幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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2011年夏 北米交流・サクラメント本部日記
2011年夏 北米交流・サクラメント本部日記 [全67件] 31件~40件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
第18期ラボカナダ留学生帰国プログラムin Vancouver 622 07月06日 (木)
 7月2日から5日まで、第18期ラボ・カナダ留学生帰国プログラムをバンクーバーにて対応してきました。
 今回は都合により通常より1日長い滞在でしたが、お陰で留学生とも、また留学生同士もゆっくり話す時間が取れました。それぞれの体験を聞いて、同じカナダでもそれぞれ学校の様子、生活、環境が違うこと、自分にとっては壁になったような環境も他から見ると経験領域を広げるチャンスだと感じられること、それでもここに集ったみんなで頑張ったという連帯感が生まれたこと、みんなそれぞれ大きな苦労もしたけど、それは自分だけではなかったこと知ったこと、様々な環境、様々な苦労はあったけど、つまりは自分次第で前向きに捉えることができることなど、自己の体験の再評価が出来たのではないでしょうか。
 今彼らは自分たちだけで日本へ向かう機上にいます。帰国後この体験が彼らの人生の糧となり、また自分自身で人生の歩みを決めていく大きな力になればと願っています。

*YWCAバンクーバーでのエバリュエイション①
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver1

*その②
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver2

*その③
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver3

*その④
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver4

*その⑤
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver5
 小柳君は、アイスホッケーとの出会いが留学生活を大きく変えた。

*その⑥
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver6

*その⑦
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver7

*その⑧
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver8
 バンクーバーの街に夕食に出る。左はカウンセラーの重信さん。み~んなお世話になった。重信さんはラボっ子の明るさ、優しさに感心していました。

*その⑨
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver9
 最後の晩餐

*その⑩
第18期カナダ留学生帰国プログラムin Vancouver10
空港に向かうバスの中で思いがけず、重信さんと私に留学生より寄せ書きをもらった。みんな頑張った。苦労させられた子もいた。最後の日に、仕事を作ってくれた子もいた。小さい頃から知っている子もいた。笑わせてくれた子、夢を語ってくれた子、初めて日本人を見た人ばかりの土地で頑張った子もいた、たくさんのカナダ以外の 外国の友人を作って、その言葉まで身につけた子、カナダに何をしにきたのかを考え、敢えて一緒にいたほかの日本人と交わらないと言う信念を貫いた子、楽しいことも辛かったことも、全てが成長の糧となるように自分を褒めて下さい。そしてそれを支えてくれ送り出してくれた親、テューターの方への感謝を忘れないで下さい。それから何よりも皆さんを長期間受入れて下さったホストファミリィへの感謝を忘れないようにしてください。1年と言う月日は皆さんにとっては勿論、ホストファミリィにとっても決して甘いことばかりではなく、大変なこともあったでしょう。逆のことを考えたら、皆さんのおうちに外国の留学生が1年いることを考えたらどうでしょう。その難しさ、大変さは想像に余りあるでしょうが、実際みなさんのホストファミリィはその困難さを覚悟しつつ、皆さんを受入れることにしたのです。皆さんは1年経てばどうしてもホームスティした街を離れなければいけません。もし仮に辛いことがあってもそこを離れることで自分の気持ちはリセットできるかも知れません。しかし皆さんが辛い時はホストファミリィも辛い。しかしホストファミリィはそこで生活を続けます。つまり酸いも甘いも、皆さんとの体験を同じ場所で持ち続けるのです。辛い体験がホストファミリィまでならまだしも、もし周りの人々の関心を誘っていたとしたらどうでしょう。こんな辛いことはないかも知れません。常々皆さんに、留学生の意思でホストファミリィを替えることはありません、と言ってきたのはまさにここにあるのです。留学制度はホストファミリィ在って成立するもの。ホストファミリィが納得しないところで留学は成り立ちません。留学を続けたいならば自分が変わるしかない、とアドバイスしてきたのもここに理由があります。そのお陰か、皆さんは留学生活を全うしました。それは自分に対する努力と、ホストファミリィの受入れに対する目的を皆さん自身がかなえたことに他ならないからだと思います。この体験は皆さん自身のものであり、また支えてくれたたくさんの人々の喜びでもあるのです。僕はそのほんの一端を手伝わせてもらったに過ぎません。でもみんなと会えて本当によかった。ありがとう、これからがまた大切だ。自分が納得いく歩みを進めてください。大いなる成長を楽しみにしています。

