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来月11/14(日)長崎で開催される中高生テーマ活動大会参加の35名分の名簿を、長崎の担当テュ―ターに送信した。前日13日(土)は前夜祭。子ども達は長崎のラボッ子宅へホームスティし、交流を深める。長崎地区研の皆様、アレンジ大変でしょうが、どうぞ宜しくお願いしますm(__)m。
テーマ活動大会へ向け、宮崎地区の中高生達は最後の追い込みに余念がない。10/23(土)~24(日)は合宿で総仕上げ!と頑張っている。イメージとイメージが火花を散らす。プロメテウスを縛る鎖のイメージ、それを繋ぐ岩のイメージ。それぞれの想いが交叉し仲々まとまらない。当日はどう表現するのだろうか。とても楽しみ!
昨年のテーマ活動大会は宮崎にて開催。九州中から中高生が集いラボッ子宅にスティ。受け入れた家族とラボッ子達の間に多くのドラマが生まれた。まだ今でも交流が続いていると聞くと、とても嬉しくなる。
今年も新たな絆が生まれると良いなぁ~!
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今日のNHKTV「ようこそ先輩」出演の若い女性弁護士土井香苗氏の授業に目を見張った。子ども達の大好きなケーキを使ったWS、3個手にして大喜びの11名の児童と残り10個を残りみんなで分けなければならない立場の児童のがっかりした、つまらなさそうな、文句を言いたげな顔付きをカメラは正直に映し出していた。これが、そのまま世界の現実だと土井氏は子ども達に訴えた。世界の4分の1の人々が地球上の食料の4分の3を独占、残り4分の3の人々は残りの4分の1の食料で命をつないでいる。子ども達の大好きなケーキを目の前にして「どう思うか?」「どうしたら良いか」を直接子ども達に投げかけた。それから氏が直接目にしたアフガニスタンの現実のビデオを見ながら難民のこと、各国の難民受入についての状況を話した。昨年一年間のアメリカの難民受入は250人、ドイツは100人台、それでは日本は?14人。実際この数値は前年に比べると「大きく躍進」はしているのだが・・・。
子ども達は考えた。夏休みを返上して、土井氏が提案した「地球の憲法」作りに着手。東京青山の国連大学ワールド・ユース・ピース・スタディで子ども達自身が考えた「地球の憲法」を発表した。どの子の発表にも、戦争や武力のない平等な世界を目指す夢と希望が溢れていた。
ユース・ピース・スタディ参加者の一人が言った。「子どもの時は誰でも夢を描きます。でも、大人になると夢を持たなくなる。Keep your dream!夢を持ち続けて下さい!」
土井氏は小学生時代出会った一冊の本「人間の大地/犬養美智子著」に衝撃を受け、弁護士になって弱者のために働こうと思った、と言う。そして、今日氏の授業を受けた子ども達の中の一人でも、感じてくれることができたら、きっと世界は変わり得る!と確信する。私は、我が娘達年代の若い土井氏の発言と実践に勇気付られた。地球の未来も捨てたものではない!
私はインドに三方を囲まれたベンガル湾の小さな国に想いを馳せた。戦争状態ではないので、世界の関心度はなく忘れられたような国。毎年洪水に見舞われ貧困から抜け出せないでいる国。明日の夢を描くよりはその日の生を繋ぐために生きている人々の多い国。そのような状態でも笑顔で一生懸命生きている子ども達がいる。そしてこの国で、一握りにも満たない数ではあるけれども、日本の善意の人々によって小学校教育を受けることのできるようになった子ども達がいる。この中で一人でも明日のバングラデシュの「夢」を描き勇気を持って歩んでくれる若者が育ってくれたら・・と、私は彼らの可能性に夢を繋ぐ。
そして、愛するラボッ子達へ。
@毎週のパーティ活動、「お話・物語」を柱にみんなでつくる「テーマ活動」。自分の意見を言い合い、感性を互換させる。ぶつかり、泣き、思いやり、協力して一つの形が生まれる。そして達成した喜びをパーティの仲間と分かち合う。その気持、大事にして欲しい。そして、ケーキを3個食べてる国の子ども達として、1個を3~4人で分けなければならない子ども達のことも考えて欲しい。どうしたら、みんな平等に1個ずつ食べられるようになるのか・・。みんな「ひとつしかない地球」の仲間なのだから!
