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今日は、宮崎地区研のみんな(テュ―ター)は結構忙しい。
ある者(T)は、来月に迫った中高生テーマ活動大会のための合宿担当で、滝で有名な都城市関の尾の緑の村キャンプ場に行っている。(フェニックスパーティからも数人参加。お世話になりますm(__)m。)明日午後2時まで対応なので、折角のシニアサイン講座には参加できない・・(T_T)<残念>。
フェニックスは国際交流パネル展@市立図書館ロビー係。毎年やっているので、結構スピーディ。展示が板についてプロ級(笑)!若いMテュ―ターが手伝いに来てくれた。Thank you!
みんなの笑顔がはじけているパネルに吸い寄せられて、すぐに鑑賞者が集まって来た。(あっ、感想ノートを忘れて来ている・・・(-_-;)。明日、持って来なくては・・。)
いよいよ明日に迫った「シニアサイン講座」。器具・用具・配布資料の最終確認。明朝一晩で横断幕を製作しなくては・・。
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中秋の名月というのに、会議、会議でゆっくり鑑賞する暇もない。建物が建て込んできた都心部では、月そのものすら建物の陰に隠れて見えない。昔は家族揃って、ゆったりとこよなく空を見上げたものだった。
電気が普及していないバングラデシュでは、夜は限りなく暗い漆黒の闇である。そこを蛍が幻想的に舞う。人々にとって満月の夜の月明かりは、とても明るく、希望の灯であるに違いない。大の男が集まって、お茶を飲みながら何時間でも空を眺めている。
5月に訪問した時、私達も、椅子に座って時の経つのを忘れて空を見上げた。時間がゆっくりと流れ、月と蛍の光の中で、心からくつろぐ事ができた。(5/2フェニックスの日記参照)
物質的には決して豊かとは言えないバングラデシュ。人々は今、洪水の被害の影響で食べるものにも窮しているし、迫り来る冬の寒さに耐える術も持たない。
濁った水の中で泳ぎ、魚を捕り、蛙や小動物と戯れる子ども達のくったくのない笑顔。満月や蛍の乱舞を心から楽しめる大人達。
ネオン輝く街、一晩中開いてる店や自動販売機でいつでも物が手に入る日本。
ひとつしかない地球にとって優しく豊かなのは、果たしてどちらの方なのだろうか・・・?
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11月の中高生テーマ活動大会を控えて、今日は「中高生広場」。フェニックスパーティ中高生も、学校・テスト・部活・・の調整をとりながら数人参加している。来週は、合宿して、とことん「スサノオ」に向き合いとか・・。担当のNテュ―ター、宜しくお願いしますm(__)m。
午後、12月開催予定のスタディツアー(国際こども支援団体“H&H”主催:http://miccho.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/clip/clip.cgi)の説明会。それから、11月にJICE21世紀東アジア青少年大交流事業でマレーシアの高校生を受け入れるための資料作り。・・・をしている真最中なのに・・・、プリンターが、酷使に耐えかねたのか、急にストライキを起こして動かなくなった・・・(-_-;)(×Δ×)。わぁ~・・・困った・・!!!どうしよう・・・(T_T)。
あっ、今日は9月24日。地球の反対側にいる息子の誕生日だ!「おめでとう!」思い出して、慌ててメールを打つ・・。時差があるので、十分に今日中には届く(^。^)! 映画撮影中に誕生日を迎えるなんて、そう経験できる事ではないだろう。仲々直接は会えないけれど、来年銀幕で会えるのを楽しみにしておこう。
◎松崎ユウキのHP: http://www.yukimatsuzaki.com/blog/
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地元紙が「シニアサイン」に興味を示して、案内記事を掲載してくれた。早速、数件の問合せがあり、数名の申込があった。
講師の近藤禎子先生から資料が届いた。いよいよだ!と身が引き締まる。
関連施設にFAXや再確認の案内を送る。
ベビーサインも、A全国紙が木曜日に案内記事を掲載してくれる事になった。こちらも、土壇場で参加申込が急増するのでは・・・などと「夢」を描きつつ・・(笑)。(#^ー^#)
◎近藤禎子先生のHP⇒http://blog.canpan.info/sign/
http://plaza.rakuten.co.jp/yoshiko88
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keikoさんのHPで紹介されている「シニアサイン」と「ベビーサイン」の講座を九州で初めて、宮崎で開催します!