追伸 僕の名前の秘密は誰も知らないトップシークレットですから人には漏らさないように!
追伸その2 寄せ書きに、まぢさん、と書いていた人がいましたが、まじさんです。ぢ、ではないですよ。言う時も気をつけてね!?
シアトルから3ヶ月ぶりの帰国 5 05月06日 ()
 昨日シアトルから一時帰国し、現在代々木のオリンピックセンターで今年の留学生合宿に参加中です。ジェットラグ(時差ぼけ)にはまる間もなく無く?今日から突入です。
 カナダ会議のこと、ニューファンドランドのミッドタームギャザリングのこと、バンクーバーでのニコルさんの録音のこと、シアトル桜祭りで、かぐや姫や、鮫どんとキジムナーの絵を描いて下さった本多豊國さんにあったことなども後日加えたいと思います。
 昨日日本に着く時に飛行機から田植え間も無い田んぼが見えました。陽の光に照らされきらきらと輝く様が美しかったです。この季節この国は一斉に水に覆われるのだと感じました。それから飛行機から降りて暑かったこと!皆さん涼しい顔してるのに私だけ汗だくとはどういうことだ。それだけ体が変わったのかも知れません。暖かくなったとはいえ、まだシアトルは朝晩は10度をきります。まだ毛布に包まって寝ている状態です。それからNEX(成田エクスプレス)に乗って新宿へ。田んぼと共に千葉の里山を目にし、日本は緑が身近なんだと感じました。そして他の周りに集う人々の姿が目に入った時、何とも言えぬ穏やかな気持ちになりました。また駅名をみながら、昔千葉を担当する第2総局にいた時のことを思い出しました。あっ、個々のはこの人が居る、ここはあの人・・・とても懐かしい思いがしました。
 さて新宿は相変わらずの人ごみでしたが、皆同じ顔ばかり、つまり多様な人種が混在していないということを感じました。日ごろから多様な価値観を包含していないことはややもすると知らない間にそれを排斥したり、また全体である方向に向かってしまうのかなと少し思いました。実は今シアトルのコミュニティカレッジでESL(英語を母語としない人のための英語講座)を取っているのですが、その教材に、アメリカ社会の人種の多様性のことや、アメリカ人が外国の養子を取ることを好むことなどが載っています。シアトル事務所のスタッフのクレアともこのことを話したことがあります。何故日本は養子を、それも外国から取らないのかと尋ねられ、地理的なこと、それに起因するであろう社会、文化的なことなどが絡み合っているのだろうと、日本人同士の中でも好んで養子縁組があるとはいえない、従ってたくさんの日本の子を1ヶ月でも1年でも受入れてくれるホストファミリィにはとても感謝をする、と答えました。でもこういうことは比較対照する機会があってこそ考えるもので、このことが経験できるラボっ子は多様な価値観を持てる機会に恵まれるわけで、そのことだけでも国際交流の意味はあるのだなあと感じました。
 昨日は新宿のホテルに泊まり今はオリンピックセンターです。今日は北は北海道から、南は九州まで40名ほどの高校生が集まりました。昨年に続き2回目ですが1年とは早いものだと感じました。
 今日の私は、参加同意書について話をしました。署名をすることの意味、つまりはそれは日本でのハンコに当たること、また項目一つ一つのこと、今の自分が習慣にしていること、日本で社会的に認められていても、同意書に違反していれば、それは無条件に留学の資格を失うことを強調しました。例えば門限を守らないとか、日本ではお正月などにお神酒を飲む習慣があるがお酒は絶対許されないことなどです。それは自費で帰国を余儀なくされることをしっかりと認識して欲しい、要は何をしに来ているのか、また自己の責任の重さが格段に大きいことなどを強調しました。残念ながら日本では高校生はどこか子ども扱いされていて、署名はしたけど高校生じゃないか、という大人がいること、でもそれは通用しないこと、異なる文化、価値観を体験しにいき、それは時として自己に軋轢をもたらすがまさにそのことを体験しに行くのだし、みんなはそれを克服できると認められたのだから頑張って欲しいと伝えました。そのほか自己紹介アルバムのシェアや昔カリフォルニアで4Hの仕事に携わっていた東京の加藤テューターのお話がありました。これらについてもまたご紹介したいと思います。合宿は日曜日まで、月、火とラボセンターへ出て、少し休みを取り金曜にシアトルに戻るという強行軍です。しかし日本を完全に引き払いかえる家が無いのは何だか寂しいものです・・・
 それにしてもNEXの車窓から見えた、生そば、の幟が何とも食欲と感動を誘いました。
カナダ会議と素語り 6 03月08日 (水)
 シアトルに赴任して落ち着く間もなくカナダ会議に行ってきました。日にちは2月8日から12日まで、場所はなんとフロリダ州オーランドです。なぜフロリダでやるのかと言うと、カナダ中からコーディネーターの皆さんが集まるのに一部の大都市を除いて、カナダ国内でやると不便でコストが高くつくのです。オーランドはディズニーワールドの街、ディズニーランドが5つぐらいあります。だからアメリカ、カナダのみならずいろんなところから人が集まるので、飛行機の便も多いし金額も安い、ホテルもたくさんあるし、何と言っても気候が温暖、玉にきずは遠いことぐらいでしょう。
