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フェニックスの日記 [全1154件] 231件~240件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
スタディツアー最終日 12月30日 (火)
 昨日、夕方、シェムリアップの空港でリー・アンと別れた。
リー・アンは国内線でプノンペンへ。我々一行は国際線でホーチミンへ。リー・アンの日本のお父さんGさんの目にうっすら涙がにじむ・・・。

 リー・アン、ツアーの間中、同行通訳してくれてありがとう。

 私たちも、リー・アン君が夢見る、カンボジアこども図書館の充実に協力したい!

 年の瀬も押し詰まった日本へ、みんな元気に帰ってきた。
暑さにも負けず、病気にもならず、全員元気で帰国。お正月が近い。カンボジアでもNHKで年の瀬の街並みの様子を放映していたけど、厚くてピンと来なかった、やっぱり寒くなくっては・・ね!

 寒~~い日本、インフルエンザも流行っている様子。みなさーん、風邪をひかないで。

 2008年12月30日、スタディツアー参加者有志の寄付金を元に、カンボジアこども図書館プロジェクト基金を設立した。
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7日目 12月29日 (月)
 朝一番でアンコールこども病院へ。この病院は日本人写真家井津建郎氏の提唱に多くのアメリカ人アーティストが賛同し開設が実現した病院だそうである。昨年訪問した時は、日本人看護士の赤尾さんが案内・説明してくださったのだが、今年8月に帰国されたとのこと。昨年もお会いしたオマさんが対応してくださった。
 昨年はなかった立派なインフォメーションセンターで、病院についてのビデオを鑑賞した後、オマさんが施設の案内をしてくださった。毎日400名を越える患者さんたちは、財産を売って旅費を作り、遠くからやって来る人も少なくないのだそうである。付き添い家族のために野菜や卵を配給し、煮炊場も設置されている。付き添い家族に対しての保険衛生指導や歯磨き指導なども行っている。診察を待っている子供たちが退屈しないように、描画活動や折り紙などのコーナーも昨年より整備されていた。この病院は、看護士さん達の養成にも力を入れ、カンボジア小児医療のセンター的役割を担っている。
 スタディツアー参加者の一人、中学教師のSさんは一学年の生徒144名で繋いだベビーキルトと生徒達が描いた絵を贈った。

 それから世界遺産アンコールワットへ。
毎年訪れるのだけれども、毎回感動を新たにする場所だ。
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6日目 12月28日 ()
 早朝、プロペラ機で空路、シェムリアップへ。

 シスターが支援している村の子供たちのために文具を届けるため、毎年カトリック教会を訪れる。今日は日曜日、訪れた時は、丁度ミサの時間だった、開放的な聖堂いっぱいにカンボジア人の方々やシスター方が集まっていた。
 神奈川から参加しているHさんが「私の知っている人が!」と声を挙げて初老の男性の方へ走って行った。Hさんが卒業した学校と同系列の学校の元校長先生で、退職後はカンボジアの子供たちの教育支援に関わっている方だった。こんな所で・・・なんとファンタスティック!

 マザーテレサがインドで創設した神の愛の宣教者会のシスター達が、城に青の線の入ったサリー姿で、ここカンボジアのシェムリアップでも活動している。その、貧しい家庭に生まれ親が育てる事のできない赤ちゃんや障害を持って生まれてきたため捨てられた赤ちゃんを預かってお世話をしている乳児院を訪問した。韓国の大学生がボランティアに来ていた、アメリカ、イタリアからの旅行者も数人訪れて、赤ちゃんを抱っこしたり、ミルクを飲ませたりのボランティアをしていた。私達は、宮崎県立南高校の生徒達が作製したベビーキルト(おくるみ)を贈り、使って頂くことにした。

