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パーティ運営や研修に会議、もちろん家事育児もある身でありながら、
あいまにこんな大きなイベントを仕切るということの大変さを
なにものに代えようというのだろうか…と
自分にあきれながら、何度も自問自答を繰り返してきた。
舞台から反射するライトに照らされてキラキラと輝く瞳 とか
俳優の動きに合わせて、いちいち「うわっ!」とか「きゃっ」とか「あはは」って
やるであろう、ちびたちの反応 とか
そんな子どもたちをみて「子どもってなかなかやるもんだな。負けてられないな」って
大人たちにも感じてもらえるはず、という確信。
そういうものを信じてここまできたのかな。
「日本は不況でね…。」とホワイトホースの主宰者のピーターさんにこぼしたら、
「ヨーロッパの人たちはそんなふうには言わないよ。教育に不況は関係ないんだよ。」と。
そのひと言は、この長期戦を乗り切るモチベーションとなった。
それ以上に、お母さんたちの支えも大きかった。
チラシをポスティングしてくださったママ。
ブログで紹介してくださったママ。
幼稚園や育児支援センターにポスターを貼っていただくこともできた。
熱い指示があるということを民間・公的機関にアピールできたと思う。
受付を快く引き受けてくださったママ。
ご家族総出でチケットを買って下さったママ。
万障繰り合わせて子どもだけでも送り出してくださるママ。
週末だというのに、母子をワークショップに送り出してくださったパパさんたちも。
学校の先生にお誘いの声をかけてくださったママも、それなりに勇気がいったに違いない。
そして、
なにかとウチの子のことを考えて下さったママたち。
看板書き、助けて~と無理を引き受けて下さったママも、
本当に本当にありがとうございました。
発信に応えて下さったみなさまに感謝しています。
明日。
ホワイトホースの千秋楽を引き受けます、羽村公演。
あけてみてのお楽しみ。
俳優さんたちにとっても、これまでの公演の集約となる日。
ラボ・パーティとのコラボ、3パーティ合同の、
テーマ活動『さんびきのやぎのがらがらどん』発表もある。
しっかりとやりぬこう。
楽しい一日となりますように。
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たがみパーティの一大行事、キャラバン隊&パーティ内個人発表の会を終えた。
入会まもない小さいラボっこも、全員、立派にソングバーズやナーサリーライムを発表。
キャラバン隊の方も期待を裏切らない、見事な発表を見せてくれた。
「質問に対する返答が明快で、的確で、す早いのがすごい。」とお母さんたち。
「とにかく、圧倒されました。」とお父さんたち。
ひと夏のキャラバン隊体験で、英語力も表現力も対応能力もこんなにも伸びるものかと驚いたのは、KパーティのKくん。
たくましくなったなーーー。
りっぱに、輝いて見える。
うちのナギに、こんな日を望むことはできるだろうか。
なったらいいな。
でも、どうなんだろう、こればっかりは。
そんなことを思いながら。
発表後、在籍表彰に入る直前。
外で、高学年男子たちがストライキを起こすハプニングが起きた。
たがみパーティ、史上初の彼らの反抗的な行動に、しばし動揺する。。。
キャラバン隊に時間をつないでもらって、10分の遅れ。
本来はしんみりと、3年なり5年なりを振り返る、感動感動の在籍表彰なのだけれど。
それが叶わなかった、9名のみなさんには申し訳ない思い。
残念だけど、いま、感慨にひたることができない。
外で起きたハプニングへの対処方法を頭で考えながら、
徹夜で仕上げた表彰状を読む。
2度の徹夜で仕上げた一人一人へのメッセージは、
断腸の思いで読み上げをすべてカットした。
時間が足りない。
おうちの方からのひとことと同時に、急遽、本人から話してもらうことにした。
(思いつきのわりに、これはなかなかいいアイデアだった。)
最後に我が子の番。
表彰状を読み上げ、7年バッジのメダルを渡す。
パーティで最長。
ここまでの道のりを思い起こすと、私もこみ上げるものを抑えることができない。
楽しい日もつらい日も
毎日毎日
いっしょに過ごしてきた「同志」だ。
しかし、そういう感情はいまは押し殺し、冷静さを維持することに集中。
さっきまでろうかででギャング化していたナギ。
ナギの首にメダルをかける。
私「ひとことどうぞ。」
ナギ「えっとお。ぼくはあ、別にい、ラボがそんなに好きじゃないです。」
これには、笑った。
ナギらしい。
知ってるけど、ここで言う?!