 何はともあれ、7つのプロビンスから15名のコーディネーターのみなさん、ラボからは7名が参加しました。私たちは8日に入りましたが、皆さんとは9日の夜の懇親会からご一緒です。でも9日の朝にホテルのレストランへ行くとたくさんのコーディネーター方と会いました。みなさん早めに入ってディズニーワールドを堪能していたようです。9日の夜はフランクな感じでの軽食、コーディネーターの皆さん同士も久しぶりのようです。僕は勿論初めてですので精力的に名刺を配って自己紹介をして回りました。
 会議は10日の朝から議長のオンタリオ州コーディネーターのLarry Duke氏の司会で始まりました。私は秋の会議の時同様、ラボの紹介をかねてソングバードやナーサリーライムの早口言葉を披露しました。これはさすがに皆さんに受けます!素語りとしてトムソーヤの最初のナレーションやロミオとジュリエットのバルコニーのシーンを紹介しました。カナダにやってくるラボっ子がどのようにして英語に触れているか、僕は、not study but enjoy English in Labo activity と紹介します。そしてlike this と言って素語りなどをするのです。
 ところでこの素語り、今では国際交流に参加する事前活動の一環として準備しますが、僕は国際交流に参加しようというラボっ子の多くが、何故事前活動までに素語りの一つもできていないのだろうと思ってしまいます。言葉はその人間の獲得過程を見ても、まず周りに音声としてある言葉を聞くところから始まります。ラボもそのことを大切にして活動している筈です。僕は小学校3年生の時にラボを始めましたが、初めの頃に覚えた『Stop!Taro』や『ぐるんぱのようちえん』などは今でもかなりの部分を語れます。その後にもぐるんぱほど語れるわけではありませんが素語りのレパートリーを増やしていきました。この経験は今更ながら英語を聞き取り、語る力の根っこになっていると思います。
 そしてこの聞き取り語ることの大切さと楽しさは、やはりパーティと言う言葉に代表される仲間とテューターから教えられました。特にテューターは凄かった。パーティで取り組むテーマ活動は全て素語りできるのではないかと思っていたほどです。聞きなさい、ということを言われたこともあったかも知れませんが、それよりも半端な聞き込みしかできていなくてパーティに来ると、何ねそれは、テープはそんなに言っとるね?そうじゃないでしょう、こんなんでしょうが、と言って全身で力のこもった語りをラボっ子の前で表現してくれました。聞きなさい、覚えなさいと口で言うのでなく、背中で言葉の大切さをラボっ子に伝えていたのです。それはラボで言葉を習得するとはまずこういうことなのだということを、率先垂範してパーティにおいて示していたのだと思います。テューターの、こと言葉に関する佇まいとはかくあるべきとは今でも疑いません。テューターはとにかくパーティで一番聞いている、その態度を見てラボっ子も憧れたり、日本人でも出来るんだと目標にしたり、そしていつしか越えていく、そういう姿勢がラボっ子の言葉を育てていく大きな力になるのでしょう。テューターの言葉と表現、テーマ活動に対する姿勢は厳しく、時に恐かったこともありましたが、そのことが逆に言葉のイメージを大切にしそこに深さを与えたのだと思います。
 こういう活動を国際交流に参加するまでに体験として持っていれば、慌てて素語りに取り組むこともないし、ラボパーティ教育における言語の習得過程を歩んでいくことになると思います。テューターもその経験を持っていれば、系統立てて説明したいと言う内的な衝動も生まれるでしょうし、そのことがあらためて自己やパーティの子どもたちの活動にバックボーンを与え、ひいてはテーマ活動を豊かにし子どもの言葉の力も育っていくことに繋がると思います。
 子どもも忙しくて時間が無くてと理由はいくらでもあるでしょうが、理由はどうであれ結果は正直です。ラボっ子は折角ラボに出会ったのですから、国際交流における英語と言う言葉の世界に入る前に大切な時間の過ごし方をして欲しいと思っています。
 さて素語りと共に、僕が1976年にラボの国際交流でオレゴン州にホームスティした時の写真も、カラーコピーで大きくして皆さんに紹介しました。地区担当者をしている時によく父母会などに持って言ったものです。コーディネーターの皆さんには、僕は今でもこのときの印象を鮮明に覚えている。言葉も生活も文化も違ったけど、楽しく安心して一ヶ月を過ごすことができた。この時に、将来外国のことを学び外国とお付き合いできる仕事が出来たらいいなあと思った、それが今僕がここにいる理由です、と紹介しました。そして今も、今こそ30年前に僕を送り出すことに尽力してくれた時のコーディネーターのみなさんを始め、親、テューターなどに感謝をしている、とことあるごとに語っています。それは今のコーディネーターへの私なりの感謝の表現でもあります。また皆さんの仕事は直近の小さな成果というより、人間の成長の大きな糧になっているのだと言うことを、僭越ながら励ましを込めて伝えたいと言う思いも込めています。このことはコーディネーターのみなさんへのみならず、今もラボっ子を送り出してくれるその親御さんやテューターの皆さんにも感じていることです。
 さて会議のことはどこへ・・・またこの次・・・・

