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「保護者の方が付き添わない場合は、所定の問診表の提出が必要です」 その問診表は、わざわざ保健センターまで取りに行かねばならない。 よって、私は都合をつけて息子に付き添うことにした。はしかの予防接種のことだ。 こういうとき、母子手帳が必要になる。
あまり出番がないのに、これは重要かつ思い出が詰まった一冊だ。
たんすの引き出しから探してもって行く。 高3になった息子と、近所の医院まで歩いた。ひさしぶりだ。 目の前の公園では、小学生が歓声をあげて元気に遊び、帰宅途中の中学生らは道の真ん中でたむろっている。 その中を堂々と抜けてゆく。 今となっては、近所でラボっ子仲間に声をかけられて愛想を言ったりするが、 以前は、母親と並んで歩くことすら絶対に考えられなかった。 家族で出かけるとき、目的の駅まで自分だけ別の車両にのって行くほど。 それほど「家族」と一緒にいるところをたとえば友人ら見られることを拒んだ。 それもある意味成長過程のひとつと、昔の自分を思い起こしてやり過ごした。 そんな時期をすぎて、今はしこりが取れたようにフツウな彼だ。
医院に着いてほどなくして、看護士さんがやってきた。 お母さんコレ、違うみたいです。 なんと娘のと間違えて持ってきてしまった。 ごめん、ここでまってて。 あほだ、ぼけだ、と言われるかもと思ったら、ただうなずいている息子。 全速力で取りに戻る途中、おっちょこちょいにもほどがある自分に笑いがこみあげる。 「これっていつまで使うの?」息子が聞く。 思えばこれが受けなさいといわれて受ける最後の予防接種? ずうっと母子手帳にはさんだままになっている「生命誕生」直後のエコー写真。 生後50日で全身麻酔で手術を受けた子が元気に育った。 「おかあさんも入ってください」と促され診察室へ。 大きくなった背中を眺めながら、親としての役目を、こうしてひとつひとつ終えていくのだな、とつくづく思った。
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2ヶ月ちょっとの間で一生懸命覚えた台詞、ナレーション。
まだまだしっかり頭にのこっているうちに、やっておきたいこと。
それは英語だけのテーマ活動。
不死身の九人きょうだいは、英語のみでやってみたら、 さながらジェットコースターにのっているようなスピード感。
それもそのはず、日本語も含めた話の展開にあわせた表現だから。
音楽や覚えた台詞が助けとなって、英語を耳でとらえ、お話の流れについていけるという新鮮な感覚。 それは、この日にしか味わえない楽しさだ。 ワイワイとにぎやかに、あっちでもこっちで笑い転げる。 宿題は、自分の特にすきな台詞、すきなナレーションをノートに書いてこよう。 あとは不死九かるたを作って実践したら、発表会後の活動も完成だ。
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昨年2010年の発表会は、地区再編のあととはいえ、ほとんど旧地区同士のあつまりのような発表会でした。 というわけで、今回が本当の意味での京王多摩地区の春の発表会開催。 しかしながら、3月11日の大震災以降、諸事情から二転三転する方向性に、ダイジョウブかな、 ほんとに開催できるのだろうか、と今日まで半信半疑でした。 それでも子ども達に向かうときの姿勢としては、 あくまでも発表会に向けてまっすぐに進むことで、私の中でバランスを保っていました。
緊張するのは子ども達だけではありません。
昨晩は食事もそこそこにいろいろと今日に備え、毎回の事ながら睡眠時間を削るしかない有様。 こどもたちが心配なのではなく、実はじぶんがイチバンミスをするのでは?と不安なのです。
朝8時半に大学生実行委員とともに集合し、会場時間まで粛々と準備を進めます。 今回はやむを得ず大学生のみの実行委員。さすがにしごとにぬかりがありません。
担当のお仕事をしながら、なじみのなかった大学生たちの顔と名前が一致するようになるのも、こうした地区行事の良いところです。