ナギ「でも、小6まではがんばります。」
え~~~~~~~っ→→→と会場からお母さんたちの声。
ふうーん。そうなんだあ。
「あ、じゃあ、中1。」
え~~~~~~~っ↓↓↓と再度。「もう一声!」の声も。
「んじゃあ…中3。」
わはは~~~と歓声が上がる。
まったく、ウケねらいなやつだ。
中3までやってくれるなら、ありがたいよ、と思いつつ。
そこまでがんばってくれれば、そこから先はなんとかなるでしょう、と。
ね。
特製☆コインチョコ型7年バッジ付きメダルを
ナギはその場でチョコの部分だけを食べてしまい、
残骸を私の首にかけて返した。
なんて失礼な…と思ったが、よく見たら、7年バッジはしっかり外してあった。
ちゃっかり、自分の胸につけていた。
ふふふ。
それは、大事なんだ、ナギにとっても。
次の日。
7年の在籍表彰状は、思いっきり画びょうでど真ん中にささっていた。
(3、5年の時はほったらかしだったから、私が回収したんだけどね。)
それも、ナギの部屋のドアの真ん真ん中に。
出入りのたびに頭に当たって邪魔なんですけども。
7年バッジは?と聞くと、
「もうキャンプのラボハットにつけた。」
むふふ~。
9歳、ギャングエイジまっさかり。
徒党をくんで、あらん限りに悪態をつく年代。
しかし一人でいると、まだまだこんなにもけなげ。
我が子、そして同年代の、大切な大切な第一世代のラボっこたち。
この先、どこまであなたたちといっしょに歩いて行けるだろう。
つぎの表彰は、3年先。
長いなーー。
また、ひたすら、一歩一歩進んでいくだけだよね。
ずっとずっと、いっしょに歩いて行きたいよ。
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ラボっことガチンコ勝負してきた。
お風呂上がりの彼を訪ねた。
先週のラボ以来、1週間、ずっとずっと考え続けてきて。
あのとき、
斜め下から見上げ、
体を震わせながら
精一杯 私をにらみつけて、なにかを訴えようとした君の、
君の言いたいことはなんだったのか。
そして私が応えるべきことはなんなのか。
果たしてそれは相通ずるのかどうか。
ずっとずっと考え続けてきて、やっぱり伝えようと決心した。
君はいま、階段をひとつ上がろうとしている。
それは、私が思ったより早くに。
でも、それでいいんだと。
せめてそれだけ伝えたかった。
よけいなことだけど聞いてくれるなら、
「あなたの心の奥のやわらかいところ、
やさしさと正しさを持ち続けるであろう君の良心を、
信じ続ける自信が、私にはある。」ということ。
君は自分で気づいていないかもしれないけれど、
君はまちがいなく、
たがみパーティのキーパーソンなのだよ。
ムードメーカーなのだよ。
大切な4本の柱なのだよ。
そこまで言うと、彼はようやく笑った。
そして、
「4本の柱の1本になれるように、がんばるよ。」とだけ言った。
私はあなたたちに育てられている。
そう、心の中でつぶやいた。
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★ホワイトホースシアター@羽村「ゆとろぎ」公演 特別企画★
<子どもたちのための楽しい英語あそび劇発表>に向けての連続4回ワークショップ
第1回:8/26(水)
ホワイトホースシアター主宰 ピーター・グリフィスさんによる
『さんびきのやぎのがらがらどん』ワークショップ
☆まず、なんといっても、ピーターさんの発声に驚いた!
「マ、マイク、もってないよね?!?!」
声が通る!声が太い!プロだ~
☆では、それぞれのやぎのイメージを考えよう
◎一番小さいやぎのがらがらどんは…
・こわくて、目がきょろきょろしている
・首をちぢめて、姿勢を低くしている
・体が震えている
◎中くらいは…
・賢い、知恵が働く
・ポケット?に手をつっこんで「へへ~ん、こわくないよ~」
・らく~に橋を通ります
◎大きいやぎは…
・堂々としている
・目を見開いて、背筋をのばし
・思いっきり声を出す
・トロルなんかこわくない
「ぐわお~!!!」
~ここで、なんと!ピーターさんの即興??