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無敗の柔道家として知られる山下泰弘氏、現世界柔道連盟理事。柔道の「心」を世界へ広めたい!と西に東に世界を翔けまわっている。アテネに於ける柔道界の活躍の陰に、彼の並々ならぬ努力の賜物があったと言う。NHKTV土曜インタビューを観て彼の偉大さと並々ならぬ努力の数々に感動した。
一度も負けることなく現役を引退した彼は、4年前(2000年)のシドニーオリンピックの監督としてオーストラリアの地を踏んだ。そこで審判の誤審により金メダルを逃がした苦い経験を持つ。すぐに審判に駆けより主張したのだが、言葉の壁に泣いた。審判は覆されなかった。
帰国して彼は決心した。本来の柔道、公正な判定を普及・定着させる為に国際柔道連盟の理事に立候補をしよう!帰国後すぐに英語の猛勉強を開始した。
仕事の合間のテープによる学習。そして2001年初ニュージーランドで、同じく2001年夏ニューヨークで、そして2002年夏英国エディンバラでの語学研修。2001年、世界連盟理事へ立候補し英語で立候補演説をした。
互いに思いやり尊敬する柔道、柔道を通して日本の文化・日本人の心を伝えたい!改造柔道着を排除してアテネの畳に不正柔道着を上げない!「一本」で決まる柔道の醍醐味を世界の人々に観てもらいたい!その熱い想いを原動力に日々の稽古と同じく英語の学習にもたゆまぬ努力の4年間の軌跡。
「夢への挑戦」と大きく色紙にしたため、「現在を、未来を、見据えていきたい!」と力強く語った。
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1994年夏、ユウキ国際交流参加(中1)、NJ州、バルニス家にスティ。ホストフレンドのブライアンは1才年下。翌1995年、ブライアン(12才)来日。もう9年前の事なのに昨日のことのように覚えている。かき氷が大好きで、氷かき機を抱えて帰って行った。2000年夏、ユウキと初めてバルニス家を訪ねた時、ブライアンは17才になっていた。背は高くなっていたが、笑顔は昔のままだった。9月から地元の短大に通うと言っていた。
それから4年の歳月が流れた。「Dominic Bryan Balnis 誕生!」の写真付メール。アメリカの息子がパパになった!突然のブライアン・ジュニア誕生の知らせにびっくりするやら嬉しいやら・・・不思議な気分(*_*)(^。^)/
ブライアンジュニア誕生!
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フェロウシップのSさん、今日は待ってました!とばかり話し始めた。
「先生!この前LAの娘から電話がかかってきて、夫のネルソンに替わって彼の話の内容が分かったんです。で"Of course!”と言ったらネルソンも喜んで娘に『お母さんスゴイ!』て言ってくれて、それも分かって嬉しかった!」
いつもネルソンが話した後、娘に替わってもらって「今、何て言った?」と聞かなければなかった。一言でも直接自分の口から伝えたかった。その一言が言えた!彼の言ってることが何となく分かった!Sさんは全身で喜びを表していた。
空港で清掃を担当しているSさん、毎日掃除しながら何となく耳に飛び込んでくる管制官とパイロットとの交信。「今まで気にしていなかったけど、お互い最後につける“Go ahead.”(どうぞ)が初めて良く聞こえた。」と声を弾ませる。
Gさんも負けてはいられない。毎日洗濯しながら“Somebody has to wash all these dirty ○○”と呟いているそうである。先日は食事の時、つい“Would you like some more?”と言ってしまって、家族がポカンとしてた!と笑いながら報告。
5月からスタートして丸5ヶ月。「すてきなワフ家」を1頁ずつのゆっくりしたテンポ。それでも確実に力をつけているフェロウシップのメンバー達。言語習得は子ども達だけの特権ではない!(*^▽^*)ノ"
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今度は日本には来ないと思っていたのに、くの字に曲がって進路変更し、まっしぐらに九州に向かって来た(;□;)。鹿児島に上陸し、宮崎を突っ切って日向灘へ抜けて行った。空も陸も交通は動かず、高速道路も閉鎖。またか・・。今年は多すぎ・・(×Δ×)。喜んでるのは学校が臨時休校になった子ども達だけ。
フェロウシップのSさんは空港勤務。前回の18号の時は、雨はあまり降らなかったけど、風が海水を吹き上げ、滑走路や機体に海水がかかり、塩の除去が大変だったと言っていた。前回、海水が川を遡り氾濫した地域もあった。
宮崎は何とかおさまったけど、21号はまだまだ北上中。縦断しながら大雨や土砂災害を振りまいて行く。進路に目が離せない。厳重警戒中!