今回から、安全面にさらに配慮することが求められ、出演P関係者以外へ記名式の整理券なども用いました。 会場内の避難経路等の説明も各回ごとにきちんとなされました。 ステージの裏方のほうも、会場の方と連絡を取りながら都度調整して行いました。 毎回同じ会場ではないラボの発表会。施設ごとに設備内容や手順も異なるため、経験値がモノを言うところが大きいのです。 その点、大学生ラボっ子はとてもありがたい存在です。 今日は発表の前後にエピソードなどを言う少々の時間も削って、どんどんと発表を行いました。 やはり、少しは各パーティの素性がわかったほうが、見る方には親切だろうと思いました。 その一方で、発表会がこうして開催できたことを、なにより喜ぶべきだろう、と思いました。 これまではあちこちに走り回って、子ども達と他のPの発表をじっくり見たくても見られないことがあたりまえだったのですが、 今日はそれが叶いました。はじめてこのように発表会をすごしました。 発表の前後に子ども達や保護者の方々と直にコミュニケーションをとること、 じつはこれが大事なことだと改めて感じました。 どのパーティも、さまざまな事情がありながらも、皆よくここまで頑張ったと思います。 いつも思うのは、一年という時間が育てるこどもたちの心身の成長はめざましく、 それを毎年定点観測している私たちにとって、何より大きな喜びです。 発表会を最後まで観てくださった方々に感謝します。
発表会の会場に沸きあがる、ほんわかとしたあったかい空気が、私は今も昔も変わらず大好きです。 子どものころにもどって、ラボっ子のわくわくを味わえる幸せな時間、それこそがラボの発表会です。
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電話は突然だ。国際電話かどうか、出てみるまでわからない。 私が話し出すと、これは韓国からだ!と察した娘は自室に逃げ込もうと? だめだめ、話さなくちゃ。 英語、韓国語、日本語、ぜんぶ総動員で、相手は見えてないのに身振り手振り。 3分かかってやっと「手紙送ったけど、とどいてる?」「ううん、まだ」 そんなやりとりができた娘とスジ。 私だって、全身を耳にしないと聞き取れない。 あ~~電話は難しいよ~。娘が歯がゆさをかみしめている。 そうだね、でもこうして度々かけてくれる相手がいますでにいるってことがすごいことだね。
ひと月近く前、そのときの様子をメールに書いた。
オモニがそれを読んだりニュースを見て、色々と考えてくださったようだ。 このところ、首都圏での物不足はだいぶ落ち着いてきた。
毎週の生協の配達も、かなり配達可能な品数が増えてきた。 なので、とりあえずダイジョウブですよ。 とは言ったものの、やはり心配して何か送って差し上げたいのですが、 と気遣ってくださっているのだから、ここはなにか「これ」と言うべきだったのでは?? 電話が切れてからいろいろと考えてしまった。 私たちが受けたご厚意を、またカタチを変えて被災地の方に届けよう。 日本に向けて、本当にあちこちから熱いエールが送られている。 がんばろう。
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ナレーションを入れてひとり3役、がキホン。
ラボはじめて数ヶ月のメンバーも同じように役を担い、
どこまで登っていけるかキツイ上り坂マラソン並みのレースを
ヒトマタギのようにひょ~いっとね。
・・とはいかないのが現実だ。
でも、第一世代ラボっ子をみて、やはり鍛えられたと思う。
そうするしかない環境であったおかげか、ここ半年ぐらいで
言葉の面ではぐんと成長してきた。
そんなみんなが、発表を目前にしてもめている。 なだれの起こるシーンをどうにかしたいと。 今回はスタートダッシュが悪かったため、いつもに増して押せ押せ状態なのだ。 この物語は場面の入れ替わりが激しいということもあり、 放っておくとただただ、物語が流れていってしまう。 そこは表現の工夫しだいなのだが、自分のことに精一杯! から抜け出した子から、ようやく「??」のメッセージ。 それまでやっていた表現に疑問が沸いたようなのだ。
もうあと発表までに一回しかパーティがない。
音楽だけ目を閉じて聞いてみたり、いろいろ試みながら話し合った。 こどもたちは「今までどおりに」と結論を出したが、 うまくこれだ、という答えは見出せなかったようだ。
こうして意見が出てもめるのは、いいことだ。
もっともっと疑問が出ていい。
次回に期待。
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こんな大災害が来るとは、夢にも思っていなかった2月。