1976 7月 たった今スティ先に着いたところ(日本のフィルム、品質が保たれている)
76 OR1

1976年 8月 帰国直前に14歳の誕生会(アメリカのフィルム、ある意味劣化してセピア色に、しかし趣がある)
76 OR2
再びシアトルへ 03月07日 (火)
 前回の日記が11月の末で、今回が3月初め。3ヶ月空きました。僕の性格なのでしょうが時折、メールもインターネットも、見るのも嫌だわ!、状態になるのです。ただ今回はそれだけでなくこの間本当に慌しかったのです。
 まず昨年12月21日に一時帰国しました。アメリカで長期にわたって就労するビザを取得するために、1月には日本にいなければいけないという事情があったからです。今回取得したのはL1Aと言うカテゴリーのビザで、専門的知識や技術をアメリカのスタッフに伝え教える、という条件で発給されるものです。そのためにはその部門に最低1年は所属しておく必要がありました。ただし私は昨年の1月に17年いた組織から財団へ来たので、秋にシアトル事務所に配属の辞令が出たもののその時点ではアメリカに長期滞在できる資格ありませんでした。ですから昨秋は長期出張でシアトルに滞在し、今回初めて正式なビザが出てあらためてシアトル赴任となったのです。
 それでそのビザですが、取得のためにはまずアメリカの法律事務所に依頼して申請書並びに付属資料を用意してもらいます。その分厚いpetition(ビザ申請書と付帯資料)ができたら今度はそれをネブラスカ州にある移民局へ送り証明を出してもらいます。(approved notice(申請受理報告書)そして今度はその証明を日本のアメリカ大使館に提出し面接を受けます。それで初めてビザが発給されます。私の場合もここまで大変な時間と手間と費用がかかり、やっとビザの発給を受けることが出来ました。でもビザ自体はパスポ-トの1ページにぺたんと張った紙です。そして恐ろしいことはビザが発給されてもアメリカ入国が保障される言うのではなく、それは到着時の入国管理官によって決定されるという最後のハードルがあることです。まあ私の場合、そんな高い塀も志の翼でひとっとび、シアトルへは赤々と燃える志の松明をかざしてやってきましたけどね!?しかし私の場合、ビザ発給のスケジュールと日本の家を引き払う作業が同時並行だったのは大変でした。ビザ発給に向けてのスケジュールはいつネブラスカで申請が受理されるか、それがいつ届くか、日本に送っていつ面接になるか、果たして面接で落ちないか!またいつビザが出るか、など確定しないスケジュールを予測しながら準備を進めていかなくてはいけませんでした。またラボとしても家族が、と言ってもかみさんだけですが、日本の家を引き払ってシアトルに赴任する始めてのケースですのでこちらも手探りでした。結局予想でシアトル行きの飛行機の予約をしていた前日に3年間有効のビザを受け取り出発と言う、まさに八艘跳びのようにシアトルにやってきたのが2月3日のことです。

 分厚い、L1A Petition と Approved Notice
L1A Petition

 アメリカ大使館の面接の確認書、L1ビザ、面接後にもらったビザ発給認定書!?(あなたのビザ申請は面接が終了し許可されました、と書いてある)面接は、まず大使館に入るまでに30分ぐらい寒風の中並んでX線検査を受けます。そして建物の中に入ります。窓口は駅の精算所の様な感じでいくつかあり、しばらく待つと名前が呼ばれて名前の確認と指紋を撮られます。そしてしばらく待ち再度名前が呼ばれます。立ったままプラスチックのボード越しに若いアメリカ人の女性に、いつから会社に勤めていますか、と尋ねられたので、昨年の1月からと答えました。そしてもらった紙が下の許可証?です。面接と言うので部屋に呼ばれてあれこれ聞かれるのかとおもっていましたから、思わず、終わり?たったこれだけ?とつぶやいたら、ハイこれで終わりです、と日本語で明るく返されました。実にあっけない・・・これまでの苦労は?というよりさんざん準備したからこれで済んだのだと思うようにしました。でもビザはいつ出るか教えてもらえず、毎朝大使館へ行って確認しなくてはいけません。私の場合はJTBさんに代行を頼んだのでその必要はありませんでしたが、アメリカで働くビザを取るのは実に大変なことです。

L1A ビザ
カンザス州 留学生 ミッドタームギャザリング 1 11月29日 (火)
 日米合同会議から帰ってきて数日後カンザスへ飛び、留学生のミッドタームギャザリングに参加してきました。カンザス州には2名のラボっ子が留学してます。中国支部と四国支部からそれぞれ一人ずつです。今年はこれで最後だけど、結局会ったのは3州行って全部中国支部と四国支部のラボっ子でした(^-^)
 カンザスのギャザリングは、<Kansas Youth Leadership Forum=KYLF>というカンザス州の高校生の集いの中で行われます。このKYLFは(神奈川にはKGCMというのがあったなあ)カンザス中からリーダーを志す300名もの高校生が集まります。基本的な運営は全て高校生が行います。ただ各カウンティからシャペロン(4Hの各州の大人のリーダー)が参加しますし、シャペロンも高校生と一緒に宿舎に泊まります。何だかラボのシニアメイト合宿のようでしたが、300名の高校生が集まるフォーラムは圧巻でした。