 地雷被害者の健康診断やリハビリ、義肢作製等に携わっているハンディキャップインターナショナルを訪ねたのだが、日曜日で休みだったので、地雷博物館へ向かった。
 地雷博物館は、アキ・ラさんという元少年兵が戦後私財で地雷除去に取り組み、被害を受けた子供たちの養育をしている所で、氏が撤去した地雷や不発弾を展示してあった。子どもの背丈より高い爆弾が門から玄関に至る通路に林立して出迎えてくれた。・・・ドキリ・・・と胸に刺さった・・・。国境近くには、まだまだ無数の地雷が埋まっている。内戦は終わっても、その遺物は今でも牙をむく・・・。
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5日目 12月27日 ()
 朝7時、シアヌークビレッジの小学校を訪問した。朝7時!早すぎる!!と思うでしょう?! でも、カンボジアの学校は大抵2部制なので6時台から子供たちの元気な声が響き渡り、7時からは授業が始まるのである。(午前の部:7時~11時、午後の部1時~5時)
 最初に教頭先生に算数セットを贈呈し、それからプレスクールのクラスでお絵描き交流。子供たちに好きな絵を描いてもらった。描画に慣れていない子供たちは自信なさそうに、単色で小さな絵を描いた。スタディツアー参加の小学生、大学生達も子供たちの間に入って一緒に絵を描いた。それから、日本の小学生が描いた絵を贈呈し、壁に貼ってもらうように頼んだ。色彩豊かな絵を見て、この子達もいろいろな色で堂々と描けるようになって欲しい。
 次のクラスでは折り紙交流。小学生が手裏剣の折り方をみんなに教えた。それから「てぶくろ」をした。休み時間になったので、他のクラスからも見学者殺到して、公演大成功!?(^^)

 昨日来た同じ道を3時間かけてプノンペンに戻った。

 プノンペンでは、ポルポト虐殺の象徴であるトゥールスレイン博物館(元収容所)を訪れた。高校という学びの場が収容・処刑所と化したおぞましい場所である。カンボジア人のリー・アン君、ショックで声が出なかった・・。カンボジアの学校では内戦について詳しくは教えないらしい。
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4日目 12月26日 (金)
 午前8時半、日本大使館訪問。リー・アンも日本での研修成果について報告をしたいと言っていたのだが、事前に登録申込をした日本人のみ許可がおりたので、リー・アンと運転手さんは外で待機。ケイタイやカメラは持ち込み禁止。
 経済班の三栗さん、横山さんに、カンボジアの経済事情や、草の根の話を伺った。丁寧に応対して頂いて感謝。可能性の扉がまた一つ開きそうな気配がする。

 10時過ぎから、一路南下。海沿いのシアヌークビレッジを目指す。シアヌークビレッジには青い海と美しい砂浜があり、富裕層のリゾート地として有名なのだそうだ。ナント、そんなステキな地が、リー・アンの故里なのだ!今回は、リー・アンの日本のお父さんがこのスタディツアーに参加したので、是非故里に案内して、お母さんやお婆さんに会ってもらいたい、という彼の熱い想いで実現することになった。

 途中、ドライブイン(?)よろしくちょっとしたスナック売り子さんがいたり簡素な食堂や簡易トイレのある場所に立ち寄ったり、リー・アンが以前住んでいたという「ガンピーさんのふなあそび」を彷彿とさせる場所に寄ったりして、車は南へ南へ約4時間のドライブ。
「あっ海!」と誰かが叫んだ。行く手に水平線が見える。
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注)<シアヌークビレッジ(ビル)>byウィキペディア
シアヌークビル (Sihanoukville) は、カンボジア南部のタイランド湾に面した港湾都市であり、コンポン・ソム (Kampong Som または Kampong Saom) という名でも知られる。シアヌークビルは、1964年に建設が始まり、当初は単にカンボジア唯一の大深度岸壁があるというだけであった。その後のカンボジア内戦で開発は頓挫し手付かずの自然が多く残ることになってしまったが、近年になってリゾートとして脚光を浴びることになり、観光地化が進んでいる。市名は前国王ノロドム・シハヌークにちなむ。
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 車は右にカーブし、前方に見えてた海を左手に見ながら数分走って一軒の食堂の前で停車した。そこが、リー・アンの実家だった。お母さん、お婆さん、妹2人、姪たちが笑顔で迎えてくれた。リー・アンも今までに見たことのない満面の笑顔でお母さんと談笑している。やっぱり故里と肉親にはかなわない・・。
 テーブルの上に載りきれないほどのご馳走や果物で大接待を受けた。じゃが芋の入ったスープ、牛肉とカリフラワーの野菜炒め、田んぼに来る鳥や、水鳥の丸焼きもある。しかも美味しい~~!!!