--絶望から希望へと変わるこの村にくらすひとびとの心を表現したい、 このお話を選んだあと、そんなふうにみんなの意見がまとまっていた。 大涼山のふもとの村、といってもみんなの頭に浮かんでくるのは、いかにも大陸的な切り立つ岩山。 そして、その山肌にへばりつくように散らばる民家の粗末な屋根。 寒暖の差が大きい気候の中で、わずかな平地を耕しては農作物をつくり、 その大半をお偉方のために納めなくてはならないような大変な暮らし。 せめてこどもがいたらなあ、とため息をもらすおじいさんとおばあさんの気持ちは? この人たちにとって、こどもってどんな存在なんだろう。 と、難しい想像をめぐらせてみたりした。 こどもは元気をくれる、こどもはいるだけで気持ちがなごむ、 こどもはお手伝いしてくれる、こどもが大きくなって稼いでくれる。
九人きょうだいが被災地の村にも現れて、痛快!にさまざまな困難から救い出してくれたらいい。
うちのラボっ子も、この物語から元気をたくさんもらっている。
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日曜日、朝の9時からパーティだ。
ふだんより広い会場で、立ち位置や細かなところを気にかけながら発表テーマに取り組む。
まだ、会館が当日使用できるかどうかもわからない春の発表会。
いくつもの会場に分かれての開催すら危ぶまれている。
「できるかどうかわからない」からなのか、何とかして舞台に立たせたいと願う。 元気な発表をして、自らも元気になり、離れた被災地の仲間たちへメッセージを送りたい。
さて、ようやくエンジンがかかったみんな。
めちゃくちゃは覚悟の上で、音楽だけでとにかく一回とおす。
まだまだ、表現も練れてないのだが、おろおろするのも経験のうち。 自分でじぶんに頭を抱える、ボー立ち、茫然、あっあれ、なんだっけ。 ボロボロは承知の上。反省はいいから、前向きな意見を出そう。 こうするうちに、まったりしてたムードがちょっとずつ変わる。 本当は人のこと言える自分じゃないけど、今は棚に上げとこう。 こうすればもっと良くなる、もっと伝わる。思ったことは言って良し。 テーマ活動にちゃんと関わることで、自分の役目が見えてくる。 なにが足りないか、仲間が気づかせてくれる。
どんよりしてた空気が、ひとりでに「ぴりっ」と引き締まる瞬間がすきだ。
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韓国のホストフレンドから電話があったのは、先週だったか。
これはいよいよ大変なのだろうか、と心配したようだった。
でも、ダイジョウブ、とのんきに答えた娘の声に、一応安心したに違いない。 確かにダイジョウブだ。でも変わったことはある。
どこかへ出かけるにも、非常時を考えて歩きやすい靴、水とすこしの食料と小型ライト、 なども意識して携帯するようになった。
とはいっても、必要最低限の外出に限る。
友人らと誘い合ってランチを楽しむ約束も延期にしたまま。
だれも言い出せずにただ日が過ぎていく。
「こういうときにこそ勉強に専念してはどうか」と思うが、
どうしても落ち着かない、集中力に欠ける。
パーティは幸いにも一度も休まずに継続できているが、
これもまたなんとなくいつものペースが出ない。
街がすこし明かりをおとしただけなら、こうはならない。
落とされたのは明かりだけじゃないから。
世の中の煌々とした明るさがわたしたちに与えていたものは、
こんなにも大きなものだったんだと、ここではじめて知ることとなった。 震災以前とおなじようにはいかない。
おなじようにいかないなら、どうすれば最善の道なのか。
しばらくはっきりとした答えが出せそうにない。
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地元の市は、行政の区画でいくつかのブロックに分かれており、そのなかに かならずひとつの子育てセンターを開設するということで、 今日からまた新しい親子つどいの広場がスタートしたそうです。
あいにくの雨。
しかもまだ震災から10日ばかりしか経っていません。
地震のとき、広場にも数組の親子さんがいて、大きな揺れにびっくり。 でもおちびちゃんと家でふたりきりだったら、もっと怖かったと思う、ここにいてよかった。 そうママたちが皆さん話していたそうです。
その後も来場者がとくに激減することもなく、
むしろ増えたぐらいですよ、とスタッフの方はおっしゃいました。
市からは、「閉めないでくださいね」と念をおされていると。
未就園児さんのいるおかあさんの、「あいててよかった」といえる大事な場所としての「親子つどいの広場」です。
みなさん思いは同じ。ここにいればまず安心、というのがあるようです。
今日もマザーグースと絵本のつどい。
もしかすると停電になるかもしれない、
そういうことも考慮して、CDなしでもいけるものを用意しました。
でもやっぱり、音楽ほしいね!
