幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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2011年夏 北米交流・サクラメント本部日記
2011年夏 北米交流・サクラメント本部日記 [全67件] 51件~60件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
2004/10/02の日記 10月02日 ()
 私の第一期中部時代(88-93)に、キャンプではなく個人的によく五箇山へ行きました。当時三四郎さんという先輩が中部にいて、独身で身寄りの無かった私は三四郎ファミリーの家族旅行に必ずと言っていいほど同行していました。ただ家族旅行といってもアウトドア、特にちょうちょと写真、しか三四郎さんは興味が無かったので、自然が豊かな五箇山にはよく一緒に行ったのでした。当時は東海北陸道は無く岐阜から国道を上がって行きましたので今の倍以上時間はかかりましたが、その道中が楽しく郡上、高山、白川と季節を感じながらのんびり車で行ったものです。途中清美村を通るせせらぎ街道が私は特に好きで、今年の春にもわざわざこの道を通って新穂高まで出かけました。
 因みに三四郎さんとはよく山にも出かけました。一番最初は西穂、そして弓折、樅沢、双六、北穂、槍・・・名古屋は北アルプスに近いからいいですね。西穂では小屋に先に来ていた新潟の人と意気投合し「越の呑み助」という日本酒をしこたま飲み、私は下戸なのに、ふらふらになり山頂へ登りました。独票から先はナイフリッジも続き危なかったのに・・・しかし槍は肩から山頂はホントに怖かった・・・
 話し戻って五箇山の冬はすごい雪ですが、それもまた風情があるのです。人が温かいせいか寒さもさほど感じません。合掌の家の窓と言えば冬でも障子一枚!でもなぜか暖かいのです。
 長い雪道をやっとの思いで民宿に着いたとき、当時は夏にラボっ子を受け入れてくれていた民宿のおじいさん、おばあさんが庭先で栃餅を搗きながら待っていてくれました。

 冬晴れに 栃の餅搗く 笑顔かな

もう10年以上も前のことですが、冷気の中に、温かい笑顔と、温かいお餅で迎えてくれた優しさは、今も忘れません。おじいさんは今はもういなくなりましたし、ラボっ子もお世話になっていませんが、私は今も昔もお世話になった方へは今年の夏もご挨拶に伺いました。
2004/09/29の日記 2 09月29日 (水)
五箇山山の学校本部前で描いた風景~やったあ!写真が取り込めたぞ!

ワークショップなどで使うサインペンを使い20分ぐらいで描きました。
わし、年に1回しか絵を描かんのよね・・・スケッチブックまだまだたくさん空いている・・・あと何年五箇山行ったら埋まるのやら・・・

2003夏 “かなかなと ひぐらしの声 夕霞”

2003五箇山

2004夏 “仰ぎ見て 山の端に映ゆる 有明の月”
2004五箇山

五箇山の冬を思い出して読める
“囲炉裏端 障子透かして 雪囲”
ごかやま山の学校~校長先生の話~8月8日の日記 1 09月09日 (木)
 山の学校のプログラムに「ラボっ子ばやし」があります。これは谷川雁という詩人がラボっ子のために書いたものです。はやしは囃子と書きますが、それは「生やす」からきていると言われます。歌と踊り、鉦や太鼓で賑やかに舞えば、生命の生まれる力を感じることができるでしょう。昔の人はこのある種の
祈りの儀式を転じさせ、地域、村の共同体の祭りとしました。日常のケ、に対し祭りはハレ、の世界。このハレを年中行事の中に持つことで、地域の結びつき、共同性、そして若いエネルギーのはけ口ともしたのです。今夜は筑子鑑賞。幽玄な雰囲気の中での舞は美しくも何か哀しみを秘めています。しかしこの歌にこそ、長い歴史を耐え忍んできた平氏末裔の力を感じることができます
ごかやま山の新聞~校長先生の話(8月7日) 09月07日 (火)
 山の学校が行われる相倉は平村にあります。平村の名は約800年前に源氏との戦に破れた平氏縁の人たちが移り住んだことに由来します。他には海の学校が行われる平郡島(瀬戸内海)、四国祖谷、九州五ケ荘、米良荘などがありいずれも山深かったり不便な土地です。それは源氏の追って避けて暮らさなければいけなかったからなのですね。しかし平氏は日本に諸氏あまたあれどども武士としてのはじめての氏族であり、また源氏とともに御所を守ることを許された名門中の名門です。その意味でも誇り高い氏族なのです。しかし壇ノ浦で滅びたことはラボCD『平知盛』(木下順二作)でもわかりますね。しかし私はこの中での知盛の「これからは首の取り合いよりは、互いに智恵のかけひきで事を進めるのだ。」という言葉に惹かれます。今特に日本に住む私たちが留めるべきことばだと思います。驕れる者は久しからずとならないためにも・・
ごかやま山の新聞校長先生の話~8月6日 09月06日 (月)
今日は合同会議でした。身の引き締まる思いでした。さて山の学校の日記・・
 今日は相倉から上梨へ下りて杉の峠のお地蔵さんを経て高坪山へ登ってきました。お地蔵さんは旧城端道の峠におり、昔は相倉から城端へ行き、また帰ってくる人を見守ってきました。今は通る人も無く地元の人も知らないくらいに荒れていますが、一緒に歩いた子どもたちとは、この道は登山道でなく生活道だったんだよということを話しました。山に囲まれた五箇山の人々はどこへ行くにも峠を越えなくてはいけませんでした。今は道路が整備されていて峠を歩いて越える必要はありませんが、五箇山へ来て山の学校に参加する以上、ここの先人たちの歴史や生活に思いを馳せることは一つの学びだと思います。
 追伸 今年山の学校開設15周年の記念の年です。
ごかやま山の新聞~校長先生の話(8月5日) 09月03日 (金)
この新聞は外部の方も意識して書いたので今日は英語について・・・

