが教育なのである。
貧困の家庭では子供は良い働き手となるので、子供に教育を受けさせることは難しい面もある。
それらの格差を自分たちの力で埋めていくことが、この国の課題なのだろう。
バングラデシュでは、国のために力を尽くしている人達にたくさん出会った。
NGOのシャモールさん、シャヒドルさん、あとワドットゥさんやアミンさんなど、形は違うけれど皆それぞれが違う形で何かをしようとしていた。
そしてバングラデシュを良くしようと頑張る日本の人々にも、大使館やJICAで話を伺うことができた。
特にノート大使経験者のEさんには色んな話を聞かせてもらい、学ぶことが沢山あり、私もできる形で小さくても何かをしたいと思った。そして日本や他の国からの、物資援助だけでない人材の派遣もさらに進めていくべきなのだろうと思った。
同じ地球に住む同じ人間が苦しい思いをしているときに、何かしたいと思うのは当然のことだ。私たちにできることはあまりに小さい。
それでも、遠い国の話で片付けて、同じ家族が苦しんでいる姿を見て見ぬふりはできないと思った。
この10日間で学んだことは数え切れない。
今回のツアーに参加させてもらえたことを感謝している。
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<20才男子の感想>
今回、“H&H”バングラデッシュスタディツアーに軽い気持ちで参加したが、いざバングラデッシュについて、現地の人と交流したり、現地の様子を見て、アメリカにホームスティに行った時とはまた違ったカルチャーショックを受けました。
何がショックだったかと言うとまず物価の違い、使用人という人達の存在、教育をまともに受けられないほどの貧しい人達の存在、ストリートチルドレンや物乞いの多さなどでした。日本という国の豊かさを肌で体験できました。
良い面では人々の生きること(生活)のたくましさ、明るさというものを感じました。バングラデッシュではうるさいあの、車のクラクションを思い出すたびに、そう思います。
バングラデッシュでのツアーを通じていろんな人々に出会い、たくさん会話をベルガル語や英語でして、やはり英語は世界の共通語だと強く感じました。
そして“H&H”の主な活動内容である手作りノートや里親制度などのシステムなど松崎先生から詳しい説明を頂き、このバングラデッシュでの活動の意義などをしっかりと知ることができ、もっとバングラデッシュの人達が幸せになるためにしてあげられることはないかと考えるようになりました。
そこで、今自分が出来ることは、バングラデッシュで得た経験をたくさんの日本人に報告し、伝え、バングラデッシュの現状に対して興味をもってもらい、同じ地球人として助け合いをしてバングラデッシュの人々とたくさんの日本人が交流出来るようにしようと思いました。
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ラボを始めてから一番下の子が巣立つ7年前まで、ラボの日は毎週々々ず~~っと夕食のメニューはカレーライスだった(笑)。作り置きがし易いし、子供達も大好きなメニューだったし・・・、子供達の中の記憶には、きっと、カレーの香りとラボの日は一体感としてすり込まれているに違いない(笑)。
最初は自分の子供達の為のカレーライスだったのだけれど、子供達の成長につれて、ラボッ子達も連れ立って我が家に寄ってカレーを食べてからラボに来るようになった。我が家の電気炊飯器とカレー用の大鍋は大働きをしたものだった。
しかし、2000年3月、末っ子の卒業と同時に、カレーは我が家のメニューから姿を消した。・・・時々、あのカレーの香りとワイワイ戯れていた、娘や息子と同年代のラボッ子達の歓声が、とても懐かしくなる・・・。
あの当時、外食の度にレストランでカレーを注文していた友人がいた。「わざわざ外でもカレーを?」と当時は思ったりしたものだが、最近はその気持ちが少しはわかる。家で作る程ではないが、食べたくなる時があるのだ・・。そして、カレーの香りと共に、多くの思い出が蘇ってくる。