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プレイルームの会場を取りに市民プラザへ。いつものように用紙に記入。事務の方もいつものようにPCに向かい入力。ここまでは、いつもの通り。
ところが、その後の様子がおかしい。何度もキィを叩いては首をかしげてる。一度奥に引っ込み上司(と思われる人)を連れてきて何か言っている。今度は二人でアチコチ触って首をかしげている。そこへ一人の男性職員登場。
「あ、そっちのコンピューター昨日から調子が悪いんだよね~、こっちを使って。」と、もう一つのPCを指差した。
「入力途中ですがいいんですか?」
「あ、途中か・・一度取り消しをしないと、ダメなんだよね~。」
「取り消しですか・・・。でも・・・、あ、ちょっと動いた・・。」
「しょうがないなぁ~・・、PCを待ってたらいつになるか分からないから、取り敢えず手書きで処理したら・・?」
「はい、『手書き』ですね・・・、えーと・・手書きの書き方は・・」
「すみません、コンピューターは時間がかかるので、手書きにします。」という訳で「手書きの許可証」を受け取りました(^^)。
イザという時に頼りになるのは、やはり「人力」ですか・・ね(笑)。
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今日からNHK朝ドラ「わかば」が始まった。阪神淡路大震災もドラマになる程「過去」の出来事になってしまったのか、歳月の早さを感じる。
田中裕子扮する村上詩子(母)が飫肥天を売ってる様子を見ても、主役の原田夏希が飫肥駅からバイクで走り出す姿を見ても、鯉放流水路脇を歩く姿を見ても、馴染みのある風景を舞台に物語が展開されていくので、背景ばかりが気になる。村上酒造に至っては「あれ?本物がこの間テレビに出てたよ・・ね。」「斉藤慶子は宮崎出身なので方言がスムーズだ。」「観光ボランティアガイドのHさんや、追手門近くに住むKさん夫妻がエキストラで出てるんじゃないか・・」とか、違う方にばかり気をとられてしまう(笑)。
「わかば」の舞台日南市にもパーティがあり、みんなと同じラボッ子がいるんですヨ!
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思い立って屋久島へ行ってきた。
雷に打たれ、積雪で折られた幹。それに負けじと縦横に延ばした枝。数十種の寄生植物を受けとめ、かの地に根を生やして三千年。幹に触れ、太古の息吹に明日への生命を頂く。<↓紀元杉の外肌>
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小1でラボに出会い、高3までテーマ活動を楽しんだ松崎ユウキは、留学の経験は全くない地場育ち。英語に関しては、純粋日本産ラボ・ライブラリー育ちである。
1988年、初めてラボテープを聴いた私は、当時正直言ってあまり魅力を感じなかった。英語は英語のみで理解するのがBEST!と信じて疑わなかったし、自分の耳にも英日がとても「騒く」感じた。だから折角ラボセンターが貸して下さったラボ機とラボテープは、そのままの形で送り返そう、と心に決めていた。ところが、ラボ機の珍しい形状(笑)に目をつけたユウキは親の目を盗んでラボテープを勝手に聴いてしまった。そのテープこそが「だるまちゃんとかみなりちゃん」である。果たして「だるまちゃん・・」は悪戯坊主の心を捉えてしまうのに十分であった。チャンネル切替の面白さも手伝って、ユウキは「だるまちゃん」に夢中になってしまった。英語のチャンネルに合わせて日本語を入れている。「しばらく様子を見てみよう・・」と私はテュ―ター・スクール受講を決めた。
ユウキは(私の)課題テープに興味を示し、連日借り物のラボ機とラボテープを手放さない。壊しはしないかと、気になって仕方がなかった。どうしてこんなに大好きなのか・・・?もう少しだけ状況を見てみよう・・、と開設に踏み切ったのだが、15年も経ってしまった・・・。「どうして?」「何故?」という疑問は、今では「確信」に変わっている。そして、今では子ども達と同じくラボ・ライブラリーの虜になってしまっている自分を発見し可笑しくなる(笑)。