 KYLFのパンフレット
KS YL MTG1

 KYLFは2泊3日のプログラムで大きくはワークショップ、講演、グループ活動、交流会、最後に年間実行委員会の選挙で構成されている。
 2日目の最初のワークショップ、偶然にも2人の留学生と一緒になった。これはワークショップの前に四国のリカさんがホームスティ中の様子をアルバムにして持ってきたのを見せているところ。

KS10

 お母さんと作ったアルバム。誕生会にともだちを呼んだ。留学は1ヶ月と違ってホストがいるとは限らない。ホストファミリィはお父さん、お母さんの二人、息子は大きくて今フロリダにいるらしい。初めての娘とお母さんは大の仲良し。お父さんからも可愛がってもらっています。

KS13

 最初のワークショップの解説。参加者は30くらいあるワークショップの中から3つを選んで参加する。ファシリテーターは大学の先生、OB,OG、4Hの大人のリーダー、高校生もいる。この最初のワークショップは僕を空港まで迎えに来てくれたGaryさんがファシリテーターだった。

KS YL MTG2

 これは面白かったアイテム。全体を数人づつのグループに分け、それぞれに、国の条件を書いた紙を渡す。資源とか、国土とか、安全とか。紙の大きさがその大きさを表す。まずはそれを見て自分の国がどんな国か発表。次にそれを他と交渉して交換しよりいい国を目指す。これがなかなかうまくいかないから面白い。世界規模の交易などを考えるゲームとして面白かった。

KS8

ラボっ子留学生も外国と英語で交渉中!トレーナーを着ているのが、国際交流担当コーディネーターのMary Keyさん。KYLFの会場に来る前に、お宅へお邪魔して夕食をご馳走になった。丘の真ん中の一軒家。今年も昨年も中部の事務局スタッフがお世話になった。今年の1月まで中部にいたので話が弾みました。

KS9

二つ目のワークショップ。これは留学生のケイコさんと一緒でした。ほんとは僕は別のを申し込んでいたのだが・・・

KS3
 
 自己紹介の後、『Time』を切ってコラージュを作った。テーマは"conflict"~自分がこの言葉から感じたものを切って張り合わせた。
 そのあと平和の木を作りながら、幹と枝葉に何が大切かを話し合った。ファシリテーターはOBで今は小学校の先生。右の青いシャツの方。

KS11

 カンザスの二人にインタビュー。二人とも久しぶりの、つまりホームスティに入ってからは初めての日本語での会話でした。学校のこと、勿論成績も、二人とも優秀です!?授業は謙遜してか4割ぐらいしか?理解できないとか。友達とも仲良くしているがもっとたくさん友人を作りたいとのこと。家族ともそれぞれ仲良くしています。家庭の生活も楽しそうで何より!家族や学校からの評価も上々!合計2時間を越えるインタビューでした。

KS12

 僕が出た最後のワークショップ。世代間ギャップを考えた。ファシリテーターは高校生の女の子だったが、感心するくらいスマートだった・・・ってスタイルじゃないよ、頭のことです、誤解の無いよう!

  KS4

KS14

 最後の晩に留学生みんなが集まってMary keyとのミーティング。学校のこと、生活のことなどを話し合った。

KS16

 留学生みんなで記念撮影。LEXで来ている男の子、スウェーデンや中央アジア・アゼルバイジャンから来ている子も。みんな将来どう成長するか楽しみです。

KS15

 カンザス4Hの合宿施設、Rock Spring は広大な敷地に様々な施設が豊かな自然に囲まれて点在する。ラボランドを思い出したよ。冷たい空気がウインターキャンプを思い起こさせた。夏にはカンザスを訪れたラボっ子はここでオリエンテイションの合宿をする。全米1の施設だとか。

KS5

 これがスプリング。

KS6

それにしても4HのYouth Developing Programの多彩なことにはあらためて感心した。特にカンザスはアメリカの中でもよく組織されているようだ。国際交流活動は多彩な4Hの中のプログラムの中の一つだが、もっともっと広まって欲しいと願った。

