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長かった・・・。
29万頭以上の家畜の犠牲の上に、何とか、今日「終息宣言」は出た。
しかし、見えないウィルスの仕業だけに、畜産農家が安堵に至るにはまだ時間がかかりそう・・。被害の回復には、とてつもない費用がついて回る・・・。
スローガンが「負けないぞ宮崎」から「がんばろう宮崎」に変った。
公的施設が使えるようになった。ラボもイベントが開催できるようになった。
とにかく、一区切り・・。
夏休み中開催予定だった花火大会や総踊り大会は、9月延期での開催らしい。
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NHKTV「引き裂かれた歳月 ~証言記録 シベリア抑留~」を観た。
太平洋戦争終結後、57万人以上の人々が強制労働を強いられた「シベリア抑留」。酷寒や飢餓により、少なくとも5万5千人以上が命を落としたとされる。
亡き父が「帰国船に乗れ」と言われて乗船すると、船は知らない内に北上しナホトカに連れて行かれた・・。」と言っていたのを思い出した。酷寒の中の強制労働に4年間耐え帰還。
多くを語らなかった父の抑留生活を垣間見た思いがした。
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本当の家族になれた!と思ったら、今日はもう別れの日。
4日目の朝は忙しい。
郷土市(バザー)
最後の朝ごはん
荷物まとめ
掃除
シニアメイトのケータとユキ、本当にありがとう!
韓国から来たサンヒュ、楽しかったよ、ありがとう。
「帰りたくないなぁ・・・」
どこにいても、ぼくたちは「家族」さ!\(^▽^)/
絶対、また会おうね!
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3日目プログラムは、タヌキが訪れた4つの国を「訪問」した。
★「カナダ」ではメープルおじさんがカナダクイズを出してくれたよ。
最後に、メープルシロップをぺろっと味わって(笑)満足?したかな・・?
☆「日本」では民宿対抗綱引き。
それから、日韓対抗押し相撲。
日韓対抗本相撲もやったよ!(右の『勇姿?』は並木「大統領」)
★「イギリス」では「ロンドンブリッジ」と「タヌキの行進」(震源ゲーム)
☆「アフリカ」では動物が沢山登場するダンス⇒夜、キャンプファイヤーでも踊ったよ。
ロッジ(民宿)に戻って、シニアメイトのおみやげ「たぬきパズル」でおはなしたどり。
ちゃんとおはなしの順番に並べると・・・
ひっくりかえすと、その場面の絵が出てきるよ。
シニアメイトの誘導で、楽しくテーマ活動にす―――っと入っていけたキャンパー達。
姉妹ロッジ交流でも、この通り。
夜は、郷土芸能「樽太鼓」を鑑賞した後、
キャンプファイヤーを囲んで、みんなでソングバードやアフリカンダンスを踊った。
来年、また、きっと会おう!
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今年のフェニックスのロッジは「みち」(民宿路)。
「みち」のシニアメイトは、京都のケータと福Bのゆき。
今日は野外活動の日。
朝ごはんはしっかり食べて、ガンバロウ!
フェニックスは「Make Your Imagination」コースに同行。
ゆつぼの自然の中を小川まで歩いて行こう。
Guess! What are they doing?
さかな捕り?
ハズレ!
石を見つけているんで~す(^^)
この石が、君のイマジネーション次第で・・・
ほら!
それから竹で水鉄砲を作ってシューティング競争。
色水でもシュ――――ッ。
アフリカの青い空をイメージした青い水
アフリカの大地に沈む赤い夕日をイメージした赤い水
アフリカのジャングルやサバンナをイメージした緑の水
ぼくらのイマジネーションの動物たちがイマジネーションの大地に息づく・・。
見上げれば、空には美しい虹の橋。
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ラボサマーキャンプ九州ゆつぼ2班へ、韓国のチング(友人)と一緒に宮崎駅から宮崎7号車で出発(9:00am)。
都城駅とえびのからもラボっ子が乗り込んで、一路湯坪へ。
途中、宮原インターンでお昼ご飯。
午後3時前、約6時間かけて湯坪到着。
出迎えてくれたのは・・・
澄んだ空気と
緑豊かな山々と
温泉と
タ・ヌ・キ・・・(*o*)!!!
フ・ラ・ッ・シ・ュ・・・!!!
早速みんな本部前に集まって、ゆつぼキャンプ(2班)開営式。
今年のゆつぼ2班には、韓国・中国のお友達をはじめ、
千葉・大阪・京都・奈良・富山etc・・・遠くから参加のラボっ子達や、
四国や中国地方等、九州以外からのラボっ子も沢山参加したよ。
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早期米がスクスク育っている田んぼin宮崎。
隣の給水タンクに群がるスズメ・・・。
目を上げれば、電線にも・・・・・。
こんなニュースを見つけたけど↓・・・本当?
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/100614/sty1006140757000-n1.htm
宮崎はまだまだ自然がいっぱい・・・!?(^^)/
20世紀~21世紀、絶滅した動植物は多い。
間に合う内に、共存について考えてみよう!
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スズメが減っているって本当?