 みなさんが普段通っているラボ・パーティでは、世界の物語を英語と日本語で楽しみながら学んでいきますね。段落ごとに英語と日本語が交互になっていて、みなさんはまず日本語で物語を理解しますが、実は知らず知らずのうちに英語のリズムが自分の中に取り込まれ、そのうち意味もわかってくるようになります。勿論そのためには、聴き込みなどの努力が必要です。今回のテーマは『みにくいあひるのこ』ですが、みなさんが好きなセリフがありますか?聴こえた英語がありますか?言えるものは間違ってもいいから大きな声で言ってみよう!それが英語マスターの第一歩です。
                      校長兼長老 間島
ごかやま山の新聞~校長先生の話(8月4日) 09月02日 (木)
今日から数日、私が『ごかやま山の新聞』に書いたコラムを紹介します。これは大学生コーチが作成する新聞に毎日私が書いたものです。字数の制限、時間の制限(どれも5~10分で書いた)があり、推敲を重ねてないので脈絡が通っているか不安ですが、よかったらお読みください。

 みなさんが待ちに待ったラボ・サマーキャンプごかやま山の学校が始まりました。これから6泊7日楽しんで過ごしましょう。ラボ・サマーキャンプの中で学校と名の付くのは山の学校と海の学校だけです。どちらも平家縁の地ですね。さてラボの学校では何をするのでしょう?みなさんが通う学校では先生がいて教科書の内容を教えてくれますね。それは他の人が書いたものを習う学習です。それも大切なのですが、ラボ山の学校ではみなさん自身が発見したものをスケッチブックに書いていって自分で自分の教科書を作る、学問の場にして欲しいと思います。是非受身でなく、主体的な姿勢でこれからの7日間を過ごしてください。それがみなさんの人生の中でかけがえの無い思い出と学びの場になると思います。
再スタート 3 09月01日 (水)
ある日突然生理的にデジタルを受付けられなくなって・・・
You're horrible・・・そして一年・・・まだなんとなく抵抗感が有るのは何故だろう? でも新しい月の初めに、少し気を取り直してぼちぼち再スタートしようかな・・・最近の言葉から・・・「つまるところこの国を動かしているのは考え方や主張ではなく、人と人とのつながりなのだ・・・」
2003/08/20の久しぶりの日記 4 08月20日 (水)
 名古屋にもやっと夏らしい日差しが戻ってきました。残暑お見舞い申し上げます。
 久しぶりの日記です。この間何をやっていたかと言うと、7月28日から8月8日まで五箇山山の学校に大統領として参加してきました。五箇山は昔個人的に遊びに行った事はありましたが、スタッフとしては初めての参加でした。山の学校については別にホームページがあるので詳しくはそちらをご覧下さい。ここでは山の学校の感想を書いておきます。
 100名のラボっ子と6泊7日の期間、小3以上中3以下が参加年齢、ロッジマザー無し、アウトラインから言うとこの辺が特徴ですが、今回参加してその特徴は地元にとても密接したキャンプであるということを強く感じました。確かに湯坪や昔の高梁、道後山では郷土芸能を見たり、ラボランドでは地元の方の案内でフォトハイク、MTB,カヌーなどもありますが、五箇山はそこに暮らす人の生活に近づき、それを学ぶと言うコンセプトが強く、それが学校と言う呼び方に繋がっています。
 例えば五箇山は合掌集落として世界遺産に登録されていますが、その屋根に欠かせない萱についての話しを地元の方に話してもらったり、地元の人たちが山を越えていくための昔からの道と峠を歩き、五箇山で暮らす人たちの生活の大変さに思いをはせたり、地元に伝わる昔話や昔の暮らしについて話しを伺ったり、五箇山のある平村の名前の由来である平氏ゆかりの踊りを見せてもらったりします。このような点でラボのキャンプの中でも子ども達が学問的な“学ぶ”機会が多いのが五箇山山の学校だと言えるでしょう。
 100人で長期のキャンプとなると子どもたちとスタッフの距離も近くなり、名前と顔がかなり一致してきます。そこで誰がどうという話も本部に飛び交い、一つの家族的雰囲気がこのキャンプには生まれます。そのほかにもお伝えしたい事はたくさん在りますがそれはまたの機会に・・・
2003/07/17の日記~新人パーティのモデルパーティ 1 07月17日 (木)
 昨日今月から開設したパーティのはじめてのプレイルームのモデルパーティに行ってきました。親子一組の参加でしたが、最初おっかなびっくりの1歳の女の子も最後は打ち解けてグッバ~イ(^0^)/
  お母さんには子どものノート事例を見せてラボを説明しました。それはわが妻(さい)が福岡でテューターをしていたときのラボっ子のノートや作文。前の晩なんか無い?と聞いて出してもらいました。ノートを見ながら、いたくんは成長したかなあ?いたくんの感性はすごかったよ、とかじゅんは腕白やったけどいたくんが見とるよといったらなぜかおにいちゃんになっとったもんね、とかるーちゃんことしオレゴンキャンプよ、とかまーくんやえっちゃんときちゃん、たかちゃんも今年はシニアをするのかネエなどふたりで話に花が咲きました。
  もうあれから随分たっているのでみんな大きくなっているでしょう。それを思った時ににじみ出てくるえもいえない喜びがあるからテユーターって続けられるんだろうなあと思います。私はまじぱぱというあだなで年に数回発表会や合宿にお邪魔した程度ですが事務局スタッフとしてだけでなくパーティパパとして子ども達に関われたのは楽しくいい経験だったと思います。
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