 *番外・・・カンザスシティの空港で見つけた。頑張れ日本企業!それにしてもこんなところまで来てるんだ・・・

KS17
日米合同会議の様子 2 11月23日 (水)
 ニューイングランドホームスクールとの合同会議の後、ウィスコンシン州マディソンに移動して、ラボ(with Lex,Utrec)と4H(IPC=International Program Comittee)との合同会議に初めて参加しました。会議は上記のほかに、WW(World Wise=アメリカ側の国際交流取りまとめ組織)も参加して行われました。内容は大きく分けて、
○2005年の夏の交流を振り返って
○2006年に向けての課題と確認事項
 を北米訪問、日本での受入れ、留学プログラム、日本語プログラムなどを中心に話し合われました。様々な議題に、それぞれの団体が関わって話すわけですから、会議はいろいろな様相を持ちましたが、根底には、この国際交流の子どもたちの成長に与える意義を共有しながら、継続し発展させていくという流れがありました。特に4H側のその思いや情熱に触れられたことは貴重な体験となりました。
 この会議に続いて、全米コーディネーター会議と言うのが行われました。ここでは各州からステイトリーダー、コーディネーターの皆さんがワークショップなどの研修を行いました。プログラムの一端を紹介すると、
○All the information you need to become a full-fledged   
  Cordinator!~Teach you the A-Z's of running the 4H   
                 International Exchange Program.
○Keynote Lecture" Broadning our Horizons: Looking with a Global Perspective"
○WorkshopA:The"Unsaid of Japanese communication" by Shanti(Labo Staff)
○WorkshopB:A Cross-cultual Simuration Game for Children:Rafa Rafa
○WorkshopC:Developing a Volunteer Management System for Summer
Inbound
○WorkshopD:Bring Home the World-Getting Engaged in World
Citizenship
○Culture Fair~日本側団体による日本文化体験コーナーなど
○All cordinator Training:A review of current program
○Afternoon Adventure~コース別野外研修!?
 *High school Cordinator Training: A comprehensive training for those specializing in the High School Program~ラボ高校留学カウンセラーの遠藤さんが参加

 都合、8日の到着から13日の出発まで充実したプログラムでした。ここでもやはり各州からのコーディネーターのみなさんに会って、顔見知りになり、その情熱に触れたことが私にとっても大きな収穫となりました。
 そして組織はまさに人で成る、システムで動くと言うより、一人ひとりの情熱がこの国際交流を継続させてきたのだと言うことをあらためて認識しました。それは自分たちのことだけを考えるのでなく、相手の立場に立って考え、相手に何ができるか、その事を実践できるか、が交流継続の大きな力となるということです。
 「ひとり立ちへの旅」は、この国際交流に参加することでひとり立ちする(させてもらう)というより、ひとり立ちした、もしくはしようとしている子どもたちの旅なのです。
 もしラボっ子の家庭に、自分の身の回りのことができない、家族と話そうとしない、日本のことに興味を持たない、挑戦しようとしない子がホームスティに来たら、家族は困惑するでしょう。その事を相互に考え、可能な限り、異文化に溶け込み、家族の一員として考え、振る舞い、そして自己を変革させ、違う価値観を自分の中に取り入れようとするか、ひとりの国際交流体験の成否が次世代の国際交流の方向性に大きな影響を持つのです。
 そう考えると自ずから、この国際交流に参加するには何を準備したらいいのか、またどんな子が歓迎されるのか、つまり参加できるのか、が分かって来ると思います。
 しかしこの事を認識した大人が双方にいることは、この国際交流に参加するチャンスに恵まれた子どもたちにとっては大いなる幸運であり、財産だと思います。そのチャンスを子どもたちが生かせるべく、今回のConferenceも用意され、熱意を持った大人が参加したのだと思います。
 後は会議の様子を写真でご紹介・・・

 合同会議の様子①~中央右の女性が、IPC議長、Kay Hoblerさん、夏には日本にご夫婦でいらっしゃった。
FCC1

 合同会議の様子②~当然ですが、ぜ~んぶ英語・・・私の英語体験は13年のラボっ子経験と1ヶ月のホームスティが3回、3回目は12年前!あとは中学、高校と大学の教養の2年、第一外国語は中国語なのだ・・留学経験も無いのに自分なりに頑張った!?そう、ラボをやってた経験は大きいのだ!
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 ラボ紹介コーナー~今回テューター代表で参加した関西・直川パーティのラボっ子の体験紹介や、ラボの写真、資料を展示。1973年から始まる直川パーティの国際交流の歴史にはみなさん感動していました。
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 関西支部・直川テューターの話、国際交流参加をしたラボっ子の日記を英文に訳し、シャンティが読み、それに直川テューターがコメントを加えた。子どもの成長の様子に一同が聞き入った。
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 直川テューターのお話の時に見せた子どもの事例
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 日本文化紹介~生まれ年を聞いて干支によるパーソナリティを解説。僕の寅年は余りいいことが書いていなかった・・・うちの家族は寅が三人もいるのに・・・とほほ・・・因みに絵は直川パーティの大学生ラボっ子作。全米に絵が配られた!
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 定番!折り紙コーナー
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 直川テューターが持参した、紀州徳川家縁の神社のおみくじを解説する、平野シアトル事務所長。お話を聞いているのは先日ミシガンでお世話になった、Reneeさん。確か大吉だった!ちなみに私は末吉・・・とほほ2・・・