2010.6.14 msn産経ニュースより
このニュースのトピックス:◇暮らしのニュース
「農作物の食害激減した」「瓦が消え営巣できない」
日本人の暮らしと密接なスズメは都市化に伴って減少しているのか? そんな疑問を受け、「日本野鳥の会東京」がスズメの全数調査に乗り出した。「ものさし鳥」といわれ、野鳥を見分ける上で基準となるスズメ。スズメの生息する環境は何を意味するのか。(日出間和貴)
◆寿命は1年3カ月
「道に迷ったらスズメを探せ」-。山奥などでスズメを見かけたら、それは近くで人が暮らす証し。たとえ道に迷っても、スズメを見かけたらあきらめるなという教えだ。
日本野鳥の会の安西英明主席研究員は著書『スズメの少子化、カラスのいじめ』(ソフトバンク新書)で、人が住む環境と深くかかわってきたスズメの習性を紹介している。
「都市化が進む中、各地で『スズメを見かけなくなった』という話をよく聞く。しかし、スズメが実際に減ったかどうか科学的に判断できるデータはない」
安西さんによると、日本にいるスズメは3種類に限定される。平均寿命は1年3カ月と短い。中には越冬できないものも多く、常に生存の危機にさらされている。決まった人家周辺で一生を終えるスズメもいれば、餌を求めて旅を続けるスズメもいる。姿、形が似た野鳥も多く、スズメをめぐる“誤解”は少なくないという。
今回の調査は東京のほぼ真ん中に位置する日比谷公園で、10年間実施。調査員らが一定範囲に出現するスズメの数を計測、年次推移を調査していくという。
◆4千回以上虫を運ぶ
一方、岩手医科大の三上修助教は「スズメによって被った農作物面積の年次推移」からスズメの減少の可能性を推測する。農林水産省の統計データによると、最近20年間にスズメによる農作物の被害は激減。三上助教は「スズメの農業被害が減っていることから、スズメの数が減少している可能性は高い。ただ、スズメが減少したから農業被害が減ったとまでは言えない」と説明する。
日本のスズメ研究の第一人者、佐野昌男さんは居住する長野県を中心に長年、スズメの分布などについて調査してきた。スズメが人家の密集した地域に深く入り込む習性や、ヒナが巣立つまでの2週間に親鳥が4千回以上も虫を運ぶことを明かす。
スズメが減少したとされる背景に「住環境の変化がある」とし、(1)建築様式で瓦が消え、スズメが営巣・繁殖する場所が減少(2)宅地化の影響で餌の確保が困難-の2点を挙げる。
佐野さんによると、野鳥に関心を持つ愛好家でもスズメの生態に熱心に目を向ける人は少ないという。「スズメの生息数は季節ごとの増減があり、長年追い続けないと判断できない。過疎化が進んで人間のいない農村より、都市部の公園の方がスズメの環境が整っていることも考えられる」と話し、調査結果に期待を寄せる。
人間に追いやられる動物
人間と生活圏を共有しながら生息してきたのはスズメだけではない。昔話『さるかに合戦』のモデルともいわれるアカテガニも、かつては海沿いの民家や路地、石垣に生息していたが、宅地の造成や周辺のコンクリート化で住みかを奪われている。暮らしとなじみの深い“隣人たち”の激減は、日本の原風景の喪失と軌を一にする。
20世紀以降、鳥類や哺乳(ほにゅう)類などの動物群の絶滅速度が加速している。その背景には人口の増加があり、絶滅の主たる原因について「人間活動による影響」を挙げる専門家も少なくない。
◇
「日本野鳥の会」ではスズメを特集した会誌『野鳥』4月号を希望者に無料で配布する。詳細は同会ホームページ「野鳥誌プレゼントキャンペーン」で。
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昨日夕方の飛行機でユージンとクンリムがやって来た。二人は韓国ラボに所属する小学6年生。
飛行機の到着を示す赤いランプが着くと。ホストファミリーは今か今かと二人の姿が現れるのを待つ。
ユージンが現れた。
荷物を取るより先にホストファミリーを見つけて出口まで来て、手を振った。
去年、韓国交流に参加してユージン宅に泊まったHちゃんが今年はホストになる。顔見知りなので、最初から打ち解けている(^^)。
「ママ、よろしく。」と握手。
クンリムのホストは、去年韓国交流に参加したSちゃんの弟Hくん。去年はクンリムの姉がSちゃんのホストになったので、こちらも顔見知り。
10日間のホームスティ交流のスタート。
一夜明けて、歓迎会。
パーティのみんなが集まって来た。
みんなでソングバード。
韓国の歌やセブンステップで盛り上がる。
もうすっかり、みんな仲間だね!(^^)/
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非常事態解除宣言を受けて、
今日、バージニア-4Hから宮崎市に来ているユース2人の市長表敬訪問が実現した。
久々の明るい話題 in 宮崎!(^^)/
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4月から続いていた非常事態が午前0時をもって解除された。
それに伴い、やっと図書館・体育館・公民館等の全ての公共施設の利用が可能になった。
殺処分された牛豚は約29万頭。
合併前の旧宮崎市の人工が約30万人なので、およそ市が一つ無くなるほどの人口に等しい家畜が処分されたと思うと、非常に複雑な気持ちは否めない。
酪農家の落胆は計り知ることができない。
しかし、
何はともあれ、
一つの区切り。
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