 それから、お母さんを後部に乗せたリー・アン運転のバイクに先導されて、リゾートビーチへ。赤砂糖のようなきめ細かい砂の砂浜が長く延びている。小学生の3人は早速水着に着替えて海の中へ。大人たちは、ビーチの売り子さんからバナナ餅(?)やガヴァなどの特産を買って試食中。・・・気がつくと、浜中の売り子さんが集まって来ている・・。金タライを2つ天秤棒につるし前に七輪、後にイカの井出たちのヤキイカ屋さんもいる。

 ホテルチェックインした後、リー・アンの案内で市場など町なか見学。夕食は屋台で。

リゾート地での夜は、こうして暮れ行く・・・。
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3日目 12月25日 (木)
 カンボジアの朝は早い。小学校は2部制なので、午前の部は朝7時に始まる。今日の最初の訪問地は、毎年訪問しているサマキ小学校。2002年以来毎年訪問しているので、先生方とはすっかり顔なじみになっている。今年も、校長先生、教頭先生をはじめ、先生方がにこやかに出迎えてくれた。
 学校にさんすうセット、ピアニカ、クレヨン、手作りスケッチブックを寄贈した。それから、教室案内をしてもらった。今年は参加者に小学生が3人いるので、児童の皆さんも身近に感じるようだ。
 「質問がありますか?」と聞くと、女の子が手を上げて「日本は雪が降りますか?」とたずねた。昨夜ホテルのNHKで天気予報を見たら、北部は大荒れだった・・。宮崎は幸い(?)降らないのだけれど「期待」に答えて「冬には降りますけど、寒いです。」と答えた。

 車のホィールの鐘がなり、休み時間になった。教室から一斉に子ども達が飛び出してきた。小学生の3人は、もう自然に仲間になっていた。大学生達も心は小学生に戻って走ったり、遊んだり。(^^)

 サマキ小学校の先生方はアートや絵本についてとても関心を持っている。この小学校はカンボジアの小学校の中ではかなり絵本(図書)が充実している。また切り紙や描画活動にも力を入れている。その事が、私達が2002年から継続してこの小学校を訪問している大きな理由である。 読書活動推進には学校の協力が必須である。子ども図書センターと学校連携によるプロジェクト実施の可能性も夢ではなくなる日が近いのではないか・・という新たな「夢」を夢見るフェニックスである。
 恒例の校庭木の下劇場で「てぶくろ」をした。みんな(観客)が詰め寄り過ぎててぶくろに入ってきたたものだから、てぶくろは破裂してしまった・・・けどね(*o*)!(^^)(第3回公演)
サマキてぶくろ1サマキてぶくろ2

 その直後「事件」は起きた・・・。この「事件」については31日の日記で振り返り記したいと思う。

 発展著しいカンボジアは毎年変貌を遂げている。今日の昼食はできたばかりの超近代的なショッピングモールのハンバーガーショップへ。見かけも値段も日本と変わらない・・。(メニューはトロピカル系もあった!) 一般の人々にとっては、とても高級店に違いない・・。そのハンバーガーショップに大学生の一行がいた。日本の学生と同じように談笑しながらハンバーガーとフライドポテトを食べ、コーラを飲んでいる。私も初めて見る光景である。「スゴイ、高いのに・・。初めて見た・・。」と、孤児達の世話を日々の仕事とするリー・アンは呟いた。

 カンボジアの一般的な屋台では、皿や箸は洗って何度も使うのだが、このハンバーガーショップでは近代諸国と同じくプラスティックカップをはじめ全て使い捨て。しかも無分別。「このゴミがそのままあそこへ・・・、痛いです・・。」と、リー・アンは胸を押さえた。

 美味しいハンバーガーを食べた後のゴミが運ばれるその場所は、昨日訪れたCCH孤児院の子供達が保護される前に暮らしていた場所である。ガスが漂い、異臭を放つ。ハエが群がる。
ゴミ2ゴミ1
 分刻みでゴミ収集車がプノンペン市中のゴミ(無分別)を満載してやって来る。人々は、収集車に群がり飛び乗り、少しでも高額で取引してもらえそうなゴミをあさる。