◎keikoさんのHP↓
http://www.labo-party.jp/hiroba/top.php?PAGE=labkeiko
視覚に訴えるサインコミュニケーションは、高齢社会の進行に伴い介護する方とされる方とのコミュニケーションの手段としてのみならず、国境や人種を超えて人々が平和に共存・対話できるユニバーサルサインとしての要素を含んでいます。九州の皆さん、参加しませんか?
<詳細は以下のページで↓確認できます。>
・シニアサイン↓
http://miccho.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/clip/clip.cgi
・ベビーサイン↓
http://miccho.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/lavo/clip.cgi
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バングラデシュでは、今、麻の大収穫期である。洪水で溢れてできたここかしこの水溜まりに刈り取ったジュートを浸して繊維質を取り出している姿を、あちこちで見かけた。大人の腕くらいの大きさによられた繊維は、次々とトラックに載せられ、天にも届くような過積載のトラックが、洪水で痛んだ道を次々と走り抜けて行く。取り立ての麻の繊維束は、シルクのように光って美しい。人々は繊維を取り出した後の茎を乾かして、家々の壁や塀に使う。
今日から、鶴の島G(小学生G)で「トム・ティット・トット」に取り組む事になった。子ども達は「麻」がイメージできない。夏に涼しい素材なのだが、あんまり洋服の繊維について考えた事がないらしい。麻紐もあんまり知らないようだ。
麻と朝を混同して、話の筋が見えてこない子もいる。
「『あさ』ってどんな字を書くの?」
「え~っ、それって『麻雀』のマーだよね!?」
「あっ、その字TVで見た!『麻生さん』の最初の字!」と、タイムリー?な発言の子もいるが・・・(笑)。
来週、バングラの写真を持って来て見せてあげることにしよう・・。
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TAKUYAは昨日、スタッフと一緒にボートで川の中の島(中洲)の一つに渡った。救援物資の配給手伝いのためである。河岸からボートで約1時間のその島には、周囲の島々から命からがら逃げて来た人々が1万人以上居たという。けれども物資はわずか750.絶対的に不足している。貰えて喜ぶ人と落胆する人を見て、彼は怒っていた。「募金をしなくては!全く足りない!!」と、TAKUYA住民サイドに立って叫んでいた。
“H&H”が行っている教育支援も、朝食支援も、全ての人にあまねくという訳にはいかない。全ての活動には限りがある。この限りある中で、一番良い方法を住民を巻き込んで模索して行かなければならない。
今日、TAKUYAがまだ眠っている時間に、彼ををクリグラムに残して、我々はダッカに移動した。ガンバレTAKUYA!
<TAKUYAの報告より↓>
本日は朝起きたらすでに松崎さん達はいなくなっていた。とうとう自分一人でクリグラムに残ることになったのである。まあだいぶ慣れたので、全然ノープロブレムだが、一人での食事は寂しいものだった。午後三時半からハイダーさんと一緒に近くのお金もちの人(物価が日本の20分の1のバングラで月20万稼ぐ人だからすごい人である)の家の池に釣りに行った。そして七時過ぎに帰ってきて、Dさんと一緒に晩御飯を食べる。Dさんはたくさん悩みごとがあった。給料が少ないこと、仕事にややこしい問題が多いこと、GIRL FRIENDがいないこと、お父さんとおかさんたちはヒンドゥ-教だが自分はムッスリー二(イスラム教徒)だということをカミングアウトしていないこと(なぜなら息子の宗教が違うとわかると自殺してしまう可能性があるからだそうだそれだけこの国は宗教と言葉を大事にして独立した国だとわかる)、まあバングラの国自体が問題ありありだと言っていた。この国には100万人(適当だと思うが多いということであろう)の求職者がいると言っていた。本当に日本という平和な国に生まれた自分にはショックが大きかった。
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シナイという地域の学校を見に行った。