末息子が巣立ってから、バングラデシュへ行く機会が増えた。インド文化圏の食生活は「カレー中心」である。全てのものがカレー味ではあるが、それは日本のカレーライスとは全く異なっている。インド文化圏のカレー味は、日本仁とっての醤油文化のようなものである。煮物もスープもフライにも、醤油を落すと味が馴染み美味しくなるように、彼等にとってはなくてはならないスパイスであり、母の味なのである。新鮮な野菜や魚や肉をカレースパイスで煮込んだ料理は、暑い気候にマッチしてとても美味しい。スパイスは腐敗防止も兼ねているに違いない。美味しい本場のカレーに舌鼓を打ちながらも、時には、日本のマイルドなとろ~りとしたカレーライスが恋しくなったりする。
キチュリと呼ばれるインド文化圏の炊き込みごはんがある。鶏肉や人参・豆類その他の野菜をご飯と一緒に炊き込んだもので、ターメリックで黄色く色付けしてある。味は塩胡椒程度で、あっさりとしている。
今日は、何だかキチュリが食べたくなった。でも、ターメリックがない・・。「これでいいかな・・」と、カレールーを少なめに細かく刻んで入れてみた。・・炊き上がった「キチュリ」は、想像とは随分違っていた・・。ルーで炊いたご飯は、あのキチュリの黄色く澄んだ色とは全く違う。香りも味も全くの別物だった・・・(-_-;)・・(T_T)・・(汗)・・(×Δ×)。
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ここ数日、昭和9年生の方々に元気を頂いている。
今月から入会されたSさんもその一人。まっすく伸びた背筋、キラキラと未来を見つめる瞳は、フェニックスなど足元にも及ばない。
GW中に届いたCDを聴き込み、質問いっぱいでやって来た。まだまだ今から国際交流も体験したいと語るSさんに、60代・50代の「若者」は、負けてなるものかと、大張り切り・・・。
ステキなGが誕生した・・(^。^)・・~♪
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今年の九州支部スクランブル研修は、テーマ別会場<長崎会場(テーマ:『マイパーテイを豊かに!~プレイルーム、キデイグループの充実を~』)、鹿児島会場(テーマ:『記録活動について』)、福岡会場(テーマ:『ライブラリーのよさを社会に伝える』)>に分かれて、それぞれのTは自分の研修したい会場に足を運ぶという形で、文字通り、九州内を「スクランブル」して開催された。
フェニックスの参加した福岡会場では、
「『ライブラリーのよさを社会に伝える』ためには、まず『純粋にライブラリーを体感』し、その良さを伝える『自分の言葉』を探してみる」という手法を取ることにした。
午前中は、アイスブレイクに続いて、10人程度の4つのグループに分かれ「うみのがくたい」(テーマ活動)を体感。さすがテュ―ターS!テーマ音楽が流れると、会場はきらきら輝く海、暗黒の嵐の海、人と魚のハーモニーの世界に変身!テーマ活動後、「気持ちが良かった!」「泳げないけど海の中に入っていけたような気がした。」「私はこの音楽が好きなの。」「嵐の影響て、海の中ではそんなに大変な事ではないのかな~?」「本当は海は恐いんだけど、みんなと一緒なら一歩ずつ近づけたような気がする。」など、素直な感想が続出。
今回の「体感」は、実際の子ども達の体験しているテーマ活動と必ずしも同じであるとは言えないし、またTA研究のためでも、作り上げる事を目的としているものでもない。理屈では表現できない感覚的良さも含めて、T自身がまずTAを通してライブラリーから多くの事を感じ、その良さを体験を通して学ぶ事により、語る内容にパワーが加わる事も目的としているのである。
昼食をはさんで、午後は、
TAを実際にやって感じるライブラリーの良さをフランクに出し合い、
・物語の力や良さ
・物語を「聴く」ことの意義
・CDを何回も聴くのは何故良いのか
・たくさん所有する事の意義や良さ
・なぜ、子ども達にライブラリーが必要なのか
など、子どもにとって、どこが、どのように良いのか、話し合った。
20分間のティータイムをはさんだ後、
記念図書「ことばと自然」の中から、ライブラリーの良さを理解するのに役立つ文章や表現を探し、シェアし合った。
そして、今日の研修を通して「自分の言葉」による「ライブラリーの良さを伝える言葉」を気がつき発見してもらい、自分のものとして地区に、パーティに、して持ち帰ってもらう事にした。
「ライブラリー・キャンペーン」is coming soon.