 中途半端な近代化は、大量の石油系ゴミを生み、手がつけられない程に拡大してしまっている・・。日本政府はゴミ収集車ごと測れるスケールや収集車を贈っているのだが、対処に追われている現実である。しかし、このゴミ山は貧しい人々の日々の糧を生み出す宝の山でもある。このゴミ山に何千人という人々が住み着いて生活しているのである。子どもだけでも2千人を越えるという。そして、親のいないたった一人で生きている孤児も、まだまだいるのだそうである。
 ゴミ捨て場の一角にVCAOというNGOの運営する小学校と幼稚園がある。せめて学校や幼稚園に来ている間は、最悪な環境から隔離できているのだろうが・・・。抜本的解決法は思いつかない・・。


 それから、昨日再訪問約束した桜小学校の音楽の授業を見学に行った。この学校では、特別に木曜日の午後を音楽の授業に当てているのだそうである。5年生の皆さんがピアニカと太鼓の演奏で出迎えてくれた。
桜小鼓隊桜小ピアニカ

 お礼は、もちろん「てぶくろ」!(第4回公演)
     桜小てぶくろ

     絵本の充実度はまだまだ。カノ人寄贈の本棚発見↓!
桜小本棚 贈り主みのもんた
 

 
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2日目 12月24日 (水)
 ぐっすり眠って目が覚めて、朝一番にやった事は「てぶくろ」の練習。昨日は疲れてみんなバタンキューだったからね。

 さて、今日のスケジュールで最初に訪ねた所は宿泊ホテルからほど近いJICAカンボジア事務所。ODAのカンボジアでの働きについて聴き、3つの戦争で無秩序に埋められた地雷を一つ一つ取り除いている事業についてのビデオを見せてもらった。
     JICA-Cambodia1
       (JICAプラザの前で)

 それから王宮を訪ねたのだが、お昼休みが近いと言われ、メコン川沿いでしばし時間を費やした。
メコン川1メコン川2

 ODAで建てられた絆橋を通って対岸へ。途中、小学生の子ども達がある学校から蜘蛛の子を散らすように出て来た。笑顔・笑顔・笑顔・・・。みんな勉強が楽しいんだね!日本語で「桜小学校」と書かれた文字を見つけ、立ち寄ってみた。
     さくら小
 日本のNGO「JHP学校を建てる会」が建てた小学校だった。

 丁度、午前の部が修了した時間だったので、明日の再来訪を約束して、対岸より王宮を眺めた。ボートで家族全員生活している人々と、新しく建設中の豪華ホテルが対照的だった。

     ボート村
        (ボートで生活している人々)

 湿地の上に板を張って建てられたレストランで初めての昼食。とても景色が良い。スネークヘッドフィッシュという大きなタイのような白身魚の丸焼きがとても美味しかった(写真左)。フライドフロッグ(写真右)もなかなかの人気者!お・い・し・い~~♪
スネークヘッドフィッシュカエル

 CCH(ゴミ山孤児保護施設)へ向かう途中、プノンペンの名称の元となったワット・プノンへ立ち寄った。

 CCHでは、午前の部の学校を終えた子ども達との交流。折り紙を折ったり、お絵描きをしたり・・。
CCH交流1CCH交流2

お土産に持参した、さんすうセット、中学校夏制服、なわとび、クレヨンなどを贈呈した。

 そしてテーマ活動「てぶくろ」。(第1回公演)
     CCHてぶくろ

 もう一つのゴミ山孤児保護施設CDCCでは、子供たちが歌を歌って出迎えてくれた。私達はお礼に「てぶくろ」を演じた。(第2回公演)
CDCC交流1CDCC交流2

 夜はアイスクリームとジュースで乾杯!(大人は地ビールで(^^))
真夏のメリークリスマスイブ!
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カンボジアへ走る!走る!(スタディツアー1日目) 12月23日 (火)
 リー・アン君の帰国に合わせての、カンボジア・スタディツアー(国際こども支援団体“H&H"主催)に、フェニックスPから小学生3名、大学生1名、OG1名が参加。今回は神奈川のペチュニアさんも参加。楽しい旅になりそう~♪
 宮崎から参加の7名+リー・アン君は早朝6:50宮崎空港集合。よしよし、全員定刻集合。見送りの面々に手を振り待合室へ。7:35発なので、8:20には福岡へ着く予定。出発は11時なので問題ない・・・筈だった・・・のだが・・・。6番搭乗口へ行くと「故障のため時間変更」という表示・・・(汗)。ナニナニ・・・福岡空港で荷物を引き取ったり預けたりしなければならないのに・・・時間が気になり、汗がにじむ。