大きいやぎのがらがらどんのテーマソング(チャント)が飛び出しました。
なんだか大ウケ!!
照れくさくて、端っこにいた高学年も
これで一気にエンジンがかかりました。
☆トロルはどうする?
4人1組で4つの頭、8本の手足、そんな魔物をつくろう、とピーターさん。
おー、こわ!
・I'm coming to gobble you up! セリフはもう覚えちゃったよ
3歳になったばかりのSくん、ピーターさんの息子シルヴァンとともに迫真の演技
☆橋はどんな橋?
・腕を組んでつながろう
・歩くのに真ん中をあければいいんじゃない?
・がらがらどんが通ったところは、大きさに合わせてゆれようよ
・これ、新しい橋のイメージだね!
お母さんからもアイデアが…
・つぎのやぎの役の人が一番手前に来ていればいいんじゃない?
ピーターさんのアドバイスを元に、みんなからもいろいろとアイデアが出ました。
「渡るよ~」
がたんごとん がたんごとん 橋がなりました。
「あ~、楽しかった!!!」
第2回以降の予定は…
9/5、19、26 いずれも土曜日
15~17時 河辺市民センターです。
講師:加藤倫子&田上 郁(ラボ・テューター)
まだまだ、お申し込み受付中です。
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映画「ブタがいた教室」をDVDで観た。
子どもたちに観せたかった。
ある小学校で6年生がブタを飼育し、最後にはそれを食べるというのだ。
いのちを考える授業の一環として。
その実践記録の映画化。
高校のとき、クラスメイトのお母さんが日本でこの実践の第一人者の先生だった。
それ以来、自分の中にもずっと残っていたテーマだ。
その実践を直に聞いて心を揺さぶられていた私は、
大学時代に活動していたキャンプで「ニワトリをさばいて食べる」企画を出したものの、
幻に終わったことがある。
府立の野外活動施設で行われる小中学生を対象とした5泊6日の公的な教育キャンプ。
私としてはかなり本気で、
ニワトリのさばき方を習いに、当時の電話帳で鶏肉屋さんすべてに電話した。
たった1軒受け入れてくださって練習したのだけれど。
(でも正確には息の根は止められ、毛もむしりとられたあとのトリさんだった。)
キャンプディレクターはうなっていた。
時間をくれと言った。
そして、
「やっぱり無理だ。衝撃が強すぎる、と許可が下りなかった。」と言った。
世の中、そんなもんか…と若気の至りで感じたものだが、
今考えると。。。
本当にやれたのか、最後まで責任がもてたのか、
…ていうか、無理だったよ、やっぱり。
私自身、生きること自体の経験値が低すぎて。
その後、大阪の小学校でこれに取り組んだ若い先生がいると知った時、
心から尊敬したけれど、
当時、テレビ放映され話題になったりしてしまったので、
なんだか距離をおいたまま時が経っていた。
そして、ストーリーの結末を知らないまま、DVDを観た。
子どもたちのやりとりの一言一句がすごい。
本質に迫る議論を真剣にしている。
「あんなにみんなでかわいがっていたPちゃんを食べるなんて信じられない。
かわいそうだと思わないんですか。」
「Pちゃんを食べることが、最後まで責任をもつということだと思う。」
「飼育を申し出てくれている3年生に、このまま飼い続けてもらえれば、
自分たちも交代で手伝いにこられる。」
「3年生に任せて、ときどきくるだけじゃ、無責任。自分たちの卒業と同じで、
Pちゃん食べることでPちゃんも卒業させてあげなければいけない。」
「Pちゃんを食べるということは、殺すということ。殺すのは平気なの?!」
「殺すのではない、いのちをいただくんだ。」
「Pちゃんは愛情をもって育ててきたのだから、他の豚肉とは違う。」
「牧場の人だっていっしょうけんめい育てているのだから、
スーパーに並んでいる肉と違わない。」
どこまでもどこまでも平行線をたどり、同じ議論をぐるぐると繰り返す。
「Pちゃんを食べれば、Pちゃんのいのちが自分の体の一部になってくれるような気がする。」
これが一番衝撃だった。
ラコタインディアン、ミタクエオヤシンだ。
インディアンの人たちは、バッファローや野うさぎをとって
その肉も皮も爪も、余すところなく使い、
最大限に命への敬意を払うことは知られている。
それよりももっと前
森へ入る何ヶ月も前から
太陽へ祈り、身を清めるのだそうだ。
いのちをいただくということは、それだけ、<覚悟>を迫られることなのだ、な。
その映画で、最後に子どもたちはそういう<覚悟>をしたと思う。
ほかの生きものの命をいただくことはたやすいことではない。
身を切り刻まれるように痛みを伴うことなのだと、
命を想い、学んだことだろう。
そういう話し合いをした仲間全員が、ものすごく強い連帯感でつながっているのを感じた。
さて。
「ニワトリのいのちをいただくキャンプ」を実現できなかった私は。
気持ちを新たに企画を出した。
その名も「インディアンキャンプ」!