最初にBRACというイギリスのNGOが支援しているインフォーマルスクール(寺小屋)を訪問した。今回の洪水の影響なのか、竹製の壁には大きな穴があいていた。床に座っての授業で、子ども達は石版に文字を書いて勉強していた。竹を切って作った筆箱の中にはチビた鉛筆が1本だけ。それでも、学びたい一心でこの学校に通って来ている。公立小学校は遠くて、子どもの足では通学は難しいらしい。
次に、我々が関わっている現地NGO運営のプレスクールを訪問。校舎の状態は、BRACの学校と大差はなかったが、幼児達は元気に集まって来ていた。2時間程生活習慣や文字や物の名前などを学んで、ビスケットを貰って帰るのだそうである。トイレの使用を励行していて、その辺で用を足さないように指導していた。
「ここには中学校もない・・」と、我々をシナイに案内してくれたハイダーさんが呟いた。高等教育の必要性は、私達も痛い程認識しているが、如何せんお金がない。例え誰かが寄附をしてくれて、建物が建ったとしても、その後、どうやって運営していくのか等、多くの課題がある。実際今までだって、NGO運営の小学校や病院が、海外からの援助が止まった時点で閉鎖の憂目に遭っているではないか・・。そういう根本的な所から考えていかなければ、いずれにしても中座してしまうのは明白である。バングラデシュの人々が必要を感じ、目覚めるまで待つしかないだろう・・と思う。
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現在、暫定政府下のバングラデシュでは、今年の初めから、仲々ビザの期間や次数が安定しなかった。やっと2ヵ月ダブルまで回復したので、遅れていたボランティア(ノート大使)を派遣する事にした。
初代EMI、2代目MIKIと女性が続いたが、今回は男性である。TAKUYA(20才)初ラボッ子OBである。釣りとバイクのエキスパートとは本人の弁。
小学校の男の子たちは大喜びだが、女の子はちょっと遠巻きに見ているようだ。ここしばらくは、支援物資の配給を手伝うのが仕事になりそうだ。それが落ち着いたら、本来業務の、支援児達の生活調査や、学校で必要な教材の調査やモニタリングをお願いしますヨ!
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今日は晴れ。午前10時頃、TC小の運動場に400人の村人が集まって来た。皆、手に支援物資の引換券を持っている。順番に並んで、引換券を渡し、受取簿の指紋押印して、米20kg、ダル(豆)2kg、塩1kg、大豆油1本を受け取ると、思わず笑顔に変わった。痩せた体で、重い支援物資をどうやって持って帰るんだろう・・?と思いながら眺めていると、ひょいと頭の上にお米を載せて立ち去って行った。スゴ~イ!!!
夕方、2004年に日本に来た子ども達の家を訪問した。
当時小4だったヒロは中2(日本の中1年代)になっていた。「ここまで水が来た。」と、ヒロは湿って色が変わっているジュートの壁を指差した。2才下のヒロの弟は学校へ行っていない。家具職見習中で、まだ給料は入らないという。妹は6才ぐらい。来年1月から近くの公立小学校へ通う予定だと言う。父親は魚捕り、母親は手巻きタバコの内職で家族を支えている。しかし、月収はわずか1,500TK(約3,000円)で家族はいつも餓えている。
当時小5だったアイリ―ンは中3(日本の中2年代)、背も高くなり綺麗になっている。「日本はキレイ。バングラはキレイない!」とカタコトの日本語で語りかけて来た。日本のようにゴミを散らさないように、と友達に言うけれど、みんな、信じてくれない・・と、彼女は言った。それから、私達のために、歌を歌ってくれた。彼女の家も、ベッドギリギリまで水が入って来たと言う。
それから、アイリ―ンも一緒に、ハニフ(当時小4/現中2(日本の中1年代))の家へ。政府の役人が突然やって来て家を壊されたハニフは、親戚の庭を借りてトタンの家を建てて住んでいた。茶売りの父と2才年上の兄(家具職人)の収入を合わせて、月収は4,000TKだそうで、他の2人よりは少しだけゆとりが感じられた。
「男の子が2人なので、早く結婚させてダウリ(嫁の持参金)を貰いたい。」という母親の発言にギョッとしたフェニックスである。
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