子ども達は日本語の助けを借りながら、物語に心を傾け、物語の中に入っていく。テーマ活動の中で心を解きほぐし、心から楽しみ遊ぶ。その過程で「言葉」は喜び」や「悲しみ」や「怒り」と共に虫食いについてくる。目の前で繰り広げられる、母国語習得に近いそのプロセスを最初は驚嘆しながら、今では当り前の事として眺めている自分がここにいる。
ユウキ小2の時、近くの高校のALTのお姉さん(イギリス人)と親しくなった。お姉さんと一緒に口ずさんだ「A was an apple pie」が楽しかったのでお手紙を書きたくなった。ところが英語は全く書けない。ユウキは考えて、ライブラリーの中から言葉を拾って英文を写し始めた。つぎはぎだらけの初めての英文レターに、お姉さんは丁寧に返事を書いてくれた。それが嬉しくてまた書いた。直接話したくなって、ワフ家のセリフで話しかけたら「通じた!」
家から歩いて3分の所にある科学技術館へ年間パスポートを持って毎日のように通った。ギリシア神話にのめりこみ「ペルセウス」や「パエトン」を連日聴いていた。ユウキは科学が大好きになった。大きくなったら「博士」になりたい!と言っていたのだが・・・(笑)
偶然見た教育TVの能舞台と三本柱の表紙が「似ている」ことを発見!ジャックの建てた家のpristと、耳なし芳一のpristは同じなのか?違うのか?と毎日が小さな疑問と発見の連続だった。
ユウキ小5の時「なよたけのかぐや姫」発刊。夢中になり「翁」の役をとった。国語の時間「翁風」に読んだ教科書の「狂言」を誉められ帰宅して「三本柱」を聴いてみると、全く違う!(*_*)!!! 翌日、ラボ機と「三本柱」を学校へ持参して先生を困惑させた。
中1でニュージャージーへホームスティ。バルニス家へスティ。バルニス家は実子4人・養子5人の大家族。一ヶ月間動物の世話をしたりプールで遊んだりして、すっかり家族の一員となった。「一ヶ月間はピーターパンやトム・ソーヤと遊んだように、とっても楽しかった!」「来年ブライアンが来るように約束してきたからね!」そして約束通り、翌年1才年下のブライアンがやってきた。ユウキは兄貴顔でブライアンを連れまわした。一ヶ月はあっという間に過ぎた。
話は反れるが、2000年夏、私はユウキと一緒にバルニス家を訪ねた。http://www3.ocn.ne.jp/~m.labo/1.html ユウキにとっては6年目の「我家」。私の「息子」のブライアンは17才になっていた。「Mon」「Dad」と呼び自然に甘えるユウキ。弟たちとも全く6年の年月は感じさせず、6年前と同じように裏庭のプールに飛び込んだ。ユウキとブライアンは、その夜アルバムを見ながら夜中まで話し込んでいた。
中高生時代、部活とラボを完全両立。中高生活動の醍醐味も覚えた。高1時、アメリカからの留学生ジョンを一年間受入。身長185cm、体重80kg、体格がそっくりの男の子。パーティ仲間達とジョンを加えて「ドン・キホーテ」「耳なし芳一」「かにむかし」「かいじゅうたちのいるところ」を心底楽しんだ。シニアメイトは」3回経験。キャンプ参加歴は20回位だと思う。「テーマ活動」を柱に、日本中に友を得た。
NYで、そしてLAで、とオーディションを受けるに当って、英語台本を斜め読みする力、声の演技を聴いて声で演じる力(英語)はラボで培われたものだと言い切る。「何故なら僕はラボ以外は何もやっていないから。」塾も英会話教室も全く無縁。「ラストサムライ」では日本語による演技だったが、ト書きや、監督やトムさんとの打合せや会話は全て英語だったと言う。
昨年帰国時の講演会で彼はこう語った。
「最初は、その時、その時、いろいろなキャラクター(物語の登場人物)になって(ライブラリーからの)借り物の言葉で喋っていた。それが「自分の物」となる瞬間がある。」と。
現在、ハリウッドを拠点にミュージカル・舞台と表現活動ジャンルを広げているユウキは、ネイティブに負けない、ネィティブと論議できる語彙力の必要性を肌で感じている。現在、時間を見つけては「英英辞典」を読んでいるという。
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