もう20年も前のことですよ。
うーん。つながっているね。
あのときの私と今の私。
こうなるとわかっていたような気もするのだ。
生きていると、いろんなことがつながっていく。
不思議だな。
「しっかりと自分のスタイルがあれば、ものごとはつながっていくんだよ。」と
母が言った。
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タイトルにつられてきてくださった方、ごめんなさい。
そんなふうに、こどもたちと約束したものの、実はまだやってみていないのです。
5月に訪ねたニューメキシコのナバホインディアンのお店で買ったブルーコーン。
ドライにしてずっと記念にとっておけるかと思ったのだが、
この長雨にはかなわず、ほわほわと白いものが…。
このままではカビにやられてしまうので、いっそのこと早いうちに試してみたい、ポップコーン。
でも爆裂種じゃないとはじけないとか??ブルーコーンって爆裂種なのかな?
8月号の「ことばの宇宙」に掲載されたものの、モノクロで残念。
せっかくなのでここで、カラーで大公開しようっと。
インディアンの人たちにしている4色のコーン(黄色、白、赤、青)のひとつ、ブルーコーンをどうぞ。
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髪結いが得意な私としては、
黒姫サマーキャンプ3日目プログラムで
「インディアンのヘアスタイル」体験コーナーを
やってもよかったなーと、今頃になって思ったりしている。
髪の長い女の子には三つ編みはもちろん、
難しいけれど、「太陽へとぶ矢」のお母さん(たぶんホピ族)の髪型や
後ろで一つにして白い糸を巻くナハボ族の髪型もできそう。
男の子は…やっぱりモヒカンか!?
悔やみながらも、いまさら、いろんな部族のヘアスタイルを調べていて見つけたサイト。
これだけの資料が集まっているサイトも珍しいのではないかしら。
http://www.old-picture.com/native-americans-index-001.htm
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今回、キャンプ本部は、3日目プログラムのコーナーめぐりで、
体験型(今回のテーマでいくと試練と挑戦の空間=kivaとして)のアイデアをテューターに募っている。
当日ぎりぎりまでめまぐるしい日々を過ごしている身としては、
そこまで手がまわらないよ~と小さくぼやきつつ、
子どもたちの喜ぶ顔を想像すると、何もしない…ではいられない。
おせっかい心をおさえてもおさえても、ふつふつとわき上がってくる。
とはいえ、
何人分用意したらいいの?
ほかと重なるのでは?
材料費は期待せず自腹覚悟でもやるとして、はさみなどの道具は?
他のkivaとの関連やイメージは??