ライブラリーの良さを納得し、その価値をしっかり伝えて欲しい。
「ライブラリーの良さを伝えるには『志』を持ち、一人一人に対しての配慮は必要だが、決して遠慮をしてはいけない!」
九州最高齢のケイコちゃんTの含蓄ある、信念の言葉である。
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バングラデシュ・スタディツアーから帰国して1週間目、そろそろ疲れが出てきているような・・・(笑)。
スタディツアー最高齢参加者のKさんは昭和9年生まれの73才。スタディツアー中、10代の若者3人と同じ行動が取れるかどうか、とても心配だったけれど、軽やかな足取りには敬服、ハァハァ言ってたのは若者の方だった・・(笑)。Kさんはとってもおしゃれで、毎日洋服に合わせて帽子を取り替えていた。
今日は、福岡からの参加者のお二人(Kさんと60代のHさん)と一週間ぶりにお会いした。福岡市中心の天神の三越デパート・ライオン広場(ライオンの像のあるミーティング・スポット)で待ち合わせをした。約束の時間に行くと、お二人は写真を見ながら思い出話に花を咲かせていた。
「今日は私がシャモールさんよ!」(5/2・3フェニックスの日記参照)Kさんは私達の顔を見ると言ってにこっと笑った。そして、さっさと私達の先頭に立って歩いた。軽やかな足取りはまるで40代の方のよう。さっと手を挙げてタクシーを停めると、「どうぞ。」とKさんは言って、ご自分は前席に腰をかけ、行き先を告げた。「私のテリトリーにご案内するワ。」と、Kさんは微笑みながら、タクシーの運転手さんに「右」「左」と指図をしている。
「はい、着きました。」タクシーは素敵な日本料理店の前に停まった。「どうぞ・・。」と言いながらのれんをくぐった。
「Kでございます。」
「いつもお世話になっております。」
挨拶の後、座敷に通された。
美味しいお食事に舌鼓を打ちつつ、写真を交換しながら11日間の旅の思い出を語り合ったり、これからの子ども達のビジョンを語り合ったりした。3時間があっと言う間に経った。
「私にも『娘』ができてしまったワ。あ~、その気はなかったのに、目が合ってしまって・・」とKさんは優しい眼差しで遠くをみた。(5/4フェニックスの日記参照)
「そうそう、近くに教育里親に興味がある人がいるの。ちょっとお話して下さらない?」というKさんの案内で小さなブティックに言った。写真を見せながら、子ども達の現状を話した。
店を出て歩きながら、
「あのお店の品物、良いでしょう・・?お高いのよ。」とKさんは言った。
「いつも良いな~と思いながら通り過ぎるんだけどね、この前思いきって入ってみたら、そんな話になってね・・・。」とKさんは笑って言った。
バス停に着いた。「天神」行きのバスに乗り込んだ私達を、Kさんは手を振って見送り、向い側へ小走りで渡って行った。そして、大きく手を振り、リカーショップを指指して、コップでグィッと呑む仕草をした。
とても眩しく、羨ましい・・。カッコイイ~~!
Kさんのように華麗に年を重ねたい・・・(^^)。
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朝早く電話がなった。
「誰だろう・・日曜日の早朝に・・」と思いながら受話器を取る。
「もしもし、母の日おめでとう!」
LAに住む息子からのサプライズ・コールだった。
メールもほとんどくれたことがない。親も忙しいので、時々彼のHPで「生きている」のを確認する程度のシンプルな親子関係。ここ数年、銀幕でしか会っていない・・・(-.-)。
そんな息子からの母の日コーリング。なんとなく幸せを感じた一日の始まりだった・・(^。^)。
==時間を作って舞台でも観に行くかな~・・・==
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