 会食も大切な交流の場・・・左がこれまたお世話になったミズーリのJoyce Taylor さん、右はオハイオのMary Lynn さん。
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 財団スタッフ、シャンティのワークショップ~日本人の本音と建て前、を興味深く考えた。
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 コース別野外活動!?Culture Adventure~マディソンは建築家、フランクロイド・ライトの出身地。彼のデザインした、旧帝国ホテルは、愛知県の明治村で見ることができる。昔中部にいた時に来日者のデイツアーでよく行った。これは彼が住んだ家、デザインと自然が融合している。内装は日本趣味に溢れていた。彼が影響を受けた、日本家屋の紹介で、以前泊まったことのある京都の料亭旅館、金又が紹介されていた。将来は縁側や欄間、床の間に違い棚、庭にはつくばいなどがある日本家屋に住みたいなあ・・・と思っているが・・・
FCC11

 このほか夜には余興もあって親交を深めた。次の日は早朝7時の飛行機でシアトルへ・・・10泊11日の旅が終わった。それにしても経費節減のためとはいえ、平野事務所長との10泊のツインルームの日々は思い出深い・・・・おわり
シアトル夕景~シアトル事務所から・・・ 1 11月17日 (木)
今日のシアトルは夕焼けが綺麗だった・・・寒くなって空気が澄んでいる・・・

シアトル夕景1

シアトル夕景2

 

 今日の新聞に、イチローのインタビューが載っていた。ホークスの城島もシアトルに寄ったみたいだ。その土地を家族が気に入ることが大きな条件だとか・・・山と海に囲まれた景色は故郷博多に似ている・・・城島来たらホークスのユニホームで応援行くぞ!?
ボストン探訪 11月16日 (水)
ニューイングランド・ボストン~新旧が織り交ざり溶け合う街

boston1

アメリカで初めての公園・・・大濠公園みたい・・・

bostn2公園

木の下に落ち葉がたくさん・・・僕らも拾って空に投げた!

bostn3紅葉

『かもさんおとおり』~昔から大好きなお話。母鴨に付いて回る姿に安心感がある・・・

bostn4かもさんおとおり

ボストン市がマクロスキーに敬意を表した

bostn5かもさんおとおり

この年に公園ができた。この頃の日本は・・・天保の大飢饉、大塩平八郎の乱・・・食うや食わずの民衆がいた

bostn6表示

7-11さへ街に溶け込む・・・日本の都市政策の無策さを嘆く

bostn7 7-11

美の殿堂、Boston Museum of Fine Art~アメリカズカップのヨットとネイティブアメリカンの像が迎えてくれる・・・ほんとはネイティブアメリカンっていう呼び方は好きじゃないんだけど・・・

bostn8美術館

メソポタミアの円筒印章・・・ギルガメシュの世界

bostn9円筒印章

フンババ?

bostn10フンババ?

ギルガメシュ?王様のレリーフ・・・ここで見られるのはいいんだけど、本来あるべき場所から剥ぎ取ってきたことは忘れてはいけない。

bostn11ギルガメシュ?

モネの「ラ ジャポネーズ」を目的に印象派の部屋へ向かった。すると思いがけずレイトン卿が描いた「画家の新婚旅行」という大好きな絵に出会った。この絵を見たのはいつか・・大学の頃だったかも・・・今から150年も前に描かれたのだけど、絵の中の二人はいつまでも若く手を握り合って夫の描く絵を見ている。どんな絵なのかは永遠に二人しか分からない・・・妻の表情は穏やかに夫の顔に寄り添う・・・絵を見つけた時は涙が出てきた・・・画学生の女の子が模写していた・・・

bostn12画家の新婚旅行

昔、渋谷の文化村で見た『ボストン美術館展』で一番印象に残った絵。『ラ ジャポネーズ』は期待以上の再会でした。また会えたと思うとまた涙ぐんでしまった・・・モネの妻、カミーユがモデル、でもモネを残して亡くなってしまうけど、モネはその愛情の深さから亡骸も絵に残してしまう、そんなことを思うとまた笑うカミーユが哀れに思えてきて涙が出ました。でもここで印象派の画家たちに与えた日本文化、特に浮世絵の影響を考えた。アメリカで、フランス人の描いた、日本をモチーフにした絵を見ることで世界に共通する価値観の存在を感じた。ここにはモネの「睡蓮」や「積みわら」「ジベルニーの朝」、ルノワールの「ヴァージバルの踊り」「ルーアン大聖堂」、僕の一押しの画家ターナーの絵やその他の印象派の絵などがあった。やはり再会ができた作品が多く心から満足した時間。美術館には英語のパンフのほか日本語のパンフもあった。確かに午後は旅行社のバッチをつけたおじさんおばさんが闊歩してました・・・それにしてもフラッシュなしとはいえ写真が撮れるのは嬉しい・・・

bostn13ラ ジャポネーズ

地下鉄に乗って世界史で習った「ボストン茶会事件」の場所に行ったけど、資料の展示館などがリニューアル中で少しがっかり。でもここでアメリカ史に残る事件があったと思うと感慨はひとしおでした。

bostn14Boston Tea Party

名付けて、BUSHTACHE・・・歩道の消火栓に貼ってあった。ボストニアンはブッシュが嫌い!?