細切れのスキマ時間を使って、知恵をしぼるが、
実施形態に関してイメージするに足る事前のインフォメーションが充分とは思えず、
自問自答を繰り返す。
やる側として知りたいことは山ほどある。
(そのうち、インフォメーションが最小なのは意図しての事だとわかる。)
まあ…やってもいいし、利用されなくても文句言わない、
そんな悟りの境地で準備していった。
アルミホイルで作るシルバージュエリーを50人分ほど用意できた。
いざふたを開いてみれば、
支部ぐるみで取り組んでくださっていた(頭が下がる…)エネルギッシュなテューター集団もあれば、
個人で用意したものの、数が足りそうにないのであきらめたテューターもいた。
2班の3日目は雨。
集雲堂にて行われた。
ドリームキャッチャー、太陽を的にした手作り弓矢あて、
毛糸で作るインディアンのお守りgods eye、絵本の読み聞かせ、
そしてシルバージュエリー。
場所的に数はそれで限界だったように思う。
なんでもやってみよう精神いっぱいのラボっこのことだから、
当然コーナーは大盛況、並んだところで入れ替え制のため時間が足りない子が多くて気の毒だったし、材料は50人分では足りなかった。
「本来、野外でやるなら、他にもコーナーはあるので
ここまで一度に集中してしまうこともなく、
材料も多くは必要ないのだ。」…と村長は言ったけど。
ここで一句。
大好きなラボのキャンプだからこそ。
<ラボキャンプ、雨プロにもっと、強くなろう!>
晴れプロと同じだけ、雨プロを用意するのがキャンプのお約束。
3班はもう間に合わないかもしれないので
4班、5班のテューターのみなさん。
子どもたちを楽しませるため、テューター自身が楽しむために、
思いっきり、インディアンになる準備をして行ってください。
(ただし、晴雨で使われ方は変わる旨、承知の上で。)
コーナーに限らず、衣装や髪型やフェイスペイントなどのアイデアを持ち寄って、
みんながハロウィンみたいに楽しめばいいのではないかしら?!
想像のインディアンの世界を楽しむのもいいけれど、
ラボなのだからもっともっとインディアンの文化や思想に迫ってほしい。
画像や資料をシェアし、どんどん盛り上げていっていいのではないかと。
1、2班は低学年が多くて生活面で手一杯だが、後半は大きい子が増えるのだから。
ブレーンストーミングやマインドマップなど、
「太陽にとぶ矢」に関するグループ学習のあとにやったテーマ活動には大きな変化があった。
投げかけに向き合い、話し合いを通じて本質を見いだす。ラボっこのすごさだ。
今回のキャンプはそういう意味で(自問自答の末、前向きにとらえて)、
参加者の関わり方や投げかけの内容次第で
自由に変幻するおもしろいキャンプだと、思えるようになった。
同じロッジのロッジマザー、オードリー提供の羽飾りは、見事!!!
すごい存在感がある。
現地のおみやげやさんであれを見た時、
ラボっこが喜ぶだろうなと思い、欲しかったけど高くて買えなかった。
オードリーがこの夢を叶えてくれて、とてもうれしい。
遠隔地からの準備はどれだけ大変だったでしょう。
感謝です。ありがとうございます。
黒姫で、大人たちの想いと愛情に包まれたキャンプが展開されることを願って。
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バッファローのほか、プエブロポタリー(壷)、ティピーなど
たくさんのクリップアートや背景画像 アメリカのサイトです。
http://www.firstpeople.us/FP-Html-Pictures/buffalo_pg1.html
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ナバホの保留地は広い。
キャニオン・デ・シェイの名カメラマン&ガイドさん、キャロル。
彼女のお母さんの大切な場所、聖なる場所、「ホーガン」に泊めていただいた。
ホーガンのそばに立ち、周囲を見回す。
何百マイル先まで先が見通せる大地が、
360°ぐるっと 広がっている。
空は青く、高く。
どっちが上でどっちが下なのかわからなくなるくらいに。
自分はあまりに小さい。
ただの点にすぎない。
遠くに見えていた羊のような雲が、
しだいに下へ下へ、たれ落ちるように下がり、黒い筋になっている。
雨が降っているのだ。
そこだけ、雨が降っている。
数時間後には、ここにも雨がくることが「見える」状況で
自分がしなければならないことはなにかを
私でさえ、考える。
ここに住む人たちは、
感覚を研ぎすまし、
常に自然に学びながら、
自然と対話しながら生活を営んできたのだろう。
日本人にもあったはずの感覚。
鈍くなってしまった感覚。
なぜ、
人は、(西洋の人は、と言っていいのだろうか?)
この自然を制服しようとしたのか。
大地を所有しようとしたのか。
自分の知っている知識を総動員しても足りない。
課題=「もっともっと考えなければならないこと」ばかりが残る。
異文化にふれながら、いつも自国の文化に戻る。
自分たちはどうなのか、
自分はどうなのか。
歴史をふりかえれば痛みも伴い、
生活をふりかえれば矛盾も見える。
これに似た風景は、
20代にブラジルでも見たはずのに、
このできごとのとらえかたが、違っている自分に気づく。
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