 結局は1時間遅れて宮崎出発&福岡到着。国内線⇒国際線連絡バスで国際線乗り場へ。時間を気にしながら、あらかじめ送っていた荷物を取りにカウンターへ行くと・・・、エ~~~ッ・・・まだ着いてない?!(*o*)!(冷汗)確認電話をしつつ、チェックインを先に済ませる・・。
「あと20分」と言われた時、やっと荷物が届いた・・。でも半分はまだ・・。「あと3分」と宣告された時、残り全部が来た・・。とにかく荷物(支援物資)を預けて、走って出国テ続き⇒搭乗。

 「ほっ」何とか間に合った・・・!座席に腰掛けると、まもなく飛行機は滑走を始め、空に向かって飛び立った。出発ギリギリまでフェニックス走る<私走(シワス)>・・・(汗)

 福岡を出発して4時間半、飛行機はベトナム・ホーチミン国際空港へ到着。ここで乗り継ぎのため3時間待つ。飛行機博士のN君(小6)はガラス窓に顔をするつけて日本ではお目にかかれない飛行機を見つけては歓声を上げている。

 プノンペン行きは小さなプロペラ機。歩いて飛行機に乗り込んで50分弱。目的地カンボジアの首都プノンペンに降り立った頃は、とっぷり陽が暮れていた。気温32℃。
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リー・アン君、研修修了! 12月22日 (月)
 7月22日、カンボジアから県費研修員として来日したリー・アン君(7/22フェニックスの日記参照)の5ヶ月間の研修が修了した。

 12/19(金)には宮崎市立図書館にて図書館研修終了式。
図書館終了式1図書館終了式2

 今日は、県庁にて研修終了式と、宮崎県親善大使委嘱式。
県庁終了式1県庁終了式2

 リー・アン君は、真面目でとても賢い好青年。カンボジアの子ども達の絵本環境を整備したい!、子どもの本の拠点を作りたい!、移動図書館事業をしたい!と明日のカンボジアの夢を語る。
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私走(シワス) 12月20日 ()
 12月を師走と言うが、フェニックスにとっては『私走(シワス)』の方がピタリとくるような日々が続いている。

 12月第一週目は講座で東京へ。

 帰った翌日(7日)は地元宮崎で映画「未来を写した子ども達」+シンポジウム。
    映画未来こども
 映画は、インド・コルカタの売春窟で生まれ育った子どもたちが、カメラを通して外の世界へと飛び出していく姿を追ったドキュメンタリー映画です。子ども達をらを売春窟から救い出そうと決意、奔走するカメラマン・ザナ。小さな指で押したシャッターでとらえた一コマ一コマが世界への扉を押し開けて行くのだが・・・
 映画の後のシンポジウムでは、インドで活動している宮崎国際ボランティアセンター代表の杉本さんの講演と、(財)日本ユニセフ協会宮崎支部の小村さんと“H&H"の松崎がパネラーとなってのパネルディスカッション。(主催・キネマ館)
 買春窟でなくても、貧困から抜け出すのは容易ではありません。特に女の子は10才を過ぎると早期結婚を強いられたり、奉公に出されたり、性的産業に従事させられたりするリスクが高い。

 翌週末(13日)は急行で大分日帰り。大分某NPOから依頼を受け、カンボジアの青年リー・アン君とパネラーの一人として参加。

 翌日(14日)、宮崎で開催された「青島太平洋マラソン」の姉妹都市バージニアビーチから参加の視覚障害者パティの通訳。
    パティ
目の前を東国原知事と猫ひろしが走っている・・・。

 支援物資を選別・梱包し、19日福岡空港へ発送。13個。

 その合間を縫って?ラボ・・・いや、ラボの合間を縫って上記の活動・・ph~~~!そして今日は、今年の最後を飾る松崎Pクリスマス発表交流会が(やっと)無事に終了(^^)。
クリスマス会クリスマス会2



 フェニックス、私走(シワス)を往く!

 
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