というわけで、今日はプレーヤーも持参。
「こんなのあったんです」とスタッフの方がワイヤレスマイクを準備してくださり、 今日は両手が空いて、とてもラクチンでした。
きょうの絵本は、「ロンドン橋がおちまする」。
復刻刊ドットコムから出ているあの本。
ママたちにロンドンばしおちた~、とうたってもらいました。
「さあ、どうしよう!」のつづきはご存知ですか?
だあれも知らないようです。
このうた、何番まであるでしょう?
その答えは。。。この絵本の中にありますよ。
ということでみなさんいっしょに歌いながら読み進んでいきます。
続いてロンドンブリッジの歌。
おきにいりのおもちゃを手ににぎって話さないおともだちには、
でんしゃといっしょにはしをわたろ~~!といって誘います。
きゃっきゃと楽しそうな声が響きます。
にこにこ笑顔の時間が、いちばんですね。
こどもたちは、いつもと同じ場所にいつもとおなじあたたかさ、
それを心から望んでいると思います。
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休日に都心へ出たのは、本当に久々でした。
映像翻訳に関するフォーラムに参加するためでした。
表参道で地下鉄を降りると、あれ?発車するはずの電車が出ません。 異常を知らせるアラームが鳴り、
緊急地震速報が出たとわかりました。
ホームに降りようとしていた人が改札で足止め。
しかし、大事に至らずすぐに解除となりました。
ヒヤっとした瞬間でした。
東京ウィメンズプラザには
こんなさなかではありますが、100名ほどの方が集っていました。
言語は違えど、字幕は洗練された日本語表現が命。
ともすれば直訳になりがちな韓→日翻訳。
ベテランの素晴らしい英→日の字幕から、その点を学んでいる というプロの方のお話が心にのこりました。
パネラーの方々はいわば言葉選びのプロフェッショナル。
さすが話し言葉も表現が的確で、すっと耳に入る心地よさを感じました。
近くの国連大学の前で、青空マーケットが開かれていました。
のぞいてみると、一度食べてみたかった「種子島の蜜芋」が売られていたのです。 これは買うしかない。
それと、松本にあるブロート・ヒューゲルという石釜焼きのパン屋さん の一品を買い求め、家路につきました。
渋谷はある程度の人出がありました。
ちらとのぞいたデパ地下は、人と物であふれていました。
高くても売れるところに物が集中しているワケでしょうか。
地元に帰ると、暗くひっそりとして、品切れ続出の状態。
強力粉、ドライイーストも売り切れでした。
パンがないからそばに「パン焼き器」を並べる店も。
節電のためには、ちょっと;;
ちなみに、我が家に炊飯器はありません。
まだまだ、大変な日々がつづくことでしょう。
被災地の人々が、一日も早く平安な暮らしをとりもどせるようにと
祈ります。
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