bostn15 BUSHTACHE
ボストンに来ています~ニューイングランドホームスクール・コーディネーター会議 11月06日 ()
 一昨日からマサチューセッツ州ボストンに来ています。北米交流の有力な受入れ団体のニューイングランドホームスクールのコーディネーター会議に参加するためです。代表のジーナさんを中心に、ニューイングランド各州よりコーディネーターの方が集まって今年の夏の反省と2006年の交流に向けてのスタートの会議です。今日の8:30から夕方5:30まで、当たり前ですが全て英語の会議です。内容は、
*Team Approach: your job as cordinator,Gina as program Manager,Labo office, Deadlines,communication, expectations.
*Recruiting and successful orientations
*In Japan program
*New England Program 2005(ラボっ子の訪問)
*New England Inbound Program 2006
*Workshop{Japanese Communication-What is really being said?}by Shsnti
*Organizing yourself to be successful and meet expectaions
*Question&Comments
と言ったところ。
ラボからは夏の訪問の報告とそれに対するニューイングランドのコメント。総じて好評でした。ラボっ子は言葉もさることながら、溶け込もう、表現しよう、コミュニケイションしよう、相手の立場にたって考えよう、と言うような姿勢を持つ子は受入れ家庭にとっても満足のいくホームスティとなるようです。では言葉はなおざりにしておいていいかというとやはりできたほうがいいので、努めて英語を使う姿勢は大切です。それから受入れでは概ねよかったという前提で、こちらからはキャンプの装備のことや、受入れ家庭とコミュニケイションを図ろうとする姿勢(インターネットばかりにはまらない、アニメなどに興味を持つのはいいがそればかりを目的にして欲しくないことなど)を伝えました。しかしこれは裏返せばまったくラボっ子にも通じることだと思い、あらためて相互交流の要点を知った思いでした。そのほかコーディネーターとしての心構え、日程確認、各州の担当人数とそのホストファミリィリクルートに向かうにあたって、などが話し合われました。全体を通して感じたのは、国際交流は組織同士の固まったプログラムというより、担当者の熱意と手によって支えられている人の交流と言うことです。相互がこの交流に求めるものを持ちながらも、相手にとって何ができるかを一所懸命考え実行することが、交流を持続させる大きな力になると共に一人ひとりの成長に繋がると思います。それにしても今回出会った方々は何にも増して交流を強い情熱で支えてくれています。そのことを知り、本当に感謝しなければいけないと思いました。
 さてボストンはその昔ピリグリムファーザーズがたどり着いたプリマスにも近く、町並みも歴史を感じさせる綺麗で落ち着いた佇まいです。小澤征爾が指揮を取ったボストンシンフォニーは投宿した宿の目の前、MIT、ラボもお世話になった鶴見俊輔先生が通ったハーバードも近くにあります。このハーバードの日本人の最初の卒業生は我が同郷の福岡・黒田藩から派遣された人です。縁を感じる??それから印象派で有名なボストン美術館も近くです!!昔から印象派好きの私は随分前ですが渋谷の文化村にボストン美術館店を見に行ったことがあります。その時見たモネの「睡蓮」や特に「ラ ジャポネーズ」は強烈な印象で残っています。その絵がすぐそこにあるんだ!!背景には浮世絵をモチーフにした扇子が描かれていましたが、印象派の画家は当時ヨーロッパに輸出されていた浮世絵を参考にし、中でも北斎はこのモネやゴッホなど印象派の画家たちに大きな影響を与えたと言われています。そういった意味で私は日本人の中で国際人を考えた時のひとりに北斎を上げます。昔アメリカの「タイム」が選んだ紀元後の歴史に名を刻んだ世界の1000人に日本人で唯一選ばれたのが北斎で、その時、然り、と思ったものです。しかし北斎の目は鋭い。彼の浮世絵のモチーフやまたその卓越した観察眼と描写力には本当に感動します。
*ボストンシンフォニーホール~こどもがたくさん見学に来ていた。 BSO

NEHコーディネーター会議の様子1~だれだあ、約1名はしゃいでいるのは!!

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ワークショップの途中~右端がジーナさん
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ボストン ニューベリーストリート~雰囲気がすごく素敵な通り・・・また来たい!!
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“セントルイスの裁判所はなあ・・・こんなになってるんだ!” 11月01日 (火)
“Oh,Mississippi,from Minnesota all the way to the Gulf of Mexico you tickle the American spine"
Oh!Missipi!

“セントルイスの裁判所はなあ、屋根がトタン?で全部葺いてあるんだぞ!”
セントルイスの裁判所1

“この間、僕が行って写真に撮ってきたんだ!”~これで文句のつけようが無いでしょう(^-^)
セントルイスの裁判所②

Gateway Arch~とにかくでかい、そして美しい・・・
big arch1

青空に映えるコントラスト
Gateway Arch
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